<東京怪談ノベル(シングル)>


〜闇と真実〜

 漆黒に染まった街を、俺は息を殺して歩き回った。
 復興を遂げた街、ソアル……
昼間には何百何千何万もの人々で溢れるこの町も、ここ最近の夜は、こうして静かな夜を迎えている。本来ならば、残業あけの会社員や夜遊びに興じる学生などでそれなりの人影が常に観察出来るのだが、今では警察とGDHPの巡回を見かけるぐらいのものだった。

(ホントに、あんな仰々しい物に乗ってて、相手が出てくるとでも思ってんのかね)

 俺はそう思いながら、漆黒の中では酷く目立つ赤灯とライトを灯して走り去っていく車をやり過ごした。今夜だけで、この手の巡回を見るのは既に五度目……一都市の警戒としては、あまりに厳重だった。
 神・魔……架空の物とされてきたモノ達が徘徊し、そして間断なく争いが続けられるこの国で、このような警戒が行われるのは珍しいことではない。何しろ一般人では一方的に殺されるしかないような野良サーバント達が街の外を彷徨っているのだ、街中の警戒とて、一度火が立てば、厳重にするのは当然である。
 しかし今夜は、些か普段の事情とは違っていた。今回、警察が追い求めているのは、真偽の分からない噂話の元凶である。
 曰く、黒い衣を纏う仮面の怪人。
 曰く、全身を白い毛で覆われた狼男。
 曰く、毎夜のように誰かが消える、神隠し……
 どれもこれも、どこの街でもありそうな怪談話である。
 もちろんこんな噂話に振り回されるほど、警察も暇ではない。しかし実際に行方不明者は出ているし、何よりその噂の影響で街の夜はこの有様だ。住民の不安を思えば、せめてほとぼりが冷めるまでの巡回ぐらいは当然だろう。
 と言っても、真っ当な住民ではない俺にとっては厄介な相手だ。こんな夜にカメラやらボイスレコーダーやら持って徘徊しているのを見つけられたら、どんな変質者に間違われるか分かったものではない。
 俺は警察に見つかるぐらいならと、あえてビルとビルの合間の路地に入り、警察の目から逃れることにした。狭いし暗いしでろくな場所じゃないが、この際仕方ないだろう。それに噂の狼男を激写するのなら、この方が良い。相手も路地裏に逃げ込んでいるかも知れないしな。


★★★

 ……突然だが、ジャーナリストには、三つほど絶対に必要なものがある。

 一つ、小さな噂でも自分の足で調べられる行動力。
 二つ、真偽を嗅ぎ分け、相手の嘘を見抜く洞察力。
 三つ、引き際を間違えない、絶対的な直感だ。

 ……なんだが、そもそも夜の路地裏に入り込んだ時点で、三つ目が機能してなかったんだろうな。クソッ……

★★★


 ……ビルとビルの合間は、本当に漆黒に染まっていた。
 今夜は満月だが、月明かりすら差し込んでこない。まさに狩り場だ。ここなら、狼男でなくとも簡単に殺人の一つや二つは起こせるだろう。狭い路地裏のあちこちにはゴミ箱やら階段やらがあって、場合によっては壁にピッタリと貼り付かないと通れないような場所まであった。

「ったく。どうせ作り直すんなら、もっと住みやすくすればいいのによ……?」

 カメラを持ち、ぼやきながら奥へ奥へと進んでいた足が、ピタリと止まる。その足音に取って代わるようにして聞こえてきたのは、銃撃音と盛大な破砕音。時折金属的な剣戟の音も交え、争いの激しさを物語っている。
 発生源は、そう遠くはない。
 俺は自然と息を殺し、注意深く、決して相手に見つからないように体を壁に密着させながら、陰から音の発生源を覗き込んだ。

「GHAAAAA!」

 猛り狂う獣の咆哮。ビルの合間を照らす月明かりによって微かに見えるシルエット。散弾銃が火を噴くたびに一瞬だけ全貌を表すその姿は、物語の中で見られる狼男その物だった。
 ガォンガォン!
 その狼男と対峙し、散弾銃を連射しているのは、警察ではなく仮面を付けた黒衣の怪人だった。狭い路地を飛び回り、爪を振り回して襲いかかってくる狼男から絶妙に距離を取って応戦し続けている。

(巻き込まれたら生き残れねぇな……)

 男はボイスレコーダーのスイッチを入れ、カメラのシャッターをいつでも押せるようにしながら二人の様子を窺った。




 仮面の男は散弾銃では足りないと踏んだのか、銃を黒衣の中に仕舞い込み、入れ替わりにフェニックスブレードを召還した。目を狼男に向けたまま跳躍し、壁に取り付く。
 狼男はそれを追って跳躍した。速度は狼男の方が遙かに速い。全身のバネを使った跳躍と、その勢いを乗せた右腕が仮面の男の黒衣を引き裂き、小さな布片を中に舞わせる。
 が、宙に舞ったのはそれだけだった。
 仮面の男は壁を蹴り、狼男と擦れ違うように落下していた。その際にブレードで狼男を斬りつけ、甲高い音を響かせる。狙うは顔面。一撃で終わらせられる、トドメの一撃である。
 ガキィィン!
 響く音と、仮面の男の着地音。そしてそれに続くように、折れた刀身が音を立てて落下した。
 顔面を真横に一閃したその攻撃は、間違いなく必殺を喫してのものだっただろう。しかしあろう事か、狼男は、振るわれた剣を“文字通り噛み砕いた”のだ。

「ありえない……」

 大戦時にもジャーナリストをしていた俺には、魔皇殻の知識も叩き込まれている。その頑強さを知る俺は、思わず呟いていてしまっていた。
 ……それが、いけなかった。

「GARRRR……!」
「なっ!」

 口内に残ったブレードを噛み砕いていた狼男の視線が、鋭く俺に突き立った。情けないことにそれだけで俺の体は竦み、身動き一つ取れなくなる。
 狼男は勢いよく、真っ直ぐに俺に向かって跳躍した。何しろ仮面の男と違い、俺が持っているのはカメラぐらいだ。殺しやすさで言ったら断然俺の方がお得だろう。
 俺は盾にするようにカメラのシャッターを押しながら、目を閉じて死の瞬間を待っていた。

「だぁああ!!」
「GI!?」

 ズゴバシャァ!
 乾坤一擲。仮面の男が裂帛の気合いと共に投げつけたホルスジャベリンは、見事に狼男を真横から貫通し、脇腹から反対側へと貫いた。
 苦悶の声を上げる狼男だったが、それでもまだ足りない。
 仮面の男は狼男を縫いつけると同時に大口径の大型拳銃を抜き出し、両腕を振り回している狼男の後頭部へと狙いを付けた。
 ドォン!
 轟音。それと共に飛び散る肉片と血の飛沫。
 その光景は、暗闇と相まって、タチの悪いスプラッターホラーを見ているようだった。

「ようやく動かなくなったな」

 仮面の男は狼男からホルスジャベリンを引き抜き、力を失った体を地面に放り出した。狼男の体は何一つ抵抗することもなく、倒れ伏す。
 それから仮面の男は、俺のことをジッと見つめ、やがて、俺が握りしめているカメラに目をやった。

「真実を知ることは、必ずしもよい結果を生むことではない。せめて深入りはしないようにな」

 そう言うと、仮面の男は大きく跳躍し、壁を二回、三回と蹴り付けて屋上へと消えていった。

「…………」

 その後ろ姿を呆然と見送りながら、俺はしばらくの間、ずっとその場で立ちすくんでいた。


 ……路地裏から抜け出た俺は、なにもしていないというのに、既にボロボロだった。連日徹夜をしたとしても、ここまで憔悴したことはない。
 それが、一瞬でも獣に食われ掛けた、俺の感想だった。

「ちょっとちょっと、キミ。そこのキミ」

 俺は背後から声を掛けられ、ゆっくりと振り返った。そこには、GDHPの制服を着て、パトカーの窓から身を乗り出している、若い男が居た。

(……はぁ)

 こうなりたくなかったからこそ、路地裏に行っていたはずなのだが……
 俺は大人しく足を止め、ソッと目を閉じた。
 まぁ、今日の所は、警察にでも保護して貰った方が安全かも知れない。そんなことを思いながら……





★★★★

 街には、常に様々な噂が流れている。
 黒衣を来た仮面の男。街に潜む狼男。毎夜のように誰かが消える神隠し……
 月村 心は、雑居ビルが建ち並ぶ雑踏の中を歩きながら、そんな噂を断片的に聞きつけていた。しかし聞き流す。その噂の元がなくなったとしても、噂は噂であり続ける。次の、新たな噂が流れるまでは──

「……ん?」

 ふと、自然と耳に入ってくる声に耳を澄ませて歩いていた心は、通り過ぎようとした電気店から聞こえてくる声に顔を向けた。

『行方不明の○○○さんは、昨日、所属する事務所にて「噂の真相を記事にする」と言っていたことが分かり、警察では何らかのトラブルに巻き込まれたものと──』

 ショウウィンドウに並ぶテレビから聞こえてくるニュースの声。アナウンサーの隣には行方不明となった男の写真が映っており、心は、その顔に見覚えがあった。

「……」

 心は空を見上げ、目を閉じ、それから数秒ほど立ち止まってから、再び歩き出した。
 噂の絶えないこの街では、人一人の行方不明など珍しくもない。これは、噂にもならずに消えていくだろう。





 心は、仮面を持って雑踏の中に消えていく。
 街の噂は、新たな生け贄を求めるように、新たな噂で満ち溢れていた……