<東京怪談ノベル(シングル)>


■ 暖かなる闇 ■

とあるデモンズゲートの廃ビルにて。
闇の中、倒れそうになる体を抑えてふらふらと歩く。
体が鉛のように重い。段々と自分の体の中から力が抜けていくのが分かる。
腹部から流れ出る命の雫を少しでも抑えようと手で覆った瞬間、耐え難い激痛に襲われた。
「…っ…くそ…!」
思わず傍にあった壁にもたれかかると、そのままずるずると座り込んだ。
「…は…ぁ…はっ…!!」
あまりの痛さに息が荒くなる。
少しでも息苦しさから楽になろうと思い切り息を吸うと、体が空気を拒否するように咳き込んでしまった。

焼け付く様に痛い――その体が。
締め付けられる様に痛い――その心が。

「ごほっ…いてぇ…」

自分から流れ出る血。自分を襲う激痛。
目の前が白く染まっていく。まるで光に包まれるように、白く、白く――。

「………」

闇の中。
壁にもたれたまま意識を失った一人の男。
意識を失った果てにたどり着いたのは――先刻、自らが行った死闘の場所だった。



*******************



闇の中、二人の男が向かい合っていた。
己の拳を構え、武器を構え、殺気を漲らせ、狂気を纏わせて。

一人は黒服を纏い、仮面を被った男――月村・心。修羅の黄金を背負う魔皇である。
怒りと悲しみを体現しているかのような仮面の中から、怒りと悲しみが混じった瞳で相手を見つめていた。

「ぐへ…へへへ…」
そんな瞳で見つめられているのを分かっているのかいないのか――向かい合う男は薄ら笑いを浮かべていた。
狂気に彩られた瞳、顔、気配。魔皇の様にも見えたが、はっきりとしない。
ただ分かるのは、もう狂気の闇から戻れそうに無いということだけだ。

殺気が交差する。
先に動いたのは――月村だった。

「はぁああああ!!!!」
その超人的な身体能力から生まれる素早い踏み込みによって一瞬で相手の懐へと飛び込んだ。
そこから繰り出される容赦のない拳。決まれば致命傷は免れない――!!!

ドゴォ!!

鈍い音が響いた。
狂気の男は攻撃を避けもせず、ただ吹っ飛ばされる。
ボタボタとその体からまるで滝の様に血が溢れ出た。
コレで勝負は決した。

――決した筈だった。

「へへ…へへへへへへへへへへへ」
「お、お前――何で…!?」

気味の悪い笑みを浮かべたまま、血を止めることなどせず、男はふらりと立ち上がった。

「へへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」

狂った笑いが絶え間なく響く。
まるでどこかのホラー映画のように不気味に。
その様子を呆然と月村は見ていた。

「へへへ…げへ…!!!!」

瞬間、狂気に動かされるように男が動いた。
致命傷など関係ないという様な素早い動き。
そのせいで再び血が大量に溢れ出ているのに男は気にしていないようだった。
そして―――ドスリッと、自分の体を揺らす衝撃。

「…なっ…がはぁッ…!!」

――多少なりとも月村は動揺していた。
致命傷を受けて尚、笑みを浮かべて突っ込んでくる相手に戸惑っていた。
だから受けてしまったのだ、男の攻撃を。
月村の腹部へと繰り出された強烈な一撃を避けられなかったのだ。

「へへへ…へへ…」
「あ…ぐ…あぁああああ!!!」

血が傷口から吹き出る。
突き抜けるような痛みに意識を持っていかれそうになる。
それを必死に耐えながら、今もなお己の腹部から退かぬ男の腕を『破壊』した。

そう、破壊――男の腕は機械だったのだ。

『ソレ』はもう人の腕ではなかった。
『ソレ』はもう人の体ではなかった。
赤い血を流しても、『ソレ』はもう既に人をやめていた。

まるで――昔に闘った事がある男のように。
男は自分の体を改造していた。
人間である身を捨て、神魔を倒せる存在へと改造していた。

否。違う。あの男の様に自らの意思ではない。あのような狂気、自分自身で作り出せるわけが無い。

ただ神と魔を倒せるように。ただただ神と魔を殺せるように。
男は自我さえも壊され、人としての存在を壊され―――改造されていた。

だから男は『人』として死んでいた。
だから男は狂っていた。精神を壊されていた。

「………お前は……」

仮面の奥から覗く月村の目が悲しげに向けられた。
腕を破壊されてなお、へらへらと笑い続ける男に。

へらへらと――虚ろに笑い続ける男に。

「…死にたい…か…?」

月村の言葉に、男の笑みが消えた。
人の身でなくなった者への哀れみの言葉に男は初めて反応した。

「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

月村へと向かって突進する男。
まるで求めるように。まるでその言葉に答える様に。

全身隙だらけで。
攻撃する素振りすら見せないで。
ただ突進した。

「そうか………今、楽にしてやるよ…っ!!!」

月村も、男の突進を避けようともせずに。
むしろ、自分から男へと突進した。
まるで求められるように。まるでその答えに応える様に。

「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

月村の叫びと、男の叫びが混じり、闇の中に響いた。

その後は――――あまり覚えていない。
目の前で大きな爆発が起こり、傷ついた体を引きずるようにしてその場から立ち去った記憶だけはあった。

そして―――。


*******************


――眩しい。
空から降り注ぐ明るい光を受けて眠りから目を覚ます。
どうやら自分は夢を見ていたらしい。
先刻の死闘の夢――否、記憶だろうか?
まるであやふやでおぼろげだったが、最後に一つだけ鮮明に見えたことがあった。

爆発の瞬間の男の顔。
気味の悪い薄笑いではなく…苦しみから抜け出せたような、ただ安らかな笑顔――。

改造され、戦い、ただ道具として動いていた男の最期。
闇の中でただ一人苦しみ続けた男の最期。

「…闇…か…」

闇。暗い、暗い闇。
人を堕とし、腐らせ、苦しめる闇。

しかし、それは―――本当は恐ろしいものではない。
闇は人の恐れや迷いを消し去り、安らかな眠りに誘うもの。
その証拠に、人が本当に眠りにつけるのは闇に包まれる夜だけなのだから。

そして、新たな光が差し込み再び目覚める…夜が明け、朝が来る様に。
光を呼びこむ、暖かなる闇の様に。

だから――。

「同じ闇ならば…俺はそういう闇でありたい」

ぽつりと呟いた月村を、光はただ優しく照らしていた。


【END】