■【I wanna be your DOG,】切望■
商品名 流伝の泉・キャンペーンシナリオ クリエーター名 外村賊
オープニング
「‥‥マルキス様は、人々を幸福にしようとしている‥‥それは、本当だ」
 息も絶え絶えの中、グレゴール・飛乃はマルキスの為そうとしている事について語った。
 マルキスはテンプルムが感情を吸い上げる際、神への感謝や喜びさえも吸収してしまう事を常に案じていたのだと言う。良い、穏やかな感情のみを残し、人々を安寧に導くには――その望みを叶えるべく魔法道具による実験を繰り返した結果が、『サニティ』であり『大サニティ』であると。本能を呼び起こす『デギアス』の力をサニティで調整し、天使達により穏やかな感情に人々を導く。それが彼の計画だった。
「私は、私の望みの為に、あの方を拒絶してしまった。しかし‥‥お前達ならば、あの方を任せられる。エレベーターチューブを通り、テンプルムの地下へ‥‥彼の迷い、望み、受けとめてやって欲しい‥‥」
 飛乃の言葉は、それを最期に、聞こえる事は無かった。
 その時、池の光の柱が一際大きく輝き、空へ飛び散った。途端、どこかから、否、彼等の周りの全てから、獣じみた叫びが聞こえてきた。一つや二つではない。百でも聞かぬほどの咆哮が、大地を揺るがすのだ。
「あんたらが何と言おうと、俺は行かせてもらうぞ。こんなよくワカラン状況のまま引き下がったら、俺の名が廃るからねっ!」
 加藤ヨースケは相変わらず命知らずに、堂々と胸を張る。
 その破れたシャツから覗いた、いびつな形の黒い石のペンダントが、不安定に光を放っていた。

 テンプルムの地下。大聖堂の様な広い空間は、振動にも似た低い音に満たされていた。一律の早さで鼓膜を細く刺激するその音は、常人ならば五分もいれば気が変になりそうだ。アークエンジェル・マルキスはその音源、地中に埋まった巨大な真珠――大サニティに手を添え、不安定な力を制御しようとしていた。
「触れ幅が大きすぎる‥‥キーが入手出来なかったのか‥‥!?」
 地上の方から微かに、人々の咆哮が聞こえる。制御できぬままのデギアスの力が溢れ、人が混沌に堕ちていく。
「何故だ、何故! ここまで来て‥‥何故何もかもが俺を遮る!」
 大天使の苦悩の叫びは、サニティの振動と、行ける者の咆哮にかき消されて行く。
シナリオ傾向 PC次第
参加PC レーグ・ケセド
アンブローズ・フェルマー
瀬戸口・春香
紗霧・蓮
ミティ・グリン
小鳥遊・美陽
【I wanna be your DOG,】切望
 昼の地上には光が溢れていた。
 エレベーターチューブを進み、地下に降りるに従って、陽の光は徐々に力を失って、今はどこからともなく差してくるとも判別できない薄明かりのみが空間に満ちている。
 神魔の戦いは激化の一途だった。混乱を極めるばかりの戦いの中、幾つもの命が失われていった。
 自分の望む平和を、共に目指す者。
 生き残るべきと思った者。
 彼らの消失は、まるで身を支える大地が、何の前触れもなく崩れ去り始めたような、不安、焦りをレーグ・ケセド(w3b612maoh)に抱かせた。
(「俺の選択は恐らく最良ではない‥‥」)
 薄明かりに、レーグの握りしめる真デヴァステイターと真雷神の短刀がてらてらと反射する。周囲を判断するにも心許無い光であるのに、魔皇殻に反射する様はどこか毒々しい。
 レーグは視線を上げた。目の前には、白い一枚の扉。この奥にマルキスがいる。
(「だが、それでも‥‥一縷でも望みがあるならば、俺はこのカードに賭ける」)
 次の瞬間、レーグは扉を蹴破り、大天使マルキスに向かって突進した。扉の向こうから巨大な真珠、大サニティのが震える不快な音と、その周囲に巡る蔦が発した光が溢れる。
 サニティの後ろに立つマルキスとは、さほど距離はない。マルキスに魔皇殻を突き当て、彼の命をカードとして交渉をする。それが彼の選んだ方法だった。
(「何としてでも、飛乃の選んだ『答え』を、この男に認めさせる!」)
 大きく数歩踏み切れば、銃口が黒い文様の刻まれた額に届く。その時、マルキスを中心にして無数の羽毛が巻き上がった。短刀を振り下ろそうとしていたレーグに、羽根は鋭利な鏃のようにいくつも突き立ち、勢いに押されるまま後方へ吹き飛ばされた。
「レーグ!」
 レーグが倒れるのを見るや逢魔・ルビーナ(w3b612ouma)が駆け寄ろうとするが、小鳥遊・美陽(w3i665maoh)が差し出した腕によって阻まれる。マルキスは闖入者達を観察しながら、ゆっくりとサニティの前へ回ってきた。
「キーを運んできた‥‥と言う訳ではなさそうだな」
 魔皇達はマルキスの襲撃を危ぶんで加藤ヨースケを厳重に護衛していた。紗霧・蓮(w3d562maoh)が加藤ヨースケを担いでいる。妙に大人しいのは隣にいる逢魔・氷冥(w3d562ouma)が、ここに来る前に逢魔の短剣で散々脅したからだ。
 その前には逢魔・カデンツァ(w3b996ouma)と逢魔・シェリル(w3d060ouma)がキーを隠すように、さりげなく立っている。カデンツァは念の為に自分の上着を貸して、ヨースケの破れたシャツから覗くキーを隠しておいた。
(「さてどうなる、かな」)
 瀬戸口・春香(w3d060maoh)は靴を整える振りをして音を出し、録音機のスイッチを入れる音を紛らわせる。後々交渉が発展した時の証拠になる、そう考えての事だ。
「初めまして大天使。貴方と、サニティの事について‥‥宝塚と伊丹の人達の事について、話し合いたいんだ」
 美陽はマルキスが追撃に出ないことを確認して、レーグの側に並ぶと目的を告げた。マルキスは不審そうに眉間に皺を寄せる。
「話し合うだと」
「お前の理想を邪魔する訳じゃない。もう少しだけ、サニティでの感情の制御の枠を広げて欲しい‥‥穏やかなだけではなく、激しい感情も‥‥人間本来の感情を認めて欲しいんだ」
 身を起こしたレーグが静かに続ける。かすかな沈黙の後に示されたのは、小さな嗤いだった。
「ふ‥‥話し合いと言うから何かと思えば。混沌を撒き散らせと天使に頼みに来たのか」
「飛乃の望んだ『人々の笑顔』も混沌だというのか‥‥」
「苦悩を生み出す楽しみなど、混沌以外の何物でもない」
 マルキスはきっぱりと言い切った。
「大きすぎる感情は負の感情をも巻き起こす。欲望、競争、怒り、憎しみ、苦悩を生み出す。‥‥慈悲深き神はそのような苦悩を望まれない。そのようなつまらぬものは我々に負わせればいい。人はただ嬰児のように安らぎと、神の慈悲の幸福を知ればいい」
「‥‥本当にそう考えているのか」
 美陽の後ろに控えていた逢魔・久世(w3i665ouma)が訊ねる。
「愚問だな」
 答えたマルキスの言葉に、偽りの影はない。真意の看破の結果を窺う美陽に、久世は軽く首を振った。
「じゃあ‥‥何で清心歌劇団では激しい感情を認めているんだ? 平穏な感情だけでは『美』は作れない――人間には情熱が必要な事、貴方は分かっているから、清心にサニティを任せたんじゃないのか?」
「あの男は、飛乃と同じだ。混沌へ自ら堕ちている‥‥人を幸福へ導くと、俺の前で誓ったにも関わらずだ‥‥」
「それは」
 マルキスの毛がぴりぴりと逆立ち始める。思うことはある、美陽は言い募ろうとしたが、マルキスの言葉はそれを遮った。
「お前達は人間の事で話し合うと言った。だが、人を思うならば我々に従うべきだ。混沌の先に平穏はない」
「けどさアンタ‥‥それってちょっと無理っぽくねぇ?」
 それは遠くから投げかけられた人間の意見だった。氷冥がしまったと思った時には、ヨースケは発言してしまっていた。
 マルキスの金の瞳がぎらついた。睨まれてヨースケは奇妙な叫びを上げる。
「混沌に染まりきった人間を導く為、我々はここに遣わされた‥‥。人間よ、神とサニティの加護の下、誠の幸福を知るがいい」
 その言葉は交渉の決裂を意味した。瞬間マルキスは腰を落とすと、強く床を蹴ってヨースケの下へと駆け出した。
「のわあああっ!? こっち来る、こっち来るって!!」
 異形の天使が迫る事には流石に恐怖したらしいヨースケは、蓮の肩の上でばたついた。
 蓮は肩から騒音を下ろすと、頼む、とだけ言って背後に居た逢魔・マイ(w3g263ouma)に引き渡した。そして自らは真デヴァステイターを二挺、両手に召喚する。
「蓮!」
 それを認めた氷冥は無意識に主を呼び止めていた。歩いていこうとしていた蓮が振り返る。その黒い眼には、刃物のような鋭く、冷たい光があった。
――深い、深い、怒りと悲しみ。氷冥は察知した。
 誰にでもなく、唯一つの『事』に対して、蓮は心を痛めているのだ。
 その『事』に抗うため、彼は武器を振るうだろう。
 氷冥の心は蓮を呼び止め続けていたけれど。
「‥‥生きて帰るんだからね。ちゃんと言いたい事もあるし」
 そう告げると、蓮は何を言う事もなく、再び歩き出した。
 気付かぬほどかすかに、瞳を和ませて。
「ヨースケさん、マルキスの狙いは貴方‥‥のペンダントです。どうか、下がってください」
「嘘!? 姉貴の形見を!? 何で!」
「‥‥重要な物なのです。とにかく、危ないですから‥‥」
「さてはあの白虎ストーカー? 未だに姉貴の影を追って!? ぬわ、執念深っ!!」
「そうではなく‥‥」
 マイはなおも暴れるヨースケを引きずって扉のギリギリまで後退させた。逢魔の短剣を携えながら氷冥がマイに追いつき、とにかくもその場は収まった。

「愚かだな」
 マルキスがヨースケに向かおうとした瞬間声を発したのは、アンブローズ・フェルマー(w3b996maoh)だった。他の者と距離を取って一人、細身の男は佇んでいる。ポケットから5cmほどの黒い石を取り出すと、マルキスに示す。
「いつまでもあの様ないい加減な男に持たせておくと思ったのか?」
「キー‥‥!?」
 マルキスを阻止しようとしていた美陽が驚きを声に出す。マルキスは美陽の真テンタクラードリルを頭冠衝で弾くと、僅かな呟きを発した。途端アンブローズの身体の感覚が失われ、くずおれると同時に手から石が滑り落ちる。
「よく見せてもらおう」
「旦那様!」
 ヨースケのそばにいたカデンツァは、無意識にアンブローズに向かって駆け出す。ミティ・グリン(w3g263maoh)は無言でロケットガントレッドをマルキスに構え、足首を狙って発射させた。狙い済まされた手甲はマルキスの右足首を捉える。ロケットガントレッドに引かれて一瞬動きが止まったマルキスの前に、カデンツァが走りこんで石に手を伸ばす。
「邪魔だ」
 マルキスは軽く跳躍すると右足へ光を集めて、勢いよくカデンツァに廻し蹴りを放つ。カデンツァはまともに喰らってアンブローズのそばへと吹き飛び、衝撃でロケットガントレッドは足首を離れた。
「‥‥カデンツァ‥‥ッ!」
 地に背を擦り付けて倒れる逢魔に、アンブローズのままならぬ口からやっとその名前が紡ぎだされる。
「旦那様、ご無事で‥‥。後は、私が」
 カデンツァは石を握り締め、苦悶を悟られぬよう、主人に向かって笑みを向ける。この石は、アンブローズが道すがら拾った『良く似た』石だった。自分が石を持って逃げれば、これ以上アンブローズに危険が及ばず、かつアンブローズの思惑通りヨースケを守り抜く事が出来るだろう。そう思えばこその行動だった。
(「それが、尽くす事しか出来ない私の役割――」)
 だが、アンブローズから返ってきたのは、カデンツァの思ってもみない言葉だった。
「馬鹿者。いきなり‥‥飛び出す奴があるか‥‥」
「‥‥!」
「無駄な足掻きは止めた方がいい」
 マルキスがカデンツァの背後に立ち、手をかざす。その掌からはいつでも光破弾が打ち出せる。
「俺には時間がない。ぐずぐずするようなら頭を吹き飛ばすぞ」
 淡々と告げるマルキスをアンブローズは睨み付けた。それは、外面を装う風のある常のアンブローズからは窺えないものだった。マルキスは視線に気付くとそれを真正面から見据えた。
「心通う者を庇い、庇われ、傷つけた者に怒る‥‥一見美しいが内に渦巻くものは、己のエゴだ。怒りの対象を排除しその者が得た平穏はまやかし‥‥その裏に必ず誰かの怒りを生み出し、混沌の波は拡がって行く‥‥。永遠に全人類の平穏は訪れない。感情を抱いてきた者ならばその苦しみは理解できるはずだ‥‥。それでも、お前達は『人間の為』に感情を崇拝する。不可思議でならない」
 ふと漏れ出た疑問は、とても素朴に聞こえ、聖堂の空間に溶けて消える。それは神と魔の間に深く切り立った断絶のようにも感じられた。
「一つ、言おう」
 アンブローズは、視線を外さぬまま、途切れ途切れに、言葉を紡いだ。
「全てが失われ、全てが壊された感情で接される事ほど、虚しい事はないのだ‥‥」
 それはアンブローズが常に感じていた事であり、神のあり方について思っていた事だった。
 その言葉に呼応するかのように、大サニティの振動が大きくなった。不安定な、異常さを知らせる、苦痛の叫びだ。
「カデンツァ、投げろ!」
 マルキスの背後から響いた声に、カデンツァは握っていた石を声のするほうへ投げる。シャイニングフォースを撃つつもりでいたマルキスは、その動きを読めずに、一瞬遅れて石の軌跡を追う。振り返ったその視界の隅に、この場にはないはずの、炎のちらつく光が映りこむ。真魔炎剣を宿した蹴りが迫っている。咄嗟に腕を差し上げて頭部を保護したが、その衝撃をまともに喰らって、マルキスの身体は数十センチ後退する。
 たんぱく質の焦げる匂いと、投げられた石が床に跳ねて転がっていく音が空間を支配する。
 絶えず聞こえていた不安定な振動は、嘘のように静まり返っていた。
「デギアスが壊されたようだな」
 防御の姿勢をとったまま動かないマルキスに向けて、蓮はその事実を告げた。
「別働の魔皇達がデギアスに向かっていた。彼等が事を成したんだろう」
 ことことと転がっていた石が、遠くでその動きを止めた。
「最初は、お前が交渉を蹴った時は、殲騎で攻撃しようと思っていた。だが、この上に住宅街がある事を知って止めた」
 マルキスは呼吸で肩が上下する以外に、動く気配を見せなかった。
「‥‥俺達がお前達に敵対するのは、お前達が憎いからではない。本来の人間の生き方をお前達が否定するからだ。確かに、一人の幸福が誰かの憎しみを生むかも知れん。色んな格差が生まれるかも知れん。だが、人は、お前達が思うほど弱くはない。そうして怒りや憎しみや不安を知るからこそ、他人を愛し、いとおしむ事が出来る。‥‥他人を愛することを失った人形の世界には、何の意味もない」
「義兄さんも、ね。きっと、その為に戦ってたんだと思うな」
 ミティは、静かに口を開く。
「難しい事は、よく分からないけれど‥‥ボクは、義兄さんがいなくなって、敵も味方も、人も神魔も関係なく、これ以上誰かが死ぬのは見たくないと思ったよ。マルキスさん、あなたもね‥‥。それって、そう言う事なんじゃないかなぁ」
 本来ならば、ミティの義兄がこの場にいるはずだった。だがそれはもう叶わない。ここには、静かに佇むミティが存在しているだけだ。
「飛乃もあいつも、必死に生きて、死んでいった。その思いを‥‥生きている俺は、少しでも継いでやりたい‥‥」
 レーグが、呟いた。
 音を出すものは全て沈黙した。薄暗い沈黙の中で、その時間は永遠に過ぎ去らないようにも思えた。
「‥‥それが、魔皇達の崇拝するものか‥‥」
 かすれた音が、白い虎の喉から流れ出す。
「人の強さ‥‥人の強さか‥‥。この、混沌に溢れた世界にそんなものがいくつ存在する‥‥。手元すら照らすことも叶わぬような一握りの希望を‥‥お前達は信じ続けるのか‥‥」
「マルキス。それを知りたいなら、次の宝塚の公演を観に来てほしい。この世界で生き続けてきた者達が、どれほど生きる力に満ちているか、きっと、分かってもらえると思う」
 美陽は力強く、マルキスを見据えた。
 誰もが、ただ分かって欲しいのだ。
 人がどれほど強き存在かを。
「‥‥帰るがいい。最早お前達の存在は不要だ」
「ドンマイっすよ虎の天使様! 死んだ女の面影追っかけまわすより、明るい明日に向かってダッシュした方がよっぽど健康的で市民もイメージアップっすから! ぬはは‥‥ぐふぅ!!?」
 場違いな励ましを送るヨースケを氷冥が手刀を振り下ろして黙らせたが、マルキスは何を言うでもなく彼らに背を向けた。