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<東京怪談ノベル(シングル)>
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それでも、貴女は
――東京に父親がいる、と言われて始めた旅だった。
「まき、じゃまだったのかな……?」
幼き子供はつぶやく。
漆黒の髪をツインテールにして、赤いリボンで飾っている。瞳の色は激情の赤。幼さゆえに、恐ろしさはかけらも兼ね備えていないが――
いや、幼いからこそ、幼子――佐嶋真樹の瞳は人一倍赤く紅く見えるのかもしれない。
先日母親に、父は東京にいると言われた。喜んで真樹は東京へ行こうとした。しかし、色んな人に助けられての旅の途中でおかしなことに気がついた。
「たしか、あした、『ははのひ』……」
それは大好きで大切な母親にお礼を、感謝の気持ちを、そして愛情をこめてプレゼントする日。
――今日はお父さんを捜している場合じゃない。真樹はそう思った。
「でも……」
そこら辺にあったレンガ造りの花畑の角に座り、ぼんやりと空を見上げる。小さな足はゆらゆらとひっきりなしに揺れていた。
――ベルがモン、東京。――新東京が徐々に生まれている。復興は順調のようだ。もっとも真樹には、そんなことより『おそら』を狭くしないでほしいな、ということの方が重要だったのだけれど。
「まきのことが、じゃまだったのかな……」
真樹を育ててくれた少女――少女と呼ぶに相応しい容貌をしていた――はグレゴールである。
戦いがあれば真っ先に向かわなければならない。
++ +++ ++
真樹が生まれ育った京都メガテンブルム。
ラオデキア、特に京都と兵庫は、キマイラ型サーバント対策の最前線基地だった。
まず第一に、真樹をこんな危険な場所にいさせるわけにはいかない。
そして、
真樹の母は戦わなくてはならない。
1人でも多くの命を救うために、戦わなくてはならない。
真樹のような戦災孤児を残さぬよう。
否、真樹の場合は父親がいる可能性はあるのだが、実母の死が壮絶だった。
真樹は生涯、実母の顔を知らずに育つ。……父親に会えれば別だろうか。否否、その可能性さえ少ない。
そう、戦わなくてはいけない。真樹の傍を離れてでも。戦わなくてはいけない。真樹のような子を出さないために。
それが真樹に対する少女の贖罪だったのかもしれない。
――あなたの母親を救えなかった、その贖罪。
だから少女は戦う。
真樹が、こちらの心を知らずとも。
同時に思う。
――本当の父親と無事出会って、そのまま血のつながった父子だけで過ごしていてほしいと。
++ +++ ++
空がなぜか赤く見えた。
「ママ……」
真樹は、座っていたレンガからすとんと下りた。
――違う。母は自分が邪魔だから遠ざけようとしたわけじゃない。だから……
やることは決めていた。
「あれ、どこにあったかな……」
きょろきょろと辺りを見渡して、真樹は父親ではない探し物をする。
「ひとにきいたら、おしえてもらえるかな……?」
そうして真樹はてくてく歩き出す。
――今必要なのは、こっちの方だ。
++ +++ ++
キマイラ型サーバントが炎を噴き出す。辺り一帯を燃やしていく。
灼熱の炎が戦場を支配する。それだけですでに焼かれた誰かがいるようで、焼死体特有の脂分が唇にまとわりついてくる。
たらり、と汗が頬を伝っていく。熱さか、それとも……
少女は鎌を手に戦っていた。キマイラ型サーバントは複数同時攻撃ができるから厄介だ。一閃ですべての首を落とすのも難しい。
ついでにキマイラ型サーバントはなまじ統率がとれているからやりにくい。
無傷ではとてもいられなかった。血が舞う。跳ね散る。焼けていく。手足が、服が、汚れていく。
東京へ向かわせた娘にはとても見せられたものではない。
自分の体を見下ろして、彼女は皮肉気に笑う。――血を見て娘の輝く瞳を思い出すなんて。
振り切ろうと大鎌を振り回した。ざうっと音を立てて、サーバントの肉体が派手に傷ついていく。
彼女の動きは止まらない。軸足を移し、反対方向へ遠心力で鎌を操り広範囲のサーバントを次々に刻んでいく。
――少女の周りのサーバントがあらかたいなくなった。
と思えばすぐに他のサーバントが集まってくる。
血の匂いに敏感なのだろうか。そう言えば一番血塗れなのは自分かもしれない、と少女は思う。
なぜだろうね?
ふふっと唇の端をつりあげて、彼女は笑みを作った。
ふと、仲間が上空で切り落としたサーバントの血がぴちゃりと頬に当たった。
少女はぐいっと手の甲で拭った。そして再び、戦いの中へ、灼熱の中へ、飛び込んでいく――
++ +++ ++
戦いは夜中を通して明け方まで続いた。
サーバントがやがて総崩れになって消えていった頃。
それは、唐突に現れた。
「ママ……」
聞き覚えのある声だった。聞き覚えのありすぎる声だった。
――まき
少女ののどがかすれた声を出す。
なぜ、ここにいるの。
なぜ――こんな私を見に来たの。
体中は赤に、紅に、染まっているのに。
真樹は無邪気な笑みを見せた。
「ママ」
―――……
少女は唇を噛む。
自分は穏健派とはいえ神帝軍だ。……真樹を養育してもいいという条件は、3年きりだった。
真樹はもう3歳になった。
……養育期間も過ぎている。
少女はもう、真樹の『母親』ではない。
「ねえ、ママ。おへんじして?」
真樹は純真な目でてくてく近づいてくる。思わず少女は一歩退いた。
「――ママ」
傷ついたような顔をする、その紅眼がまぶしくて。
見ていられずに少女は目をつぶった。
そうしたら、瞼の裏がますます真っ赤に染まった。
ああ――……私は。
灼熱の世界で戦う私は、赤から紅から逃れられない。
――違う。
あの娘の赤に紅に惹かれている。
どんな制約があろうとも……
――いつも自分に仕えてくれる者の囁きが、耳に届いた。
それでも。真樹にとって、貴女は母親なのですよ。
母親……
少女は目を開けた。娘の視線に視線を合わせると、真樹はぱあっと顔を輝かせた。
そして、ずっと後ろ手に隠していたものを、えへへ、と笑いながら少女に渡す。
赤い赤いカーネーションと、
メッセージカード……
『ありがとう』
涙があふれ出た。自分の顔にこびりついていた血の痕さえすべて洗い流すように、あふれてあふれて仕方なかった。
「ママ……?」
不安そうな娘の声がする。
少女は泣き笑いの表情を、『娘』に向けた。
大丈夫、大丈夫、こんな素敵な贈り物はもらったことがない。
のどがからからで声にならなかった。でも、真樹は受け取ってくれた。にっこりと笑って。
「ママ。ママ。……ちが、いっぱい、ついてるね」
―――……
「だめだよ、むりしちゃだめだよ、ママになにかあったら、まき、ないちゃうんだから」
少女は真樹を抱き寄せた。その幼い心拍音を胸の内で聞いた。
ええ、あなたがいる限り自分は死んだりしない。
あなたのような子供を増やさないために自分は戦ってきた。
なによりも、あなたのために。あなたの――笑顔のために。
灼熱の世界がやがてぱちぱちと弾けながら、青い空を取り戻していく。
少女は真樹の手を取った。
「ママ。かえるんだよね?」
真樹は嬉しそうに見上げてくる。
母親は優しくうなずいた。
母親の手をきゅっと握って、真樹はもう片方の手を万歳と上に上げた。
「ママ、だいすき!」
――ひょっとしたら真樹はすでに自分の出生の秘密を知っているのかもしれなく。
無意識にでも、その辛い過去を感じているのかも知れず。
だとしたら、――育てると決めた者が、こんなか弱い子供を手放すなんてとんでもない話で。
何より少女は、この幼子に惹かれすぎていて。
思えばまったくの偶然の出会い。
それでも、貴女は。
思えば素晴らしい奇跡の出会い。
だから、私は。
「ねえみてママ、きれいなおそらさんだね」
娘に促されて上空を見てみると、本当に綺麗な青い空があった。
娘の紅眼に映るその青い色は、とてもとても美しかった。
―FIN―
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