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<東京怪談ノベル(シングル)>
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Birthday
まずは背景から語るとしよう。
事実上の休戦状態から新生マティア神帝軍による戦争再開。
後の世に『第二次神魔戦線』と呼ばれるそれは、今までの戦同様、日本各地に壊滅的な打撃を与えた。
時は遡り2005年。八月二十一日。
この日の早朝より始まった、関西の某市での戦いもまたその戦線における戦いの一つであった。
神と魔の壮絶なる戦いにより、都市は凄惨たる様相をしていた。
かつてダンテが巡った地獄の一階層が如き、赤い世界である。
大地をくまなく覆った焔は、灰色の暗雲を染め上げ、落日の風景に空を凍らせる。。
怒声と悲鳴が一緒くたになった叫びを音楽に、殲騎とネフィリムが踊り来い、影となって堕ちて行く。
そして群れとなって蠢く異形の獣達・サーバントが、高らかに咆哮を上ていた。
その獣の一匹、大地を揺らしながら踏み進む三メートル程の巨大な猿の如きサーバントは、目も眩まんばかりに赤く歪む街並みの中、遥か遠方に手頃な得物が居る事に気付き、狂喜した。
魔獣が狙いを定めたのは、まだ若い女性であった。
突き出た腹は全体から見て不自然で、どうやら彼女は身篭っているらしい。
彼女はマタニティドレスに覆われた腹を抱えながら、ふぅふぅと赤い道を歩いて行く。
何らかの理由で逃げ遅れたのだろう、周りには誰もいない。
魔獣が、笑う様に口を吊り上げた。
剥き出しの牙から、だらりと涎が滴り落ちる。
そこからの行動は速かった。
軽く腕、つまり前足を支えとしながら、走り出す。
元々の歩幅が人間よりも大きく、筋力もあってただ走っているだけなのに飛ぶ様に進んで行く。
足元がたがたと揺れた事と後ろから聞こえた呼吸音に気がつき、女性が振り向いた。
その時、彼女にとっては致命的に遅過ぎたのである。
狩りと言うべきか思い悩む行為が済んだ後、魔獣が始めた食事の様子を詳細に書く気は無い。
あえて簡潔に言うならば、ゴヤが描いたサトゥルヌスの姿が想起される光景だ。
知らなければそれは幸いである。知らないままでいるといい。
だが、我が子を喰らった神が、やがて成長した息子に討ち取られた様に。
哀れな妊婦を貪り食う魔獣を、放っては置けぬ存在が居た。
それは、朱に染まる空より舞い降りた。
辺りを飛び交う巨人達と比べれば、余りにも小さな姿。
しかし、純白に輝く鎧は美しくも力強く、威厳を漂わせている。
それは、年端も行かぬグレゴールの少女であった。
とん、と彼女の脚が地面についた音を聞き付け、魔獣がその方向を向いた。
そこには誰も居なかった。
魔獣がその眼を凝視させ、辺りを伺おうとした時、ぐりんと視界が急転した。
地面が一気に遠くなる。
そこに首の無い己の姿を見た。
自らが一瞬の内に斬られたと解るには、時間も思考も足りなかった。
ぶしゅっと首から噴水の如く鮮血を噴出させ、首の無い巨体は前のめりに倒れた。
愚かな魔獣に相応しい末路であった。
剣に着いた血を払いながら、少女は女性の亡骸へと近付く。
体は兎も角、顔は最早判別出来る様な状態では無かった。
無残に食い千切られた断面を見つつ、少女の顔が苦悶に歪む。
「…間に合わなかった。」
ぎ、と幼い容姿に似つかわしくない表情が浮かんだ。
彼女と女性の関係を窺い知る事は、片方が既に事切れている今では出来かねる。
グレゴールであるならば元人間であろう、その頃の縁者だったのか。
或いはただ単純に、少女の正義感が目の前の惨事を見捨てておけなかったからか。
ただ、彼女を見れば、その心中が悲哀と後悔で満ち溢れている事は容易に察せよう。
自分がもう後少しでも早く来ていれば……。
しかし、それは適わなかった事。
どれ程願おうと、女性は生き返らぬのである。
ぶんぶんと首を左右に向けながら、少女は後ろを向いた。
もう一分一秒でもここに居られない様子で足早に去ろうとする。
その脚が、少し歩いてぴたりと止まった。
少女は今確かに聞いたのである。
周囲からの喧しい雑音にも負けないで、己の生命を誇示する甲高い声を。
がばっと踵を返し、彼女は女性の元へと走った。
そして躊躇う事無くドレスと下着に手を掛けると、自らが想像した場所を凝視する。
そこで見たものに、彼女は思わず息を呑んだ。
産まれて来たばかりの赤子が、そこで泣いていた。
その時分でも解る、可愛らしい女の子である。
場違いな声を賢明に発して、生まれて来た事を周囲に解らせようとしている。
それは如何なる奇跡だったろう。
子を思う母の気持ちが、或いは生きたいと願う子の気持ちが、そうさせたのか。
偶然にも…そんな偶然を奇跡と言うのだろうが…出産が今日だったのかもしれない。
どちらにせよ、大した違いはあるまい。
今この瞬間。一つの命が誕生した事実の前には。
「嗚呼……。」
少女はヘソの尾を切りながら、女性の衣服で包み込む様に赤子を抱いた。
グレゴールとしての力でその子に加護を与えながら、抱く手に軽く力を込める。
後もう少しでも力を入れれば、そのまま潰れてしまいそうな儚さと共に、確かな感触が指に伝わった。
その時感じていたのは少女だけでは無かった。
赤子の方もまた、自らの背中を支える両手を感じていたのだ。
そして、外界からの刺激に応える様に、赤子はその瞳を薄っすらと開けた。
赤子の瞳は、世界を示す様に、或いはそれに呼応する様に、真っ赤であった。
初めて母親の胎外を見た赤子がその時何を思ったのかは、誰にも解らない。
ただ、少女がその場を後にする中、赤子の声は一層大きなものとなった。
これが彼女の誕生であり、また少女との出会いであった。
その後、保護した赤子を連れて、グレゴールの少女は己の基地たる京都メガテンプルムに帰還した。
そこで少女が告げた言葉に、彼女の仲間達は皆一様に動揺の色を浮かべた。曰く、
「私はこの子を育てる。」
神の使徒を自称する者であれば、不憫な孤児を養う親になると願い出るのは自然な事だろう。
だが、その使徒もまた、依然親の愛が必要な年齢の者であれば、容易に同意し兼ねよう。
それよりも深刻な事実、それは後で解った事だが、彼女が連れて来た赤子には魔皇の因子が宿っていた。
将来敵となるだろう子供を育てる等、反対しない者がいない筈が無い。
だが何に由来してか、少女の意思は固く、決して揺るがなかった。
そこで歳月を決めた上で赤子は少女の手により育てられる事となったのである。
「マキ。」
養育の許可が下りたその日、少女は赤子を連れて、テンプルムの展望室に来ていた。
マキとは、少女が赤子に就けた名前である。
真の樹と書いて、マキ。
旧約聖書に出て来る、天より授けられた果実、マナの、その樹と掛けて名付けられた。
その身に幸が在らん事を想って
今、真樹は母親たる少女の腕とその聖なる気に護られて、寝息を立てている。
その窓を通して向こうに見える西の空は、あの日と同じ様に赤く燃えていた。
また何処かで、戦闘が起こなわれている様だ。
時折窓がわずかに振動し、真樹の顔が歪む。
少女は、空と真樹を見比べながら、心の中で誓うのである。
真樹は私が護る。
何故ならば、彼女には伝えねばならぬ事があるのだから。
同時に祈るのである。
悲しみの中で生まれた少女が、健やかに、そして幸せに生きられる世界を願って。
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