<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


協奏曲第3番 ヘ長調、RV.293「秋」


 ヴァイオリンの練習が嫌で、逃げ込んだ先が天才ヴァイオリニストの家。
 しかも、私にとって人生の変わる出会いがもう一つ、用意されていたのだ。


 ──これは、偶然?

 ──それとも‥‥神様の悪戯?



●第一楽章

 ガタン! と盛大に音がしたのは、廊下からだろうか?
 ──誰かが倒れた音? まさか、聡子さん?
 肩に乗せていたヴァイオリンをさっと下ろし、扉を開けた。誰かが倒れている‥‥が、それは老夫婦でもなかった。
「‥‥?」
 この洋館に来て初めて見るその人物(倒れたままなので顔は分からないが)に、いくらか戸惑ってしまう。
 ──これは、このまま放置しておくべき? それとも一言声を掛けてしまおうか‥‥。
 どういった状況で倒れ伏しているのかは分からないが、起きられないのなら居候をしている以上、一言声を掛けるべきかと思った。
「あの‥‥大丈夫?」
 意外にも、返答はあった。
「あはは〜、またやっちゃった」
 また、という事は常習か。自分よりデカイ体の男の割にやや頼りない、とアッサリ見極めると、平澤・夢夜は手を貸して起こしてやった。
「はれ? はれれ〜?」
 ぺたぺたと男は顔を触っている。足元を見ると眼鏡が転がっていたので、更にそれも手渡してやる。何だか世話を焼いてる気分になった。
「ありがとう〜」
 たまーにこうやってこけちゃうんだ、と笑う少年に夢夜は一緒に笑うでもなく足元を眺める。──どこに転ぶ原因が?
 単なるドジっ子なのであろう。
「えっと、さっきのヴァイオリンの音は、君?」
「‥‥ですけど?」
 無表情の中に不愉快だと感情が篭ったが、少年はやっぱり! と暢気に笑う。
「僕もね、ヴァイオリンを弾くんだ。だから思わず来ちゃった」
 えへら、と笑う少年に悪意はないのだろう。完成していない音を聴かれるのは不愉快だったが、言っても無駄だと思って何も言わず踵を返した。
 ──この男は、『あの子』を思い出させるから嫌だ。
 無邪気な、こちらが照れてしまうような事を言う女の子。彼女もヴァイオリンを持っていた。
 ろくな出会いではないと判断した夢夜だが、少年は違ったらしい。悪意の欠片もない顔で追い駆けてきた。
「祖父も、元ヴァイオリニストなんだ。上手いんだよ」
 虚を突かれて思わず立ち止まったが、再び歩き出す。
 ──私がヴァイオリンケースを持って雨の中歩いてたから、声をかけてもらえたわけね。
 皮肉げに内心呟く私。これで一つ答えは出たのだから。
「さっきは君の作曲? 聞いた事ないもんね」
「‥‥‥‥」
 無言で返しても、めげない。何て奴なんだろう、こいつはと思った。
 眉間に皺が寄るのを感じながら、部屋の中心に置いてある楽譜台に近寄る。背後には、未だついて来る少年。
「でも、あんまり楽しそうじゃなかったね?」
「!」
 今一番痛いところを突かれ、振り返った私はポーカーフェイスを崩し、思い切り、彼──楠木・志紀を睨んでいた。


●第二楽章

 居候なので、出て行けとも言えない。
 夢夜は睨みつけてもニコニコしている鈍感男を視界から追い出すと、置いたままだったヴァイオリンを手に取る。
「あ、演奏するの?」
「‥‥‥‥」
 無視、無視、無視っ。
 どれだけ冷たく当たっても暖簾に腕押し、柳に風。自分とは正反対に脳みそまで明るいらしい志紀にイライラする。
「僕も混ぜてもらおうかな」
「は?」
 無断で部屋の奥まで入ってきた志紀が、勝手に戸棚を開けてヴァイオリンケースを取り出す。
「ここ、遊びに来たら泊まる部屋なんだ」
 どうやら普段不在のこの少年の部屋を宛がわれたらしい。嬉しくない情報だった。
「何弾こうか。四季とかどう?」
「‥‥‥‥」
 コイツ、分かってて言っているのかと警戒たっぷりの目で睨んでも、ニコニコ笑ったまま。ケースから取り出したヴァイオリンを取り出し、鎖骨に乗せる。
「ちょっと弾いてみるね」
 このヴァイオリン久し振りで、と弾き始めたその音色に。夢夜は、軽く目を瞠った。

 ──こころに、響く旋律。

 夢夜は天才と言われるだけあって、多くのヴァイオリニスト達と接し、感想まで求められてきた。正直そこまで感動した音色はなかった、と思う。
 けど、これは。今まで聴いてきたどの旋律とも違う、と言える。
「‥‥凄い」
 思わず呟いていたが、結局ヴィヴァルディの春から冬まで演奏させてしまった。胸の奥が疼くような、旋律。
「今度は一緒に弾いてみる?」
 私の態度も追究してこない志紀に、私は頷いた。音を重ね合わせてみたい。初めてそう思ったから──。


●第三楽章

 ヴィヴァルディなら楽譜を見なくてももちろん弾ける。視線を上げると、にっこり微笑む志紀がいた。
「‥‥ふふっ、楽しいね」
 どんな旋律も上手く絡める事が出来た快感に、二人は弾き終えた後もしばらく沈黙していた。
 あれだけ弾き辛かった四季が、上手く弾けたような気がしたのだ。自分の何が変わったのか、見極めるように沈黙していると。
「やるんだったら、楽しくやらなきゃ。ね」
 にこ、と笑いかける志紀。
 ──まだ、よく分からないが。
「‥‥認めるわ。貴方は、素晴らしいヴァイオリニストよ」
 この私が、引きずられたのだから。
 淡々と述べる夢夜に、ふにゃりと少年の顔が緩む。楽譜台に乗せていた紙を取り、暫く眺めた後に。
「え? 何?」
「私が作曲した『漆黒の旋律』。対に作ったものの一つよ。これを、貴方に」
 正直、こんな事までした過去は夢夜にない。いつだってポーカーフェイスで、冷めていた。それこそが父の教えだったから。
「ありがとう。それじゃあ僕も、これ」
 ヴァイオリンを模ったペンダントトップ。それを鎖ごと夢夜に渡し、また会おうねと言って彼は去っていった。

「‥‥不思議」
 意外や意外、少年と弾き込んだ時間は長かったようで、気付けば部屋に赤い光が差し込んでいた。
 夕暮れの空を窓から眺め、手元のペンダントを眺める。こんな事をしたのは、初めてだった。

 ──楽しい。

 何年振りだったか、夢夜は久し振りに満たされる事が出来たのだ。

 ──嬉しい。


 しかし、父親が私をそう簡単に手放す筈もなく。
 初めてヴィヴァルディを弾けたと浮かれていた私の元に、あの男は、やって来てしまった。



 ──収穫を喜ぶ、ヴィヴァルディの秋。それはきっとこんな気持ちだったんじゃないかしら──