水のまよい子 月のうた
指先で、光を弾いた。
翠緑の影揺れる水面を、ぼんやりと見つめる。
「綺麗‥‥」
魔法で操るまでもなく、水は光は、不思議に形を変え、人を惹き付け心を捉える。
ちゃぷん、と。
ひそやかな音が、午後の森に溶けた。
ちゃぷん、ちゃぷん。
子供のようにしゃがみ込んで、静かな池に波紋を刻む。飽くことなく、何度も、何度も。
指先が冷えてゆくのが、心地よい。体の奥に溜まった澱が、少しずつ溶けて行くようで。
ちゃぷん、ちゃぷん、ちゃぷん。
目を閉じて、耳を澄ます。
水音はどこか優しく懐かしく、母の子守唄を思い出させた。このまま聞き続けていれば、この体はしゅるしゅると縮んで、子供に戻ってしまえるのではないかしら‥‥そんな錯覚が胸をよぎる。
森を訪れたのは、呼ばれたような気がしたから。本当は逃げ込んだだけなのかもしれないけれど。
奥へ、奥へと歩を進めた。迷ったかしら‥‥と頭の隅に浮かんだ言葉には、気付かなかった事にした。
せせらぎを辿り小川に出合い、流れを遡り池を見つけた。
ちゃぷん。
掬った水が、指の隙間から零れ落ちる。
雫滴る両手を見つめ、そっと沈めた。水面はゆらゆらと揺れ、手は確とした輪郭を失って見える。
「私‥‥」
呟きの行方は、しかし何処からかの足音にかき消された。
「誰?」
ゆるゆると立ち上がり、辺りを見回す。池の畔を離れ、茂みをいくつか過ぎたところで、木漏れ日のはざまに少女を見つけた。
スカートをひらめかせ、あちらの鳥に、こちらの花に。心の興味の赴くままに飛び回る、お転婆な。
懐かしさに目を細めた。
『だぁれ?』
少女が振り返る。
私は、声を掛けたかしら。
いえ、関係ないわね。だって‥‥
『私、ユリゼ。あなたは?』
この子はまぼろし。小さなユリゼ・ファルアート(ea3502)。
「ユリゼ。大人になったあなた」
『‥‥‥?』
きょとん、と、見開かれた眼。
幼い私は、こんなに真直ぐ、人を見つめていたのね。‥‥見つめることが、出来たのね。
「森の魔法‥‥いえ、悪戯かしら?」
くすり、と微笑むと。
『ふぅん?』
少女は2、3目を瞬かせ、そして、納得したようだった。
この子には、蕾が花開きやがて実を結ぶこと、大人のユリゼが現れること、どちらも同じ位の「不思議」でしかないのだろう。
あの頃、世界は小さくて、大きくて。そして、不思議が溢れていたから。
「こんな奥まで。1人で怖くない?」
『怖くないわ。だって‥‥』
くすぐったいような、笑みを浮かべた。
『姉さんが、呼んでくれるもの』
「‥‥そうね。そうだったわね」
姉さん。年上のエルフの少女の歌は、ユリゼの道しるべ。
彼女を追い越しそうになる程の時が流れた後も、迷った時、落ち込んだ時は、真夜中にそっと彼女をおとない、子守唄や歌をねだった。
森で、珍しかったり、楽しかったりに夢中になってはぐれた時は‥‥
「どんな歌、だったかしら」
呟く。
すると、少女は2歩、3歩と離れ、こちらに向き直った。
『うさぎの尻尾を追いかけて♪』
笑みを浮かべて歌いだし、くるりと背を向け駆けて行く。
『小鳥に行き先聞きまわり♪』
少女の駆け足は、ユリゼには急ぎ足。ふわり揺れるスカートを追いかけて。
「‥‥森の奥まで、来たけれど」
気づいたら、歌っていた。姉さんや友人達みたいに、綺麗にも心を込めても歌えないけど。
『キラキラ木苺見つけても♪』
いいの、聞いているのは「私」だけ。‥‥今は誰にも歌は求められないから。
「ましろな野ばらをみつけても」
梢を揺らし木々を渡る風が、体を巡り歌になる。
森とひとつになって、
『一番の宝物だけみつからない♪』
思い出す。
年上のエルフの少女のお迎えの歌。
夢中になってはぐれても、いつだってこの歌が呼んでくれた。
「あなたはどこ?ほらお迎えの時間」
聞くたびに恥ずかしくて嬉しくて跳びついたっけ。
歌も、温かな手も、穏やかな笑顔も、求めさえすれば、いつでも、惜しげもなく与えられた。
「大事に大事に手をとって」
ひとりで歌っている時は、いつの間にか声を重ねてくれた。
「「一緒に帰ろう小さなお城へ」」
ほら、こんな風に‥‥
「‥‥え?」
まぼろしに重なった、高い声。
「姉さん?」
違う、と。判っているのに、呟きがこぼれ。
振り向いた先、はにかんでいる少女の髪は、月光の銀ではなく陽光の金。
木漏れ日にきらめく髪飾りは、ユリゼが腰に挿したものと揃いの月桂樹。
「シャルロットちゃん‥‥」
シャルロット・ブラン(ez1140)。ブラン商会の1人娘。
「森に、お散歩だって聞いたから」
「こんな奥まで。迷わなかった?」
「あ‥‥やっぱり。結構奥に来ちゃったんですね」
シャルロット曰く、軽い気持ちで踏み込んだら、思いのほか森は深くて。
「どうしよう、迷っちゃったかしらって思ったら。歌がね、聞こえたんです」
ユリゼの声だとすぐに解った。恐れや不安はたちまち消えて、歌を辿り辿って、ここまで。
「不思議ですね、ユリゼさん1人だったのに…誰かと、一緒に歌ってるみたいに聞こえたの」
ふふ、とシャルロットは微笑んだ。
「とっても楽しそうで、仲間に入りたくなっちゃった」
気づいたら歌っていたのだという。
「この歌、知ってたの?」
「いいえ。でも、すごく自然に‥‥」
そういえばそれも不思議、と首を傾げる少女の肩を、そっと抱く。
「そういう事も、あるわ。森では、不思議な事が起こるものだから」
‥‥そうよね?と。
いつの間にか姿を消した「私」に、そっと語り掛ける。
「森の不思議、ですね」
淡く頬を染めて、きゅ、と腕を絡ませる少女。その髪を、するりと梳いて、少し傾いた髪飾りを直した。
「ね、ユリゼさん。今の歌、きちんと教えて貰えます? 私も、歌えるようになりたいな」
「えっ。うぅん、ちょっと恥ずかしいかな、あんまり上手くないし」
「そんなことないですよぅ。ええと‥‥そう、森を出るまでの間。それだけで、良いから」
「‥‥覚えたら、シャルロットちゃんも一緒に歌う。約束よ?」
「はいっ」
―あなたはどこ?ほらお迎えの時間
「それじゃ、戻りましょうか。お茶にしましょ。市場でね、良い香草を見つけたのよ」
小さなあの子は、姉さんが迎えに行ってくれるから。
「嬉しい。ユリゼさんのお茶、美味しいんだもの。皆、心待ちにしてるだろうな」
私は、この子と帰ろう。
―大事に大事に手をとって
無邪気な少女には戻れないけれど、過ごした時の分だけ、大切な人は、想いは、この両手に溢れている。
たくさん愛されてきた。
精一杯愛してきた。
思い出したから。
小さな私も今の私も、数えきれない大切な人達も、皆、この胸に抱いて。
―一緒に帰ろう小さなお城へ
「それでは、お手をどうぞ、姫」
<終>
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■ 登場人物 ■
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【ea3502 / ユリゼ・ファルアート / 女性 / 23歳 / ウィザード】
【ez1140 / シャルロット・ブラン / 女性 / 16歳 / 一般職】
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