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<東京怪談ノベル(シングル)>
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道は狭く、深い。
葉脈のように張り巡らされたライフライン。今はもう停止しているが、都市計画に基づいて作られた施設は壊れずに残っている。
だからこそ、利用された訳だが。
沈、と静まりかえった下水管、排水路は寒く、乾いた泥が放つ悪臭を扇ぎながら進むことになった。
ゼカリアの足音、コンクリートを踏み抜くひび割れた音が頭上ですれ違っていく。次の襲撃を警戒しているのか、地上では忙しなく何かが動き回っているらしい。
潜入してから、相応の時間と距離を取った。
広大な都市区画から見ればまだ序の口を終えた辺りだろうか。
「…………」
横長の下水路が途切れ、照らしても届かない深い暗闇がぽっかりと目の前に拡がった。
目の前にある空洞が処理施設に繋がる道なのか、単なる穴なのかは定かでない。
しかし、そう長くない余裕の中で引き返す訳にもいかない。
「………あれか」
壁面に見える、コの字型に並列した錆の突起。
おそらく作業用の足場だろう。水の循環が無くなって錆びてしまったようだが、伝っていけば別の出入り口がある筈だ。
跳躍して掴んだ金具から、錆が皮膚のように捲れて落ちる。
(廃棄されてからの時間を考えれば、風化が早い……薬品か何かか)
油断すれば滑り落ちそうになる手足に意識を向け、徐々に暗闇の奥深くにまで降りていく。
先程から、頭上の音が大きく感じられる。
頭上だけではない。先程までゼカリアの足音程度しか響いて来なかった振動や、反響の幅も、徐々に何か大きなうねりのような音に乱され、覆われていた。
暫くして、ようやく足が堅い泥を踏んだ。
積み重ねられていくうちに圧し固まった、細かい粒子の泥が靴の裏にこびりつく。
「……水か」
警備装置と関連していたのか、幾つもの場所で連動して排水装置が作動している。
音は巡り巡って足下を満たしているようだった。
「…………いや」
事前に確認した資料では、この都市にある各施設からの排水は、幾本もの排水路から外部にある処理槽へと通じていた。
しかしその道を辿って見ても、繋がっているのは各家庭の排下水道ばかり。
今潜っている、この深い縦穴に通じるような水路は無く、そして今目の前にあるような、施設への扉も無かった。
耐水圧型の、圧縮ロックをかける重厚な扉。こびり付いた泥を拭うと、【柊神魔研究所】の文字が浮かび上がる。
既に使用されていない為か、あるいは水路側からの解錠が不可能なのか、開く気配は無い。
其れを無理矢理魔皇殻の一撃で螺じ開けると、施設の中は赤色灯の照らす薄暗さが待っていた。
「……ん?」
都市全体の生活安全を管理する、保安局の一室。
半ば眠りかけていた兵士の一人が、水道局の自己診断プログラムが照らす赤を確認した。
手元の、未だ良く勝手の分からない通信機器を弄り、予め登録しておいた番号に繋げる。
「……“大尉”殿、水路の方に異常があるようですが」
やや間があって、耳に掛けたインカムに声が入る。
『今此方も確認した。水路破損のようだが……場所が場所だ、匂宮曹長以下、警邏隊を回す。ご苦労』
「はっ…」
『敵ならば、恐らく再度の突入もあるだろう。全機、員の索敵配置を急がせろ』
泥にまみれ、匂いだけで気付かれそうな衣服を研究職員の制服に着替えた真田は、再び真暗闇の中に潜んでいる。
相当大きな換気装置があるのか、排気ダクトだけで一つの通路のようになっていた。水路に変わって、今はそこに潜んでいる。
理由は単純に、赤色灯が通常灯に替わり、気付かれた事に気付いたからだ。
その辺り、余り慣れていないのか。破られた扉に気付き、送り込まれてきた兵士は展開こそ早いが、先程から真上を通り過ぎていく真田には気付かない。
狭い通路の中は、すぐ横のパイプが放つ熱気で蒸し暑かった。
(…何処かにアクセスの出来る端末は…)
兵士達の目から逃れ、外した天井板から廊下に降り立つ真田。長い通路に兵士の姿は無く、足音もしない。
無機質な白い壁には装飾もなく、扉のある付近にだけ目印のように標示がかけられていた。
【神輝光実験室】
鍵は閉まっていない。
細く扉を開けて確認した所、人の姿は無いようだ。
音を立てずに這入り込んだ真田は、室内にある何か温室のような透明な立方体を横目に、その管理装置らしいパソコンに取り付いた。
ロックはかかっていない。
しかし、生憎とデータを外部に持ち出すための端末も無かった。HDDは別の部屋で集中管理されているらしく、持ち出す事もできない。
(…此の部屋から繋げるのは施設内のローカルネットワークのみ……外部と通信できるのは…)
真田は一旦資料を受付局のパソコンへと転送。再び廊下を走り、排気口を這った。
受付は、都市内部の地下街道に面している。その場所柄、兵士達の姿も多い。
一瞬の隙を突いて受付のデスク内に潜り込む事はできたが、足音は2つ、それも近くを往復している。
間の悪い事に、受付のPCがデータ受信完了の軽快な音を放つ。
近づいてくる足音。
やむを得ず、その足を引き倒す。
「っぐぉ!?」
床に頭を叩き付けられた男が、くぐもった声を漏らす。そのまま片手で締め上げ、もう一人、異変に気付いた兵士へと放る。
「どうした、何…うわっぁ!?」
大人一人分の体重を受け、転倒した兵士を同じように黙らせる。
時間が惜しい。真田は急いで受付のパソコンを操作し、転送されたデータを更に外部のアドレスに向けて転送した。
この行動を起こした物の暗号化リストと、一部のSF利用に関する研究資料。
それだけでも、比較的大きなサイズになる。
転送が終わる頃には、再び兵士達の足音が響いていた。そして、その中に一つ、エステルを纏ったリーダーらしき物も。
「確保、確保だ!!何をしていたか吐かせろ!!」
数が多く、M9では弾数も、威力も間に合いそうにない。
真田はついにDFを発動体勢に乗せると……真獣刃斬を付与した拳圧を、天井の壁をぶち抜いて、配水パイプに向けて連打する。
冷え切った地下施設に大量の熱湯が降り注ぎ、通路は一時濃霧に包まれたように白く染まった。
更に、清掃されていなかった大量の埃が舞い上がる。
「えぇい!!何をしている!」
バイザーのあるエステルでは、水滴やこびりつく汚れで更に視界が悪いのだろう。命令というより苛立った怒号が響くも、兵士達は顔を火傷するなどしてすぐには動き出せないで居た。
最後に一つ、データの転送先にメールを送付する。
逃げ足は疾く、真狼風旋が役に立つ。地下街道を走り、可能な限り外部へと近づくと、金網で防護された水道に潜り込む。
再びあの暗く臭い水路に出た真田は、頭上から響く戦闘音に意識を向けた。
成功していればいいが。
巨大な足音が一つ、また一つと減っていく下を、真田は走っていた。
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