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<東京怪談ノベル(シングル)>
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〜Maid in……The opening day〜
ドタバタと必死に暴れ、抗おうとした試みは完全に封殺された。
僕の来ていた私服は丁寧に(乱闘の中でも破れるようなことはなかった。むしろシワが伸ばされていた)折り畳まれ、メイド達の手の中に収まり、速やかに退室していった。後に残されたのは、一糸纏わぬ中年親父。そう考えるだけで泣きたくなってくる。
しかし身包みを破がされて終わりではない。これは、ただの着替えである。脱がされることにも抵抗らしい抵抗も出来なかったのだから、変わりにと用意されたメイド服(漆黒のワンピース、純白のエプロン、フリル付きのカチューシャ、シルクの長手袋、黒いパンティー、ストッキング、ローヒール)を着せられることにも、抵抗らしい抵抗が出来なかった。と言うより、この時には抵抗する気もあまり起きなかった。何しろ来ていた物を全て剥ぎ取られていたのだ。拒んで衣服のないまま放り出されるような危険性を考えれば、もはやコスプレだからとかそんな趣味はないとか、そう言うことを言っていられる状況ではなかった。
状況ではなかったのだけれども……
だからと言って、何でも許容出来るわけではないのである。
メイド服を着ての外出を拒んだ僕、松本 太一は、メイド集団に取り押さえられて鎖で縛られていた。
「まさか、第一ステップから逃走しようとするなんて……それでも一流のメイドを目指す身ですか? 情けない」
「ふがー!」
家事を習いに来ただけだと叫ぶが、猿ぐつわを噛まされているのでフガフガという声にしかならない。当然、そんな言葉が人に通じるわけもない。いや、もし分かっていたとしても黙殺されるのだろう。そんな冷たい空気が周囲に張りつめている。
床の上に転がされている僕を見下ろしているメイド長は、深々と溜息を吐きながら口を開いた。
「どうやら、根本的な心構えから教えてあげないといけないようですね。皆さんは通常業務に戻って下さい。新人教育は私が直々に行います」
そのメイド長の言葉に、僕を取り押さえていたメイド達がザワザワとざわめいた。が、すぐに収まる。メイド達は一瞬だけ互いに目配せして立ち上がると、これまた一瞬だけ僕に哀れみの視線を僕に向けてから退室していった。
……メイド長が、優しく微笑みを浮かべる。
「コホン……良いですか? あなたは御自身が男性であるためにメイドになると言うことに抵抗を感じているのでしょうが、それは無用です。メイドとは、主の生活の全てを陰からサポートし、誰から見ても誇り高いものにする仕事です。そこに性別の制限などなく、絶対的な主への忠誠があればそれでいいのです。そして我々メイドは、上に立つ方々には必要不可欠であり……」
メイド長が淡々と話し始める。心なしか嬉しそうに、現在の自分の立場がどれほど尊く、気高く、世に必要とされているかを説いている。
……が、僕にとってはあまり意味がないような気がする。だって主人がいないし。そもそも、男性の場合はメイドじゃなくて執事じゃないだろうか?
バシン!
考え事をしていた僕の尻を、メイド長が手にした鞭が叩いていた。
「無駄なことは考えなくても結構です。ご主人様やお客様がお話になっている時にも無駄なことを考えるつもりですか? いいえ、それは許されません。我々メイドが考えることと言えば、どうすればご主人様がより不自由ない暮らしが出来るかを思案するのみです。ご主人様の飲む紅茶の一滴にまで気を配り、シーツの染みは一つ残らず洗い流さ無ければならないのです。その為には気の遠くなるような訓練を積まなければならないのですが、あなたは三日でその課程の全てをクリアしなければなりません。それは大変困難な事ではありますが、あなたが真に主の事を思っているのならば、どれほど過酷な試練が待ちかまえていようと──」
「フガフガ」
バシン!
猿ぐつわを噛まされたままで尚も抵抗を試みた太一だったが、再び鞭によって黙らせられる。
「自身を“僕”などと呼ぶのは許しません! 自分を呼ぶときには“私”もしくは“わたくし”です。 相手が目上の方ならば恭しく、口調はどのような扱いを受けようとも穏やかに、丁寧にしなければならないのです。そこへ“僕”など……以ての外です! 良いですか? これまでのあなたが積んでいた人生は捨てるのです。そうでなければ、あなたはこの試練を乗り越えられないかも知れません。これからメイドとしての人生を歩むためには、あらゆる技術と作法を習い、日常のふとした仕草にまでメイドとしての……聞いていますか?」
どうやら猿ぐつわの拘束など、このメイド長にとっては大した障害にはならないらしい。しっかりとこちらの反抗的な意志は伝わっている。
「む〜」と唸っている僕を見下ろしながら、メイド長は深々と溜息を吐いた。
「はぁ……仕方ありません。こうしたことはあまり好ましくないのですが、時間もありません。こうしている間に十分もの時間が経ってしまいました。私のもっとも能力のない部下でも二部屋の掃除を済ませている頃です。夕食の準備もありますし、早々にこの場での教育を終えて作業に入らなければ……そうですね、では、講義の続きは買い物をしながらにしましょう。すぐに出ます。付いてきなさい」
「むむむ〜!」
思わず叫ぶが、メイド長はサッサと僕を置いて部屋の扉を開け、廊下に出て行ってしまう。僕の拘束を解かぬままに……
こうして、僕の最初の試練は、この縄抜けから始まったのだった……
どれだけ体を小さくした所で、自分の体を隠せるわけもない。
背中に刺さる視線を無視した所で、視界に入る好奇の視線は無視出来ない。
周囲のひそひそ話を聞きたくないと思っても、両手は買い物かごで塞がっているために聞こえてしまう。
拷問のような環境下に置かれていた僕は、館に戻った途端に体から力が抜けるのを感じて崩れ落ちそうになった。出来ることなら、このまま倒れ込んで眠り込んでしまいたい。
……けれど、メイド長がそんなことを許すような人じゃないのも分かっていた。
バシンと鞭が鳴る。幸い叩かれた訳ではなく、音を鳴らされただけだ。
だけど、体は反射的に敬礼するように背筋を真っ直ぐに伸ばし、毅然とした態度を取っていた。
「買い物一つで疲労するとは、何事ですか。常に観衆の目を気にし、耳をそばだてるようなことをするからです。まったく、堂々としていれば良いのです。私達は自らの務めを果たしているのみ。無関係な者達など捨て置きなさい」
こちらの心中を察しているのだろうに、背後を淡々と歩いて付いて来ていたメイド長は冷たい言葉で追い打ちを掛けてくる。
……何も、僕が限界ギリギリにまで追い詰められているのは、衆人観衆の真っ直中をメイド服で歩き回った事だけが原因ではない。一番の原因は、このメイド長である。メイド長は徹底的で容赦なく、ただ後ろから付いてくるだけでは満足せずに、買い物中でも僕の足の運びや物を手に取るときの動作を指摘し、矯正してきたのだ。口調も女性口調を徹底させられ、商店街で会計をしてきたおば様方の表情は、しばらく忘れられそうにない。
……しばらくは表立って買い物はしない方が良いかも知れない。
そんなことを考えていると、太一を追い越して調理場に向かおうとしていたメイド長が振り向き、目を細めた。
「また無駄なことを考えていますね?」
「い、いえ! 僕はそんなことは……」
「お黙りなさい! そんな虚言は通用しません。そして松本さん、私は言った筈です。自分のことは“私”か“わたくし”と言いなさい、と」
ジリジリと詰め寄ってくるメイド長。それに合わせて、ジリジリと後退する僕。
「どうやら、まだ調教……ではなく教育が足りないようですね。まさか最初に言ったことを、もう忘れているなどとは……」
「も、申し訳……」
「言い訳も謝罪も結構です。本来ならばすぐにでも地下し……教育室に送る所ではありますが、今は時間がありません。すぐに荷物を持って調理場で調理作業に入って貰います。あなた、調理の腕前は?」
「えっと、逢魔に任せっきりでして……ああ、逢魔が来るまではカップラーメンのお湯ごと麺を捨ててましたよ?」
「……よろしいです。分かりました。ふふ。つくづく教え甲斐がある方ですね。では、一から十まで、全てを教えてあげましょう」
一瞬、メイド長の目に、酷く残忍な色が灯ったような気がして、僕は背に寒気を感じ、身を竦ませた……
そして……
「そう、それで良いのです。ニンジンの皮は、ほんの少し、汚れている場所を取り除くだけで十分です。栄養は外側に多くありますから、強く擦って洗い流さないように丁寧に行って下さい」
「はい。分かりましたメイド長」
「しかしあまりにも遅すぎる。良いですか? ここは三流レストランのようにのらりくらりとしていて良い場所ではないのです」
数十分後、調理場に入った僕……わたくしは、メイド長の手ほどきの元、基本中の基本である野菜の皮むきを教わっていました。
たかが皮むき……そう思うかも知れません。まぁ、実際に小学校でも習うことですし、そう思われても仕方ないでしょう。しかし、それはあくまで数人規模での技術の話です。この館にもなると、主人とお客で数人。そしてそこに住み込みメイド数十人が加えられます。
当然、食材の量は一般家庭の数倍が用意されます。それでいて食事の時間は厳守させられますので、こうした皮むきなどの基本にして必要不可欠、何より最初に済ませなければならない作業は、丁寧さもさることながらその速度も要求されるのです。
メイド長が言っている丁寧は、わたくしから見れば超人のそれでした。
ニンジンを洗う手を休めないわたくしの隣で、メイド長はお手本としてジャガイモの皮むきをしている。……のですが、その速度はどう考えてもおかしいです。そもそもわたくしがニンジン三本を洗っている間にジャガイモ十個は恐ろしい。それでいて水道の水は決して周りに跳ねることなく、バシャバシャという水音もほとんど立たないのですから……本当に不思議です。残像が残るほどの速度で動く手は上手く視認出来ない。もしや、このメイド長は元忍者とか、そう言うオチなのでしょうか?
「手を止めないで下さい。制限時間はあと五分ですよ!」
「は、はい!」
怒鳴られ睨まれ、僕の体は即座に動き出す。とにかく、最初の仕事であるこれを(商店街での買い物は無かったことにした。思い出したくもなかった)早々に片付けてしまわないと、どうにもならない。それに、こんな困難な作業をずっと逢魔にやって貰っていたのかと思うと、精神的な疲れも多少は軽減出来た。
と……
バシン!
忙しなく手を動かし続けていた僕に、再び鞭が飛んできた。
「きゃいん!」
「子犬のような声を出すんじゃありません! まったく、気を抜きましたね。また“僕”と言ったでしょう!?」
「い、言ってないですよぉ!」
思っただけです。そう言おうとした口は、キッと睨まれることで閉ざされた。ついでに、数秒前まで心中でさえ女性の丁寧口調になっていたことに、ふと気付く。
……まずい。まだ初日、しかも実習が始まってから数時間しか経ってないというのに、既に精神的に汚染されてきている!?
「……戻れるのかなぁ、僕」
危機感から、思わず口をついて出てしまった。
「また!」
「ひぃ! 申し訳ありません女王様!!」
「誰がぁあああ!!」
グサッ!
物々しい刺突音と、瞬時に臨界点を超えたメイド長の怒りの声が調理場に響き渡る。
意識を失う直前、僕に皮むきのために用意されていた包丁を投げつけてきたメイド長と、その向こう側で「ぁ〜あ。禁句に触れちゃったよこの人」みたいな顔でこちらを見ているメイド達が見えていた……
目が覚めたときには、周囲は暗くなっていた。
肌に感じる空気は冷たく、つい先程、気を失うまでいた空間とは全く異質な場所へと代わっているのが良く分かる。
密着している固い石からは冷たい感触が伝わり、軽い湿気が肌に張り付いてジトジトとした不快感を与えてきた。
「……ここ、どこ?」
そんな場所の床に、ぼ……わたくしは転がされていました。それも、体を最初のように鎖と手錠で拘束された状態で……
訳が分からずに周りを見渡してみる。暗くても今まで目を閉じていた御陰か、すぐに目は闇に慣れて周囲の状況を教えてくる。
……わたくしは、自分が奇妙な形をしている木馬や鎖や鉄球などに囲まれていることを知り、思わず悲鳴を上げてしまいました。
「きゃぁぁぁあ!」
「あら、良い声ですね。寝ている間に、あなたにも女性の嗜みが身に付いたようで……ふふっ、この睡眠学習装置という物も、あながちデタラメ商品ではなかったようですね」
と、わたくしの背後から声が聞こえました。振り向くと、そこには仁王立ちしたメイド長がいて、その手には──
ビシィッ!
と見事な音の鳴る短い鞭が握られていました。確か、ロシア鞭とか言う、根本から何本にも分かれている物だ。どれほどの威力があるのかは分からないが、打ち付けられたであろう壁に、微妙に擦り傷を通り越してヒビが入っているのは、鞭その物ではなく使い手の技量だと信じたい。
メイド長は、手にした鞭を美味しそうに舐めながら目覚めたわたくしにゆっくりと近付いてきます。……目が完全に今まで見てきたメイド長とは別人に変わり果てていますが、本当に同一人物なのでしょうか!?
「うふふ。せっかくメイドとしての躾の効果が現れてきた所で申し訳ありませんが、ここで全てをやり直して貰います。あなたほどの問題児にもなると、もう、これぐらいしか手はありません。せめて目上の者への礼儀程度は知らなければ、とても他人様の前に出すことは出来ませんから」
「ひぃっ! お許しを女王様ぁ!」
「……大丈夫です。安心なさい。メイドなら、一度は通る道なのですから。ええそうです。今夜一晩、わたしの話を聞いていれば、明日の朝には見事なメイドになっているでしょうね……ふふふふふふふふふふふふふ」
極上の笑顔を浮かべながら迫るメイド長に、わたくしの背筋は完全に凍り付きました。何しろ、メイド長は完全に本気です。見ただけで分かります。背後からは黒いオーラが立ち上っていますし。
「では、調教を始めます。大丈夫です。既に心中でも自分を“わたくし”と言うことが出来るようになったのですから、今夜一杯で苦しみもなくなりますよ。むしろ快感になるぐらいに」
「ま、待って下さい! わたくしの逢魔……いえ、ご主人様はこれでもかというばかりのノーマルなお方で!」
「知ったことではありません。誰が女王様ですか!?」
「思いっきり公私混同じゃないですか!?」
その叫びが、恐らくはスタートの合図となったのだろう。
パシンパシンと連続して巻き起こる鞭の打撃音。そして地下室の分厚い扉でさえ突き抜ける悲鳴が夕日に照らされる館の中にまで響き渡っていたそうですが、わたくしがそれを知るのは、ご主人様の元に戻って“呪いのメイド館”なる噂話を聞いてからのことでした……
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