<バレンタイン・恋人達の物語2006>


Honey come Valentine's Day 〜ハニカムバレンタイン〜

 ドアの前に立った逢魔・鳴神はウロウロとその前を行ったり来たりしていた。
 ――何だってこんなハメになったんだよ……!
 見慣れたペンション・日向のドアが、今は鉄壁の防御結界に感じられる。
 鳴神は厨房にいたチリュウたちにけしかけられ、部屋の住人に思いを告げるためこの 部屋の前に立っているのだった。
 ――くっそ、絶対あいつらどっかで見て面白がってるんだろーな。
 鳴神は「はああ」と息を吐いて肩を落とした。
 ――別に、このままでもいーじゃねぇかよ。
    確かにハッキリさせたいけど、玉砕すんのも嫌だし。
    気まずくなるくらいだったら、今のままでも充分て気もすんだよなぁ。
 ぐるぐると思考も後ろ向きになっていった所で、ブツンと鳴神の何かが切れた。
「だーもう俺らしくねぇっ!!」
 考え込むのは得意じゃない。
 後なんか考えないで行動あるのみが俺じゃなかったか!?
 ぐ、と握った拳にはさっき厨房で手渡されたチョコレートと、小さなガラス瓶。
 ――バレンタインデーにチョコレート渡す方って、女の方じゃなかったか?
    チリュウに「これ持ってアタックして来い!」って押し付けられたけど。
    ま、こっちは俺が後で食おう。
 鳴神はガラス瓶を目の高さまで持ち上げ、その中身を照明に透かしてみた。
 明るい琥珀色の蜂蜜に、規則正しく並んだ六角形の蜂の巣が浸っている。
 透き通った黄昏色の向こうは甘く滲んでいた。
「勇気の出るおまじない、ね」
 ――初めて好きだなぁって思ったの、いつだったっけ……。
 初めて会った時から、何となく良いなと思ってたんだよな。
 いつの間にか好きになってた。
 ――やっぱり好きだって言いたいよな。
「……よし、言うぞっ!!」
 鳴神は再びドアの真正面に立った。


 鳴神がようやく告白を決意する少し前。
 ペンション・日向の厨房では三人の住人がチョコレートを用意していた。
 魔皇であるチリュウ・ミカと藤宮深雪、それにチリュウの逢魔・クリスクリス。
 ナイフでチョコレートを大量に刻んでいるミカが、ひとかけらそれを口に入れて嘆いた。
「この義理チョコって習慣、いい加減なくならないかね?」
 今日はバレンタインデー当日。
 今年はミカと深雪が義理チョコ大量生産のチョコ当番だった。
 二人とも長い髪をまとめ、エプロンで身を包んでいる。
 今年の義理チョコはチョコレートブラウニーに決まっていた。
「世の中半分の女は面倒くさいって思ってるらしいよ」
 ミカが昨夜のニュースで目にしたアンケート結果を思い出して言った。
 家族や恋人に贈るだけではなく、会社や学校でたくさんのチョコレートを配る義理チョコは経済的にも負担が大きい。
「でも、それは言い換えれば……残り半分の女性は、楽しみにしているって事ですね」
 ミカに深雪がおっとりと言葉を返す。
「義理チョコはともかく……何かきっかけになるような特別な日、が一日あっても良いのではないでしょうか」
「そうだな」
 二人には今伴侶となる相手がいる。
 普段ももちろん相手を思っているけれど、ちょっと改まって気持ちを確認する日があってもいいと思う。
 頷いたミカに、クリスクリスが声をかけた。
「ミカ姉、オーブンの準備できたよっ」
 両手をミトンの形の鍋つかみで包んだクリスクリスが、ぱたぱたとスリッパの音をさせて言う。
「お、じゃあチョコ刻むの手伝ってな」
「うんっ」
 ミカの隣に立ったクリスクリスが楽しそうにハミングする。
「クリスはもう自分のチョコ用意したのか?」
「えへへ、これからなんだ。今練習して、後でボク一人で作るの」
 小麦粉を計りに載せた深雪が、楽しそうな表情を見せるクリスクリスにつられて微笑んだ。
「学校には好きな方がいらっしゃるんですか?」
 深雪の発言にクリスクリスは顔を真っ赤にしてうろたえた。
「えっ!? そ、それはぁ〜」
 ミカもクリスクリスの赤くなった頬を指で突いて笑う。
「わたしも聞きたいなぁ、クリス」
 深雪とミカ、二人に挟まれたクリスクリスが「うー」と小さくうなって叫んだ。
「ボ、ボクの事よりっ! ミカ姉と深雪ねえちゃんの話を聞かせてよっ。
 二人とも旦那さんがいるんだし、どう思ってるの? どんなきっかけでお付き合い始めたの?」
 意表をつかれて二人は同時に声を上げた。
「わたし?」
「私ですか?」
 クリスクリスがじっと青い瞳で見つめてくるのに、二人は顔を見合わせる。
「それじゃあミカさんからどうぞ」
「わたしからっ!?」
 にっこり笑った深雪にそう言われ、ミカは「ん、んー」と咳払いした。
 普段その手の話題を口にしないミカなので、クリスクリスも深雪も早くその先の言葉を聞きたくて待っている。
「……あー、えっと……。
 いつだったか、わたしが酔い潰れてしまった時があって……」
 ミカは明るくて一見軟派な伴侶を頭に思い浮かべる。
「部屋まで送って、朝まで診てくれたんだよ。
アイツ女に見境ないくせに、あの時は手も出さないで……大切にされてるなぁって思ったのが、一番初めかな」
 その時まではただの友人だったのに、貸してくれた肩の力強さや、気遣ってかけられる低い声に随分頼りがいを感じてしまった。
「いいなぁ〜。うらやましいなっ」
 調理台の上に頬杖をついたクリスクリスがため息をつく。
「わ、わたしの話はこんな所! 深雪は?」
 話を聞きながらチョコレートを湯煎していた深雪が「そうですね」と指先を顎に当てて思い出す。
「お仕事でご一緒したのがきっかけですよ」
 仕事で忙しくて、なかなか今も二人きりの時間が取れない。
 それでも深雪の心は伴侶に向けられている。
「……その後少し離れていたのですけど、バレンタインの時にまたご一緒したのがきっかけで、お付き合いするようになりました」
「深雪ねえちゃんはそうなんだ……ね、告白ってどっちがしたの?」
 深雪は思い切って告白したあの日の事を思い出した。 
「私からですよ」
 大好きで、離れていても惹かれる心を止められなくて口にしたあの日。
「う、勇気あるなぁ深雪」
 あらためてミカとクリスクリスは、深雪が意外と芯の部分では強い思いを秘めている事を知らされた。
「さあ、次はクリスさんの番ですよ」
「ボ、ボクは……まだ、そんなんじゃないよぉ」
 語尾が小さくなっていくのに比例して、クリスクリスの白い肌が再び赤く染まっていく。
「でも理想の恋人ってあるでしょう?」
「そうそう、わたしも聞きたいな」
 今度はクリスクリスがミカと深雪に見つめられる番だった。
「……えっとね、笑わないでくれる?」
 上目遣いで言うクリスクリスに、二人は頷く。
「淡雪のようなボクの心を溶かさず優しく包んでくれる人……だといいなぁって」
 いつもは元気いっぱいのクリスクリスだけれど、恋愛に関してはロマンチックな理想があるらしい。
 でもそんな所が可愛いとミカと深雪は思った。 
「そんな方に出会えるといいですね」
「わたしもそう思うよ、クリス」
「えへ、ありがと二人とも」
 和やかな空気の中、余熱が出来たオーブンからチンッという軽い音が響いた。
「ところでチョコブラウニーって、あとは粉を混ぜるだけなの?」
 調理台の上には製菓用のチョコレートの他、ふるった小麦粉、あらかじめ卵白と分けた卵黄、バターや牛乳などが並んでいる。
 クリスクリスが甘い匂いに瞳を輝かせる。
「材料混ぜて焼くだけだからほとんど失敗しないし、一度にたくさんできるから良いかと思ってさ」
 ミカは湯煎したチョコレートに粉と他の材料を入れ、泡だて器で混ぜ合わせた。
「簡単にできて美味しいですよね」
 深雪がケーキ型にクッキングシートを敷く。
「後は流し込んで焼くだけです」
「じゃ、ボク焼きあがるまでお茶の準備するねっ」
 オーブンに生地を入れ、ミカがタイマーをセットした。
 クリスクリスがミントティーの缶を手に取り、カップを三つ並べようとした時。
「クリス、もう一つカップ追加して」
「え?」
 ミカが厨房のドアを勢い良く開けた。
「鳴神! 用事あるなら入ってくる!」
 そこには鳴神が灰色の頭をかきながら立っていた。
「ど、どうも〜」
 チョコレートの甘い匂いに誘われて鳴神は厨房に来てしまったのだ。
「……まあ、用件は聞かないでも判るか」
 呆れ顔のミカをよそに、鳴神が厨房に入ってくる。
「あれ? どしたの鳴神さん? 今日は厨房は男子禁制だよっ!」
「ケチくさい事言うなってクリス」
 早速余った材料のチョコレートに手を伸ばす鳴神の手をぴしっと叩き、深雪が言った。
「好きな方に告白もできない意気地なしは出て行って下さい」
 深雪の雰囲気が冷ややかなものに変わる。
「深雪、キツイ事言うなよな〜。そうは言ってもいろいろ、さ……」
 シャンブロウの耳をへたりと下げて鳴神が語尾を濁す。
 その態度に、ますます深雪のまわりの温度が下がっていく。
「ただ待っていないで、自分から告白してしまえば良いじゃないですか。
……いつもの冗談じみたセクハラ発言じゃなく、本当の告白ですよ?」
 ミカも「難儀な奴」と呟いて言葉を続ける。
「こればっかりは本人の気持ち次第だからなぁ……」
 鳴神の片想いの相手は、ミカの伴侶の逢魔だった。
 ミカもその人となりを知っているだけに、なかなか煮え切らない鳴神の態度がもどかしい。
 丁寧だが極寒の言葉が深雪から鳴神に向けられる。
 が、実は深雪のブラウニーが焼きあがるまでの暇つぶし、というのが鳴神の受難だ。
「鳴神さんはスケベで乱暴者に見えるけど、本当は意気地無しで腰抜けな臆病者ですものね」
「うう、みもフタもない」
 がっくり落ち込む鳴神に、クリスクリスも肩をすくめる。
「やれやれ、今年 も 鳴神さんの恋のサポートに知恵絞らなきゃなんだね……」
 『も』を強調しつつ、クリスクリスがミントティーをカップに注いで鳴神の前に置く。
 そこに焼き上がりを告げるオーブンの音が響く。
 早速ブラウニーを取り出してミカは切り分け、鳴神に渡した。
 実は義理用、というのは伏せておく。
「よしっ! この出来立てのチョコ持ってアタックして来い! 
今夜はわたしが旦那の身柄を拘束するからな。彼女は空いてるはずだ」
「ミカ姉何で顔赤いの?」
 赤面するミカにクリスクリスが首を傾げる。
「と、とにかく」
 うろたえたミカが赤面をごまかすように口元に手で覆った。
「お前自身の言葉で、お前の気持ちが真摯で揺らがないものだと伝えれば……きっと彼女の態度も変わるんじゃないかなぁ」
「そうかな?」
 ミカの勢いに気おされた鳴神の視線が彷徨う。
 そんな鳴神に深雪が棚の奥から蜂蜜に浸かったコム・ハニーの小瓶を取り出して手渡した。
「何だこれ?」
「おまじないですよ。持っていれば勇気が出ます」
 半信半疑で小瓶を眺めている鳴神に、クリスクリスも声をかける。
「あのね鳴神さん、ボクはちょっとエッチでも飾らない鳴神さんが大好きだよ。
幸せな気持ちって他の人にも伝わるから、コム・ハニーひと口食べて勇気出して行ってきなよ」
 じーん、と鳴神はクリスクリスの言葉に打たれている。
 ミカと深雪が密かに「のせられやすい奴」と思っているのを鳴神は知らない。
「よし! それじゃあいつの部屋に突撃だ!
会ったら開口一番で『結婚しよう』って言うぜ!」
「え、順番飛ばしすぎじゃ……」
 鳴神をのぞく三人が困惑しているのも構わず、鳴神が椅子から立ち上がって厨房を出て行った。
「ありがとうな三人とも!」
 いっそ爽やかに吹っ切れた表情の鳴神だったが。
 残された三人は顔を見合わせる。
「……あれ、大丈夫か?」
「うーん、ボクは今年もダメだと思うな」
「今年で、ダメになるかもしれませんね」
 「でも」と深雪が言葉を続ける。
「せっかくですからどんな風になるか、見守りましょうか」
 

 大方の予想通り部屋の前を行き来している鳴神を、三人は通路に置かれたグリーンの影から見ている。
「やっぱりドアの前でまごついてるなあ」
 ぼそぼそと声を潜めてミカが言う。
「あ、決心したみたいだよ!」
 クリスクリスが言うように、鳴神がドアの前で止まった。
「よーし! 行け鳴神っ」
 ミカの声援が聞こえた訳でもないだろうが、鳴神は部屋のドアをノックした。
 ごく、と息を飲む三人。
 が、ドアの奥から返事がない。
「……そういえば最近見かけませんよね、彼女」
 深雪がふと思い出したように言った。
「……あ」
 ミカもそれに思い当たって声を上げた。
「もしかして、留守かな?」
 クリスクリスがそう言うのと同時にドアの前で鳴神が叫び、床に膝をついた。
「………………誰も居ねぇぇぇぇ!?」
 鳴神は彼女が当分出かけると言っていた事を思い出した。
「そうだ……まだ帰ってきてねーんだった」
 力尽きた鳴神の片思いが報われる日は、まだ当分先になりそうだった。


(終)


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

◆登場人物一覧◇

【 w3c964maoh / チリュウ・ミカ / 女性 / 33歳 / 残酷の黒 】
【 w3c964ouma / クリスクリス / 女性 / 16歳 / ウインターフォーク 】
【 w3i013maoh / 藤宮・深雪 / 女性 / 26歳 / 激情の紅 】
【 w3i013ouma / 鳴神 / 男性 / 36歳 / シャンブロウ 】

◆ライター通信◇

藤宮深雪様

ご参加ありがとうございます。
藤宮様がご自分から告白されたというプレイングで、「おっとりして見えても、そこは『激情の赤』の方なんだなぁ」と思いました。
笑顔の向こうはややブラック(?)にしてしまいましたが、よ、良かったのでしょうか……。
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。
ご注文ありがとうございました!