<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


〜Maid in ……The chaos days〜


 この季節にしては珍しく雲一つない空は、今日のやよいの心中を表しているかのように晴れ渡っている。
 やよいはそんな空を見上げながら、手にしていた純白のシーツを振ってシワを伸ばし、竿に一枚一枚丁寧に掛けていく。
 何しろ今日は、やよいのために家事を習いに行ってくれた魔皇、松本 太一が帰ってくる日なのだ。実に三日ぶりの再会、そしてこれからは、太一と二人での共同作業……

『太一様、こちらはどういたしましょうか?』
『ああ、やよい。それはこっちに持ってきてくれ』
『かしこまりました。……あつっ』
『やよい!?』
『大丈夫です。少し火傷をしただけで……』
『十分大事だよ。さぁ、指を見せて……ちゅぱ』
『嗚呼、太一様。そんな、汚いですわ』
『ふふっ、やよいに汚い場所なんてないさ。そう、例えこんな場所とかでもね』
『ああ! 太一様! そこはダメですわ!?』
『大丈夫だよやよい。優しくするから、力を抜いて』
『太一様、そんなご無体な!?』
『良いではないか良いではないか』
『あ〜れぇ〜!』

「なんて事にはなりませんね! 絶対にありませんあり得ません大体二人ともキャラが違うじゃないですかぁ!?」

 そんなことを叫びながら、やよいはベランダで手にしたシーツをバタバタと振り回してキャーキャーとはしゃいでいる。まるで思春期の女の子だ。まさに青春真っ盛り。しかし実年齢25にもなる女性がバタバタとシーツを振り回しながらはしゃいでいる姿は、ご近所様に可愛らしいと思わせると同時に微妙な哀切を抱かせた。
 やよいは肩を上下させながらも何とか心を落ち着かせ、最後のシーツを竿に掛けてベランダから室内へと入っていった。

(それにしても……三日で家事なんて身に付くんでしょうか?」

 そんなことを考えながら、掃除に取りかかった。
やよいがしている掃除、洗濯、炊事、どれもこれも極端に難しいわけではない。が、それは幼い頃から毎日のように行っていたからである。ろくに家事もしたことのない四十過ぎの男性が、たったの三日間で身に付けられるとは思えない。
 家事を日常として身に付けるためには、やはり毎日、自宅でやよいが太一に教えるしかないだろう。そうなればきっと……

『やよい。これはどうすれば良いんですか?』
『ああ、それはこっちに持ってきて下さい』
『分かりました。では……痛っ!』
『どうしました!?』
『大丈夫だよ。ちょっと囓られただけだから……』
『大丈夫じゃないですよ。えっと、絆創膏はきらしていたから……失礼します。はむっ』
『あっ!?』
『はむ、あむ……』
『う……くぅっ』
『はい、消毒は完了です。あとで絆創膏を買って……』
『はぁはぁはぁ……』
『太一様……気持ちよかったですか?』
『えっ!? そ、そんなことは……! あぅっ』
『はむはむ。……ふふ、隠さなくても良いんですよ。さぁ、このまま快楽の園へ……』

「さらにあり得ませんよ! 太一様はともかく私のキャラが変わりすぎです!」

 脳内で自動再生されてきた妄想を掃除機で吸い取り、やよいは妄想から復帰した。普段はこんな事はないのだが、太一の居ない生活が続いたせいか、どうやら色々と溜まっていたらしい。逢魔としての禁断症状か。普段の彼女を見ている者が見れば、生暖かい目で見守ってくれることだろう。
 そうしてやよいが悶々としながら掃除を済ませ、これから太一のための夕食の買い出しへと出向こうかと思い始めたとき、玄関の方から呼び鈴が鳴り響いた。
 小さく一回。完全に音が途絶えてから、もう一度鳴り響く。

「あ、はーい! ただいま!」

 やよいは慌てて走りより、玄関の戸を開けた。
 ……この時、やよいは扉の覗き穴から、外の様子を見るようなことをしなかった。太一とやよいが住んでいる場所は治安が行き届いていたし、魔皇やグレゴールの住む家は、ある程度住み分けられている。あえて魔皇の家に強盗に来るような物好きは居ないだろう。そう言う先入観が、やよいに警戒心を抱かせなかった。
 ……よって、やよいは、無防備に外へ出た。扉の外に、一体誰が居るのかを想定するようなこともなく……

「ご主人様、ただいま戻りました♪」

 笑顔で立つ、メイド姿の主人の姿を目に焼き付けた。

「…………」

 バタン
 とりあえず扉を閉め、鍵を掛ける。目も閉じて黙考する。
 Q1,目の前には誰が居た?
 A,松本 太一様
Q2,どんな格好をしていた?
A,メイド服
Q3,どこからどう見ても?
 A,メイドその物

「どうして閉めるのですかご主人様。松本 太一、ただいま戻りましたわ」
「なんで入ってきてるんですか!?」

 いつの間にか家の中に入り込んできている太一に向かって、やよいは柄にもなく声を上げていた。そして太一の格好を見て、再び目を見張る。
 太一が来ているメイド服は、漆黒のワンピース、純白のエプロン、フリル付きのカチューシャ、シルクの長手袋、黒いストッキング、ローヒールと言う徹底的な出で立ちだった。やよいもゴスロリ風の衣服を私服として着飾っているが、太一の格好はそれに負けず劣らず……いや、やよいよりも若干手が込んでいる一品だ。客観的に見ると似合ってはいないが、太一の体から発するメイドオーラはその感想を押し止め、決して口には出させなかった。
 やよいはニコニコと笑顔で待機する太一を観察し、恐る恐る声を掛けた。

「あの……太一様ですよね?」
「はい。わたくしは松本 太一。やよい様にお仕えするメイドでございます」
「はぅ。そんな純粋な目で言われると否定出来ないじゃないですかぁ……一体何があったんですか?」

 太一が向かった三日間の家事修行。やよいはその詳細は知らない。実際に向かった太一でさえ現地に着くまでどんなものなのかを知らなかったのだから、広告を見てもいないやよいが知らないのも無理はない。が、まさかメイドとして帰ってくるなど、予想のしようもない。完全な想定外だ。
 とりあえずこの三日間、一体太一に何があったのかを訊いてみるやよいだったが、忠実なメイドへと変貌した太一は押し黙り、口をつぐんで額や頬に汗を浮かべ、ついには全身を細かく震わせ始めた。若干だったが顔に青みが差し始め、笑顔が引き攣っている。
 太一はブルブルと震えながら、機械的な声で返事をした。

「ゴシンパイイリマセンゴシュジンサマ。ワタクシハミッカカンカジシュギョウヲシテキタダケデゴザイマス」
「なんてあからさまな嘘を……うう、これって、専門の精神科医の方にでも見て貰った方が良いんでしょうか?」

 やよいは目尻に浮かんできた涙を振り払いながら、変貌した太一をどうするかを考え始めた。メイドとして扱き使うとしても、本来は従者であるやよいには抵抗があった。何しろ魔皇と逢魔というのは、先天的に主と従者の関係が決まっている。これは覆しようのない、本能に近いものだ。まぁ、これに逆らっているような逢魔もチラホラと見るのだが、太一に忠誠を誓っているやよいにとって、このままの状況は好ましくない。
 しかし、このような状況はそうそうない。この機会を逃したら、もう二度と、メイド服の太一を従わせるようなことは出来ないだろう。
 そう考えてしまうと……

「…………ゴクッ」
「? どうかなさいましたか? ご主人様」

 ツバを飲み込んで凝視してくるやよいに危機感を抱くこともなく、太一は首をかしげている。その様子には邪気の欠片もない。自分の主を信じきっている、まさに従順にして純情なメイドであった。
 やよいの耳元で天使と悪魔が囁いた。

『やっちゃえやっちゃえ! 今なら何しても分からないよ!』
『そんな、ダメよ! だって太一様なのよ!』
『今はやよいがご主人なのよ! それに、こういう洗脳は解いたらそれまでの記憶がなくなってるのがお約束でしょ?』
『そっか! それもそうね!』

 やよいの天使は、恐ろしく弱かった。



 ……そうして、太一が帰ってから一週間もの時間が経過した。いかに深い洗脳を受けようと、しかるべき治療を受ければ治療することも出来る時間である。幸いにも、太一のメイド人格は短期間で仕上げた即興物なため、その仮面を外すことも、そう難易度は高くない。それこそ植え付けられた人格に反する行動を取らせていれば、時間経過で戻ることもある程に。
しかし太一は、今でもやよいのメイドをやっている。

「ご主人様、これでよろしいでしょうか?」
「良いです。良いですよ。ああもう、可愛すぎです♪」

 パシャパシャ!
 女性らしく飾られたやよいの部屋に、カメラのフラッシュが煌めいている。
カメラを手にしたやよいは、カメラマンよろしくあらゆる角度からシャッターを切り、太一を撮影していった。微妙に紅潮した頬は愉悦に歪み、変質者とまでは言いたくないが、どう見ても危ないオーラを発している。
 そして太一は、現在はメイド服ではなく赤いチャイナ服を着てポーズをとっていた。何故かネコミミと尻尾を装着し、スリットはパンティ(まだ男性物は履かせていない)が見えるか見えないかのギリギリのラインにまで達している。
 この一週間、やよいは荷物に仕舞い込んでいたカメラを持ち出し、考え得る限りのシチュエーションの撮影会を開いていた。最初は太一が来ていたメイド服、次にはサイズを合わせたやよいの服。そして今では、外からレンタルしてきたコスプレ服である。普段ならば全力で抵抗する筈の太一も、従順なメイドとなった今では一切の拒否をすることがなかった。
 太一が嫌がらないためか、やよいが撮り溜めした写真はアルバム三冊分にまで達している。

(嗚呼、太一様ごめんなさい。この償いはいつかたぶんきっとしますから、今だけは、今だけは許して下さい)

 心中のみで謝罪しながら、やよいは太一のメイド週間を締めくくる最後の写真をカメラに納めた。
 この一週間、やよいもずっと撮影会ばかりを開いていたわけではない。家事全般をそつなくこなしていく太一を見ながら、隠し撮りをしたりスカートを捲ってみたり着せ替えてみたり抱きついてみたり脱がせてみたりお風呂に連れ込んだり抱き枕にして眠ってみたりと、やよいの良心が許す限り考え得る様々なイベントをこなしていた。
 しかしどんなことでも、盛り上がるのは最初のうちだけだ。あとになるに連れてだんだんとテンションは下がり、最終的には終了する。
 やよいもこの一週間でネタが尽きてきたのもあり、無事に正気へと帰ってきたのだった。

「さて……どうやって元に戻したら良いんでしょうか」

 肝心の方法を考える。
 本当はしかるべき施設に行くか、怪しげな催眠術師にでも診て貰うかしたいところだが、元に戻ってから妙な噂が立つことだけは避けたいため、出来れば外にまで連れ回したくはない。この一週間も、太一が外に出ないように気を配ることに苦労した。
 ……まるで誘拐犯のような心境だったが、それはそれで楽しかったので、やよいは努めて気にしないようにしていた。

「ご主人様?」
「……太一様。仮にですけど、目の前に洗脳を受けて正気を失った方がいるとします。どうやったら元に戻ると思いますか?」
「……」

 問われた太一は、目を伏せて熟考した。真剣に考えているらしく、十数秒ほどの沈黙の後、太一は頷いてから返答する。

「そうですね。まず隙をついて後頭部をバットで殴打。倒れているうちに縛り上げて両手足を拘束。それからゆっくりと催眠術をかけるなり痛めつけるなりしますね」

 これから自分が辿ることになる道程をスラスラと説明していく太一。医者に連れて行くなどと言う常識的な回答がまったく見られないのは、彼を調教したメイド長の趣味なのだが、それは誰も知り得ないことである。
やよいは僅かに罪悪感を感じながら「うんうん」と頷いた。

「太一様、この家にバットってありましたっけ?」
「ありませんよ。誰も野球なんてしませんし」
「う〜ん、そうですかぁ……」
「でも、実際には相手の後頭部を一撃で砕……気絶させてしまえば良いのですから。バットにこだわる必要はないかと思われま」

 ガンッ!
 太一が吹き飛び、盛大に壁に叩きつけられた。
 やよいは、無防備に説明する太一の目の前で回し蹴りを放ち、その側頭部を吹っ飛ばしていた。三日間の合宿にて“ご主人様からの体罰は甘んじて受け入れること♪”と教え込まれた太一は、その蹴りを躱すようなことはせずに受け入れていた。実に見事なメイド根性。ここまで来ると異常である(元より正常でもないのだが)。

「申し訳ありません太一様。すぐに、正常に戻して差し上げますので……えっと……両手足を拘束してから、催眠術をかけて……痛めつけるんでしたっけ?」

 やよいは首をかしげながら思い起こし、これまでの撮影で用意していた鎖を手に取った……




 その二日後……
 松本家では、十日以上も見ることが出来なかった日常が流れていた。

「痛たたた……ああ、やよいさん。掃除なら僕がやりますから……」
「いえいえ。太一様は、そこで洗濯物をお願いします。ぁ、出来ればその買い物袋の中身も、仕舞っておいて貰えますか?」

 やよいに言われ、太一は取り込まれた洗濯物に手を伸ばし、畳み始める。
 やよいの治療(?)によってようやく元通りに戻った太一は、やよいの予想通りにメイドとして過ごしていた一週間と、合宿での出来事を忘却していた。合宿の前半は覚えているらしいのだが、食事の準備をしている所で記憶が途切れるらしい。目を覚ました太一はどうして家に戻っているのかを訝しんでいたが、やよいは“夢ですよ! 夢!”と強引に誤魔化し、無理矢理太一を納得させていた。
 ……ちなみに、太一が痛がっているのは“詳細不明の事故”で負った傷である。
 太一の記憶は合宿時からこの家に突然飛んでいるわけなのだが、目覚めた太一の体は包帯で巻かれ、微妙に艶のいい顔をしているやよいによって看病されていた。
生命に関わるほどの傷ではないために大事には至っていない。本来ならば重傷を負えば自動的に人化が解除されて不死性を得られるのだが、ルチル圏内にいる限りはその恩恵もない。太一は放っておいても治るのだからと、ルチル外にまで治療に行かず、自宅で家事をしながら過ごすことにした。
 そして、現在の状況である。
 幸いにも、メイドとしての記憶をほとんど失っている太一だったが、体得した技術はまだ生きていた。頭では分かっていないのだろうが、文字通り“体で覚えた”技術はしっかりと記憶しており、今まで出来なかったことをしっかりと実践出来ている。
 そんな不可思議な現象に、太一は首を傾げるばかりである。
 洗濯物を畳み終えて、太一は一息ついた。

「不思議な物だね……思い出したくないほどに厳しい修行だったのかな。と、そう言えば買い物袋!」

 太一は溜息を吐きながら立ち上がり、慌ててやよいが持って帰ってきた買い物袋に手をかけた。

「あれ?」

 と、その買い物袋の中から、食料品に紛れてチケット入れのような封筒を発見する。普段から写真を撮るようなことのない太一には分からなかったが、それは現像された写真が納められた封筒だった。やよいが買い物帰りに、現像屋から引き取ってきた物である。
 やよいに声をかけて何なのかを訊こうとした太一だったが、やよいはちょうど重そうな洗濯物の入ったカゴを抱きかかえた所だったため、声をかけるのをやめて封筒を観察する。

「メロメロカメラ……変な名前だけど、カメラ屋さんだよね? 写真かぁ。いつ撮ったんだろ」

 封筒に書かれたカメラ屋の名前からようやくどういった物なのかを察した太一は、自分が合宿に行っている間に旅行にでも行ったのかと封筒の口を開き、中身を取り出した。
 ……この後、太一は三日ほど自分探しの旅に出るのだが……
 それは、別の話である…………