<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


−PRECIOUS ONE−




 ここしばらく降り続いていた雨もようやく止み、今日は雲間から太陽が覗いている。
 淡い水色や空色、薄紫、群青、ピンク……今年も綺麗に色づいた紫陽花を写真に収めておこうと思い、氷雪は愛用のカメラを手に外に出た。
 だが、ここで氷雪は思わぬ失敗をしてしまった。ぬかるんだ地面に足を取られ、大きくバランスを崩してしまったのだ。
「あっ……!」
 慌てて体勢を立て直し、濡れた土の中へとダイブすることだけは避けられたが、カメラは氷雪の手を放れ宙へと舞った。そして直後、鈍い音と共に地面に転がる。
 急いで拾い上げ泥を拭ったが、そのときにはもうカメラは壊れてしまっていた。
 下がコンクリートでなかったのがせめてもの救いだが、それでもやはり衝撃のせいでどこか壊れてしまったのか。あるいは水滴が中に入り込んでしまったのか。専門知識のない氷雪には判断できなかったが、とにかく故障は故障だ。
 これが使い捨てのカメラなら「仕方ない」と思えるのだが、そうも行かない。
 随分と年季の入ったこの旧式のカメラは、氷雪にとってはとても大切なもの。氷雪の守るべき人が、姉の形見として持っていた思い出の品なのだ。うっかりとは言え、それを自分のミスで壊してしまったことは、非常にショックだった。
 考える間もなく、氷雪の足は近くの電器店へと向かっていた。

 しかし―――

「申し訳ありません、うちではこの型は扱ってないんですよ」
「そう……なんですか」
 物が物だけに仕方がないと頭では理解していても、やはり落胆の色は隠せない。
 カメラコーナーにずらりと並ぶ最新式のデジタルカメラを紹介しながら、店員は営業スマイルを浮かべつつ買い替えを勧めてきたが、氷雪はそれをやんわりと断って店を出た。
 単に同じような―――あるいは、さらに高度な―――機能を兼ね備えたものならば、他にいくらでもある。それでも「これでなくてはいけない」というこだわりが、誰にでもひとつくらいはあるものだ。そして氷雪にとって、このカメラはまさにそれだった。
 諦めきれず、他の店にも足を運んでみるが、返ってくる返事はどこも同じようなもの。
 扱っていない、もしくは部品がない……結局、修理してくれそうな所は見つからず、氷雪はすっかり落ち込んでしまった。
 カメラが壊れてしまったことを知ったら、主はどうするだろう。やはり悲しむだろうか。それとも「仕方ない」と割り切るのだろうか。氷雪のせいではないと言ってくれるかもしれないが、それで納得できる問題ではなかった。
 途方に暮れて思索を巡らせているうちに、ふと、氷雪の脳裏にある人物の顔が浮かんできた。
 どことなく気だるそうな雰囲気を纏った長身の逢魔、アオイ。彼は確か、機械に関する知識が豊富で、機械いじりも得意としていたはず。
(でもお店でも修理してもらえなかったものを、果たして直せるものかしら……)
 そんな不安が胸をよぎるが、どうせこのままじっとしていても直る当てはないのだ。駄目元で、氷雪はアオイを訪ねてみることにした。



「これなら何とかなりそうだ」
 予想に反して、アオイの返答はあまりにもあっさりしたものだったので、氷雪は逆に拍子抜けしてしまった。
「そんなに簡単なものなんですか?」
 あれだけ何軒も回ってもことごとく断られたというのに……と思いながら訊ねてみると、アオイいわく、部品を手に入れるつてがあるのだという。詳しいことは分からないが、少なくとも彼はいい加減なことを言って安請け合いをするようなタイプではないと、氷雪は理解している。大丈夫と言うからにはきっと大丈夫なのだろう。
「よろしくお願いします」
 懇ろに頭を下げて、氷雪は大切なカメラをアオイに預けた。



 そして約一週間後、カメラは無事に氷雪の元へと戻ってきた。
「ありがとうございます……」
 自然と、口元に笑みが浮かぶ。氷雪はいとおしそうにカメラを手に取り、小さく「おかえりなさい」と呟いた。
 その様子を、アオイはひどく珍しいものでも見るような顔で眺めていた。
「よほど大切なものなんだな」
「ええ……とても。直して頂けて、本当に感謝しています。部品の代金は幾らでしょう?」
「いや、気にしなくていい。俺もちょうど用があったから、ついでだ」
「そんな、そういうわけには行きません」
 こういうのは気持ちの問題だ。アオイがそれでいいと言っても、氷雪の気が治まらない。
「どうしても何かお礼がしたいのです。何か欲しいものなどないでしょうか?」
「特にないな」
 相変わらず気のない様子のアオイだが、はたと何かに気付いたように前言を翻した。
「ちょっと待った。夏だし、どっか涼みに行こう」
「涼みに、ですか?」
 アオイの言わんとすることがいまいち理解できず、思わずオウム返しに聞き返す氷雪。それに対してアオイは、あくまでもいつもの調子のまま答える。
「そろそろ梅雨も明けて蒸し暑くなってきたからな」
 確かにここ最近はじめじめとした熱気が続いているが、それにしても何故アオイが唐突にそんなことを言い出したのか、氷雪にはよく分からなかった。避暑ならば他にいくらでも誘う相手がいそうなものなのに、まさか自分に声が掛かるとは。
 奇妙なことを言う、と思いながらも……
「分かりました。では予定を空けておきますね」
 と、氷雪は笑顔で答えていた。
 これから本格的に夏がやってくる。きっとプールにでも行ったら、さぞかし気持ち良いことだろう。そんなことを想像すると、不思議と胸が弾んだ。それは氷雪がセイレーンであるせいもあるかもしれないが、それだけではないと、氷雪の心がそっと囁いている。
 心地よい期待感。
 その正体が何なのか分からぬまま、それでも氷雪は笑顔のまま、直ったばかりのカメラを構えた。
 パシャリと小気味の良い音と共にシャッターが切られ、急にレンズを向けられたアオイは少しびっくりしたような表情を浮かべ、それから不思議そうに氷雪を見る。
「撮りたかったから」
 そう言って微笑む氷雪に、アオイは苦笑を返した。
「次からは、撮るなら撮ると事前に言ってくれ」
「素顔を撮るには不意打ちが一番ですもの」
 やがて現像される写真には、飾らない表情のアオイがしっかりと映されていることだろう。何気ない日常の一場面……それはきっとかけがえのない思い出になる。このカメラと同じように。
 窓から差し込む陽の光が、2人を眩しく包み込んでいた。
 夏の足音はもうすぐそこまで迫っている―――













To be coutinued...?