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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
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Relation
「なんで…そんな…」
唇が震える。奥歯が噛み合わず、嫌な音を立てている。
必死に何かを伝えようとして、出てきたのはそんな言葉。
違う、そんなことを伝えたいんじゃない。なのに、なのに。
見上げる瞳と見下ろす瞳。
絶望的な色を湛える瞳と汚物を見るかのような冷ややかな瞳。
それが、今の二人の関係だった。
○05.2003
その日は、春特有の暖かさに朝から包まれている一日だった。
人々は当然のように平和を貪っていた。その日一体何があるかも知らぬままに、日常をただただ普通に過ごしていた。
いや、それは違っている。考える気力を失っているのだ。
それは何時か突如現れた者達によるもの。しかしそれを疑問に思うことすら、人々は忘れていた。
そんな中で、彼らは自らの意思を失わずに日々を過ごしていた。
「いってらっしゃいませミコト様」
静穏に包まれたマンション、その一室。玄関からそんな声が聞こえる。
慎ましい態度は何時のこと。些か丁寧にも度が過ぎるのではないかとさえ思えるその言葉に、しかし少年は慣れているのかただ笑顔を返す。
「うん、いってくるよ由佳里」
その声に、由佳里と呼ばれた少女は微笑を浮かべた。愛しい人のその声を、朝から聞ける幸せに浸っているかのように。
「あ、これお弁当です」
「ありがとう、それじゃ」
そんな何時もの光景。何時だって繰り返してきた、これからだって繰り返していくだろうそんな光景。それが、今日は少し違っていた。
「……」
不意に、由佳里がそれまでの微笑とは違うものを顔に浮かべたのだ。何かを案ずるような、何か隠すかのような、そんな不安げな表情を。
しかしそれは一瞬。頭を振ったかと思うと、また由佳里は笑みを浮かべる。
「くれぐれも、お気をつけて…」
「…? うん、いってきます。早めに帰ってくるから」
気のせいだったのだろうか、先ほどまでの不安げな色は既にない。それを確認して少年は玄関から足を踏み出した。
しかし少年は気づいていない。少女がまたあの表情を浮かべていたことを。
「……」
玄関を出た少年は、その場で立ち止まりただ一点を見つめていた。その視線の先にあるのは、閉じられたままの玄関。今しがた出てきたばかりの部屋のすぐ隣だった。
その中から一人の少女が出てきて、そして元気に挨拶を交わしてそのまま学校へと登校していく。それが一週間前までの日常だった。
しかし、今はもうそれもない。その少女は一週間前から行方不明となっている。
(あの子は一体何処に…事件とかに巻き込まれてなきゃいいけど…)
今は何処にいるのかすら想像のつかない同級生に対して、少年も当然のようにそんなことを思う。しかし、思ったところでその少女が帰ってくるわけでもない。
何事もなかったかのように少女がまたあのドアの向こうから出てきてくれれば、一体どれほど気が楽になるか。
「……」
しかしそれが叶う事はないと知って、暫しの逡巡の後彼は歩き始めた。
「……」
言い知れぬ不安が胸に渦巻く。虫の知らせというやつだろうか、それは止まることを知らずただただ大きくなっていく。
言葉が出ない。何故あの時自分は彼を泊めなかったのだろうか。
本当なら、思うままに彼を止めてしまった方がよかったのではないか?
この予感は一体何なのだろうか? それはまだ、分からない。
「ミコト様…」
その胸に小さく感じる絆だけが、今の少女にとってたった一つの希望。
言わなくていいのなら。きっと、その方がいいのだ。少女はそう自分に言い聞かせた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
はっはっと息が弾む。少年は一度腕時計を見やり、また前を向いて走り出した。
どうやら自分が思っていたよりも長い間物思いに耽っていたようで、気づけば時計の針は洒落にならない時間を刺していた。どうやら全力で走ってやっと遅刻を免れるほどの時間らしい。
「まずい、急がないと遅刻しちゃうよ…」
呟く言葉にももはや余裕はない。当然少年の視野は狭まる。と、そんなときに感じた衝撃に思わず倒れこむ。
「うわっ!?」
そんな彼が誰かにぶつかったのは、ある意味で必然と言ってもいいだろう。
「あいたた…」
相当の衝撃に思わず言葉が漏れる。ぶつかった人物からは何も聞こえないが、もしかしたら痛みで何もいえないでいるのだろうか?
「すみませ…!?」
もしそうなら大変だとミコトは顔を上げて、その瞬間に言葉を失っていた。
その場に倒れこんでいたのは少女だった。年の頃は少年と同じくらいだろうか。
しかし、その姿は少年とは決定的に違っている。
服装などの些細なことではない。そう、纏う雰囲気そのものが違うのだ。それは例えば言葉にするならば、神々しいとでも言うべきなのだろうか。
まるで後光さえ射しているかのようなその感覚。人とは明らかに違う、神々しすぎるが故の威圧感。その傍らには、まるで一枚の絵画の如き天使の姿。
「グレ、ゴール…」
知れず知れず言葉が口から漏れていた。そう、それは突如として出現し、そして気づけば日本どころか世界中を統治してしまった『神』の使いとも言うべき戦士の姿だった。
「大丈夫ですか?」
「構わん」
天使の言葉に、少女の口から出たのは辛辣な響きを含んだ返事だった。
無愛想な美貌が少年に向けられる。そして、
「貴様…無礼だぞ! 私を誰だと思っている!」
その響きは、明確なものとなって少年に叩きつけられた。
「……」
しかし、少年は何も言い返すことが出来なかった。それは、
「き、君は…なんで…」
また言葉が知らず知らずのうちに漏れていた。何故ならその顔は、
「何を呆けている? まともに謝る事すら出来んのか?
全くこれだから愚民は…」
見紛う筈もない。その口から出てくる言葉は似ても似つかないが、その顔は確かに少年のよく知ったそれ。
「……」
言葉など出るはずもなかった。一週間前に行方不明となった少女が、今まさにグレゴールとして少年の前に立っていたのだから。
「おい」
「……」
グレゴールの少女は苛立っていた。目の前の人間が、自分の顔を見て呆けている姿はそれだけで我慢ならないらしい。
「全く、これだから……」
と、不意に言葉が切れる。そして少女は、また少年の顔を見た。ふと疑問に思ったことがあるのだ。
何故この人間は、
(様子が、おかしい…)
そう、何故この人間は自分の言うことを聞かないのだ、と。
大体にして最初からおかしかったのだ。何故この人間はあんな勢いで走っていた?
そも神帝軍に支配された人間どもは全て無気力になり、日々をただ幽鬼の如く過ごすものではないのか?
それならば、自分の言葉にも素直に従うものだろうし、事実これまで出会った人間たちは全てそうだった。状況が根拠を物語っているのだ。
それなのに、何故?
「ふん、なるほど。もしや…」
答えなど、一つしかなかった。
「…えっ?」
呆けている間に、少女が何かを言っていたかと思えば、次の瞬間にはその瞳が光っていた。
魔看破と呼ばれるその朧気な光は少年を包み込み、その中にあるものを映し出す。しかし、少年はまだその意味を知らない。知らぬままにただ光を浴びていた。
「やはりか…」
そして、それを少女の瞳ははっきりと見ていた。少年を包む青白い炎を。
「貴様、魔皇だな!」
明確な敵意を含んだ鋭い声は、少年をはっきりと動揺させていた。
「…魔皇…?」
少年の瞳が揺れる。
(なんだ、それ)
殺意が、その体を刺していく。
(なんだよ、それ)
少女の蔑んだ様な瞳が、少年を刺していく。
「僕が…? なんで、」
「まさかこんなところに堂々と潜んでいるとはな。汚らわしい魔の者め…」
しかし、その言葉はすぐに消されてしまう。まるで汚物を眺めるような、そんな少女の声によって。
「まぁいい。連行しろ」
少女の命令が、傍らの天使を動かしていた。そしてその手が触れた瞬間、
(そうだ、呆けてる場合じゃない…聞かなきゃ)
そう、聞かなければ。この一週間どうしていたのか、何でそんなことをしているのか、あの優しかった声は何処へいったのか。
兎に角聞きたいことは沢山あるのだ。そう思った瞬間、少年の手が少女の腕を掴んでいた。
「ちょっと待って、君は」
だがしかし、千を聞かんとした少年の言葉は、一の質問も紡ぐことなく途切れてしまった。
何か鈍い音が、自分の中心から鳴り響いたような、そんな感覚。
掴んだはずの細い腕は何時の間にか振りほどかれ、そのまま自分の胸の中に吸い込まれていた。
鳩尾への一撃。果たしてそれを少年が理解することはあったのか。悲鳴すらなく、少年の体は地面へと平伏していた。
「汚らわしい魔皇如きが私を触るなどと…」
少女にとってよほど我慢のできぬ事であったのだろう。傍らの天使ですら思わず目を背けてしまうほどの打撃音が鈍く響いていた。
「ふん、それでも死なないのは魔皇だからか運がいいからか。まぁいい、連れて行け」
そして少女は、何の感慨も見せることすらなく立ち去っていった。それから一度として少年を見ることもなく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
テレビから、何の面白みもない無味乾燥な放送が流れている。もはや耳を傾けることすら億劫なそれを視界の外に追いやって、彼女は窓越しに空を見上げていた。
胸をじわじわと侵食していく嫌な感触。何かあったのだろうか、あの人に。
そんなことすら確認できない自分の無力さがほとほと嫌になる。
ただただ少女は空を見つめていた。
既に太陽は高く上りその存在を誇示しているはずの時間なのに、今日は何故かほの暗い。
見上げる空は、紫色に染まっていた。
その空の意味するところはただ一つ。
魔皇と呼ばれる存在には、対となる逢魔と呼ばれる存在がいる。
グレゴールがファンタズマと共にあるように。魔皇は逢魔と共にあるのだ。
「ミコト様…」
呟く言葉は、今は傍にいない片割れに呼びかけるかのように。
由佳里と呼ばれた少女は理解していた。その名を捨てなければいけないことを。
由佳里と呼ばれた少女は理解していた。少年―クルハシ・ミコトが魔皇であるということを。
由佳里と呼ばれた少女―テクタイトは理解していた。
その日が、全ての始まりであるということを。
テクタイトは理解していた。
今までの全ての関係は、きっとこの日のためにあったのだと。世界が割れた、その日のためにあったのだと。
さぁ、始めよう。魔皇と逢魔という関係を。
例えそれが、互いを暗い地の獄へと投じることになろうとも。
<END>
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