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<東京怪談ノベル(シングル)>
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幸せ探し
幸せなんてものは何時も身近にあるもので、遠く遠く手を伸ばすよりも、立ち止まって少し辺りを見回すべきだ。そんな童話、子供達への教育道具であり、大人達への真理か慰め。四十歳になって、中年と呼ばれようとも、例外なく適応される。
幸せなんてもんは強引に解釈すりゃあ、そう、《思ったもん勝ち》だ。
……だがそうやって割り切るには、四十歳の年月が、松本太一を成長させている。しなやかさは失われて、確固とした物が構築されている彼にとって、これからの事は、こうでも思わなければやっていられない。
――最先端の仕事
いいや、何度も同じ憂き目に会ってるんだけど別件として扱いたい。同じ事? 頑なにそれを認めたくなく、比べる為に過去を参照する行為さえ、彼の中ではタブーになっている、
今から彼がやろうとしているバイトは、そういう物である。
◇◆◇
連休前に財布の中身が薄くなった、生活する分にはなんとかだが、多少は逢魔と遊びたい。優しい彼女なら一緒に居るだけでと言ってくれるだろうが、そういう相手だからこそ報いたくもあるのだし。
だから、多少の恥辱と苦痛も耐えられると、他言無用の契約条件をしかと確認し、バイトに望んだ。
全裸にされた。
細身の肉体が完全に晒される場所は、真っ白いタイルが全面に張られ、大きな姿見が配置された部屋。四方には音もなく、自分を撮影するビデオカメラ。
その手の嗜好を持つ者への特殊な作品撮影をしてるのか、なんてふしだらな。
違う、違う、そうじゃない、そんな仕事じゃない、と必死に弁解するだろう。太一は。もしそんな物が世界に出てしまったら、人生と一緒に己の精神は崩壊する。死ぬ。
部屋の中に、白衣を来た女性が入ってきた。股間を隠して彼はひるむ。返した掌に置くよう、何かを持っている。容器だ、近づいてくる、太一に差し出す、丸い容器に入ってたのは透明な薬剤。
失礼しますと言って、惑う太一にそれを塗りつけ始めた。
冷たく、ぬるりとした感触に変な声が漏れそうになるのを、太一は必死で抑え付けた。羞恥心は全身いっぱいに広がって、彼女の手が局部へ事務的に滑り込みそうになるとそこで決壊し、自分でやります、と薬を奪って、……うつむき、溜息を吐いて、自分をひたすら呪いながら、惨めな気分で完了した。
何をしてるんだろう、と自問するも、
ひん剥かれた裸に薬剤を塗りたくったと、自答したくはない。溜息ばかりが零れる。
……勿論、この先についての事も。ああ、用意される、
それを見るだけで、吐き気すら覚えた。
――ではこれを
それは、
、
服。
青い鳥。
雌。
四十歳中年の、太一が着なければいけないコスチューム。
◇◆◇
何度《女装》なんて目にあってきたか。細身だし、顔もそれなりだから、気持ち悪い事にはならない。寧ろ妖しい魅力をかもし出しさえする。
けれど心の中での拒否感は大抵凄まじい、入り口を越えて中に入れば、その場の雰囲気やもっといえば洗脳で緩和されなくもないが、退場してからの後悔は津波のように身体でのた打ち回る。
だけど、打ち消せねばならぬのだ、金の為、お金なんかの為に、愛すべき彼女と遊ぶ為にこの身を犠牲にして。
眩暈を覚える事が幸いする、はっきりとした意識でやりたくはない、
どうにか勢いを作り、裸の太一は、部屋の中心に置かれたスーツを、踏む。……本来首周りになる部分がやたら広い、この侭襟首を掴んで上に引き上げて、太一はすっぽり、服に包まれた。
そうしてから腕を、羽になってる部分へ通したのだが、……やたらとだぶついている。
相撲取りが着てちょうどいいくらいじゃないか? そう、青くたるんだ鳥の服を、自分で見下ろしながら思っていたが、
やにわ、服が収縮した。
目に驚愕が浮かび、喉がその感情で震えようとしたが、
それを許さぬように肺を、全身がきゅうっと締め上げられる。苦、しい、息が、し難い。ゆが、む、
全身タイツ、露出しているのは顔だけになった。いつの間にか頭にもすっぽり、やけに精巧に作られた鳥の頭が乗っていたが、鏡に映してそれを見る余裕は太一には無かった。締め付けが酷い、まるで子供が、ゴムのボールを無理矢理圧迫してる感触。
型、だ。
細い身体を、より細く、いや、より雌の鳥らしく、整えようとしてるのだ。
苦しい、苦しい、だらしなく口が開放されている、けど声が出せない、肌が突っ張る、骨がきしむ、内臓が圧縮される、人間の姿がとけて、悪皇になりそうな激痛。精神すら捻じ曲がっていく、ぎゃあ、と、助けて、と、間抜けに叫びたいのに、叫べない、
無意識のカメラは、意識ある者の道具であるからには、届いているのだろうが、
最先端の仕事の従事者は、彼の透明な阿鼻叫喚に構わず記録をとっていき、
ひぃひぃと鳴くよう汗をかき、いぎあおがあと叫ぶよう涙を流すその様も、ただ、データーとして処理していって、
彼の感情に構う事はなく、
依頼者の仕事は続き、そして、
太一の仕事もひたすらに続いた。
◇◆◇
意識は途切れなかった。けど目の前は、頭に血が回らないせいかぼうっと霞んでいた。
ようやく収縮は治まって、倒れたい、
、
倒れられない。
身体は、まだ、節々が痛い、疲労も相当だ、なのに、なのに、倒れられない、
何故――
鏡には青い鳥が居た。
下品にでかい胸を下げて、
地面に擦れる程長い羽を下げて、
床を、がしりと、
飛びたてぬよう掴む、鳥の足を下げて。
無言、
沈黙、
呆然、
……ああ、動こうとする、
動けない。
全身のシルエットは、豊満な女性のを形作るよう締め上げられていて、その所為、歩くためにはまず不可欠な上下へのシフトウェイトが許されなく、翼も広げるには大げさすぎてただの重しでしかなく、
それに、足、
切り株の根元のよう、地面に張った、足。
動けない。
動けたとしても、僅かだ。ようやっと1ミリ動いて痛い痛い痛い痛い痛い。
……動けない。
太一は何も出来なかった。声も、相変わらず出せなかった。
ただ、聞こえる、
無機質なカメラが動く音、自分が撮影される音、見られている、きっと、多くに、その視線、そして、
何よりも自分の視線、鏡に映った自分を見つめる自分の視線。
真っ赤な顔で、背けたくても首も動かせなくて、涙ぐんで、涙払いたくても翼ではそれも叶わなくて、
……ああ、まるで人形、まるで彫刻、なのに、
感情が人間みたいに存在するせいで、笑いも怒りも悲しみもぶち殺す程の恥ずかしさに、太一は焼かれた。
死にたい、死にたい、死にたい、
恥ずかしい。
◇◆◇
青い鳥はすぐ近くに居て、
それはもしかしたら、
他ならぬ自分自身かもしれなく、
、
脱ぐ事が想定されなかったその服は、彼を長い間その侭にさせた。
自分の姿を忘れてしまいそうなくらい、長く、長く、
檻の中、鳴く事も動く事も叶わない、青い鳥。
ねぇ、幸せは、
何処にありますか?
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