<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


安らぎの輪郭は変わらず

 ――平穏は、誰でも同じ形で見えているものなのか?
    例えば魔に属する俺と、人だった頃の俺で。
    その形はどこか変わってしまったのか?
 
   
 ライトアップされたポスターの中央で、覆面プロレスラー・ギルティ・カイザーとパートナーのリーシェスがポーズを取っている。
 今回のプロレス興行のメインゲストが二人だった。
 荒廃した都市を背景に、炎をまといながらもなお凛とした存在感で立つギルティ・カイザーと、しなだれかかるリーシェスが背後に鋭い視線を向けている。
 それは見る者が見れば、神魔戦線での二人の姿だった。
 前線で先陣を切って戦う事は無かったが、二人が誰も手にかけずにこれまで生きてこれた訳ではない。
 降りかかる火の粉は払うのが信条――それが望まない相手だったとしても。
 今は穏やかに日々の生活を紡ぐ二人であっても、血に自ら手を染めた過去は変えようが無い。
 ポスターの前を、観戦を終えた人の波が流れ出て行く。
 一様に興奮の余韻が人々の表情を覆っていたが、その中に一人ポスターを見上げる者がいた。
 目深に被ったキャップの下から覗く瞳は宵闇の中、細くすがめられ……歪んでいた。


 店員の「またお越し下さい」という声を背で聞きながら、魔皇・神薙猛流と逢魔・リーシェスが焼肉店から出てきた。
「それじゃ、お二人とも気を付けて」
「ああ、また頼むよ」
 そう挨拶を交わし、一緒に皿を囲んだスタッフたちとも別れると早速リーシェスが猛流の腕に自分の腕を絡めた。
 アルコールに頬をほんのり上気させている所を見ると、今日は『酔いたい』気分だったようだ。
「美味しかったわね、焼肉」
「そうだな。
ああやって賑やかに食べるのもいいな」
 スタッフは何度も顔を合わせている気心の知れた者たちで、人間と逢魔、グレゴールで混成されていた。
 彼らに共通しているのは、プロレスが好きで、ショーに情熱を傾けられる熱さを持っているという事。
 そんな彼らと素顔で語る機会は、猛流にとっても楽しいひと時だった。
 神魔人に分かれて戦っていた事実があっても、こうして再び同じ語り合える今は平穏なのだと猛流は思う。
 けれどそれは『猛流にとって』だ。
 未だ神魔人の融合にわだかまりを残している魔皇やグレゴールの過激派が、あちこちでテロ活動を行っている。
 それを思うと猛流の心には暗い陰りが射したが、人々が人間という種族だけで暮らしていた時代から、そんな諍いは絶えないできたのだ。
 全ての意思を持つ存在が満ち足りる世界は、見果てぬ理想なのかもしれない……。
「猛流?」
 リーシェスの声で猛流は物思いから意識を切り替えた。
「……まだ、幸せに慣れないの?」
「え?」
 リーシェスはそっと瞳を伏せ、苦さの混じった笑顔を見せた。
「違ってたら笑って。
私、今が幸せって感じる度に……私たちだけがこんなに幸せでいいのかって気持ちになるの」
 猛流がリーシェスの肩を抱き寄せると、その腕にさらりと長い銀髪が流れる。
「忘れた訳じゃないの、あの戦争の事……。
でも、こうして猛流と楽しく過ごしているうちに、どんどんあの頃の記憶が遠くなっていくのよ」
 それは猛流も同じだ。
 記憶の風化は人の心の悲しみを癒す。
「目の前で仲間が殺されて行ったのに……」
「リーシェス、俺たちは」
 忘れない事が肝心なのではなく、そこからどう歩み出すか。
 そう言葉を掛けようとした猛流に、見知らぬ男が声を掛けてきた。
「アンタら、夫婦でレスラーやってる魔属だろ?」
 高めの声はまだ年若くも思えたが、キャップを目深に被っているせいで実際の年齢が分からない。
 が、ニヤニヤと笑みの絶えない口元が唾液で光っている。
 何かの薬物を使っているのかと猛流は考えた。
「良いよねェ、楽しそうだよねェ。
のうのうと生き残って、平和になったらプロレスショーで殺戮ごっこ?」
 二人を揶揄する挑発の響きにリーシェスが乗る。
「……物は考えてから言いなさい。
まだ頭に脳が詰まってるならね!」
 すっかり酔いはリーシェスの顔から消え、怒りと不快をあらわにしている。
「挑発に乗るな、リーシェス」
 人化を解き、インプの姿で宙空に立つリーシェスを猛流は押さえた。
「でも……っ!」
 リーシェスには相手が嘘をついていない事がわかっていた。
 真意の看破。
 インプの能力の一つだ。
 本気で私たちを笑っている、とリーシェスは感じた。
 しかしその理由まではリーシェスにわからない。
 二人の視線の先で、男は引きつった笑い声を立てる。
「……許せないんだよねェ。
そういうの。
俺のカワイイ逢魔ちゃんは死んじゃったのにさァ……」
 ぶつぶつと男は口の中で何かを呟いている。
 その中に人の名前のような単語が混じっていたが、それは彼の逢魔の名前だろうか。
 それでは、この男は魔皇なのか?
 が、すぐに猛流の疑問は確信に変わる。
「だから、死んでよ」
 急激に男の顔から表情が消え、その頬に黒い刻印が浮かび上がってくる。
 ――修羅の黄金。
 純粋な戦いを求め、強くなる事だけに全てを賭ける者に、『修羅の黄金』は宿る。
自分の信じる正義を貫こうとする魔皇だ。
 人化を解いた魔皇が魔皇殻を召喚する様子に、まわりにいた人々が慌てて逃げ出す。
 が、平和に慣れた人々の中には、それがドラマの撮影か何かと思い、逆に集まって来る者もいた。
 召喚した剣型の魔皇殻を持った男が跳躍し、猛流の前で横になぎ払うがドラゴンヘッドスマッシャーを猛流も召喚して応戦する。
「猛流!!」
 影の蝙蝠がリーシェスから放たれ、男の顔や身体を引き裂いた。
 ボロボロになったキャップが落ち、乱れた髪が男の狂気をより際立たせているように見える。
 男に表情はやはり無く、あるとすればそれは『虚』だった。
 めぐり合えた逢魔を失ってから、彼には何も残っていないのか。
 完全に私怨から戦いを仕掛けてきたようだが、説得の余地は無いのだろうか。
 猛流は男の斬撃をかわしながら思考していた。
 このまま繁華街で戦い続ければ、無関係な人々も巻き込んでしまう。
「お得意のプロレス技は使わないのォ?」
 男は次々と魔皇殻を召喚し、猛流を翻弄する。
体格では圧倒的に猛流の方が勝っているのだが、猛流はまわりにいる人々を気遣うため思うように動けないでいる。
 リーシェスは少しでもまわりに怪我人が出ないよう、人々を誘導する。
 が、危険を犯しても戦いを間近で見たい野次馬が後を絶たない。
 自身に害の無い戦いは、戦争を経験した者でも娯楽として捉えてしまうのだ。
「……手応えないねアンタら。
平和ボケ?
飽きてきたし、そろそろ止めよっかァ」
 男は更にダークフォースで自身の攻撃速度を上げる。
 鍛えられた猛流の身体にも、回復能力の追い付かない傷が少しずつ増えていく。
 戦いながら、ふと猛流は予感を覚えた。
 いや、こんな戦いの結末を以前どこかで見たような気がしたのだ。
 逢魔を失くした魔皇、三種召喚された魔皇殻、そしてダークフォースの発動の結果は……。
 激しかった男の攻撃が止まる。
「あ……れェ?」
 自身の変化に、男は戸惑っている。
 魔皇殻と男が融合し始め、その背を突き破って黒い翼が開く。
 肌も黒く変化し、瞳の色も赤く変わる。
「……デアボライズだ!!
リーシェス、できるだけ人を遠ざけろ!!」
 偶発的だったが、魔皇の悪魔化「デアボライズ」が起こってしまったようだ。
 悪魔化した魔皇は破壊衝動のみに支配され、半径100メートルに渡って人間の魂を吸い取りながら活動する。
 悪魔化した者を元に戻すには、使える逢魔が祈りを捧げなくてはならない。
 しかし男の逢魔はすでにこの世にはいなかった。
 デアボライズした魔皇はブラックホールのように精気を吸収しながら破壊に明け暮れるが、三日ほどで精気の供給が間に合わなくなり、自壊する。 
 逃げ遅れた人々がその場に倒れこむの視界の端で捕らえながら、殲騎と同等の力を得てしまった男とどう戦おうか猛流は考える。
 こちらも殲騎を使用するしかないのか。
 猛流は間合いを取りながら、男の振う腕をよけるのが精一杯だった。
 と、男の姿が再び変化する。
 翼が雛鳥のようにしぼみ、悪魔的な外見が更に歪んでいく。
 赤い瞳が一瞬だが元の色へと戻った。
「アァ……オレ……?」
 男の状態はデアボライズが完全でなかったらしい。
 今なら言葉が通じるのでは、と猛流は思った。
「元に戻れ!
……お前の意志で!
そのまま暴走していれば、お前も死ぬぞ!?」
「モト……ニ……?」
 ヒュー、ヒューと男は喉から息を漏らした。
 それは笑い声の変化したものらしかった。
「……モドレルワケ、ナイダロ……?」
 アノコガイナインダ、と男だったものの口から音が発せられる。
 その身体は輪郭も曖昧に、魔皇と悪魔化の間で変化し続けている。
「……アノコノ……ソバニ、イキタイヨ」
 立っているだけのバランスも取れない男は、背を丸めながらそう呟く。
「嘘じゃないわ、あの言葉」
 倒れた人々を避難させたリーシェスが戻ってきて言った。
「……失くした逢魔の所に行きたいのよ」
 唇を噛み締めるリーシェスの目に、最初にあった怒りはない。
「猛流、私が彼を眠らせるから……」
 リーシェスにも彼が魔皇に戻れない理由がわかっていた。
 祈りを捧げる逢魔はこの世にいないと。
 しかし、手を下す決断を言葉にするのは辛い。
「逢魔のいる所に送ってあげて」
 猛流が頷くのを待って、リーシェスは瞳を閉じる。
 眠りへの誘引。
 歪んだ男の視界の中、リーシェスの姿が二重、三重に重なって映った。
 そして、それは男の逢魔の姿に変わり――。
「おやすみなさい」
 リーシェスはそう言って瞳を開いた。
 男の最後を見届けるために。
 救う事のできない自分たちの哀しさから目を逸らさないために。
 

 警察署で詳しい説明を求められた猛流とリーシェスが解放されたのは、明け方も近い時間だった。
 こちらに非は無いものの、市街地での戦闘は禁じられている。
 リーシェスが避難を促した点が評価され、若干解放は早まったのだが。
 警察署を出てからしばらく、二人は無言だった。
「私たちに出来る事を……」
 ようやく懐かしい――実際は一日と空けていないのに……我が家の前に立った時、リーシェスが口を開いた。
「私たちはしたのよね?」
 決断に割かれる時間は、どんな場合も足りないように猛流は思う。
 けれど、それでも何かを選択し、進んでいかなければならないのだ。
「後悔はしていない」
 猛流ははっきりそう言ってリーシェスの身体を抱き寄せる。
 戦乱の中ようやく巡り会えた、唯一の伴侶を。
「……そうよね」
 頷くリーシェスの手を取り、猛流は玄関のドアを開けた。
 俺の平穏は、ずっとこれからもリーシェスと共にあり続けるだろう。
 どんな形でも。
 触れる温もりを感じる度に、猛流はそう思うのだった。
 

(終)