<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Awakening





 赤く。
 紅く
 赫く。

 ただ、爛々と燃え続ける。



 空が赤い。
 海が紅い。
 瞳が赫い。

 世界が、朱い。



 あるのはただ、地獄のような熱。地から湧き出す際限のない奔流。
 そこから生まれ出ずる手足は、酷く現実離れしている癖にその存在を誇示している。まるで墓標のように。誰のためでもない墓標のように。
 だとすれば、立ち尽くす朽ち果てた建造物は棺桶とでもいうのだろうか。

 ふと、自分が身震いしていることに気付く。
 恐ろしいのか。この世の地獄などというものを何度となく体験してきた自分が、恐怖しているのか。



 その中心には一人の少女がいた。
 その瞳は、ただ赫い。





○One year ago



「……」
 一人で見上げた空は、やはりどこでも同じだった。
 状況は最悪だ。だというのに、空は何事もないかのように彼を照らし出す。
「くそっ…」
 ごちることなど、何時振りだろうか。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 パトモス、ラオデキア。
 かつては関西と呼ばれたこの地がそう呼ばれるようになってまだ僅か。その僅かな年月のはずなのに随分と昔に感じられるのは、やはりその間に色々とありすぎたせいなのだろうか。
 日本における神魔戦争と、その一応の終結。それからこの日本――今はパトモスと呼ばれる地は、急速な変化を遂げていた。
 かの戦争が残した爪痕は、大きいなどという言葉だけでは表しきれないものを残していた。
 神の使いとされた者達が残したものはいまだ多くこの地に残る。そしてその割を食うのは、何時でも戦争をしていない者達なのだ。



 ラオデキア・京都パトモス。海軍を擁するその地で仕事が入ってくるのはある意味自明の理なのかもしれない。
 相当量のサーヴァントがこの地で観測され、当然のようにそれは新東京へと報告され、そしてサーチャーたちの手によってさらに広がっていく。仕事という形をとって。

 だがその『仕事』とは別に、一介の傭兵としてそれを聞きつける者達もいる。例えばそう、彼――思兼のように。

 内容は簡単だった。サーヴァントを掃討すること。これ以上なく単純な内容だった。
 何時ものように仕事を請け、何時ものように同じように仕事に来る者達と思兼は歩いていく。

 仕事は、何時ものように終わる予定のはずだった。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……」
 酷く左腕が痛む。骨が折れたのだろうか。
 無論その程度の痛みで声を上げることはしない。そんなことをすれば、それこそ骨どころの話ではなくなるだろうから。

 木の上、身を隠せそうなところに座り込む。これである程度は誤魔化せることだろう。
 思兼は再び空を見上げた。一度見たとき、天高く存在を誇示していた太陽は既に落ちている。

 時は夜。さらに状況は悪くなっていた。





 あの時、自分たちに状況を説明した女士官の台詞を思い出す。
『あなたたちには、周辺のサーヴァント掃討をお願いしたいのです』
 彼女は言った、この辺りにキマイラタイプのサーヴァントが発生したからそれを倒せと。
 キマイラとなれば、サーヴァントとしてはかなり強力な部類に入る。さりとて神魔戦争を生き抜いてきた彼らにとって、決して相手をするのに無茶なというほどのものでもない。
 だから、何時もどおりに終わるはずだったのだ。しかし、何事も蓋を開けてみるまでは分からないものだ。



「…数が…」
 サーヴァント自体はすぐに見つけ出すことができた。ただ、その数が半端ではなかった。
 明らかな戦力の見誤り。それに加え、
「な、なんだてめぇら」
 隣で必死に抵抗していた凶骨の男が、頭部を穿たれそのまま何も言わなくなる。
「……」
 広がる純白の翼、そして神々しいまでの輝き。
「マティア軍…」
 そう、この地にはもはやいないと思われていたマティア軍の残党までもがそこにいたのだった。

 強力で、かつ数もいるサーヴァント。そして追い討ちのように出てきたグレゴールたち。
 この地に何があったのかは分からない。分かるのはただ、自分たちがどうしようもない状況に陥ったことだった。
 血肉が舞い散る。混乱を極めた彼らは抵抗する間もなくその命を散らしていく。何時も見てきた光景以上に凄惨なそれを振り払い、思兼は一人森の中へと逃げ込んだ。





 京都基地から離れること数十キロ。そんなこの地に援軍が届くことなど終ぞありえない。
(…体力の回復を待って、逃げ切るしかないか…)
 一人そんなことを考え、無理だろうと自嘲的な笑みが浮かぶ。そもそもこの森の中に逃げ込んだ時点で全ては終わったようなものなのだから。
 だがそれでも。足はまだ動く。頭はまだ働く。
 ならば、まだまだ動きべきなのだろう。だから、思兼は再び地面に足を下ろし、そして歩き始めた。



 パキッ。
 軽く何かが折れる音。不意に聞こえたその音に、思兼の思考はすぐに切り替わる。敵であるとするならば、殺られる前に殺らなければならないから。
「……」
「うにっ」
 短剣を構える思兼の前に現れたのは、その場には酷く不釣合いな小さな少女だった。

 視線が交わる。何も知らない、何も疑わないような純粋な瞳と、どこか昏く濁った瞳。
 年の頃は二歳か三歳、といったところだろうか。
(…なんでこんな小さな子供が?)
 当然の疑問だった。そもそもこんなに小さな子供が一人で出歩くなどということはまず考えられない。
 そんな疑問に黙り込んだ思兼の耳に、
「まぁま」
 幼すぎる声が聞こえた。そして、それで理解する。
(…母親を探しにきた?)
 そうだとしても、よくもこんな小さな少女がここまでこれたものだ。そこで思い出す、自分たちが今置かれている状況のことを。
 本来なら考えている暇もないのだ。だから、
「早くここから離れろ」
 素直に言葉が口から出た。それは状況をこれ以上悪くしたくないという思いからであり、そして、なぜかこの少女は殺してはいけないという思いからでもあり。
「…ちっ」
 今までになかった不思議な感情に思わず舌打ちが漏れる。そんな彼を、何かが触れた。
 見下ろせば、その少女が自分の足を触っている。膝から流れ乾ききっていなかった血が少女の手を汚していく。
「いたい…?」
 覚えて間もないのだろう。まだまだ不自由な言葉で、しかし少女は確かに思兼のことを気遣っていた。
 そんな彼女を見ていられなくなって、思わず目を背ける。
「大丈夫だ、そんなことより早くここから――」
 そこで、言葉は途切れていた。



 醜悪な息遣いが、一瞬のうちに爆ぜた。
 少女の背後、茂みの奥から飛び出したキマイラが、その柔らかそうな肉を引き裂かんと飛び掛ってきたのだ。
 おそらくは、自分だけなら気付けたはずのそれが、まるでスローモーションのようにまだ気付くこともない少女へと襲い掛かっていく。

 無意識だった。
 考えている暇もなかった。

 ザン、と。何か生暖かいものが引き裂かれる音が森の中に響いた。



 背中が熱い。どうしようもない熱に支配されて、そのまま埋もれていきそうになる。
 視界が赤い。痛みと熱と悔恨に、見えているもの全てが歪んでいく。

 すぐに理解できた。この傷は致命傷であると。
 命に直結するほどのものではないか、だからといって動けるほど軽いものでもない。
 後悔する、なぜこんなことをしたのかと。
 簡単なことだ、優先するものを間違えたのだ。
(俺は何をしている…)
 本来なら、少女を犠牲にしてでもサーヴァントを倒すべきだったのだ。
 その場で襲われても、この先自分が死んでしまっても、どの道少女はサーヴァントにその幼い命を奪われることだろう。なら、サーヴァントを狙ったほうがまだ少女の助かる可能性もあるというものだ。
 そんな単純なことすら忘れて、ただ少女を守ってしまった自分が今となっては恨めしい。

 そしてこんなことを考えるのは、自分がその一撃で確実に意識を失っていくのが理解できたからだろう。
(どうしようもない、な…)
 意識が薄れていく、どうしようもなく。
 視界が霞んでいく、その少女だけを見つめたまま。

 今度こそ終わりか。
 そんな思考が頭の中を支配していく。
 意識がブラックアウトしていく。その瞬間、何かが彼の心に触れた。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 燃える。爛々と。
 雨が降る。震々と。



 泣いている。そう、啼いている。
 まるで慟哭の如く。狂おしい喜びに身を任せるが如く。

 いや、違う。

(…悲しいのか?)

 何故か理解できた。この世界はきっと、悲哀に彩られている。

 果てなどない。
 終わりなどない。
 先などない。

 世界が燃える。
 地表を彩る地面から生み出された手足は、天を掴もうと、天を蹴ろうとして叶わない。
 朽ち果てていた建造物が何もしていないのに崩れ落ちていく。

 有象無象の事象が起こっては消える。意味などないのに。意味など見つけられないのに、
(…何なんだここは…)
 怖かった。言いようのない恐怖が思兼へ襲い掛かる。
 違う、これは違う。今まで見てきた地獄と思えたものなど生温いほどに。
 身震いが止まらない。奥歯が噛み合わず、ただカチカチとうるさいほどに音を立てている。



 その世界の中心で、赫い瞳が思兼を見つめていた。
 その瞬間、悲鳴を上げたことにすら気付くことなく、思兼の意識にまた光が射した――。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……っ…」
 頭上には月が見えた。そして続けて襲ってくる激痛。
 しかし、痛みがあるということは、あの状況の後でなお自分は生きているということ。おかしな話だ、思兼自身間違いなく死んだと思っていたのに。
 周辺に気配らしい気配は一つしかない。そしてあの弾むような息遣いはもうない。とすれば、その気配はサーヴァントではないのだろう。
 例えそれがグレゴールであったとしても、その時はその時。もはや捨てた命、どうなろうと知ったことではない。
 だから顔を上げた。そして、『それ』はそこにいた。



 月明かりに照らされた巨大な刃。
 赫く爛々燃える瞳。
 その瞳がただ思兼を見つめている。



 また、体が震え始めた。
 思い出した、気を失っていた間の記憶。その中にいた少女が、そのままこの世界にいるかのように。
 だからだろうか、酷く現実離れしているようにしか思えず、それが逆に恐怖心を助長させていく。

 その刃から、紅い筋が流れては地面に落ちている。辺りを見渡せば、サーヴァントであったらしい物体が所狭しと転がっていた。
 噴出した血は、出来の悪いアートのように地面や樹を汚している。その中で動くものは、その少女と思兼のみだった。

「…まき…?」

 ふと、思兼の口から名前が出た。目の前の少女の名前がそうであると、そう思えたから。
 不思議な感覚だった。夢の中でその少女を見てからというもの、彼女がまるで自分の中に入り込んできたかのよう。
 この感覚は一体何なのだろうか。そこで、ふと思い出したようにまた少女を見る。

 まるで一枚の絵画のように、少女は動かずただ思兼を見つめていた。
 その手にある刃、それは、
「…魔皇殻…」
 理解するのにさほど時間はかからなかった。逢魔である自分にとって、現実に使ったことがなかろうとそれくらいの知識はあるのだから。
「だとすれば…この子が俺の…?」

 問いに対する答えは必要なかった。少女の瞳はただ自分だけを見つめている。それが意味することは――。





 そうして、それから一年。二人は今、一緒にいる。
 魔皇佐嶋真樹、『魔姫』として。そして、逢魔思兼として。





<END>