<東京怪談ノベル(シングル)>


「Under The Milky Way」

『急募! 暑中見舞い用ポスター撮影モデル・1名』
 それは求人誌の片隅に掲載された、一見ごくありきたりの広告だった。
 初めは軽く読み流そうとした僕の目が、次の瞬間その内容に釘付けになっていた。
『長身・スリムな男性歓迎。年齢不問。日給5万円』
 破格の好条件だ。自分がモデル向きだなんて自惚れるつもりはないが、身長187p・体型も細身と条件は充分満たしている。
 どうも話がうますぎるとは思った。
 とはいえ今日は7月7日。暑中見舞いの撮影なら時期的にギリギリだし、たぶん浴衣の男性モデルが急に必要になったのだろう――そう都合良く解釈すると、僕は早速広告にある電話番号をプッシュしていた。

 その日の夕方。電話で指定されたのは、寂れた裏町にひっそりと建つレトロな雰囲気の写真館だった。もっと今風の撮影スタジオを想像していた僕はちょっと退いたが、無論ここまで来て引き返すわけにも行かない。
「松本・太一さん……ですか。お待ちしておりました」
 陰気な顔つきの老主人が、受付で僕の履歴書を一瞥して頷いた。
「さあ、こちらへどうぞ……もう準備は整っておりますので」
 老主人はのっそり立ち上がると、曲がった腰に手を当て僕を薄暗い店の奥へと案内した。

「な、な、何ですかこれはッ!?」
 撮影室と思しき小部屋に一歩踏み込むなり、僕は唖然として叫んでいた。
「今回のお仕事で着て頂く衣装ですが……何か問題でも?」
「問題も何も……」
 目の前のハンガーに掛けられた衣装。それは浴衣でも和服もない、紛う方無き「バニースーツ」であった。といってもキャバレーなどで見かける安物とはまるで違う。
 最高級シルクと思しき紫のバニーコートに同色のロングストッキング。そしてカフスや襟飾り、兎耳のカチューシャには驚いたことに本物の金と宝石のアクセサリーがふんだんにちりばめられている。まさにそれ自体美術品といっていいほどの豪華さに一瞬見とれてしまった僕は、ハッと我に返った。
「こんなの、暑中見舞いと全然関係ないじゃないですか!? 第一、僕は男で――」
「これはさるお得意様からの個人的なご依頼でして。私はただ、ご注文のとおり撮影するだけでございます」
 骨董品のような旧式カメラをセットしながら、こともなげに主人が答える。
「しかしですね、僕に女装の趣味は……」
「ですから、お仕事としてお願いしているのです。それにこの写真が表に出ることは決してございませんので、その点はご心配なく」
 僕の中で「男のプライド」と「日給5万円」が天秤にかけられる。数秒後、天秤はあっさり「5万円」の方へと傾いた。
「まあ、そういうことなら……」
 渡されたバニースーツ一式を手に、衝立で仕切られたスペースへと入り、そこに置かれた姿見の前で渋々着替え始める。奇妙なことに、バニーコートやハイヒールはまるで誂えたように僕のサイズとぴったりだった。
(でも、胸はさすがにパッドでも入れないとなあ……)
 異変はそのとき起こった。バニーコートを着込んで間もなく、唐突に僕の胸が膨れ、肩と腰は丸みを帯び、あたかも衣装に合わせるかのごとく肉体が女性化し始めたのだ。
(え? な、なに……!?)
 驚いて姿見を覗くと、鏡に映った顔は眼鏡を別にすれば松本・太一の面影など微塵もない、緑色の髪を長く伸ばした妙齢にして妖艶な美女であった。
「うわぁーっ! 何だ、こりゃ!?」
 狼狽して衣装を脱ごうとするが、紫のバニースーツは肌に張り付いたかのように僕の身体から離れてくれない。
「くそっ、やっぱりこんなバイト降りる! おーい写真屋さん! この服脱がせて下さいよーっ!」
 だが抵抗できたのはそこまでだった。膨らんだ胸の谷間からフワっと薔薇のような香りが匂い立ったかと思うと、僕の意識は急に朦朧となり、何者かに操られるようにして再び着替えを続けていたのだ。
 眼鏡を外し、長い兎耳を揺らしてカチューシャを被る。胸と尻が妙に重たく、逆に股間のあたりがスースーして何とも心許ない。だがそんな違和感も、衝立の陰から一歩出た瞬間に消し飛んでいた。
 星だ。いつの間にか撮影室の壁も天井も消え失せ、闇と一面の星空に覆い尽くされていたのだ。とりわけ目を惹いたのは、白く長く、天を横切る壮大な天の川だった。
「さ、どうぞお気を楽にして……お好きな姿勢を取ってくださいまし」
「あ……」もう撮影が始まっているのだ。
 僕はぎこちなく床に腰を下ろし、ピッチリとストッキングに包まれた長い足を組み直すと、闇の中で自分に向けられたレンズに向かって思いつくままポーズを取った。いったい何だろう、この奇妙な感覚は……顔から火が出るほど恥ずかしいはずなのに、なぜか悪い気がしない。まるで自分が生まれつき女だったかのような……。
 いえ違うわ。これが本当の「私」の姿。松本・太一の40年間の人生こそ、「私」にとってはほんの泡沫の夢物語――。
「このバニースーツには不思議な力がありましてな。着る者を、この世のものならぬ麗しいご婦人に変えてしまうのですよ」
 シャッターを切りつつ、老主人がいう。
「ただし奇跡が起こせるのは一年でたった一度、この七夕の晩だけ……ですから当館も、さるお方のご依頼で、何百年もの間この日だけ店を開けているのでございます」
 ああ、そうだったわね。両手をそっと胸に当て、降るような満天の星々を見渡す。果てしなく続く天の川の何処かから、自分を見守ってくれる優しい眼差しがあった。
「ありがとう、あなた……来年もきっと逢いましょうね」
 熱い涙が頬を濡らすのを感じながら、「私」は小さくつぶやいた。

 気づいたとき、僕はすっかり日の暮れた裏町の歩道に立ちつくしていた。
「!」慌てて胸や股間に手を当てて見るが、元通りの中年男、松本・太一の身体だ。背後を振り返ると、あの写真館は影も形もなく、ただ荒れ果てた廃屋があるのみ。
(ゆ、夢……?)
 何気なくズボンのポケットに手を入れてみると、指先に折り畳まれた紙幣の感触が当る。約束通り5万円あった。
 ふと顔を上げると、汚れた都会の夜空には珍しく、流れるような天の川の中に二つの星がひときわ強く光り輝いていた。