<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ありがとう。
 新緑に覆われた木々は、さんさんと降る陽の光に輝いていた。
都市の中にありながら緑深いここは、ビルシャスに建造された巨大な緑地公園だ。
 清浄な声の歌が、梢のざわめきを音楽として辺りに満ちている。
歌の主を探すように木々の合間を縫って、一人の男が小道から姿を見せた。
ぴったりとした黒いスーツを着た男の姿は一目で逢魔と分かるものだった。
 背から生えた蝙蝠の翼と側頭部にある二つの角を隠そうともせずにシンジは辺りに視線を配る。
 そしてその視線は一人の女に止まった。
 木々の合間に置かれたベンチに座っていたのはすらりとした美女で、胸まで掛かる美しい黒髪と、目の覚めるような赤い瞳を持つ女だった。
 膝には何か金魚鉢のようなものを抱えて、それをじっと見つめながら歌を歌っているようだった。
 「ああ、ここにいたのか。フィオナ」
 フィオナは声を掛けられてはじめて気がついたのか、シンジの方を見つめる。
そして、笑みを零しながら口を開いた。
 「この子に歌を聞かせていたんだよ」
 優しくそう言って、金魚鉢の中のものを見つめ直す。
シンジは、フィオナの隣に腰を下ろすと金魚鉢の中身を横から覗き込んだ。
中には、生き物なのか機械なのか判別できない小さなクラゲのようなものがたゆたうように水の中を泳いでいた。
 心地よさそうに水中を泳ぐそれは、フィオナの魔獣殻だ。
そこまで思いをめぐらせてシンジは、ベンチに深く腰掛けて目を閉じる。
まるで思い出すかのように――。

 レンガ造りの半ば崩れかけた遺跡の中をフィオナとシンジは進んでいた。
 湿気はそう酷くは無いが、どこと無くかび臭い匂いがする。
壁面にびっしりと生えた光るコケのようなものが辺りを照らしているため、視界には不自由はしない。
 ここは異なる空間に存在する遺跡の一つで、古の隠れ家と呼ばれている場所だ。
 シンジの両肩にはそれぞれ小鳥と小蟹のような魔獣殻が乗っていて、いつでもシンジと共に戦えるように身構えている。
 「この奥よ」
 フィオナがそう言って分かれ道で進む方向を指し示す。
フィオナの直感にしたがって、二人は随分と遺跡の奥まで進んでいた。
 ここに来たのは――そうだ。
フィオナが急に強力な魔獣殻が必要だとか言ったからだ。
正直な話、フィオナさえ居なければこんな場所からさっさと抜け出したいと思いながらシンジはフィオナに続いて進んでいく。
 やがて遺跡を進んでいくと、丸く広がった小部屋のような所に出た。
 フィオナが振り返って、シンジに言った。
 「ボクの勘だと、そろそろいると思うよ。だからシンジもう少し付いてきてよ」
 子供をあやすような口調で言われたシンジは、少し頬を染め――そして急にフィオナをほんの数歩で追い越して叫んだ。
 「フィオナ!!」
 左肩に載せていた白い小蟹は、シンジの右腕に巻きつくようにして一瞬で甲殻の盾に変化し、白い幅広のその盾でフィオナをかばう様にシンジはそれとの間に入る。
 暫時、鳴り響いたのは鈍い摩擦音だ。
重々しい一撃を何とか両手で支えた盾で払うようにして、いなす。
盾の先には、槍のような尻尾を持ち、赤く濁ったクリスタルで構成された半透明の巨大な蠍がいた。
体長は少なく見積もっても二メートル以上はあるだろう、そいつはシンジとフィオナを睥睨すると赤い瞳を一際輝かせた。
 蠍型魔獣殻、赤く濁った体のそいつは瞳を煌々と輝かせながら久々の獲物に喜んでいるようだった。
 「この蠍野郎!」
 シンジはそう叫ぶと、巨大な蠍型魔獣殻に盾を構えて対峙した。
 「違う――この子じゃないよ、シンジ」
 後ろで慌てて呟くフィオナにシンジは言った。
 「――あいつはお前を狙ったんだ」
 静かな怒気をはらんだその声に打たれるようにして、フィオナは魔皇殻を呼び出す。
シンジの声の響きから何かを感じ取ったのだろう、そしてシンジ一人に戦わせることなどフィオナには出来なかった。
服のように見えるそれは、微小な装甲版で構成された豪奢な漆黒のドレス、真アンソサイエティクロスだ、それをほんの一瞬で纏ったフィオナはまるで対比させるかのように、背には白鳥の羽を模して作られたような一点の曇りも無い翼、真エンジェルズソングを身につけた。
 そしてフィオナは歌う。
悲しみを深くたたえるような旋律のアリアは、真エンジェルズソングの羽ばたきに合わせて増幅され、不可視の音波は蠍型魔獣殻の存在位置でその破壊力を極大にする。
 蠍型魔獣殻は苦しげにその瞳を明滅させるが、その体の表面に小さなひびや欠けが入るばかりで、歌が佳境に入り最大の効果を産むまではまだ時間が掛かるようだった。
 シンジは、蟹型魔獣殻:Launchの甲殻盾で蠍型魔獣殻の尻尾や鋏を受けながら、静かに隙を伺っていた。
 だが、巨大な蠍型魔獣殻はその巨体を俊敏に動かして、器用に盾の隙間を縫うように鋏や尻尾を振るう。
 盾で受け止めるとずっしりと重いその一撃は、かわして空を切らせるとそのまま壁面をごりごりと削りながらシンジを追い詰めていた。
 鳥型魔獣殻:Tearの一撃なら有効なダメージを与えれるはずだったが、両手を使ってやっと重たい一撃をいなしているシンジにはそれだけの余裕は無かった。
 横なぎに振り払われる槍状の尻尾を盾でいなしたシンジに、不意に逆側から横殴りに鋏の一撃が直撃する。
鈍い音が響いて壁まで叩き飛ばされたシンジに、歌を中断させてまでフィオナが駆け寄る。
 「大丈夫!?」
シンジを抱き起こすように抱えたフィオナに頷いて立ち上がると、二言、三言フィオナに耳打ちする。
そしてシンジは、盾を再び構えて再び蠍型魔獣殻の前に立ちはだかった。
もう蟹型魔獣殻:Launchを武器化していられる時間はいくばくも無いはずだ。
 「フィオナ、頼んだ」
 シンジは口の端をニヤリと歪めるとそう言って、蟹型魔獣殻:Launchをフリスビーの要領で投げつける。
回転によって切れ味と威力の増したそれを蠍型魔獣殻は、両手の鋏を使ってなんとか弾き、そしてそのまま時間が切れた蟹型魔獣殻は消え去るようにして送還された。
 だが、それがシンジの狙いだった。
 両の鋏を使って、なんとか凌ぎきった直後、蠍型魔獣殻にはほんのわずかな隙が生まれていた。
 その隙にフィオナがダークフォース、真朧明蛍<フェイントリィシャイニング>を蠍型魔獣殻めがけて撃ち込む。
手のひらサイズよりも少し大きい光珠は、辺りを照らしながら蠍型魔獣殻に吸い込まれるように撃ち込まれ、そして一際明るい光を放ちながら爆ぜた。
 赤く濁ったクリスタルの表面に無数のひびを浮かばせながら、悲痛な叫び声を一声上げると蠍型魔獣殻は、六つある足を器用に蠢かせて奥へ、奥へと逃走を始めた。
 「追うぞ」
 シンジはそう叫んで、蠍型魔獣殻を追い始める。
フィオナも頷くと、それに続いた。
 道は曲がりくねり、分岐だらけだったがそれでもフィオナの直感に従い蠍型魔獣殻を追う。
 道には所々、砕けたクリスタルの欠片が散らばっておりその道の正しさを証明しているようだった。
 タッタッタッ――と、軽快な足音を二重に響かせながら二人は追っていたが、あれから三つめの小部屋に差し掛かったところで、不意に足音が一つやんだ。
 不審に思ったシンジが後ろを振り返ると、フィオナがうずくまる様にして座っている。
 「おい、フィオナ」
 シンジがそう呼びかけても、フィオナには動く気配が無かった。
不審に思って近づいて、フィオナの視線の先を見るとそこには、小さなクラゲ型魔獣殻がいた。
元々そこはこの遺跡の側溝のようになっているらしく、周りの床と比べてほんの少し低く作られている、どうやら水が無くて苦しんでいるようだ。
どう見てもフィオナが求めている魔獣殻には、それはそぐわないように思えた。
 半ば苦しそうに、小刻みに動いてるそのクラゲ型魔獣殻をフィオナはじっと見つめていた。
 不意に視線を感じたシンジが小部屋の先を見通すと、通路がクレバスによって分断された先にいる赤い瞳をクリスタルに宿した蠍型魔獣殻と視線が合った。
 鳥型魔獣殻:Tearをいつでも武器化できるように右腕に載せながらシンジは叫んだ。
 「見つけた!」
 シンジがそう叫んでフィオナを急かしたがフィオナは動く気配を全く見せなかった。
 「なぁ、おいフィオナ逃げられちまう」
 再び急かしたがフィオナの視線はそのクラゲ型魔獣殻から動くことは無かった、心なしかフィオナの表情が苦しそうに見える。
 そこまで考えてシンジは、はっとした。
 ――もしかして、フィオナはこのクラゲ型魔獣殻と自分の何かを重ねているんじゃないのか? と。
 シンジがそう考えをめぐらしている間に、再び視線を通路の先に戻すと蠍型魔獣殻は既にそこにはいなかった。
すぐに追わなければ逃げられてしまうのは分かっていた、そしてフィオナが一度決めてしまえば自分はそれに沿う事も分かりきっていた。
 シンジはしばらくの間、フィオナとクラゲ型魔獣殻を交互に眺め、一言呟いた。
 「わかった。そいつを連れて帰るんだな」
 フィオナの表情に笑みが現れ、そしてフィオナはシンジにその言葉を言った。
かび臭い遺跡の中でありながら、その笑顔はまるでそう――。
 「――ありがとう」

 「――ありがとう」
 不意に聞こえたその言葉は、どっちのフィオナが言ったのか分からずシンジはどきっとして、目を開いて辺りを見回す。
 傍らには、花が咲いた様に笑うフィオナがシンジのほうを見て笑んでいた。
 「あ、ああ。なんだどうした」
 「この子がシンジにお礼を言いたいって言ってたんだもん」
 そう言って、フィオナは金魚蜂の中を気持ちよさそうに泳ぐクラゲ型魔獣殻を指で指す。
 「――あ、ああ。そうか」
 シンジはため息をついて、再びベンチに深く腰を下ろして目を閉じた。
 「そういえば、そいつにはもう名前は付けたのか?」
 「うん、この子はDropだよ」
 そう、か――と、頷いてシンジが木々のざわめきに耳を貸していると、再び聞こえるのはフィオナの歌だ。
 静かな優しい旋律の歌は、緑地公園に染み渡るように響いていた。
 シンジは、フィオナが歌いつくすまでこの特等席から離れる気はなかった。
そして、何時の間にかそのままシンジは眠りについた――。