<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


天の闇 地の光

 空はどんよりと曇り、陽光を遮っていた。昼間なのにまるで夕暮れ時の様に薄暗く、今にも雨が降りそうな気配がある。あるいは、この雲の続くどこかではもう雨が降り出しているのかも知れない。遠くで微かに雷光の様な閃きが目の端に映った気がした。しかし、綾瀬が見てるのは、空模様でも闇に翳った大地でもなかった。そんなものはもう目に入らない。

 そこに‥‥目の前にその人がいた。探し続け、長い時間をかけてやっと見つけだした人。今はもうただ一人、その人しか見えない。その人は綾瀬にとって特別な人であった。運命の様に絶対的で逃れられない人だ。そして、きっとこれからも特別であり続けるだろう。この数刻先にどのような結末が待っているとしてもだ。なぜなら、その人こそ自分がこの手にかけて殺す者。或いは‥‥逆に自分を殺すかも知れない人だったからだ。

「誰だ?」
 その人‥‥秀治の口調に起伏はない。綾瀬の密やかな殺意を感じていながら、それに感化されることなく端然と立っている。綾瀬の蒼い瞳がじっと秀治の瞳を見つめ、秀治の目が綾瀬をじっと見つめる。瞳は深い海の底を覗いた時の色。そして空が宙へと変わる間際に見せる刹那の色。
「綾瀬」
 名のみを言うと、綾瀬は愛剣を鞘から抜いた。鈍色の空の下、淡い反射光が剣を走る。その瞬間、綾瀬は走り出した。何もかも‥‥出自も運命も未来も過去も、全てを振り払い頭の中を真っ白にする。あの慣れ親しんだ戦場でのように、ただの殺戮人形にならなければならない。戦い以外の雑念があれば、目の前の『父』に勝つことは出来ないからだ。

 綾瀬が走り始めた途端、秀治も己の剣を抜き走り出した。目の前の女が誰なのかはわからない。けれど、黙って殺されてやるほど生に飽きた訳でもない。抜き身の剣を持ち、思考がスッと戦闘モードに移行する。恐ろしいほど冷徹な意識が自分の奥から目を覚ます。
「はああ!」
 気合いと共に綾瀬の大剣がうなりをあげて秀治に襲いかかる。それを秀治の剣がしっかりと受けた。涼やかな高い金属音が薄暗い地上に響く。振り下ろした剣を受け止められた綾瀬は、反動で戻った剣を左から薙ぐ様に右へと斬る。素早い動きに剣が追いつかず、秀治は後退する。綾瀬が間合いを詰める。更に下から上へと剣を動かす。それは秀治が読んでいた。右足の裏で剣を踏むように留めると、そのまま左足で綾瀬に蹴りを入れる。顎を狙った秀治の蹴りを綾瀬は剣を捨てて身をかわす。その剣を……。
「これは!」
 綾瀬の剣を遠くに投げようと手を伸ばした秀治の動きが僅かに止まる。その剣の形、意匠に驚く。今自分が持っている剣と寸分違わない。まるで鏡に映したか、双子剣かの様にそれらはそっくりであった。いや、僅かに綾瀬の剣の方が使い込まれた気がしなくもない。けれど、それほどじっくり見る余裕は秀治でさえもなかった。一度下がった綾瀬の右拳が迫ってきたのだ。とっさに左にかわし1回転して体勢を立て直す。その間に綾瀬は自分の剣を取り戻していた。
「やるな」
「そちらこそ」
 短い、始めての会話。それ以外なんの音もない。見る者もない荒れた大地でよく似た外見を持つ2人は死闘を繰りひろげる。すると頭上の空が眩しく光り、続いて激しい雷鳴が轟いた。ボタボタと大粒の雨が落ち始め、すぐに地面を叩くような土砂降りとなる。それでも、綾瀬と秀治は戦い続ける。剣で、拳で、足で‥‥自分の持てる全ての力で目の前にいる者をねじ伏せようとする。雨はつぶてとなって容赦なく2人を叩き、地面はぬかるみとなって2人の足に絡みつく。
「どうした。もう終わりか?」
 秀治は息を弾ませる綾瀬を面白そうに見つめながら言った。おぼろげに、秀治は『綾瀬』とだけ名乗る者の正体がわかった様な気がしていた。自分と同じ剣を持つ若い女。その漆黒の髪。蒼い瞳。いや、なにより愛しい人を思い起こさせるその顔立ち、仕草、動き、太刀筋。どれも懐かしいものばかりだった。自分にとって最も近しい血を感じる。それなのに、何故戦い、殺し合わなくてはならないのか。そもそも、どうやったって会う事が出来るわけがない。飛躍のしすぎだろうか。秀治の顔に苦い笑みが僅かに浮かぶ。
「来ないのか? ならばこちらから行くぞ」

 綾瀬は『父』の力量を正確に把握していた。自慢も謙遜もなしに自分は強い。けれど父はもっと強い。それが悔しくもあるが、反面誇らしくもある。この人の血を受けて良かったとも思う。けれど、それでも『父』は倒さなくてはならない。倒すのは自分だと決まっている。別の道は‥‥多分ない。
「行く」
 胸の奥の奥でチクリと痛みが走った。けれど倒す。長引けば更に不利になるから、次の一撃が最後になるだろう。綾瀬は決意し、ぎゅっと剣の柄を握る。これは『父』が愛した剣。そして『父』の死後は『娘』の手に渡る。娘が父を殺す‥‥それが綾瀬の、自分の呪われた宿命だというのか。稲妻が光る。

 遠い記憶が不意に脳裏をかすめた。幼い、本当に子供であった頃の綾瀬。屈託無く笑っている。その頭に大きくて暖かい手が乗せられる。両手でその手を掴んで上を向くと、そこには大好きな『父』の顔があった。眩しい太陽で『父』の顔はぼやけてしまうが、優しい笑顔で頭を撫でてくれたことは間違いない。綾瀬の笑い声。そうだ。昔はこんな風に声をあげて笑うこともあったのだ。明るい太陽もそよ風も花も緑も水も‥‥なにもかもが綾瀬の目の前にあった。幸福であった。
 そして、その場にはいない少女の声が響いく。
「貴女のお父さん? そうね‥‥確かに強い人だった。でも、それ以上に‥‥優しいだった」
 その大好きだった『父』をこの手にかけるのか。運命にあらがえず、流されるままに生きるしかないというのか。

「行くぞ!」
 遠くで秀治の声がした。ハッとした時にはもう目の前にその姿がある。秀治の殺気が痛いほど伝わる。白刃がうなりをあげて綾瀬を襲う。防げるか? それとも。

 轟音と光の奔流は圧倒的な力をもってその場を席巻した。激しい落雷が天空と大地を繋ぎ、大気と殺気を浄化する。まばゆい光が一瞬その場を何もかも白く染め、そしてすぐに闇が戻ってきた。それがこの2人だけの戦いに終りを告げた。