<東京怪談ノベル(シングル)>


〜Maid in …… 〜

僕の手から、ヒラリと広告チラシがこぼれ落ちた。
 チラシはヒラヒラと中空を漂ったあと、足首にまで達している絨毯の毛の上に着地する。しかしその姿を確認出来たのはほんの一瞬、それこそ瞬きほどの時間さえ存在することなく、問題のチラシは掻き消えていた。
 そしてチラシは、目の前にいる女性の手に移っている。
 いつの間に床から拾い上げたのか……僕こと松本 太一は、呆然としながら、その女性の言葉に聞き入っていた。

「さて、この本日は『地獄のメイド合宿・〜あなたも三日で鬼メイド♪〜』にご参加いただき、ありがとうございます。参加されるお客様は松本様お一人のため、私どもメイド一同、誠心誠意情け容赦なくご教授いたしますので、よろしくお願いします」

 目の前にいる女性……僕を出迎えたメイド長は、恭しく頭を下げた。
 ……そう、この女性はメイドである。しかもメイドを統括するメイド長。
 真白いカチューシャを付け、紺色の丈の長いスカートに白いエプロンを掛けている。袖は長く、不必要に肌を露出させない地味な服。そこらのコスプレのような煌びやかさはないが、忙しく動き回るに当たって全くの無駄がない機能重視の作りをしているのが一目で分かる。
 まさにメイド。コスプレの類ではなく、本物のメイドさんである。
 しかし、太一にはメイドを見た所で喜ぶような趣味はない。むしろメイドの言葉に、

「ま、待って下さい。僕は、この『家事全般体験学習二泊三日募集中』って言う広告を見て来たんですよ! メイド修行に来た訳じゃありません!」
「はい? 何を言ってるんですか。この広告にだって書いてありますよ」
「え?」
「炙り出しですが」
「それ広告ですよね!?」
「では、まずは制服を支給します。更衣室まで連行……ご案内いたしますので、どうぞ」

 ガシッ
 “連行……”の時点で逃げだそうと、出入口に走ろうとした太一の両腕が掴まれた。慌てて左右を見ると、いつの間に近付いてきたのか、左右に別々のメイドが貼り付き、太一に腕を絡ませるようにして拘束している。
 太一が目を白黒させ、手足をジタバタさせていると、メイド長がニッコリと微笑みかけてきた。

「そんなに遠慮なさらずに。きっと気に入っていただけると思いますよ」
「やだ! これ以上変な属性に付き合いたくな〜い!!」

 太一の脳内では今までの経験によって培われた直感が「コスプレ警報発令!」などと警鐘を鳴らしていたのだが、太一は心中で「遅すぎますからぁ!!」と叫び返していた。



 抵抗も虚しく、あっさりと太一は連行された。
 (女子)更衣室に放り込まれた太一は、部屋で待ちかまえていた数人のメイドによってたちまちに衣服を剥ぎ取られた。いや、別に無理矢理破いて丸裸にしたわけではない。丁寧に上着とシャツを取られ、ズボンとパンツを抜き取られ、何故か髪を梳かされただけである。ただ、それほどの行程をほんの数秒のうちに行ったために、脱がされた太一が荒々しく感じただけである。
 太一がメイドに対して恐怖心すら抱き始めた時、遅れて入室してきたメイド長が、相変わらず微笑みながら手にした物を見せてきた。

「では、松本様にはこちらの服を着て貰います。サイズは連行の際に測っておいたので、問題ないはずです」

 やっぱり連行だったんだ……等と思いながら、太一は泣く泣くメイド服に目をやり、戦慄した。
漆黒のワンピース、フリルのエプロン。シルクの長手袋、ストッキング、そして最後にローヒールまで用意してある。

「ではっ」

 パチン!
 メイド長が指を鳴らすと、太一の服を剥いだメイド達が、今度は瞬時にメイド長の手から衣服を取り去り、太一に着せていく。
 全身を揉みくちゃにされる感覚に悲鳴を上げながら、太一は瞬く間にメイド服に着替えさせられていた。
 ……女性下着もしっかりと履いていた。

「はい。完了しましたが……どうかしましたか?」
「いえ。ちょっと人生について考え事を……」

 遠い目をした太一だったが、既にこの場からの撤退は諦めていた。と言うより、この格好では外にはとても出られない。衣服を剥ぎ取られた太一は、もはや覚悟を決めるしかなかった。

「はぁ……もう良いですよ。逃げませんから。その鎖と手錠は勘弁して下さい」
「あら、そうですか? わかりました。では、早速ですが、教練メニューの説明へと移らせていただきます」

 太一が大人しくなったからか、太一を着替えさせたメイド達が外へと出て行く。どうやら、太一の訓練はメイド長が直々に行ってくれるらしい。

「今日は、まず今晩の夕食に必要な食材に不足分が出たので、それを購入しに街にまで出向いて……」

 ドタバタゴスンベシッキャイン!
 外に出るのを拒む太一の抵抗は、再び踏み込んできたメイド集団によって、やはり無駄に終わったのだった……




 激闘の末に始まった家事修業だったが、初日から他人に思いっきり目撃されたことによって太一の羞恥心は八割ほどが麻痺し、以降は特に問題なく訓練が行われた。
 掃除、洗濯、調理、ベッドメイキング、主人の資産運用及び横領方や実弾を使った戦闘訓練、そのほかにとても言えないようなことを繰り返し、太一はやつれながらも、何とか一日一日をやり過ごした……
 そして三日目の朝……
 家事全般体験学習(の名を借りたメイド教練)に明け暮れた三日間が、ようやく終わりを告げようとしていた。

「松本様。本日を持って、教練は終了いたします。よくぞここまで耐えてくれましたね」

 窓拭きを行っていた太一に話しかけてくるメイド長。太一は手を止めて振り向き……

「ありがとうございます。全てはメイド長とご主人様の御陰です」

 ニコリと、太一は笑って応えていた。
 たったの三日……その短時間によって、既に太一の元の面影など微塵も残っていない。
 多少顔色が優れなかったり体あちこちに鞭で叩かれたり縄で縛られたかのような跡が残ったりしているが、太一は見事にメイド服を違和感なく着込み、メイド長と寸分違わぬ微笑みを浮かべていた。

「これなら、あなたが家に戻っても完璧なメイドとして生きることが出来るでしょう。あなたのご主人様もご満足してくれるでしょうね」
「ふふ。帰ったら、ご主人様に驚いて貰えるでしょうか?」
「それはもう」

 ふふふ、と笑い合う二人。
 どちらかと言うと太一はご主人様側の魔皇なのだが、そんなことは完全に忘却してしまっているようだった。もしかしたら、自分が逢魔の手伝いをするために家事修行に出向いてきたことすら忘れているのかも知れない。

「では、教練終了の正午までにこの階の窓拭きと床清掃、シーツの洗濯とベッドメイキング。それから昼食の準備をお願いします」
「はい。任せて下さいませ」

 正午まであと四時間……背中を見せて逃げ出してしまいそうな要求に笑顔で応え、太一はすぐに作業に取りかかった。もちろん全館の清掃作業などは一人で行っているわけではないが、最後の最後まで扱き使おうというメイド長の魂胆が見え見えである。
 ……しかし三日間の調教によって完全にメイド化していた太一に、そんなことを気にするような余裕は微塵も存在しなかった……

「では、始めましょうか♪」

 鼻歌交じりに清掃作業を再開する。
 ……教練内容自体は問題だっただろうが、太一が身に付けた手際には、確かにその効果が現れていた。
 窓は冊子の埃まで拭き取られ、ガラスはピカピカに磨き上げられていく。床は拭き掃除と掃き掃除、一部にはワックス掛けまで行い、完全な光沢を取り戻させる。

「ふぅ。さて、次は」

 あっと言う間に清掃作業を終えた太一は、休む間もなく次の作業へと移っていった。
 埃一つ残っていない廊下を見れば、彼(?)がつい三日前まで家事もろくに出来なかったなど、誰も信じはしないだろう。
 太一は担当の部屋からシーツを集めると、すぐに庭に降りて洗濯を開始した。この館には不思議と洗濯機の類が存在せず、なんと手揉み洗いのみである。木製のたらいの中に水を溜め、泡立てながらシーツを一枚一枚洗っていく。
 シャワシャワシャワシャワ…………
 凄まじい手捌きで現れていくシーツは、染み一つ残すことなく綺麗になり、竿に掛けられていく。常人ならば勢いに乗りすぎてシーツを破いてしまいそうな速さであるにもかかわらず、太一は見事な力加減でシーツを洗い、洗濯を済ませていった。
 ……たらいから溢れ出た泡が太一の姿を隠しそうになった頃、洗濯は終了した。竿に掛けられたシーツの枚数は実に十五枚。陽射しは強いが、乾くまでには正午を過ぎてしまうだろう。
 太一はベッドメイキングには替えのシーツを用意することを決め、すぐに準備を始めた。先日のうちに洗っておいたシーツを台車に乗せ、部屋のベッドへと掛けて行く。
 パンパンッ!
 皺一つないように綺麗に均し、左右にずれていないかどうかをチェックする。問題ないと判断すれば退室して次の部屋へ行き、ずれていれば、気の済むまで何度でもやり直した。
 ……ここに来るまでに僅か三時間。
 太一は自身の上達ぶりを喜ぶような素振りも見せず、最後に食堂へと降りていった。

「あ、来た来た」

 太一が食堂へと降りていくと、あちこちで昼食の準備を進めていたメイド達が一斉に振り向き、寄ってきた。

「松本さん。今日でお別れですって? もっとゆっくりしていけばいいのに」
「ですが、家でご主人様がお待ちですから」
「ご主人様?」
「はい。ご主人様です」

 ニッコリと笑いながら言う太一の言葉に首をかしげながら、メイドは「それだと執事じゃないの?」と呟いていた。
 太一の脳内に浮かび上がってきたのが従者である逢魔だと言うことには、誰一人気付かない。もっとも、そもそも男性である太一がメイド服を着ていることをまったく不審に思わないメイド達だ。気付かないのも無理はなかった。

「では、“わたくし”にも仕事を頂けるでしょうか?」
「え? あ、はい。えっとですね……」

 先輩メイドが指示を出し、厨房の仕事が太一にも割り当てられる。
 厨房の隅で黙々とジャガイモの皮むきを始める太一を見つめるメイド達は──

「今、一人称が変わってなかった?」
「変わってた。最初は“僕”だったし」
「格好に影響されて?」
「どちらかというとメイド長でしょ? ほら、夜な夜な地下室に連れて行かれてたし……」
「シッ! そんなことを厨房で話さないでよ。メイド長に聞かれたら“お仕置き”されちゃうじゃない」

 等と囁き合いながら、太一のことを生暖かい目で見守っていた…………





 そうして数時間後……
 館のメイド達に見送られ、太一は実に三日ぶりの帰宅を果たしていた。
扉の前で深呼吸をし、体に溜まっている緊張と期待をほぐす。

「よしっ! 今日から頑張りますよ!」

 両手を上げ、ガッツポーズで気合いを入れる太一。
言うまでもなく、頑張るのは家事だ。逢魔に任せっきりだったが、生まれ変わった太一ならば、今まで押しつけていた負担を一片に任されても問題はないだろう。それぐらいの技量は身に付けてきたのだ。
 ……が

「ご主人様、ただいま戻りました♪」

 扉を開けると共に声を張り上げ、家で帰りを待っていた逢魔に笑顔を向ける。





 …………その後、メイド姿の彼の姿を見た者は、居ない…………