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<東京怪談ノベル(シングル)>
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『同じ空の下で』
‥‥秋の目に染みるような空を見上げて星崎・研は思う。
「思えば、不思議なものですね」
そう、不思議なものだ。
自分が、今、こうしてこの場に立っている事も、あれほど怯え、恨んだ者達と共に同じ空の下にいることも。
日々の授業や生活に追われていると、忘れてしまう。
いや、忘れたフリができるが、こうしてふと、空いた時間に思い出してしまう。
運命、という言葉は好きではない。自らの力が及ばぬ定め、など好きな魔皇はいないだろう。
だが、あえて使うなら、まさしくあの日、自分の運命は変わったのだ。
あの日も、空はこんな色をしていた。
秋と、春は空の色は似ているという。
あの時も自分は瓦礫の中から手を伸ばし空を見上げた。
記憶の最後に残るのは
「‥‥さ‥‥ま!」
差し伸べられた手とその後ろの青い空。
だけど、その時の空の色は覚えていない。
その手を掴む事はできなかったから。
自分も手を必死に伸ばしていたから。瓦礫の中に向けて、声を振り絞って。
「‥‥父さん! 母さん! みんな!」
声に応えるものはなく、誰もその手を誰も掴んではくれなかったけれど、意識が遠ざかり消えるまで自分は家族の名前を呼び続けた。
「出て行け!」
ガシャン!
床に黒い水の染みができる。
割れた花瓶が足元に砕けても頭どころか、身体全体に水をかぶってもその人物は、無言で佇んでいた。
「お前のせいで、俺の家族は! 悪魔! 死神! お前の顔なんか見たくもない!」
言葉を叩きつけられても無言。ただ静かにうな垂れ頭を下げるのみ。
見かねた看護士がその場を去るように肩を押すと、黙ってその人物は従った。
部屋の入り口で一礼する。
また、手近の皿が空を飛んでいた。
ベッドの上で身体を半分だけ起こした青年の手の中から。
それが出会いだった。
空は青い。
秋の空は高いと言うが、本当だな。そんな事を益体も無く考えていた研は、ふと、感じた気配に横を向いた。
「‥‥あなたもしつこいですね。また、水をぶっかけられてもいいんですか?」
「ハハハ。できればカンベンして頂けると嬉しいです。着替えが大変なので」
病院の中庭で草の上に寝転ぶ研の横に、苦笑っぽく笑いながら言うと黙ってその人物は腰を落とす。
「でも、ちょっと嬉しいですね。最近、こうして話をして下さるようになった」
本当に何かぶつけてやろうかと少し、思ったが、幸いというか周囲にあるのは紅葉に色づいた葉っぱと半ば枯れかけた草くらい。
葉っぱをぶつけても遊んでいるようにしか見えないと思い直し、研は視線をその人物から逸らした。
それを、どう受け取ったかは知らないが、その人物はどうやら微笑んだらしい。
柔らかい空気を纏いながら研と同じ方向へ目線をやった。
空へと。
「ああ、今日はとてもいい天気ですね。空が本当に青くて高い。とても綺麗だ。こんなに空が綺麗だと思ったのは本当に久しぶりですよ」
遠い、何かを懐かしむような口調に研は横を向く。
本当に心からの言葉で空を見上げる人物に、研はなんの気なしに言葉を叩きつけた。
「馬鹿らしい。病院の部屋に閉じ込められてる俺と違って、あなたはいつだって空を自由に見られるでしょう? 空を飛ぶ事だってできるんじゃないんですか? 悪魔なんだから」
『その人』は答えない。
ふと気になって横を向く。
いつも叩きつけ、いやぶつけていた罵詈雑言に比べれば、優しいと呼べるくらいの言葉だった筈なのに、なぜか今までで一番辛いような表情を見せたその人の顔を見ていることができなかったのだ。
『その人物』『その人』と表現しているが、今、研の横にいるのは『人』ではない。
逢魔と呼ばれる魔の眷族なのだ。そして、自分がここにいるきっかけを作った人物でもある。
「そうですね。でも空を美しいと思ったのが久しぶり、というのは本当ですよ。‥‥あの人が消えてから本当に空を見上げる事ができたのは今日が初めてですから」
寂しげに笑う逢魔。
だが、あの人の言葉に研は身体を起こして睨みつけた。
「俺は、同情なんかしませんよ。あんたの魔皇とやらが暴れなければ俺の家族は死ななかったかもしれないし、俺の家も街も友達もみんな失わずに済んだんですから。俺は、あなた達を絶対に許すつもりは無いんですよ!」
八つ当たりだと解っている。しかし逢魔は静かに頷き、微笑んだ。
「ええ、解っています。同情などしてもらう権利は私にも、あの人にもありません。あの人は自分の信念であの行動を選び、私は自分の意思でスピリットリンクを切ったのですから」
研も‥‥少しは話を聞いていた。彼が病院に閉じ込められてかなりになる。聞きたくなくても話は耳に入って来ていた。
かつて、平和とは言えないまでも地球に生まれた人間が、その自由を謳歌していた時代が終わりを告げた。
天から舞い降りた異邦人。
天使と自らを呼称する者達が、巨大な城と共に光臨し地上を導くという言葉で支配した時に。
人々の心は緩慢となり、文化は滞り、生活は拘束された。
『このままでは、地球は永遠の平和という名の死を迎える!』
立ち上がった人間の中から生まれた魔皇と呼ばれる者。それに仕える逢魔。
失われた古い力を持つ者達と天使の戦いは、それでも一般の人間には他人事だった。
あの日、天空から現れた光が人々の心と魂を、悪魔が人々の命を奪っていくまでは。
『私は逢魔と呼ばれる、魔に属すものです。あの日、私の仕える魔皇は、悪魔化してテムプルム攻略に参加しました。直接的にか、間接的にかは解りませんがあなたの家と街を崩壊させた一員だと、思います』
横に座る逢魔は、意識を取り戻した研にそう言ったのだった。
研の家は東京にあった。
2004年のあの日、多くの魔皇が東京のギガテムプルムを墜とす為に東京の空に現れた。
向かい撃つ為の天使達も数限りなく空に舞った。
そして、奴らが現れたのだ。
「信念? そんなもので言い訳するつもりですか? その信念がどれほどの犠牲を人々に強いたか解らなかった、などとは言わせませんよ」
思わず声を荒げる。
今も、忘れる事はできない。
空を漆黒を纏って飛び、全てを吸い取るように破壊と搾取を行っていった悪魔の姿を。
それが悪魔化と呼ばれた魔皇であったと聞かされたのは、事が起きて三ヶ月も後の事。
研が何かをしたいと望んでも、全てはもう終わっていた。
「俺の目の前で、みんな死んでいった。両親も兄弟も、みんな‥‥みんな‥‥」
助けたくて、手を伸ばした。それでも誰一人届かなかった。
遠のいていく意識の下で最後に見えたのは苦しむ家族の姿。自分の前に差し出された手。
「目が覚めた時、家族はみんな、死んだ。あの街で生きていたのは自分だけだ。そう言われた時の気持ちが、解るというんですか!」
「解りません。誰も、あなたの苦しみも、気持ちも解ることはできません。あなたにとって彼らがどれほど大切だったか想像はできても理解はできません。それと、同じように‥‥誰もあの人と、私の気持ちも解らないんですよ。私にとってあの人がどれだけ大事だったか。きっと、あの人自身にさえ‥‥」
「どれほど、大事だったか? あなた達の‥‥気持ち?」
「あの人は、誰もが笑いあう事のできる世界を望んで、それを取り戻す為に命を投げ出した。‥‥あの人の選んだ道が、間違いではあっても無駄ではなかったと私は信じたい。だから、残りの命をそれに捧げようと誓ったんです。それが、私の信念。魔皇が私に残してくれた最期のもの」
研は言葉を返す事はできなかった。
単なる言葉の上だけの言い訳だったら解る。
だが、それが真実の思いだと解っているから、何も‥‥言う事はできなかったのだ。
ふと、隣に見る肩が揺れた。影になって見えない顔つきも変わった気がする。
「研さん? 立てますか? なら、下がって下さい」
「? 一体どうしたん‥‥」
「いいから! 早く!」
言葉と同時、逢魔は研の手を取り立たせると、半ば突き飛ばすように後ろに下がらせた。
上げかけた抗議の声は止まる。
目の前に現れたのは、獣に似た、でも決して生命ではありえない異形のもの。
「‥‥サーバント!」
「野良サーバントがまだこんなところに迷うか? だが、もう誰も傷つけさせない。それが、あの人の願いだったのだから!」
背中が微かに揺らいで見えた。そして変わる姿。
誰から見ても魔性の者となった逢魔は、自ら剣を握りサーバントの中へ飛び込んでいった。
目の前で広がるのは研が始めて見る『戦闘』。命のやり取り。
だが、怯えることなく研はその光景を見つめていた。
‥‥ただ、見つめていた。
数分後、病院に現れたサーバントは周囲を警戒中のグレゴールによって完全に駆除された。
研はグレゴールが駆けつける直前に逢魔を病院の裏手から逃亡させていたので、すでに殆ど倒されていたサーバントにグレゴールは首を捻っても逢魔を追うことは無いだろうと確信できた。
「もう来ないで下さい。あなたの、いえ、あなた達の気持ちは解りましたから。‥‥十分です」
「でも‥‥」
言いかけた逢魔に研は応える。
「もう俺は‥‥いいえ、私は大丈夫です。私はやるべきことを見つけましたから」
言葉ではなく、研の表情に逢魔が微かに狼狽したのが解った。
どうやら上手くできたようだ。微笑むことが。
数ヶ月ぶりの笑顔は作った、ぎこちないものではあったと思うけれども、きっと思いは伝わったろう。
「間違いではあっても無駄ではなかった。‥‥あなたとあなたの魔皇の言葉と行動を私は信じることにします。だから、もう行って下さい」
逢魔は言葉を捜していたらしい。そして、やっと見つけた言葉と思いで、研に答える。
「解りました。あなたの幸運を心から願っています」
ひらり。壁を飛び越えて逢魔は姿を消した。
もう出会うことは無いだろうと、研は思う。
だが、忘れる事はないだろう。逢魔の背中と言葉。
そして‥‥最後にお辞儀と一緒に残していった、あの笑顔を。
秋晴れの青空を背にした微笑は、どこか、懐かしくさえ感じた‥‥。
空は青い。あの日と同じように。
『誰にも想像はできても理解はできません。あの人と、私の気持ちも解らないんですよ。私にとってあの人がどれだけ大事だったか』
あの時は想像もできなかったけど、今はほんの少し想像と、理解ができる。
魔皇を心から思っていたあの逢魔の気持ちというものが‥‥。
今、同じ立場に立ったからこそ『理解』できたのだ。
‥‥向こうから駆けてくる娘。
自分を研君と呼び、明るい笑顔を向けてくれる恋人。
魂の絆で繋がれた半身。
それが、どれほど大事か。言葉に出す必要も無い。
(「もうこの存在を失いたくない。絶対に守ってみせる。大事な家族を‥‥」)
逢魔と別れたあの日、誰にも言わずに誓った思いは、今も胸の中にある。
戦いに明け暮れる日々だけど、この思いだけは絶対に失わないと心に決めていた。
青空の下を駆ける。手を振る娘に向けて。
研は進む。
パートナーと共に、新たに選んだ自分の道を。
間違わないように。間違っても、決して無駄にしないように。
前を向いて。
青空の下を。
同じ空の下で生きるあの人と約束したように。
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