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<東京怪談ノベル(シングル)>
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All's right with the world
某日、午後。
風羽シンは一人街の中を歩いていた。
数年前なら決して堂々とは歩けなかったその道を、情勢が変わった今は堂々と歩いていく。
今でも時々『仕事』の方に精を出すときはあるが、それでも以前よりは大分減っている。
平和になったのかなっていないのか。色々と渦巻く世の中を、それなりに彼は楽しんでいた。
今日は本業のほうも早めに切り上げ、一人気儘に散策へと出かけていた。幾つになろうとも、こういう時間は訳もなく心が安らぎ、そして躍る。
…が。激動の中を生きてきた彼は、どこまでもそういうものから逃げられないのかもしれない。
「〜〜〜…♪」
自然と鼻歌が漏れる。手には少し甘めに作られたカフェオレ。甘いそれが、今日という穏やかな一日を表しているかのようだった。
シンの目が、何気なく街頭のテレビへと向いていく。そこに流れていたのは、どこかのテロ集団のニュースだった。
「…一皮剥けば、世の中なんてあんなもん、か」
しみじみと呟いて、ぐっと一気に残ったカフェオレを飲み干す。そして、そのカップを近くにあったダストボックスの中に投げ捨てた。
「まっ、今日の俺には関係のないことだがね。世は並べて事もなし、ってか……ん?」
呟いた彼の足元に、何かが当たった。導かれるままに下を向けば、そこには一匹の白い猫。まだまだ小さなその子猫が、彼の足元でその身を寄せていたのだ。
「…野良? にしちゃあ随分と綺麗だな…しかし首輪はないし?」
野良猫でここまで綺麗な猫も見たことがない。どこからかの迷い猫か、しかし首輪がないのは何故だろう…色々と考えながら、ひょいっとその小さな体を抱き上げてみる。
猫は一切抵抗しないどころか、気持ちよさそうに喉を鳴らす。随分と人懐っこい性格のようだ。
「お前、どこからきた?」
無駄と分かりながら、シンは聞く。勿論返事はない。
しかし、全く予想もしなかった方向から声がした。
「いたぞ!」
声はほとんど叫び声だった。その方向に体を向ければ、息を荒くしてこちらを睨む男が二人。妙に変態チックな感じがしないでもないが、明らかに空気はシリアスだ。
血走った瞳は、シンの抱えている子猫を睨んでいた。それに気づいたのか、今まで喉を鳴らしていた子猫は怯えたように体を震わせる。
「あー…状況からして聞く必要もないと思うが、お前ら何だ?」
「その猫を渡せ」
返事になっているようないないような。
「反応に困る返事を返すな」
「渡せ」
にべもない。わざと軽く返事したのに、これでは全く意味がない。
子猫はやはり、怯えたように震えていた。その様子に溜息一つ。
「こいつが嫌がってるみたいだから、そいつは無理だ」
言うが早いか、シンは子猫を抱えたまま走り出した――。
「ったく、あいつら…って、マジかよ!?」
一人走りながら溜息をついたシンは、後ろを向いた瞬間に思わず目を見開いた。さきほどの男たちが、街中など関係ないとばかりにコアヴィークルで追ってきていたのだ。
「あいつら魔皇かよ…」
また溜息をついて、すこしだけ考える。そして、決めた。
「まぁいい、よく分からないが面白くなってきたじゃねぇか!」
言うが早いか、シンは刻印をその体に浮かび上がらせた。
孤高の黄金とは、修羅の黄金の彼からすればいかにも微妙な渾名ではあるのだが、その名が的を得ているいうことを、今ほど感じるときはないだろう。
並の孤高の紫など歯牙にもかけない、まさに風と呼ぶのがふさわしいその敏捷性。そのスピードは、いかにコアヴィークルを使おうと追いつけるものではない。
それに加えて、彼はシューティングクローで三次元的な移動も可能にしていた。男たちがすぐにシンの姿を見失ったのも仕方がないだろう。
男たちは悔しそうに顔を歪ませ、すぐに携帯を取り出してどこかへ連絡を入れた。
「さて、これでしばらくは大丈夫かね」
シンは、既に街の外にいた。街中であろうと関係なくコアヴィークルで追ってくるような連中だ、街中では色々と都合が悪いのも事実。
「お前さん、一体何やったんだ?」
まだ手の中にいる子猫を一つ撫で…動きが止まった。
「「「「「止まれ!」」」」」
あぁ、一体何のギャグなのか。彼の眼前には、先ほどよりも多い幾人もの魔皇たち。
「…マジかよ」
思わず、顔が引き攣っていた。
じりじりと、魔皇たちが距離を詰めてくる。彼らの目的は、やはり手の中にいる子猫のようだ。
また怯えたように小さくなった子猫に、今日何度目になるか分からない溜息を一つついて。
「…しょうがねぇよな」
逃げた。
逃げる。
ひたすら逃げる。
ただこれでもかというほどに逃げる――!
今、孤高の黄金は疾風(かぜ)となった――。
などというモノローグは置いておいて、気付けばどこかの廃ビルへと逃げ込んでいた。
随分と埃っぽいが、建物自体はしっかりしているようなので倒壊の恐れはないだろう。
そこに打ち捨てられていた椅子を立て直して、そこに座る。子猫が、心配そうにシンを見上げていた。
「ったく、今日はお前さんのせいで散々だ」
呟いた彼の耳に、ビルの外に何かが集まる音が入ってくる。
「でもまぁ、最後まで付き合うか」
それを確かめて、彼は子猫をロッカーの中に入れる。そして、ニヤリと笑った。
「久々だな、こういう状況は」
外に集まっている魔皇たちは、彼の昔いた部隊の名前を知っているのだろうか。
今でも、その名前を出せば畏敬の念を抱くものは多い。
そして、ゲリラ戦や少数対多数の戦い方を最も得意としていた事実も。
* * *
二人の魔皇が、既に役割を果たしていないドアを蹴り倒して、ビルの裏口から入ってくる。どうやら正面からとの挟み撃ちにする予定のようだ。
ピンと、足元で音がなる。下を向けば、一瞬だけ光る何か。同時に、彼らの頭上から何かが降り注ぐ。
「ブハッ…セメント!?」
水で溶かす前のセメントは、重いながらもさながら小麦粉のように派手に舞い散る。それは彼らの視界を奪うには十分だった。幾ら魔皇といえど、視界が確保できなければまともに動くことも出来はしない。
そんな彼らの鳩尾に衝撃が走る。瞬間的に気絶させられ、浮かんでいた刻印は消えた。
それを見ながらニヤリを笑い、シンはまた走り始めた。
「どうした、おい!」
裏口から突入した二人からの連絡が途絶し、正面から入ってきていた魔皇たちの一人が焦りから怒声を上げる。しかし、向こうからの返事は一切ない。
連絡にばかり気をとられていた彼は、他のものたちより少し遅れていた。
もう一度通信機をとり、声をかけようとする。しかし、その瞬間に後頭部を激しい衝撃が襲っていた。
何が起こったかもわからず、彼の意識は飛んでいく。
「悪いな」
意識が途絶える最後の瞬間、シューティングクローで天井からぶら下がっているシンが、彼の瞳に映っていた。
彼らはこういう戦いに全く慣れていないのか、シンが思わず笑ってしまうほどに罠にかかっていく。
幾ら魔皇であろうとも気絶させてしまえばただの人間とは変わらない。気絶している間に、魔皇の力でも解けないほどに縄で全身を縛り上げる。
「まぁ今日はオフだからな。お前さんたち運がよかったよ」
そう、普段ならば確実に息の根を止めているところなのだが。そんな血なまぐさいことは、この休みには似合わない。
そうして、十人ほどいたはずの魔皇たちは、何時の間にか三人にまでその数を減らしていた。
その状況になって、やっと魔皇たちは自分たちの相手にしている男がいかに恐ろしいのか思い知る。
「くそっ、どうなってやがる!」
「んなもん、見たまんまだろ?」
思わず叫んだ男の前に、眼帯で右の瞳を隠した男が立っていた。
「な゛っ!?」
「敵に回したやつが悪かったな」
気付いたときにはもう遅い。その腹に一撃を受け、男がずりずりと崩れ落ちる。
「貴様っ!」
一人が、クロムブレイドをその手に呼んだ。さらに、もう一人も巨大な爪を振りかざす。それを見ながら、シンはまた溜息をつく。
「何の目的があってあの子猫を狙っていたのかは知らないが…俺の休日を潰してくれた報いは受けてもらわねぇとな?」
巨大な刃が振りかぶられる。絶大な威力を持って振るわれたそれは、しかし地面を穿つだけだった。
「こっちだ!」
動きに気付いた男が、爪を薙ぐように振った。しかし、その一撃もシンを捉えるには至らない。
「『死に旋る羽』、お前さんたちに捉えられるかい?」
ニヒルな笑みを浮かべたシンに、男たちの攻撃は一切届かない。それどころか、ますますその速さは増していく。
もう一度薙ぎにきた爪を避け、その爪を蹴りながらシンは宙に舞う。そして、間髪いれずに勢いはそのまま膝をその側頭部へと叩き込む。
その一撃で完全に男は意識を失った。それを見て、刃を構える男は恐怖から叫んでいた。
「ったく、うるせぇよ」
しかし、武器を振るおうとしたその瞬間、心底うんざりしたようなシンの顔が既に目前に迫っていて――彼の頭は、地面に叩きつけられていた。
* * *
死屍累々。廃ビルの中はまさにその言葉どおりの状況だった。唯一違うのは、誰一人として死んではいないということだろうか。
その全てに例外なく猿轡を噛ませ縄で縛り、廃ビルの外に吊るし上げる。
「まっ、そのうち誰かが気付いたら助けてくれるだろうさ」
いかにも何か叫びたそうな魔皇たちをそのまま放置し、シンは子猫と一緒に街の中へと戻っていった。
「しかしお前さん、本当に一体何やったんだ?」
「にゃっ?」
子猫はただ、何も知らなさそうな無垢な瞳を返すのみ。それには、さすがのシンも笑うしかない。
「まっ、なんでもいいか…まさか、漫画みたいに何かの研究で使われてた〜…なんてオチはねぇだろ。
とりあえず、帰ってミルクでもやるか…」
そんな彼が子猫を抱えたまま街の中を歩いていると、また街頭のテレビで何かのニュースが流れていた。
「…本日未明、とある遺伝子研究のために使用されていた猫をさらうという…」
その言葉に、思わずシンはギョッと子猫を見る。子猫は、一体何かと首をかしげた。
「…ははっ、まさかな」
乾いた笑いが漏れる。そんなことはない、きっと違う。そんな漫画みたいなオチは俺は求めていない。
自然と、歩く足が早足になっていく。まるで、ニュースの声から逃げるように。
テレビの画面には、真っ白な子猫が映し出されていた。どこかで見たことがあるのは、きっと気のせいということにしておいて。シンは、やはり乾いた笑いを浮かべるのだった。
<END>
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