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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
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−春の兆し−
ホワイトデー。
それはバレンタインデーに贈り物を貰った男性たちが、女性に御礼をする日である。
が、海外ではバレンタインに贈り物をするのは必ずしも女性でなければならないという習慣はなく、それゆえホワイトデーというのは日本ならではのイベントと言える。最近では影響を受けて海外にもホワイトデーが行なわれる国もあるようだが……まあ、それは余談として。
そんなホワイトデーが差し迫ってきたある日のこと、リラはお菓子の材料を買うため、家の近くにあるスーパーマーケットまで買い物に出かけた。
前述の通り、ホワイトデーというのは男性から女性へお返しをする日というのが一般的だが、最近は“友チョコ”などというものも流行っており、リラも仲の良いクラスメートの女の子たちからいくつかチョコレートをもらっていた。だからホワイトデーに御礼をしようと思ったのだ。
どうせ贈るのなら、心のこもった手作りがいい。そしてせっかく手作りのお菓子を作るのなら、大好きな人にもプレゼントしたい。そんなわけで、材料を選ぶリラの表情はとても熱心だった。
お菓子もさることながら、ラッピングにも凝りたい。可愛らしい花柄のものがいいだろうか、それとも、ちょっと大人っぽく落ち着いたブルーの包みにしようか。袋はシンプルなものにして、綺麗な色のリボンをかけるというのもいいかもしれない……などと考えながら、友達よりむしろ「彼」へのプレゼントのほうをメインに考えている自分に気付いて、リラは思わず頬を染めた。
恋人、と呼ぶのにはまだかなり照れのある、でもとても大切な人。
凛々しく涼やかで、でもとても優しい人。
他のことを考えている時でも、ついいつの間にか彼へと思いを馳せてしまっている自分がいる。
(お菓子……喜んでもらえるといいな)
幸せそうに微笑んで、再び材料の棚へと手を伸ばす。
その時、ふと誰かに名前を呼ばれたような気がして、リラは顔を上げて辺りをきょろきょろと見回した。するとすぐ近くによく見知った人物が立っていた。
「あ、咲月さん……」
「このようなところで会うなんて、奇遇ですね」
ふわりと微笑む彼女は、リラが今まさに思い描いていた人の姉に当たる人物だった。義理の姉弟ではあるが、美しい黒髪や凛とした雰囲気、すらりと伸びた背筋などはよく似ている。
「お菓子作りですか?」
「うん、プレゼント用にと思って」
誰にとは言わなかったが、咲月はそのプレゼントを贈る相手をすぐに察して、また微笑んだ。リラのほうは、どうやら内心の想いに勘付かれてしまったらしいことに気付き、照れ笑いを浮かべる。そんなリラを優しい眼差しで見つめながら、咲月は呟いた。
「女の子らしくて良いですね。私もたまにはそういうことに挑戦してみたほうが良いのでしょうか?」
咲月はお菓子や料理を作ったことはほとんどない。そもそも、台所に立つこと自体が少ない。何故なら彼女は血を見るのが非常に苦手で、それゆえ包丁を持つことすらままならないからだ。魚や肉を切るなんて当然無理だし、たとえ野菜であっても、もしうっかり手を切ってしまったら……と思うとどうしても気後れする。
そんな彼女にしてみれば、好きな人のために手作りのお菓子を作るリラの姿は、なんだかとても眩しいもののように映った。
一方リラのほうは、興味深そうに材料の棚を眺める咲月をじっと見つめ、何やら思案していた。声を掛けようかどうしようか迷うような素振りを見せ、しばらく考えた後、ようやく決意したように話しかける。
「もし良かったら、一緒に作ってみない……?」
まさかそんな誘いを受けるとは思っておらず、咲月はきょとんとした。まさかそんな誘いを受けるとは思ってもいなかったのだ。けれども、リラの青く透き通った瞳を真っ直ぐ見つめ、こう答える。
「そうですね、良い機会ですし……ただし包丁は使えませんけれど、それでも宜しければ」
その答えを聞いて、リラは嬉しそうに頷いた。
料理らしい料理も、お菓子らしいお菓子も作ったことのない咲月がリラの誘いを受ける気になったのには、ちょっとした理由があった。
幼い頃は弟も含めて仲良しだった咲月とリラだが、ある時期を境に、2人の間には隙間ができてしまった。
別に喧嘩をしたわけではない。仲が悪くなったわけでもない。
しかし、お互いに何となく歩み寄るきっかけを掴むことができず、微妙に距離を置いたままどんどん時間は流れていった。そして時が経てば経つほど、なおさらきっかけを作るのは難しくなってしまって……そして今に至るというわけだ。
だから、今ならばリラとの間にできてしまった隙間を埋めることができるのではないかと思い、誘いに応じることにした。実はリラのほうも同じことを考えていたりするのだが、それはまだ咲月の知るところではない。
こうして、2人は藤野家でお菓子作りに挑戦することになった。
場所がリラの家ではないのは、藤野家の厨房のほうが広くて、2人で作業するには都合が良いからだ。
リラは持参したエプロンを、咲月は割烹着を身につけて、さっそく準備に取り掛かる。
今回作るのはココアクッキー。ただのクッキーではなく、ココナッツなどを細かく刻んだものを入れるのがポイントだ。包丁が必要な作業はリラが担当し、材料を混ぜたりするのは咲月が行なうことになった。
「お菓子作りって、けっこう力が要るものなんですね」
泡だて器でバターをこねながら咲月が言う。室温に戻してあるとは言え、バターはなかなか思うように滑らかになってくれない。かと言って暖めすぎると今度はドロドロの液体になってしまうので、なかなか難しいところだ。
「大変だけど、その分、できあがった時は達成感があるから」
と、リラは微笑んで答えた。
お金を出せば、美味しいお菓子なんていくらでも買える。むしろ自分で作ったほうが材料費だのなんだので出費がかさんで高くつくことも多々ある。それでも、やっぱり手作りというのは特別なもの。上手くできた時は本当に嬉しくて充実した気分になれるし、貰った人も喜んでくれる。
「頑張れば頑張った分だけ達成感も大きくなる……お菓子作りに限らず、何にでも言えることですね」
咲月も納得したように頷いた。
リラはおっとりしているように見えるけれど、とても真っ直ぐで芯の強い子だ。
弟が心惹かれるのもよく分かると、咲月は思う。それだけでなく彼女自身も、そんなリラのことを快く思っている。それなのに歯車がほんの少しずれてしまって、上手く噛み合わなくて、こんなふうに2人で楽しい時間を過ごすことができなくなっていた。それは残念なことだけれど、今こうして笑い合うことができて、本当に良かったと思う。
「覚えています? 私たち、小さい頃は良く一緒に遊びましたでしょう?」
咲月がこう問い掛けると、リラはナッツを刻んでいた手をぴたりと止め、複雑な表情を作った。
「うん……何時頃からか遊ばなくなったよね」
どうやら、ずっとそのことがわだかまっていたらしい。表情や口調からそれがありありと伝わってくる。
「だって私が家から出なくなりましたもの」
あなたが悪いわけではない……そう言い聞かせるように、咲月は優しい声と笑顔で返した。その言葉に、リラははっとしたように顔を上げ、やがて安堵したように微笑む。
「良かった、嫌われてなくて……私が何か悪いことをして、それで一緒に遊ぶのが嫌になったんじゃないかって、ずっと不安だったから」
「あらあら……それを聞いたら焼餅を焼く人が居るのでは?」
からかうように言われて照れるリラ。それを見てますます笑みを深める咲月。
2人はそのまましばらく、くすくすと笑い合っていた。
それから、ようやくクリーム状になったバターに砂糖と卵を加え、さらに薄力粉を加えて、ほどよい固さになるまでこねていく。せっかくなのでココアを混ぜる前のプレーン生地を少し取っておいて、市松模様のアイスボックスクッキーも作ることに。
「型抜きって、色々な形のがあって楽しいですね。これなら包丁を使わなくてもできるし……とても便利」
丸や四角のクッキー型をひとつひとつ手に取って、咲月はまるで少女のように無邪気にココアクッキーの生地を型抜きしていく。しかしハートの型を生地に当てようとして、思い直したように手を止め、にっこり笑ってその型をリラに手渡した。
「はい、どうぞ」
「え?」
「やっぱり、あの子へのプレゼントはあなたが作ったほうが良いでしょうから」
咲月の笑顔と渡されたハート型とを見比べて、リラはまた照れ笑いを浮かべた。
少し前までは、プレゼント用のお菓子も全部自分1人だけで作っていたから、こんなふうに茶化されることもなかった。でも決して嫌な気分ではない。むしろ、少しくすぐったいようなこの暖かい気持ちを咲月と分かち合えることを嬉しく思う。それは、咲月が心から自分たちを祝福してくれているということがちゃんと分かっているから。
これだけは女の子同士ならではの特権。
2人はまたくすりと笑い合って、たくさんのクッキーをオーブン皿の上に並べていった。
「春ももうすぐそこですね」
クッキーが焼けるのを待ちながら、咲月が窓の外を眺めて言う。
少し前まで白く染まっていた庭も、今ではもうすっかり雪化粧を落としてしまっている。これからどんどん暖かくなるにつれて、やがて庭は美しい花々で彩られることだろう。
どんな厳しい寒さも乗り越えて、草花は土の下から芽を出す。
2人の間でずっとずっと眠っていた種も、今ようやく長い冬から抜け出し、再び芽吹いたのかもしれない。
やがてふわりと漂ってくる甘い香り。
それはまるで春の風にも似て、暖かく心地好い。
どうか春の訪れと共に、小さな芽が美しい花を咲かせてくれますように―――いや、祈るだけではなく、そうなるよう自分で頑張れることがあるなら頑張ろう。芽が枯れてしまわぬよう、自分の手で水を与えていこう。
そんなことを思いながら、咲月はこんがりと焼けたクッキーを満足げに眺め、微笑んだ。
−fin−
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