<東京怪談ノベル(シングル)>


巫女の旋律

●引き金は無機質な呼び鈴で
 トゥルルルル…トゥルルルル…
居間の置き電話が家人を呼んでいる。
携帯電話が普及し、親しい間柄においては其方の利用が多くなっているであろう近年。こうした常設タイプの電話が鳴るのは、地域コミュニティにおける連絡網やセールス等だと相場が決まっているといっても過言ではなかろう。
そのため、松本・太一もはじめ、居留守を決め込んでいた。繰り返される呼び出し音に、少し苛立つ。留守番用の自動音声の設定をしておくべきだったかもしれない。
しかし、もし緊急の用事だったら? 相手はこちらが出ると信じて、我慢強く待っているのだとしたら?
自分が後悔しそうな可能性を見出してしまうと、いてもたっても居られなくなる。考える間にも音は続いている。
そうだ、10回。今8回…つまりあと2回続いたら、出てみよう。
 トゥルルルル…トゥルルルル…
意を決して松本は受話器を取った。
 ガチャッ
「もしもし、こちら松本で…」
すけれども、どちら様で、ご用件は何でしょうか? というお決まりの言葉は最後まで言えなかった。
「ちょっとぉ、居るなら早く出てちょうだいよ。折角仕事の話をしようって言うのに」
「…手が離せなかったもので、すみません」
咄嗟に謝ってしまうのは、居留守をしていた自分に非があると感じるからだ。
「単刀直入に言うわ、また巫女やらないかしらぁ?」
『巫女』…その言葉の意味は頭よりも先に本能が悟る。
同時に二度のアルバイトの記憶が鮮明に、松本の脳裏に蘇るのだった。

●白羽の矢は無遠慮に
「要は巫女舞の奉納を、一般公開するってわけなのよぉ」
電話のあった翌日、松本は神社の事務所で、巫女総元締め…つまり今回松本を呼び出した張本人だ…に仕事の説明をうけていた。
年々増え続ける参拝客にアルバイト巫女の補充で対応していたところ、その風変わりな巫女が噂を呼び知名度がうなぎのぼりとなったとか。
今まで年始ほど大掛かりになっていなかった定例の祭事等も、規模を大きくすることにしたらしい。
「はぁ…そこでどうして僕なんですか? どうも、他に声をかけていないようですけど」
薄々、いや総元締めの楽しみをきらめかせた視線や、笑みに形作られている口元を見る限り、理由は聞かずとも分かりそうなことではあるけれど。
「僕よりも見栄えも舞の資質も、多く備えた女性ならたくさん居ますよね。アルバイト巫女なんかに、そんな大事な仕事を任せてもいいんですか?」
いくら総元締めでも、自分の趣味や嗜好だけで自分を呼び出すわけもなかろう、というのが本音だ。
「男性の女装、つまり擬似的に両性具有になる状態こそが大事なのよぉ。中性的である事でより煩悩や欲といった世間のしがらみからかけ離れた存在であると示し、より神聖な存在であるとする。そんな存在が舞を奉納することを神事とするってのは、結構よくあることよぉ」
「はぁ…つまり、女装であることが一番の理由なんですね」
そう、分かってるじゃなぁい、と満面の笑みで頷く総元締め。
「あたしが知る中でも、一番巫女としての女装が似合っていたのは貴方だし、何より今年の仕事ぶりはものすごく評判良かったのよぉ、内外どちらも♪」
彼女が続ける頃には、松本の意識は別のところにあった。
(僕の手の届かないところまで、あの姿は知られているんですね…)
「練習期間も勤務扱いでお給金出すし、仕事が仕事だから技術手当てとして割り増ししするわ、だからお願いできるかしらぁ?」
その言葉に、生活費を日々悩みの種としている松本の羞恥心はあっさりと、白旗を掲げることとなったのだった。

●経営者の正しい時間の使い方
(技術職、というには随分と大層なこだわりようですね)
話を引き受けた翌日から、練習のためとして、松本は神社に再び通うようになった。
練習とはいえ常に体を動かすわけではなく、座学もその課程に含まれていた。今日はそのうちの一部、「巫女の心構え」と「八百万における基礎の所作」と題された科目だ。
勿論講師は総元締め一人で全てを担当している。常にマンツーマンで事務所の二階に詰める形だ。
一度、気になって聞いてみたのだが。
「僕の準備に時間を割いてくれるのはいいんですけど、巫女本来の仕事の方は大丈夫なんですか?」
「大丈夫よぉ、年末年始ほど忙しいわけじゃないし、みんなそれくらいで助けを求めるほど巫女暦浅くもないわ」
確かに、ここ最近は平時でも参拝客は多いのだけどねぇ。
「特訓後半は、祭事前もあって人が多いのよねぇ…その時は、業務のほうに戻るわよ♪」
「え、それじゃ巫女舞の特訓は…?」
戻るわよ♪ そう言った際の表情が、自然すぎて逆に不自然に思うくらい、正面から松本を眺めるようで。口元のゆがみは…笑み?
「勿論、貴方も一緒によ♪ 所作の復習と、舞の簡易リハーサルを兼ねて、人目がある中での練習で仕上げにかかるのよ♪」
つられて正面から総元締めの顔を見た松本、その瞳の輝く意味を察したのかどうか。
(巫女と技術職…そして広告塔のお手当てもついたりは…そうじゃなく僕は、いえあたしはこれからどうなるの…?)
もう例祭は数日後に控えている、松本はこれから展開される強化特訓の日を思い、基礎からとはいえ今でも節々が痛む己の体を何とはなしにかき抱いた。

●計画された終着点へ
その衣装は過去二年分ほどある記憶の中でも、荘厳で美麗で、しかし本来の自分の感覚からすれば随分と恥ずかしい代物だ。
と、巫女舞のお披露目をする前、衣装を見に漬ける前の松本は思っていた。
まずはじめに身につけたのは女性用の下着であった。本来であれば巫女には必要の無いものであるはずで、サラシで代用されるはずのそれが、渡された衣装の中に当たり前のように含められていた。
絹でできているらしい繊細なそれは体の前で留め、調節する形式で、松本には難なくそれを身につけることができた。調節し、ささやかなふくらみの演出をする。
先に長足袋を履く。後で履くとそれだけ袴に余分な折り目がつくと考えたからだ。そこから襦袢、白衣、袴と順に着付けたところで、いつもどおりの巫女姿になった。
後は舞のための特別衣装である千早と髪飾り、そして玉串だ。髪飾りには、もともとが短い松本の髪型を補うかのように領巾が結いつけられていた、絹の白だった。
(これで、あたしは巫女舞を舞う…)
思考さえもが「巫女」となり、完成された舞者としての松本がそこにいた。
そして、仕上げの時間。
事前のアナウンスや掲示の効果か、舞台の周辺には人だかりができていた。
人目につかぬよう、舞台袖から観衆を見渡す。ここ数日の実地による特訓で、見知った者も数名見かけたような気がした。どうやら自分を表に出すことによる宣伝効果は、総元締めの目論見どおり成功だったようだ。
定時になっても舞台に現れない舞者に、観衆が疑問の声を上げ始めている。だがこれは意図的で計画されていたもの。観衆の疑問にアナウンスでさえも何も答えない。
いぶかしむ声やひそひそと互いを伺う声に変わり、最後にはそれさえもなくなり、舞台を見る事しかできないと観衆が諦めはじめた。
その瞬間。
 タン…ッ
高い跳躍。突如現れた演者に声なき驚きが上がる。
領巾が流れにのり閃き、動作に余韻を与える。
舞台は静かに、音は松本自らが織り成す動きにのみあわさり。
静けさの中、一人舞は幕を開けた。