|
|
|
|
<東京怪談ノベル(シングル)>
|
月ぞ写さぬ瞳の奥に
新潟。改め、テアテラ。意固地に新潟と呼び続ける者も居るが、内海にとってはどうでも良い。
うらびれた、寂しい、寒々とした町。そういった感想しか、この新潟の町からは感じられなくなっていた。夜の空と、浮かぶ月明りが、その印象をより強いものに育てていた。
彼女、内海・綺羅は、この街を好きになれないでいる。
そうだ、何故、こんな町に墓を立てたりしたのだろうか。
――瀬戸口春香。
死体でも可。それが彼を指す隠語になりつつあった。
賞金首を遺体にしては、賞金は支払われない。生きての逮捕が原則である。
それでも、常に例外は在る。
それが、瀬戸口だ。その瀬戸口が遺体であろうと、賞金は規定の半額が支払われる。
「瀬戸口春香‥‥」
内海は、頭に浮かぶ言葉を、口に出して噛み締めた。
六月十日の墓参りに来て、去っていく。彼は新潟に仕事に来ている様子は無い。ただただ、墓参りをして去っていくだけだ。
だがその決まりきった行動を、誰が黙って見過ごそうか?
軍は数回、彼の逮捕に、或いは殺害に動いている‥‥けれど、誰も帰ってこなかった。
それでも、軍が始末できなかった男を、GDHP警備部第一課特殊急襲部隊、通称特機隊の手で始末せんとする。
軍と特機隊の確執がないと言えば嘘になる。それなら、この作戦は‥‥。
「報告します。瀬戸口春香、予想通り姿を現しました」
隊員の言葉に、ハッと我に帰る。この言葉に頷く隊長が、鷹揚に頷いた。戦いが始まる。
今の自分は、余計な事を考え過ぎていただろうか。かぶりを振って、彼女は全て忘れる事にした。
今はただ、任務の遂行に全力を尽くす。そして彼を逮捕する。それで良い筈だ。
そう、今まで、彼女は、戦闘になれば、明らかに意識が高揚するのを覚えていた。
瀬戸口春香の強さは何度も聞き及んだ、耳に染みている。しかし今回も、何時もと同じように戦えば良い筈だ。
‥‥そう、筈、だった。
なら、この眼前に広がる光景は何なのだろう?
魔皇とグレゴリーの遺体が転がり、辺り一面が真赤に染まっている。
逮捕が無理であれば射殺も止むを得ない。それだけの覚悟と決意をもって、隊員達は彼を包囲していた。
それが、どうだ。今では誰一人として立っていない。息すらしていない。
未だに立って息をしているのは、彼女だけだった。その彼女も、がくりと膝を折った。膝に、ぬめりとした感触が伝わる。血の池の中にまた一滴、血が滴り落ちた。そして直ぐに走る、激痛。肩からだらりと血が滴る。
武器を落すな!
ひたすらに、心の中で叫んだ。自分を叱咤激励し、腕に力を込める。だが、無理だった。
右手は再度の激痛によじれた拍子に、その腕から剣がずり落ちる。
人間か……彼が、惨劇の演出者が、そう小さく呟いたような気がした。けれどそれも、定かではない。
彼、瀬戸口春香の声はあくまで静かで、落ち着いていた。眼前の墓を見据えたまま、肩越しに声を掛ける。
「特機隊のエース殿、とやらかな、小娘?」
今まで彼は、後ろへ振り向きすらしなかった。
その身体がふわりと、後ろへと向く。覚めた眼をしていた。
背筋が凍るとはこの事だろう。
視線を逸らせば殺されるのではないか‥‥いや、このまま顔を見ていても殺されるのではないか‥‥そんな考えすら、頭の中に浮かび上がる。
「‥‥声も出ないか?」
瀬戸口は淡々と語り掛ける。だがその語尾には、不快感にも似た、微かな感情の揺らぎが見え隠れしていた。
尤も、それに気付いたとして、どう答えられたものか。
声ぐらい出る。そう答えようとしても、口が動かない。視線を合わせたまま外す事も出来ず、口元を微かに、上下へと動かす‥‥今はそれが、精一杯だった。
一歩。瀬戸口が踏み出した。
ぴくりと肩が震える。この魔皇は‥‥違う。自分とは、格が違いすぎる。
一歩。内海は後ずさる。
その動きは恐怖に駆られた恐慌的な逃亡ではない。だが、まるで手負いの獣だ。この場を脱出する為、相手の隙をさぐるばかりで、飛び掛っていく力は残っていない。
もう一歩、もう一歩近づいたら、一気に駆ける‥‥知らず知らずのうちに、頭の中で次の動きを組み立てる。
だが、瀬戸口は動かなかった。その思案を読み取るように、内海の顔を覗きこむ。
「怯え、逃げる事を罪とは言わない。だが‥‥」
彼は言葉を切った。
数秒の、沈黙。
内海から見ると、彼は次の言葉を考えている訳では無さそうで、何の意図があったのかは解らない。
「本当に討つべき敵に己で気付き、滅ぼさぬ限り‥‥」
語尾が強まる。
「‥‥我等がこの地に存在する限り、お前達人間へ真の平和が訪れる事は無い」
「何!」
声が出た。意識もしていない、反射的に発せられた声。
――人間か‥‥
それと同時に、先の言葉が頭に反響する‥‥そしてはたと気づく。
「まさか!私が人間だから‥‥」
その声も、瀬戸口は気にも留めずに。
「解るか?平和が訪れる事はない。絶対にだ」
その時の彼の表情を、どう表現すべきだったろう。
凄惨な表情、といった言葉しか、内海には出てこない。人間は、凄惨な現場に慣れてしまうと、こういう表情をするのではないかと思えた。
‥‥嫌な表情だ!
心の中で叫んだ。内海にとっては、この表情はただただ嫌な表情だった。
そうと思うしかなかったのだ。彼の顔立ちは端整に整っていて、眼は澄んでいる。それでもその奥に、捉え様のない沈んだ色がたゆたんでいる。
瀬戸口はそのまま佇んでいた。
それでも、どの位の時が経っただろう。
振り向いた時と似た動作で、瀬戸口は背を向けた。
空気の抜けるように、内海は、ゆっくりと地に倒れ伏した。
彼が、墓に何かを語りかけたように見えた。事実だったのかを確認する事も出来ぬまま、内海の記憶は途切れた。
それが、内海に残る記憶の全てだった。
瀬戸口は、一度だけ振り返った。
振り返るその顔に、月明かりが差した。夜月はただ、静かに彼を照らし続けていた。
― 終 ―
|
|
|
|
|
|
|
|