<PCゲームノベル・櫻ノ夢2007>


 【春の花が散るモノに】


 それは春の花が散るモノに似ている。
 一瞬で、儚くて。
 それでいて、凛と強く美しい。

『散らないで。あなたの夢を、想いを散らさないで』

 何処から聞こえる声だろう。
 霞のかかる様な声、見えざる存在。知ろうと思って瞳を開けばそこは桜色の世界。
 ふんわりと身体の浮く感覚。足元に目を落せば敷き詰められた桜の絨毯。
「夢を、見に行きませんか? 私と一緒にあなたが散らしてしまった、いつかの夢を」
 温かな声。まるで春の声。
 ざざっ…。
 春の声は風を巻く。敷き詰まった桜の花弁を天へと昇らせ、足元には道が出来た。
 舞い散る花弁のその向こう、黒髪を風花に遊ばせる少女が微笑んだ。

「大丈夫、此処は夢の世界――何も、恐れる事はありません」






 溺れそうな程の春の香りが満たしている。
 彼の、松本・太一の身体は浮遊感の中に投げ出されていて、その手足にはまるで感覚が無かった。
 ふと瞼を持ち上げれば、そこは雪と見まごう桜が舞い散る天も地も無い世界。
 落ちては舞い、落ちては舞う花びらの世界には音すらも無かった。
 そんな薄紅の世界の中、自分はひたすら漂う。意識はうすらぼんやりとし、その頭の中には小さく少女の声だけが聞こえる。
『貴方のその心の底に、自らですら知らぬ夢想いが眠っていませんか?』
 どこかで問いかけられた言葉が延々と巡る。
 ―――夢、…自分ですら、知らぬ夢、想い…そんなものは…
 特に無にも…ない。無いのに、如何して自分にそんな事を問いかけるのか。
 漂う中の、霞かかる意識の中で懸命に思考する。しかし、そんな思考すらも長くは許されなかった。
「ッ――!」
 突き刺すかの様な一瞬の痛みが襲う。
 痛みと共にビクリと身が震え、喉から掠れた声にもならぬ音が落ちた。それは男でもない、女とも言いがたい。不安定で中途半端な音に喉が違和感を覚える。そんな違和感を消し去ろうと、感覚の少ない手が無意識に喉へ伸びたが、またそこで痛烈な痛みが身を苛み、その動きは止まってしまう。
「ッ…アァッ」
 痛い。痛い。全身が細かい何かで刺される様に痛い。
 その痛烈なまでの痛みに、もともと無かった手足の感覚が更に消えてゆく。そして中性的な悲鳴が端的に、痛ましくも苦しげに紡がれ続ける。
 無音の世界に、その悲鳴は恐ろしいまでに鮮やかに美しく響き、舞い散る桜達がそれに呼応するかの様に激しく舞い上がっては落ちてくる。
 苦痛の呻きは続き、それに重なり小さく小さく儚げな音がパキリ、メキリと聞こえはじめた。
「つぅ…ッん!」
 小さな音は舞っては身体に降りつもる桜の花弁が、その身体へとめり込んで行く音。
 メキ、メキリ。メリ…メリメリ…
 小さな花びら達が触れた肌から一斉に体内へと侵入する。花弁が身の内へと埋まるその痛感は怖い程にリアル。肌から硬質な音をもって染みてゆく桜色と共に、本来は男であったはずのその身が溶ける様に柔らかな女の身へ転化してゆく。
 筋肉質の腕や脚、その腰が埋まる桜色と共に変化を遂げるのがなぜか客観的な映像として、身を苛む痛みや苦しみと共に強制的に脳内へと送り込まれていく。
「っぁ…違っ…う、こんな事っは…望んでなんか…あっァぁ…!!」
 雪崩る様に送り込まれる痛みに喘ぎつつも、変化してゆく己の身に静止をかけようと悲鳴の様な声を上げる。
 その声は既に女と言う音を持ち、痛みに喘ぐ声は壮絶な色香を放った。
 身体は完全なる女の姿と変化を遂げつつある。短かったはずの髪は長く、艶の黒を桜の花びらと共に宙へと躍らせる。平たな胸にはふくよかな膨らみが現れ、その腰つきはほっそりといっそ儚げな程であった。
「どう、してっ…」
 止める事の出来ぬ変化に悲痛な言葉が落ちる。
 男である事に不満を覚えた事は…なかったはずなのに。何がこの変化をもたらすのか。自分はこのまま如何なってしまうのか…。
 不安と恐怖が身に響く痛みに重なり広がってゆく。途轍もない恐ろしさの中で、しかし抗えぬこの圧倒的な現状に何か言い知れぬ喜びがある。薄っすらとした得体の知れぬそれを、彼が…今や彼女と呼ぶべき自分は掴もうとする。
「は、ァっ…ッ――」
 喜びと呼ぶべきものなのか。それを意識の中で掴もうとしたが、それもまた許されず掴み掛けた喜びは走った激痛によって頭の中で霧散した。
 女へと姿を変えた身体の変化はまだ止まらない。
 触れてはメリと音を上げ柔らかな肌へと沈んで行く花弁が、沈むその場所からパリっパリっと波紋を描く様に桜色を広げてゆく。それが身体のいたる場所で始まる。
 まるで肌に根を張るかのように広がってゆく桜色は、二本の足を桜色で覆い尽くす。覆われた足はもう歩く事など出来ないのではと思える程の激痛と、溶ける程の熱さに苛まれる。
 苛まれるというか、もしかしたらば本当に足は溶けてしまったのかもしれない。激痛や熱さに薄ぼんやりとしてきた頭の中には、それでも送り込まれる自分の姿があった。
 それぞれ独立していたはずの足は今や一つと呼んで良い。桜色の飴細工の様な薄桜の鱗に覆われる足の先、本来は地を踏みしめるそこにはもう歩く機能は無い。その先には、水を蹴り泳ぐための人間には必要とされない尾びれが存在していた。
「ぅっ……か、はっ」
 変貌を遂げる己の姿、その姿に名をつけ様としたが邪魔をする様にぐっと息が詰まった。
 ゴボリと先の尖った耳の横を空気の音が通り過ぎるのは、まるで此処が水の中の錯覚を覚えさせられていた。

 思考も視界も、霞が掛かって白々としている。
 今まで漂っていただけの身体は、今はどこかへ深く深く落ちていっている様だ。
 戻らない呼吸は苦しみを圧迫し、太一であったはずの彼女は何かに縋るように腕を上へと伸ばす。人の肌と魚類の肌が混ざり合うその腕の先を、桜色に色づいた鋭い長爪が飾っていた。
 ぼんやりと霞むのは視界なのか意識なのか。この姿は伽話(トギバナシ)の中の人魚なのかと、果たして理解をしただろうか。
 桜の海の中をひたすらに沈み、薄らぐ酸素と共に思考も朦朧とする。

 ―――このまま、この桜色の海の底に沈んでしまえれば…

 霞む意識の中でそう思ったのは太一なのか、彼を女に人魚へなした隠れた心の思いなのか。
 辺りを舞う花びらの様に、自分から何もかもが剥がれ舞い散って行くようだ。
 自分が男であること、人であること。松本太一であると言う事のそれが一枚、また一枚と剥がれて行く。自分を取り巻くしがらみ、変動させる事の出来ない現世より漂白されてゆく感覚。絡みつく全てから解き放たれ、自由となれる幻想は悦と言う形となって人魚の身を襲った。
「嗚呼っ…!」
 人と魚の身体をもったしなやかな肉体は大きく仰け反り、高々と悲鳴を上げた女の表情は喜びと恍惚の色を帯びていた。
 解き放たれるのだと、何よりも早くに身体が理解をしてそれを受け止めた。それと共に閉ざされていた呼吸も戻る。置き去りの思考は霞がかかり、ただ身を巡る感覚だけを追いかけている。それでも、言い知れぬ開放感だけは喜びなのだと、やはり思考も理解をしていたのだろう。


 桜の舞う中を人魚の尾ひれが強く宙を蹴る。まるで衣の様に桜色の背びれが揺れて長い黒髪が静かに舞う。沈んだ身体が泳ぎ出す。
 男から女の身に、人から人ならざるモノへ、現実を打ち破るかの様に姿を変え現実を逃避する。それでも飽き足らず、松本太一であった人魚は更なる逃避を求めるかの様に泳ぎ出す。

『大丈夫、此処は夢の世界――何も、恐れる事はありません』

 どこか遠くでそんな声がしたかもしれない。

 そう、これは夢。
 春の花の様に散ってゆく一時の幻の様な夢なのだ。
 
 例えそれが心の奥底で眠る欲望の形であったとしても。

 全ては桜の花びらが見せた一夜の夢なのである。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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 【w3a176maoh/松本・太一(まつもと・たいち)/男/40/魔皇】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 松本太一様。この度は櫻ノ夢にご参加ありがとう御座いました。
 無意識の下で心が望んだ自由と現実逃避、
 女性となって人ならざる人魚になるという描写をこの様な形で仕上げてみました。
 お気に召して頂けたらば幸いです。
 それでは、またご縁が御座います事を祈りつつ失礼させて頂きます。