<東京怪談ノベル(シングル)>


〜嘘か誠か‥‥‥‥〜

ライター:メビオス零





 ‥‥‥‥ある、平凡な日曜日‥‥‥‥
 あらゆる人間達の集う街、ビルシャス。の、商店街にて‥‥‥‥



 薄い緑色に染まった視界は、何十人もの人間達を捉えていた。
 まるで狙撃銃のスコープのように、視界の中心を捉えている照準。それが上下左右に揺れ動き、忙しなく一人一人の挙動を確認していく。
‥‥懸命に声を張り上げ、客を集めようとしている肉屋の店員。玩具屋の前で駄々をこねている子供。洋服屋のバーゲンセールに殺到する主婦達。それを憮然とした顔で見つめている呉服屋の主。魚屋に突貫する猫の大群。食い逃げを敢行する男を足蹴にして吊し上げる店主。包丁を持って銀行に突撃し、銃で脅されて逃げていく強盗‥‥‥‥
何メートルもの距離を置いて監視を続けること早一週間、もはや見慣れた場面ばかりだった。

(おらぬか‥‥くっ、やはりあの時、上に相談などせずに確保するべきであったか‥‥‥‥)

 望遠電子スコープで監視を続けていた一人の男が、唇を噛みながら苛立たしげに腕を組む。そうした所で何が変わるわけでもないが、一週間もの間無駄骨を折っているのだから苛立っても仕方がない。そもそもこの商店街で、目当ての人間を見かけた時、その人間は食料品を買い入れていた。ならば、この商店街で張っていれば、いずれは補給に現れる‥‥そう踏んでいたのだ。
 しかし現れない。自身の予想が外れていたことに不満は募り、ギラギラと目は血走って視界に入る人間全てをくまなくチェックしてしまう。

(む、あの者はシャツがヨレヨレではないか。後で着たままアイロンを掛けてやろう。む? あの男は髪に寝癖が付いているな。部下をやってアフロにしてやろう。な!? 白昼堂々と女子と手を繋ぐとは! 貴様の命は今夜まで‥‥‥‥む?)

 見る者見る者を忙しなくチェックして難癖を付けていた男の目が、一カ所に止まる。視界に収まる範囲全てに及んでいたスキャン・アイはより詳細な情報を求めてロックオンした相手を追い続け、やがて自分の足下の下で停止した。

「ふ‥‥ふははははははははは!! とうとう見つけたぞぉ!!」

 目的としていた者がここにいた。
 千年に一人の逸材として目を付けていた男が、ようやく現れた。
 一週間もの間風雨に打たれ続けて至ろうがようやく報われる時が来たのである。
 男は猛り、吼え、そしてその場から大きく跳躍した。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥

 時が遡ること約五分‥‥‥
 商店街をフラフラになりながら歩いていた松本 太一は、やっとの事で目的の店に到着したことで安堵し、グーグーと鳴りやまない腹部を撫でさすった。
 既にこの三日間、太一は水だけで過ごしていた。
 通常、太一はここまで飢えるような生活など送っていない。定職は持っているし、ギャンブルにも手を出していない。借金の類もしたことがないし、女にも溺れては‥‥イヤ、これはある気がする。逢魔だけど。いろんな意味で囚われている気がする。
‥‥まぁ、そもそも不死性を持つ魔皇は空腹など覚えない筈なのだが、このビルシャスの中で職を持って生きる限りは、そうおいそれと外に出てもいられない。ただでさえ近所では「メイド」だの「奴隷」等と言った身に覚えのない噂を立てられて肩身の狭い思いをしているのだ。仕事だけはキッチリと済ませておきたいのが社会人と言うものなのである。
 ‥‥しかし腹が減っては戦は出来ぬ。逢魔にだけはこんな思いはさせられないと自分の悔い分を削っていたのだが、もはや限界だ。街の外に出て人家を解けば、この空腹感からも一時的に逃れることも出来るのだが、何かしら物を口にしなければ精神的に参ってしまう。これは元人間の性なのだろう。本能的な物なのだ。
 太一は店の横に立てかけられた看板‥‥‥『タイムサービスは三時から!』と書かれた立て看板を確認すると、静かにポケットから財布を取り出した。
 残金、285円。
 逆さに振る。塵一つ出てこない。
‥‥否、出てきた。身に覚えのないメイド服やらチャイナ服やら割烹着やら着物やら全身タイツやらペット調教用品やらカメラやらの様々なレシートや領収書の数々。バラバラバラバラと何故にここまで大量に入っているのかと思えるほどの用紙が、大量に地面にばらまかれる。

「‥‥‥‥」
「あ、すいません」

 ギラリと目を光らせる清掃業者のお婆様(満70歳)に頭を下げ、太一は自分の生活を圧迫している元凶を急いで拾い集める。

(‥‥何でこんな事になったんだろうなぁ‥‥)

 太一は知らず知らずの間に貧乏生活に追いやられている事に溜息を吐き、恨めしそうに数々の領収書を握りしめた。
 この領収書は、太一の部屋から出てきた物である。
 ほとんどがメイド服や、チャイナ服といった衣服による物だ。それも安っぽいコスプレ仕様ではなく、高価な本格仕様である。
 太一には購入した覚えはない。しかし実際に領収書も存在するし、衣服の数々も存在する。慌てて預金残高を確認すると、確かに貯金が消え失せている。
 太一が記憶を失っている間の空白の時間‥‥‥‥その間に何が起こっていたのかを、逢魔を厳しく追及することで知った太一は、何とか揃えた衣服を売り払う算段を整えた。しかしそれを渋っている逢魔の阻止工作に阻まれている影響でなかなか時間がかかりそうなのである。
 ならば仕方なし、と。太一はせめて残った残金で一食豪華に済まそうと、こうして朝から商店街に出向いたのである。

「うぅ、貯金がないって事に前もって気付いていれば、先週の買い物も慎重にしたのになぁ‥‥‥‥」

 過ぎ去ったことを悔いながら、段々と増えていく人混みに負けないように両頬を叩いてタイムサービスの時間に備える。狙うは特上ウナギ(通常2050円→訳あり特価280円)。
既に体力は限界に近い、ここで買い逃せば、もはや後はない‥‥!
 タイムサービス開始まであと二分。周囲に集ったライバル達の気合いに気圧されないよう、太一が覚悟を決めた時‥‥‥‥それは、来た。

「ふ‥‥ふははははははははは!! とうとう見つけたぞぉ!!」

 賑やかな商店街の喧噪を吹き飛ばし、高笑いが周囲に響き渡る。

「だ、誰だ!?」

 その声に驚いたのは、太一だけではない。タイムサービスに並んでいた客‥‥否、商店街中にいた客という客、店員という店員達が、声の主を探し求めて死線を彷徨わせた。
 勿論その中には太一も混ざっている。いや、むしろ太一自身が、商店街中で最も必死になって声の主を捜していた。

(イヤな予感がする‥‥‥)

 太一の頬を冷たい汗が伝い落ちていく。体は異様な悪寒を感じて小さく震え、彷徨う視線はいつになく素早く動き回った。
様々な労苦を体験し尽くした本能が、懸命に声を張り上げる。「ニゲロ。マタアクムガヤッテキタゾ」と、涙を流しながら叫んでいる。

「そ、そうしたいのも山々なんだけど‥‥‥」

 しかし太一は動けない。やっとの事で満足のいく食事にありつけるかもしれないという希望が逃走を許さない。大体にして、この商店街には、太一から見える範囲だけでも百人以上の人間が集結しているのだ。そんな中に居て、何故太一だけが目を付けられなければならな────

「ようやく見つけたぞ! 我がメイドスターよ!」
「ひっ!?」

 ダダンッ!!
 突如として頭上から現れる謎の男。高い笑い相変わらず続いていたが、その発生源は間違いなくこの男である。店舗の屋上にでも居たのだろう。太一の真上から降ってきた男は、悲鳴を上げる太一を見下ろすようにして声を張り上げた。

「さぁメイドスターよ! 我と共にこの世界を取り、その名を伝説に刻むのだ!!」
「あ‥‥‥わわわ‥‥‥‥」

 両腕を広げて高笑いを上げ続ける男を前にして、太一は腰が抜けたように尻餅を付き、悲鳴にならない声を上げていた。傍目から見れば情けないことこの上ないのだが、しかし隠れて笑うような者など、誰一人として存在しない。
‥‥笑う者は居なかった。むしろ誰一人として声も上げず、まるで時間が止まったかのようにピタリとその動きを止めている。
これがただのケンカだったのなら、明らかに怯えている男性と身の丈にメートル近い巨漢との対峙を止める者がいたかも知れない。もしくは、手近な警察署や交番から魔皇やグレゴールが駆け付けてくれたのかも知れない。しかし残念ながら、そういった者達が駆け付けてくるような様子はなく、皆して巨漢と太一の対峙を遠巻きに見守るだけだった。
それは男の大きさに押されたわけでもなく、丸太のような手足の筋肉に退いたわけでもない。商店街の喧噪を吹き飛ばす高笑いに怯んだわけでも、牙のように鋭い歯に怯えたわけでもない‥‥‥‥

「は‥‥ひ‥‥‥‥」

太一は力の入らない腰をガクガクと震わせ、声にならない声を上げ続けた。
太一とて、全く修羅場を潜ってこなかったわけではない。本格的な殺し合いをしたことはなかったが、それでもビルシャス内で起こるテロやサーバントの騒動に巻き込まれたことはある。周りにいる者達と同様、太一も男の居かんっぷりに怯えているわけではなかった。

『ニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロマタツカマルゾマタキセラレルゾ!!』

 太一の記憶の奥底で、誰かが叫びを上げている。忘れられていたナニカが“これ”には関わるなと泣き叫ぶ。
 客達が一斉に目を背け、太一が怯えているモノ。この世に存在してはならない、基本であり最後の萌え要素。
 純白のエプロン。質素でありながらも丈夫な紺のロングスカート。上着はスカートとの一体型で、やはり紺。フリルなどは一切ついておらず、コスプレなどではなく純粋に機能美を追求されたデザイン。唯一のアクセサリーとも言える頭部の白いカチューシャは、長い黒髪と相まってより目立ち、その存在感を誇示している。
 そう、その姿はまさしく‥‥‥‥‥‥


 メイド男が、そこにいた。


「ぎゃぁぁぁああああああ!!!」
「ひぃぃいいい!!」
「た、助けてくれぇぇえ!!」

 そして動き出す時間。つい十数秒前まで平和その物だった商店街が、未曾有の大混乱に見舞われる。
‥‥懸命に声を張り上げ、客を集めようとしていた肉屋の店員が泡を吹き、玩具屋の前で駄々をこねていた子供が母親に目を覆い隠される。バーゲンセールに殺到する主婦達はいち早くライバル達よりも復活して商品に手を突っ込み、それを憮然とした顔で見つめている呉服屋の主は「着物はダメか。メイドの時代か」と呟いている。魚屋は猫の大群に蹂躙されて見る影もなく、店先に吊されていた男は店主に目蓋をガッと開かれ、メイド男を直視させられて悲鳴を上げる‥‥‥‥
メイド男の出現によって、商店街はこれまでにないほどの喧噪に包まれていた。
もしも現れたのが女性の、それも若い女性のメイドだったのならば、誰一人としてそれを気に留めたりはしなかっただろう。元々魔皇だのグレゴールだのが闊歩する世の中だ。それぞれの逢魔やファンタズマが従者として魔皇に付き従っていることを良いことに、メイドの格好をさせていることは特に珍しいことではない。
‥‥‥‥特に珍しいことではないのだが‥‥それでも、男の風貌は常軌を逸していた。これまで、男がメイド服を着て街中を闊歩していたことがなかったわけではない。しかしそういった者達は、大抵が恥ずかしそうに、出来る限り身を隠していた。だからこそ、「ああ、これは罰ゲームなんだな」と納得することが出来たのだ。だからこそ誰も問題にはしなかった。笑いこそすれ、問題にはしなかった。
だが、このメイド男は違う。
自分の格好に一切の疑問を抱かず、自然にメイド服を着ている巨漢の男。それだけでも恐ろしいというのに、この男、よりにもよってメイド服のサイズが合っておらず、あからさまに小さいサイズを着用していた。
どういった素材を使っているのか、ゴムのように引き伸ばされた布は体の筋肉を浮き彫りにし、鍛えられた体を強調している。本来ならば足首にまであるはずのロングスカートも、あえてカットしているのか、それともあちこちが引き伸ばされているがためにずり上がっているのか‥‥‥‥膝よりも少し上といった所にまで上がっており、中身が見えそうで見えない限界ギリギリの所で保持されている。
‥‥‥‥これはあらゆる意味で脅威である。こんな男が街中を闊歩しようものなら、十分と経たずに警察沙汰になるだろう。もはや職務やコスプレで済むレベルの話ではない。誰から見ても、歩くセクシャルハラスメントである。
 大混乱に陥った商店街のど真ん中で、メイド男は満足そうに太一を見下ろし、腕を組んだ。

「ふぁっはっはっは!! 嬉しくて声も出ぬか! 我も同じ想いよ。貴様程の器に出会えるとは、まさに天上の夢のようだ!!」
「ま、待って下さい! その‥‥人違いじゃありませんか?」

 出来ればそうであって欲しいという願いと共に、太一は抵抗を試みた。相変わらずに体は震えていたが、それでも懸命に体を起こしにかかる。
 ‥‥メイド男が現れてから、太一の体の震えは収まる様子を見せていなかった。
 体はまるで調教でもされているかのように、メイド服を見ると拒否反応を起こしてしまう。
 太一自身の記憶では、メイド服に恐怖を覚えるような理由はない。‥‥のだが、体に刻み込まれている恐怖心はどうあっても拭いきれず、気を一杯にまで使って抵抗を試みてこれが限界だ。
 そんな太一の現状を知ってか知らずか、メイド男は太一の両肩に手を当てると、渾身の力を込めて握りしめた。

「何を言うか! 人違いなどと言うことはあり得ない!!」
「痛い痛い痛い痛い痛いですよ! 爪! まるで虎のように鋭い爪が刺さってますから!!」
「人違いなどではないのだ!!」
「分かりました!! 人違いじゃないです確かに僕ですすいません離して下さい!!」

 爪が食い込む痛みに耐えかね、太一が悲鳴同然に叫びを上げる。すると、メイド男は「うんうん」と大きく頷き、とんでもないことを言い出した。

「うむ。分かればいいのだ。その体から滲み出るメイドオーラ。まさにメイドに相応しい!!」
「ええ!? な、何ですかそれは!」
「む? だからメイドオーラだ。恐ろしく厳しい修練に修練を重ねたとしても、万人に一人しか得られぬと言われる真のメイドの証、メイドオーラ。貴様の体からはそれが迸っておる!! 愚民には見えぬであろうが、私には見える!! まるで洗濯を終えたショーツの如く輝くオーラが、貴様の体から放出されておるのだ!!」

 変態だ。違うことなく変態だ。
 太一はそう心中で確信し、この場から一刻も早く逃げ出したくなった。
 既に当初の目的であるウナギの事など眼中にはない。こんなやりとりを店先でやらかされて客を散らされた店主が恐ろしい殺気を放っているが、そんなことも気にならない。
 ‥‥と言うよりも、混乱しながらもしっかりと太一とメイド男とのやりとりを聞いていた野次馬が様々な視線を向けてくる。その重圧に比べれば、閉店セールを邪魔された店主の殺気など、取るにも足らない物だった。

「おい、あいつメイドらしいぞ」
「てことは、やっぱりあいつの仲間か。部下だったとか?」
「脱走して堅気にでもなりたかったのか? 失敗したみたいだけどな」
「て言うか、ショーツって女物のことだろ? あいつの主人って‥‥‥‥」
「最低。きっと毎夜毎夜“ご主人様。ご奉仕させていただきます”とか言ってセクハラしてるのよ」
「いや、逆かも知れないぞ。地下室とかに鎖で繋がれて、鞭で叩かれてるとか」
「何それ? でも似合いすぎで笑えるわね」
「そうだろ? メイドオーラって言うか、奴隷オーラが出てるよな」

 ヒソヒソヒソヒソと、太一の周囲から隠そうともしない声が聞こえてくる。
 太一は決めた。逃げよう。例えこの男に追い掛けられることになろうとも、この男との関係は全身全霊を掛けて全否定しなければならない。逃げ切れる自信など欠片もないが、それでもこの場でこのメイド男と会話を続けていては、自分の立場がどんどん社会から切り離されていく気がする。
今の時代、情報はすぐにあちこちにばらまかれてしまう。もしもこの情報が街のあちこちに知れ渡ってしまった時には、もはや太一は表を歩くことも出来なくなるだろう。
 太一はジリッと後退ると、静かにメイド男の隙を窺った。
 メイド男はメイドオーラの講釈に熱が入ったのか、長々と大きな声で弁を震っている。

「悪いんですけど‥‥‥‥もうメイド服なんて着ませんから!!」

 ダッ‥‥
 今こそ好機と、太一は全力で走り出した。メイド男に背中を向け、全速力で商店街の出口へと向かっていく。
 背後から「“もう”ってことは、やっぱり着てたのか」などと余計な発言にも構う余裕はない。一旦逃げたのなら、後はもう限界まで逃げ続けるだけだ。追い詰められるのならば人気のない所が良い。そうすれば内々に話を付けることも出来るだろう。
 そんな希望を胸に、注目を集めながら疾走する太一。
 しかしそんな逃走劇も‥‥‥‥

「逃がさんぞ!!」

 僅か1秒とかけずに回り込んできたメイド男の拳によって、あっさりと粉砕された‥‥‥‥‥‥


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「ン‥‥‥‥ここは‥‥‥‥」

 ボゥッと、霞かかった意識が覚醒を始める。
 目蓋をゆっくりと開き、目前に広がる明るい照明に痛みを感じ、瞬きする。
 目に痛みを感じたのは、暗闇の中から突然真白い照明に照らされたからだ。それも、光はまるで手術室の照明のように強く、太陽ほどではないが、直視するには強すぎる。
 太一は充血した時のように痛む目を押さえようと、手を挙げようとした。が、手は持ち上がらず、それどころか身を起こすことすら出来はしない。

「‥‥‥‥えっ!?」

 ガチャン!!
 太一の両手から金属質な音が響く。‥‥否、両手だけではない。両足にも同様に鎖が取り付けられ、太一の両手足は、ちょうど“大”の字を描くようにして拘束されていた。胴体は‥‥やはり持ち上がらない。こちらにも厳重に鎖で縛られている上、太一が寝かされている台の方にも仕掛けがあるのか、体は接着されたかのようにピクリとも動かず、無理に力を込めると、背中の皮がピリピリと音を立てて痛みを伝えてきた。

「おお、気が付いたかメイドスターよ」
「あ、あなたは!?」

 太一は目だけを動かし、すぐ傍に歩み寄ってきた男を見据え、恐怖した。
 声を掛けてきたのは、先程のメイド男だ。相変わらずのメイド服姿だったのだが、しかしその傍らには、もう一人のメイドが立っている。
 ‥‥真白いカチューシャ。紺の袖の長いワンピースにエプロンを掛け、真っ当なメイド服を着ている。格好自体は男の方とさほど変わらない。中身がまともになっただけだ。が、太一は男の方よりも、むしろ女性の方に恐怖心を感じていた。

(こ、この人は‥‥)

 どこかで会った‥‥‥‥気がする。
 しかしどこで会ったのかが思い出せず、誰だったのかも分からない。

「また会いましたね。松本様」
「あ、あなたは‥‥?」
「覚えておられませんか。まぁ、記憶処理はしておきましたから、当然と言えば当然ですが‥‥‥‥」
「ふん。全く、せっかく調教した者を手放すとは‥‥貴様も甘い事よ」

 メイド男は、傍らの女性の言葉に鼻を鳴らすと、パチンと指を鳴らして合図を出す。
 それに呼び寄せられたのだろう。これまでただ明るいばかりだった室内のあちらこちらから、ゾロゾロとメイド服を着た男女が現れた。それも、全員が白いマスクをし、ビニールの手袋をはめている。服装が白衣だったのならば、間違いなく医者を分かるのだが‥‥

「フッフッフッフッフッ‥‥‥さぁ、メイドスターよ。これから何が始まるか‥‥分かるかな?」
「えっと‥‥‥‥改造手術?」

 ご勘弁願いたい‥‥のだが、もはやそれしか思いつかない。
 太一の返答を聞いたメイド男は、ニィッと楽しそうに笑みを浮かべ、新たに現れたメイド達に視線を向けた。

「やれ。この男を、世界のメイドの頂点に君臨するに相応しい体に仕上げるのだ!!」
「ギャーー!! ちょ、ちょっと待って下さい!! ひっ、もう何も着てない!? 待って、下は触らないで!」

 太一を取り囲んだメイド達が一斉に手を伸ばし、太一の体を蹂躙した。
 集まっていたメイド達の人数は、それこそ十人近くいただろう。その全員が、手にメスやチューブや消毒液やピンセットや針や糸やコルセットやカチューシャやガーターベルトなどを持っていた。

「や、やっぱりそう言う改造なんですか!?」
「他に一体何がある!」
「ひぃぃぃいいいやぁぁあああ!!」

 太一の悲鳴が木霊する。全身をまさぐられ、断続的に襲ってくる異様な快感に太一の意識が吹っ飛んでいく。もはや普段の感覚など残っておらず、メイド達の指技による洗礼によって、痛みや改造されているという事実への抵抗感も吹っ飛ばされていく。

(まずい。このままだと‥‥‥‥)

 本当にメイドにされてしまうかも知れない。後回しにされたようだが、体の改造が終われば脳の洗脳もされるだろう。そうなればもはや逆らえまい。もしも元に戻ることが出来たとしても、そんな姿で外に出た後だったとしたらもはや遅い。社会的には抹殺されるのは確実だ。逢魔はいろんな意味で喜ぶかも知れないが、その為に男としての大事なものまで失いたくはない。
 太一は微かに残った理性で抵抗しようと、躍起になって体を動かした。しかし拘束は解けず、メイド達をはね除けることも出来ない。
 このまま、いいように改造されるだけなのか‥‥‥‥
 太一がそう思った‥‥‥‥その時である。
 ドォォン!
 部屋の外から聞こえる爆発音。揺れる床。天井からバラバラと塵が落ち、真白い照明に混ざって壁際に設置してあった赤色灯が回転を始め、けたたましいサイレンが鳴り響く。

「な、何事だ!?」

 さすがのメイド男も驚愕したのか、揺れで倒れないように体勢を整えながら声を上げる。
 太一に群がっていたメイド達も動きを止めていたが、太一を調教したという女性だけは機敏に動き、部屋に備え付けられていた電話を手に取った。

「何事だ? なに、バニーガール十字軍の奇襲だと?」

 女性が舌打ちしながら声を上げ、一瞬だけ太一に目を走らせる。太一は反射的に目を逸らし、「聞いていませんよ?」と知らんぷりを決め込んだ。何やら太一の知らない所で戦争が起こっているらしい。知りたくもなかったが。
 女性とメイド男は互いに視線を交わせると、女性は飛び出し、メイド男は部下に指示を飛ばし始めた。

「その男‥‥いや、女を例の部屋に! 私も迎撃に出る!!」
「はっ!」

 飛び出してくメイド男。残された部下達は、一斉に太一の拘束を外しにかかる。
 ‥‥‥‥残されたメイド達は気付かなかった。太一が、未だに意識を保っていると言うことに。
 まさかここまでされて、未だに抵抗する気が残っているとは思わなかったのだろう。隙だらけのメイドの手を掴んだ太一はその手を捻り、床に引き倒す。その反動で台上から飛び起きると、力任せに台の上から飛び出した。そして着地するまでの間に二人の顔を蹴り上げ、慌てて取り押さえようとするメイドに強烈なボディーブローを見舞い、吹っ飛ばした。

(あれ? 何だか体が良く動く)

 太一は、そこまでしてから自分の体の変化に気が付いた。
 必死だったと言うこともあるのだが、太一は元々体力派の魔皇ではない。と言うより、厄介事に巻き込まれることはあっても、決して自分から戦いに参加するようなことはないタイプだ。こんな戦闘術は持っていない。
 にもかかわらず、既に四人以上を吹っ飛ばし、昏倒させていた。残っているメンバー達も、太一の予想外の抵抗に驚いたのか、狼狽したように後退る。

(体のことは置いておいて‥‥今は)

 体の変化は、今の改造の性だろう。そう結論付けると、太一はそうそうにその事を頭の隅に追いやり、ジリジリと間合いを詰めると、一気にメイド達に突っ込んだ。

「うわっ!」
「きゃっ!」

 怯えたメイド達が、太一の勢いに押されて道を空ける。太一はその合間を擦り抜け、その先にあった出入口に駆け込んだ。

「あ‥‥追え! 逃がすな!!」

 駆ける太一の背後から、メイド達の声が響いてきた。しかし太一は振り返ることもせずに走り続ける。
 体の調子はよい。拘束されている時には‥‥‥‥いや、拘束される前でも考えられなかったような絶好調ぶりだ。人化を解いたわけでもないのに、それと同レベルの速度で走っている。
 それはもはや人間で通用する身体能力ではなかったが、太一にはそこまで意識するような余裕はなかった。
 廊下はけたたましいサイレンの音と紅い警告灯の光で照らされ、時々遠くから爆発音も聞こえてくる。まして、太一には実際に追っ手がかかっているのだ。ゆっくりと悩んでいるような時間は存在しない。
 ‥‥‥‥まぁ、実際には少しずれたことを考えていたのだが‥‥‥‥

(服が欲しいなぁ‥‥やっぱりガーターベルトとパンツだけってのは‥‥‥)

 考えると涙が出てくる。これでは男のメイド軍団から見ても変態としか見られないだろう。やはりどこかで服を調達するべきか? しかしこの得体の知れない施設の中で服の捜索などしていたら、それこそ捕まりかねない。
 そうこうしているうちに、太一の目の前に緊急時の退避ルートの標識(緑色の、非常口にあるものだ)が見えてきた。

「待てーー!!」

 後ろからメイド達が追ってくる。太一のように改造を受けていないのか、その足は常人のそれだ。追いつかれることはないだろうが、あまり時間を掛ければ取り囲まれることになるだろう。
 太一は覚悟を決め、勢いに任せて扉を蹴破り、外に出た。これで往来のど真ん中だった場合はすぐに顔を隠して施設の中に出戻るつもりだったが、幸いにも扉の外には広い広場と倉庫、遠くに塀が見えるだけで、街中ではない。

「て言うか、どこ?」

 眠っている間にどこまで連れてこられたのか‥‥‥‥人化を解除出来ない以上はビルシャスの中なのだと思うが、ここまで広い場所を太一は知らない。まるで軍の基地のようだが、まさか魔皇とグレゴールの精鋭で構成されている基地の実態が、メイド養成所と言うことはないだろう。そう思いたい。
 この場がどこなのかも見当が付かない太一だったが、ここに残ってメイドの一人にされるわけにもいかない。
 とりあえず脱出を優先しようと、太一は壁にまで走り寄ろうと、広いグラウンドを疾走した。
 ‥‥‥‥その時である。

 ドォォン!!

「うわっ!」

 太一の目の前の地面が突然弾け、炎が上がっていた。盛大に噴き上がる煙に、太一はおろか背後から迫ってきていた追っ手達までまかれ、視界を塞がれる。

「ケホケホッ‥‥な、何?」

 太一は咳き込みながら体を伏せ、煙が風に流されるのを待つことにした。
 やがて一陣の風が吹き、煙がスゥッと消えていく。
 煙が去った後には、太一の行く手を塞ぐようにして開いている小さなクレーター。そして‥‥‥

「ほう、貴様がメイドスター・太一か‥‥なるほど、今の攻撃を躱すとは、なかなかのメイドオーラだな」
「★●凵堰括煤I」

 太一が悲鳴を上げる。もはや人間の言葉ではなく、意味も何もかもが消滅している悲鳴を上げる。
 もし、この場にいたのが太一でなくとも、同じように悲鳴を上げていただろう。太一はほとんど涙目になって後退る。
 太一の目の前に現れた新手。それは、先程女性メイドが言っていた言葉から推測できたとおり、やはり────
 バニーガール‥‥‥‥‥‥‥ではなく、バニーマンだった。

「やっぱりマッチョだーーーー!!!」

 太一は涙目になって距離を取る。現在の自分の格好も相当にアレなのだが、少なくとも自分の意志でそうなったわけではない。目の前にいるバニーマンや、太一を攫ったメイド男と同列には並びたくもないし、出来れば関わりたくもなかった。

「くっ、バニーガール十字軍‥‥もう来ていたのか!!」

 追ってきていたメイド達も足を止めていた。太一を挟んで対峙する。
 一体多数の戦闘‥‥の筈なのだが、バニーマンのマッチョは小さく笑みを浮かべると、指をヒョイと立て、すぐさまメイド達に振り下ろした。
 ドォン!

「うわぁぁぁあ!!」
「嘘ッ!?」

 途端に吹き飛ぶメイド達。一人残された太一は、一体何が起こったのかとバニーマンに少しだけ目を向ける。

「あなた、何をしたんですか!?」
「む? 何、バニーオーラを投げつけただけなのだが‥‥‥そうか。どうやら、噂のメイドスターも、まだ覚醒が済んでおらんようだな」

 笑みを浮かべたまま、バニーマンが歩み寄る。
 太一は背筋にゾッと冷たい物を感じ、一歩、また一歩と後退った。

「逃がしはせんよ。貴様を殺せば、我らがバニーガール十字軍の勝利が決定する。貴様はここで、我に屠られるのだ」
「そ、そんなこと‥‥!」
「私がさせませんわ。変態さん」

 「え?」と太一が声の方へと顔を向ける。施設の天井‥‥ちょうど太一が出てきた非常口の上に、メイド服を着た、あの見覚えのある女性メイドが立っていた。
 太一と同じように声の方へと視線を向けていたバニーマンは、目を細めて感心したように口を開いた。

「ほう。まだ生きていたのか、メイドマスターよ」
「あなたこそ。もういい加減に、自分の見苦しさに気付いたと思ってましたよ」

 ナイフを手にして、女性メイドが跳躍し、太一の傍らに降り立った。それから太一の体に傷がないことをチェックし、ナイフの一本を渡してくる。

「え、あの?」
「護身用です。私だけでもあの変態を黙らせることは出来ますが、あなたが人質に取られるかも知れません。その時には、自分で自分を守って下さい」
「うぅ‥‥メイドさん。僕は戦ったことがないんですよ?」
「知りません。生きたければ戦って下さい。それと、私のことは“メイド長“と呼ぶように」

 ナイフを構え、バニーマンの隙を窺うメイド長。
 太一はそのメイド長の表情から、さすがに弱音を吐いてもいられないと観念し、逃げ出したい衝動に駆られながらも得物を構え、バニーマンと対峙する。
 その二人を見て、バニーマンは‥‥‥‥

「良かろう。ならばダークフォースに染まった我のバニーオーラの味、とくと味わうが良い!!」

 全身からどす黒いオーラのような物を放出しながら、二人に向かって突進を開始した。
 それを迎撃するメイド長と太一。しかしナイフ程度では、暗黒面に染まったバニーマンには太刀打ち出来ない。
 果たして、メイド長と太一の命運は如何に!!







「と言う感じの映画を考えているのですが、いかがでしょうか?」
「却下させて下さい」

 と、長々と熱演していた男に、太一は冷たく言い放った。
 現在、太一は商店街の一角にある喫茶店に入っている。
 向かい合っているのは、街中で突然太一に声を掛けてきたスカウトの男だった。何でも、映画撮影のための役者を捜していたのだが、どうしてもしっくりと来る容姿の俳優が見つからない。
 そんな時に、街中で太一のことを見つけ、声を掛けたのだという。

「お願いします! この映画の主人公は、まさにあなたと同じぐらいに奴隷臭というか弱気というか‥‥メイドっぽくないとダメなんです!!」
「知りませんよ! そもそもメイド服なんて着られません!!」
「またまた。私の鼻は確かですよ? あなたの体には、間違いなくメイド臭が染みついています!!」
「染みついてません! とにかく、そう言う話ならお断りいたします!!」

 ガタリと、太一が椅子を蹴って立ち上がる。
 温厚なタイプの太一だったが、スカウトの話を聞いている内に逃げ出したいという欲求がかなり働いていたのだ。太一の記憶にはないが、メイドという単語を聞くと、なにか、記憶の奥底から『カカワルナ』と言う警告音が聞こえてくる。最近は記憶の欠如まで起こっているし、あまり妙なことに首を突っ込んだりしたくはなかった。
 席を立つ太一。しかし‥‥‥‥‥

「まぁ、待つがいい。もう少し、話を聞いていったらどうかね?」

 ガシッと、太一の両肩が掴まれた。
 まるで万力のような力。動けなくなった太一が、恐る恐る振り返る。
 ‥‥そこには、頭にカチューシャを付けた巨漢が‥‥‥‥‥‥

「ああ。少し遅れたけど、紹介するよ。彼が、ヒロイン役を務めるメイドマンだ」
「おう、よろしくな。我の足を引っ張らぬよう、命懸けで演技をするが良い」

 高らかな笑い声が響く。
 太一の体から力が抜け、メイドオーラの代わりに死臭のようなオーラが漂い始める。が、誰一人とて気にはしない。







 松本 太一のメイド地獄は、こうして第二章を迎えたのであるが‥‥‥‥‥‥
 それは、あくまで映画の話である。