■《蒼嵐紫夜・神魔乱戦》【柘榴の瞳】ラストステージ■ |
商品名 |
流伝の泉・ショートシナリオEX |
クリエーター名 |
宮本圭 |
オープニング |
――この色を、なんと呼ぼうか?
藤色、菖蒲、葡萄色。紫紺、薔薇色、菫色。
呼び方はどうあれ、すくなくとも梅雨間近の季節の空の色ではなかった。
西暦二〇〇四年、五月十七日。この色彩はまず武尊山上空に染みのようなかたちで現れた。それは水面に落ちた絵の具のように速やかにひろがり、あっという間に関東・甲信の空を覆い尽くした。それが最後の戦いの狼煙であることに、いったいこの星でどれだけの者が気づいただろうか。
太陽すらかすませる色彩、空そのものが淡くかがやくこの現象の名前は、『紫の夜』という。
「‥‥あれか?」
コクピットの中で、大天使アタナエルはゆっくりと目を開く。
眼下の山中、ブナ林の葉陰で、二人組の逢魔が逃げていくのが見える。隠す必要がないからなのか人化はしておらず、どちらも逢魔の特徴をあらわにしていた。獅子の獣相の男と、骨の兜と篭手を身につけた少女。ちがうな、と一目で断じて、アタナエルはそのまま機体を上昇させる。
「信長どのはどうやら、儀式を止めることはできなかったようだが」
誰も聞く者がいないのを知りながらひとりごちる。
「これまでのデータから考えて、『紫の夜』の効果は約二十四時間。その間持ちこたえればこちらの勝ちだ」
殲騎なき魔皇ならば殲滅はたやすい。『紫の夜』の儀式が何らかの理由で連発できないことは、この一年で容易に推察できた。あとは今後の憂いを断つために、儀式を指揮する者がいなくなればいい。
「‥‥さて。彼らはどうやって、ここから逃げるつもりかな?」
目的は石の翼を持つ、十代の娘。
ナイトノワールの歩美。彼女の命は、いったい逢魔何人分の重さだろうか?
螺旋状の階段をのぞむ玄関ロビーで、歩美は外を見回ってきた密や魔皇たちを出迎えた。
最後に戻ってきたのはサテラとジャッドの二人組。彼らの報告を受けて、歩美は表情を硬くする。
「駄目でしたか。やはり、城は包囲されているようですね」
「逢魔も魔皇もひとりも通さないつもりだよ、あいつら」
この『紫の夜』のために集った逢魔は総勢百人弱。地元である群馬県内の密たちだけではとうてい人数が間に合わず、歩美が古の隠れ家から呼びよせた非戦闘員の者たちもかなり混じっている。
『時空飛翔』などの転移系能力で可能なかぎりの人数を逃がしたが、それでもまだ城内には五十人もの逢魔たちが残っていた。不安を与えぬよう、皆には儀式の間に待機してもらっているが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
「このまま篭城という手は‥‥?」
「『影の城』には最早なんの防衛能力もありません。ネフィリムで攻められたらひとたまりもない‥‥。やはり、織姫の言っていたルートをとるしかないようね」
「どういうこと?」
訝しげに問い返したサテラに、黒髪の逢魔の少女、織姫が進み出る。
「正確には、完全に包囲されているわけではないのです。包囲には一箇所だけ隙があります。
今のところ監視も認められません。世津さまにも見ていただきましたが、神帝の瞳のたぐいもないようです。この穴をつけば、麓まで皆が下山できるかもしれない‥‥」
「ちょっと待ってくれ。それはまさか」
「罠、の可能性もあります」
それでも飛び込まざるを得ないのだと、歩美は言外に指摘した。
「どの道このままでは全員が命を落とします。無理にでも包囲を突破するという手もありますが、それでは誰かしら犠牲が出るのは目に見えている‥‥。
罠にはまって皆殺しよりはいいと言う見方もあるかもしれない。でも、死ぬ人数が五十人から十人に減るからいいのだとは、私には言えません。犠牲は犠牲。皆の命は数字ではないのだから」
たとえわずかでも、全員が助かる可能性があるのなら、それに賭けたい。
語気こそ静かなものの確固とした決意を見せられて、逢魔も魔皇も一瞬沈黙した。
どう答えたものか迷う者たちの中で、ジャッドが最初に口を開く。
「歩美さま。魔凱は」
「今、私の手元にあるのはこれだけ」
青年に請われて開いたてのひらには、古の遺産である指輪が乗っている。
魔皇たちがそれを見下ろして次に顔を上げると、歩美の、サテラの、ジャッドの、織姫の、ほかのたくさんの逢魔たちの視線とぶつかる。
「お願いします。魔皇さま」
そうして手を伸ばすと、歩美のかぼそい手から、指輪はたやすく彼らのてのひらに落ちてきた。
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シナリオ傾向 |
シリアス 最終回 |
参加PC |
王・星光
笹川・璃生
神木・秋緒
ティルス・カンス
綾小路・雅
ショウイチ・クレナイ
水城・せあら
永来・彩夏
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《蒼嵐紫夜・神魔乱戦》【柘榴の瞳】ラストステージ |
召喚された殲騎はあきらかに姿を変えていた。永来・彩夏(w3h253)のシュティーアカンプ、王・星光(w3a287)の六乙。ショウイチ・クレナイ(w3h134)のブリュンヒルデ。
そして神木・秋緒(w3a833)の魔弾の射手。
「‥‥まーよくもここまで形が変わるもんだなー」
周囲の殲騎を見回して綾小路・雅(w3g677)は首を振る。
魔凱をつけた魔皇と逢魔の召喚した殲騎は、パートナーの逢魔の種族によって、その形状と能力を決定される。たとえばナイトノワールの乗る秋緒や彩夏の殲騎には、常にはない翼に似たブースターがあるし、ショウイチのパートナーの逢魔・スノーホワイト(w3h134)はウィンターフォークだから、雪狼に似た四足歩行型として組みあがっている。
しかしひときわ目立つのは、やはりレプリカントの逢魔・仙姫(w3a287)を乗せた六乙だ。
巨大なミサイルラック。鋭い爪を備えた一対のアーム。機動性に欠け、的になりやすいのが難だが、火力面においては他の追随を許さないとされる。全長六十メートルに渡る装備はどこにいても目立つ。
「いい旗頭になるんじゃねーの?」
「そんな柄じゃないけどね」
雅の言い様に王は苦笑すると、ちらりと背後の仙姫に目を走らせた。
「でもまあ、うちの子もようやく腹が決まったようだから」
その言葉を受けてわずかに仙姫の指先が反応する。背中ごしの慄きを感じたのか王の笑みが深くなる。パートナーに気遣う言葉はあえてかけぬまま言葉を続ける。
「いつも通りにやって、皆で帰ろうか」
迷いは、まだあるのかもしれない。
けれどこうして共に戦いにおもむくことが、信頼のあかしなのだと、彼が気づく時は来るだろうか。
「しーかーしー、何度見ても景とペアリングなんてキーモーいー」
指にはめた魔凱を見直して彩夏が能天気に笑うと、逢魔・景(w3h253)の冷ややかな視線があるじを睨む。露骨な溜息をついてパートナーは首を振り、ぼそりと呟きに似た声を落とす。
「‥‥司様は人選を誤った」
「コレが大事なモノなのはわかってるって。でもデモ、今まで魔凱ナシでも乗り切ってきたわけだしサ、今回もなんとかなる気シナイ? しない?」
しない? と疑問形でありながら、すると言えといわんばかりの勢いに景は肩をすくめた。
「どうせ前しか見えん暴れ牛に、今更何を言っても無駄だろう」
ふ、とかすかに伝わってきた気配に彩夏は驚愕して振り返る。いや振り返りかけて、景にぐりんと首をねじられ無理矢理前を向かされた。
「操縦中に後ろを向くな」
「ねえ景、今笑った? ねーアンタ今もしかして笑った?」
「いいから前を向け、牛娘」
「うははははは、う、うしむすめッ! 景、さ、サイコーッ」
景の科白に爆笑する雅のほうをねめつけ、彩夏はふたりとも覚えとけよと胸のうちで呟いた。
六乙を中心に部隊を展開する。背後には影の城。
陣営は扇に似た形で背後を護る。そろそろ歩美たちが撤退をはじめたころだ。
「来ましたね」
殲騎レフィーユに搭乗する笹川・璃生(w3a395)から伝わってきた思惟は緊張に満ちたものだった。向こうに見えないとわかっていながら、秋緒はひとつ頷く。
「まるで九月の再来ね」
あのときは、力至らず思わぬ被害を出してしまった。でも、今は。
皆、殲騎戦は初めてではない。だが今までとは状況が違う。この場にいる殲騎はぜんぶで八体、それだけで五十以上のネフィリムを食い止めねばならない。
伝わってきた思念に思いつめたものを感じて、璃生がふと顔を曇らせた。
「大丈夫」
逢魔・水鈴(w3a395)が、力づけるようにして目の前の魔皇に抱きついた。
「きっと、帰ってケーキで打ち上げできるもん」
そうねと、璃生はそれだけを答えて前を向く。そうね、きっと。
先陣として、剣を手にしたネフィリムが突っ込んでくる。
ダークグレーの殲騎ファシオルが空中を疾走する。真テラーウィングは機動力を大幅に増幅させていた。上空へと身を躍らせたティルス・カンス(w3g025)の刻印から湧き出したダークフォースが、指先から虚空へと変化を与えてゆく。
真旋風弾。そういう名前の力が、檻から解き放たれた。魔皇本来の持つ力が、暴力のように風を飲み込みながらネフィリムにぶちあたった。
「さっさと行け!」
聞こえていないのは知りながら地上の逢魔らに向けてティルスが叱咤する。同時にレフィーユの周囲に無数の光の粒が立ち現れた。
横なぎに降りそそぐ真魔力弾のなかでブリュンヒルデが空を翔ける。
組み付いた相手に、真テンタクラードリルを見舞う。肩からのびた触手に似た魔皇殻が、ネフィリムの装甲の表面を削った。単騎で突っ込んできたブリュンヒルデを狙って、他のネフィリムがそちらへと向かってきた。これはショウイチも予想済みだ。
「甘いですよっ」
突っ込んだのは、仲間を巻き込まぬためだ。
光が生まれる。閃光というにも生やさしい。「真衝雷撃」の生み出した雷の渦は、敵味方に容赦なくダメージを与える。敵がひるんだ隙をついて、シューティングクローで目の前の相手の頭部を貫く。
「もーっ、多勢に無勢すぎーっ。何このイナゴの大群みたいのっ」
殲騎白雪から、殺虫剤よこせーっ、とわめいているのはどうやら水城・せあら(w3h155)らしい。射出されたワイズマンクロックは、搭乗者であるせあらの意のままに動く。
「彩夏、右へ!」
「リョーカイッ」
王の指示を受けてシュティーアカンプがそちらへ動く。真狼風旋の助けを借りて瞬きほどの間に現れた赤い殲騎は、移動してきた勢いそのままに突進した。
「っらあァ!」
広げた掌で敵の頭部をわしづかみにする。そのまま振り回して、砲丸投げの要領で後続の敵にぶち当てた。それにあわせてせあらのワイズマンクロックが爆ぜる。
ひとつ、ふたつと立て続けに花火のように爆発が咲いて、動揺のためか陣形がわずかに乱れる。それを好機と六乙の装着したミサイルラックが開き、ミサイルが一斉に射出された。ひときわ大きな爆音と炎がその場の全員の五感を支配する。
続くのはティルスのスラスターライフルの斉射、そして雅の是空の真撃破弾。衝撃波に脚部をまるまる一本持っていかれてネフィリムが一体落ちていく。
「おっしゃあっ」
「っしゃーっ」
雅とせあらが、同時に息の合った歓声を上げる。次の敵を探して機首をめぐらせた白雪の動きが一瞬止まり、訝しく思った逢魔・秋月(w3h155)が魔皇のつむじを見下ろした。
「せあら? どうかしたの」
「あ、あっきー、うっかり下見ちゃったあ、高いようっ」
「ああせあら、大丈夫だよっ。殲騎は絶対に落ちたりしないんだからっ」
「ンなこと言ってる場合かーっ」
状況も弁えずに思わずしがみつき合ったせあらと秋月のやりとりも、アホかーっ、という雅の突っ込みも、幸い敵には伝わっていないようだ。
射出したシューティングクローが敵の一体をつかまえる。
クローとブリュンヒルデの腕はワイヤーで繋がっている。ぶんと腕を振るうと、ワイヤーの先にいる敵の機体が勢いをつけてふりまわされた。剣玉のように、敵のほうに向けて打ち下ろす。
光破弾、烈光破弾。集中された光の礫も、魔凱の与えた装甲には通じない。肩部からのびた真テンタクラードリルが斬撃を打ち払う。ブリュンヒルデは真六方閃で目の前の相手を焼きながら、それまで近すぎた間合いを広げる。
「スノー、気分はどうです?」
「大丈夫ですよう」
コクピット内部、しっかりとショウイチのしがみついたままスノーホワイトが微笑む。魔凱、加えて逢魔の宝物庫で得た殲騎の力を増幅するアイテム。普段よりも巨大な力を御する彼女には、かなりの負荷がかかっているはずだ。そうやって笑うことすら難しいはずなのに。
「本当に」
「大丈夫ですってば〜。あ、でも、殲騎を送還したらあとはよろしく〜」
その後は意識を維持する余裕がないと暗に言われたようで、ショウイチは黙り込む。
「でも〜、意識がない私に、変なことしないでくださいよ〜」
「‥‥‥‥」
「やん。ショウイチさんてばエッチ☆」
何考えてるんですか、きゃっ、などととぶつ真似をされ、魔皇は今度こそ黙り込み操縦に集中した。
「すまん、そっちへ行った!」
ティルスの思念にこたえて複数の殲騎が動く。ミサイルとダークフォースの雨を潜り抜け、数体のネフィリムが陣を抜けようとしていた。
テラーウィングを装備したレフィーユが追いすがる。ネフィリムの手足に走った白いラインはおそらく、強化グレゴールグラナトゥムの搭乗機だ。放たれた光破弾を払いのけ、さらに距離を詰める。
後方からはせあらの真六方閃。でたらめな軌道を描いた光の帯は、しかし目前で障壁に阻まれてはじけてかき消える。『冠頭衝』だ。
間髪入れずに璃生がパルスマシンガンを召喚する。魔皇殻に刻まれた刻印が輝き、ふたたび真魔力弾がネフィリムたちを追尾した。無数の魔力の礫でネフィリムの装甲が焼けて溶けてきしむ。六乙のクローアームが動いて、うち一体を弾き飛ばした。
「璃生、うしろっ」
水鈴の指示で、璃生はまた一機包囲を抜けてきた者がいるのを知る。まずい。挟み撃ちを避けるために、前方へマシンガンを連射しながら高度を上げた。
後方に集中してきた敵を察知して逢魔・麿(w3g677)が、目の前の魔皇の耳を引っ張ってわめく。
「ミヤヤー! 璃生小姐が危機的状況アルヨ!」
「あででで、バカてめ、ンなこと言ったってこっちだって手一杯だっての!」
向こうの目的は突破なのだから、こちらの撃破にはこだわっていない。接近戦組である彩夏やショウイチが引きつけるにも限度があるし、魔凱を得た六乙とて一度にすべての敵を攻撃できるわけではない。
雅の真幻魔影によってたちのぼったまぼろしが、彩夏の背後に回りこんだネフィリムを囲む。陽炎のようなものに包み込まれて動きを止めた相手に向けてパルスマシンガンを撃ちこむ。それでもまだ次がやってくる。とてもではないが、後方の援護までは手が回らない。
「せあら!」
「やってるってばー!」
悲鳴じみた声とともにせあらが真魔力弾を発動させた。降り注ぐ光の雨を、ネフィリムたちは冠頭衝、あるいは魔障壁や退魔壁でしのぐ。ネフィリムは殲騎のようには魔力を増幅できないが、こうした防御系の神輝力の効果は有効なのだ。
続いて、璃生もふたたび真魔力弾。第二波を防ぎきれずに二体ほどが落ちていく。それをもしのぎきった敵がついに六乙の横をすりぬけた。手傷は負わせたが、深追いはできない。後方に任せるしかない。
後方からひときわ大きな光球がうねりながら伸びてくる。
「!」
ショウイチがそれを受け止めようと動く。ウィンターフォークの魔凱殲騎は神輝力を無効化できる。だが光弾は軌道を変えてブリュンヒルデを避けた。いくつかのダークフォースと同じで、光破弾系の神輝力も狙いを外すことはありえない。
レフィーユに命中した烈光破弾は、威力はさほどではなかったものの、ひときわ大きな輝きで搭乗者の網膜を焼いた。
「目が‥‥!」
閃光が目に焼きついて視界の自由がきかない。続いて機体に衝撃が走り、コクピットが大きく揺さぶられた。でたらめに操縦桿を引いても反応がない。もう一度、今度はどこを攻撃されたものか、璃生も水鈴も震動をただ耐えた。今まで意識していなかった、重力という力が殲騎の内部を支配する。
――落ちるのだ。
「璃生‥‥‥‥!!」
とっさに動けなくなった隙をつかれ集中攻撃を受けたレフィーユは、そのままブナ林の中に墜落した。
「こーんな美女をシカトして」
ダークフォースを集中させる。グラナトゥム搭乗機はそれを逃れようと出力を上げて中空を翔ける。だが、魔凱によって与えられたブースターの最高速度はマッハにまで届く。搭乗者の力量はどうあれ、並大抵のネフィリムでは逃れることは敵わない。
ごく一瞬で間合いを詰めて、精緻につくられた指先で力任せに装甲をひっつかみ。
「通過していこうナンテ、甘いッての!!」
真獣牙突。装着した真ビーストホーンが装甲を貫通する。
璃生が撃墜されたものの、どうにか体勢を立て直すことができた。敵とて無限に出てくるわけではない。ショウイチとともに可能な限りの敵をひきつけ、今ではかなり敵の数も減りつつあった。討ち漏らしも出てはいるが多数ではないし、そのほとんどには手傷を負わせることに成功している。
「景、次ッ」
「十一時方向から『奴』が来る」
「げ。マジ?」
「冗談を言ってどうする。来るぞ」
女性に似たかたちのネフィリムが腕を前に差し出す。
空気が歪んだ、と思った瞬間に、一瞬遅れて音がやってきた。鼓膜を聾するほどのすさまじい衝撃波を、彩夏は咄嗟に両腕を交差させて防ぐ。びりびりと装甲が、いや、殲騎内部までもが大きく震える。
「アタナエル!」
持ちこたえた彩夏の横をすりぬけて魔弾の射手が走る。目の前の敵を片付けたファシオルも。秋緒が腕を動かして剣を打ち下ろすと、『タイース』は剣を操ってそれを受け止めた。
「ユリアっ」
「大丈夫」
ティルスに乞われて逢魔・ユリア(w3g025)が目を閉じる。
生身のときと同じ要領だとユリアは思う。心臓部であるコクピットから、逢魔の魔力は出口を探してめぐる。めぐりながら機体は魔力で満たされる。自分の体のかわりに殲騎に魔力を循環させる、それだけのことだ。魔力を放出するのも、放出される魔力にかたちと名前を与えるのも、いつもと変わらない。
――黒き旋風。
ファシオルの周囲から闇色の靄が生まれる。靄はユリアの意思に従って動き、流れ、風となってネフィリムへと向かった。不穏なものを感じてか、タイースはそちらに向けて手を上げる。
放電光がタイースのてのひらにまといつく。腕をなぎ払うと、ひるんだように闇色の風が形を変えた。続いて、彩夏に向けて放ったのと同じ衝撃波。旋風があえなく拡散する。
「そんな‥‥!!」
「このッ」
秋緒が今度は弓を構え、矢を放つ。あざわらうようにタイースは速度を上げた。当たらない。狙いは、黒き旋風を見舞うために間合いを詰めたティルス機だ。攻撃範囲に入るまいとティルスが後退し、アタナエルはそれを追う。
「挨拶も、ナシ、ですかっ」
彩夏の殲騎が追いすがった。力いっぱいにステアリングを引いて、そのために揶揄する科白はスタッカートがかかったものになった。横合いからの一撃は、しかし向こうの機体をわずかに掠めただけだ。剣がふるわれる気配を感じて、彩夏はとっさに身を引いた。刃の描いた軌道が、鮮やかに彩夏のいたあたりをなぎ払う。アタナエルの思惟が伝わってくる。
「なかなか楽しませてくれる」
笑っている。
「だが、遊ぶだけというわけにもいかないのでね」
ショウイチからの真六方閃。対応して、アタナエルは神輝力を編んでぶつける。『退魔聖壁』の障壁は、光の帯の軌道をぐにゃりとねじ曲げた。不可視の壁を越えてわずかにタイースの装甲を焼く光は、威力を極端に弱められている。
衝撃波がティルスの機体をとらえた。全身を苛む音と震動に、ファシオルの装甲が砕けて吹き飛んだ。速度が緩む。それ以上の追撃を阻むために王が真凍浸弾を放つ。
(「――強い!」)
機動力、魔力、ともに比べ物にならない。乗り手の差もあるが、何よりもアタナエルの機体は、通常のネフィリムよりも一階級上の『ヴァーチャー』だ。それがこれだけの力量の開きになる。
「黒羽」
ごくりと唾を飲み込んで、秋緒は後ろにいる逢魔・黒羽(w3a833)へと指示を出す。
手の中の石を握りしめながら。
「スピリットリンクを、切って」
悪魔化をすれば、どうなるかわからない。それでも、約束は約束だ。スピリットリンクを切れば殲騎を維持できず、ふたりとも空中に投げ出されるはずだが、黒羽は黒き翼があるから大丈夫。
――悪魔化すれば、自分も同じように翼で飛行できるはずだ。
「黒羽? どうしたの、早く」
いつも従順なはずの逢魔の返答がないのを訝しく思って、問いかけた言葉は途中で封じられる。背中から抱きすくめられて秋緒は息を呑んだ。縋るように、しがみつくように黒羽の腕が体に纏いつく。
「行かないでくれ」
痛みをこらえるような言の葉は静かだったが、その奥には抑えた力が秘められていた。
「‥‥行くな。私の‥‥秋緒」
礼をせねばな、とティルスが吠える。
「深澤と、敵同士として再会させてくれた礼をな‥‥!」
「馬鹿なことを」
速い。彩夏の攻撃をがっきと二の腕で受け止めた。タイースの腕の先から伸びた音波が至近距離からぶちあたり、それでも離れまいとシュティーアカンプは空中で踏みとどまった。
「人であることを捨てた時点で、きみたちはそんな感傷など捨て去るべきだった。でなければ、勝利などありえない」
大天使を援護しようと動いたネフィリムに向けて雅が魔力の弾をばらまく。ぱらぱらと是空にむけて光破弾が撃ちこまれるが、人間サイズの神輝力は殲騎にとってたいしたダメージにならない。
魔弾の射手が動く。ブースターの助けを借りて、殲騎は弾丸のように突っ込んだ。勢いをそのまま生かした打ち込みを、アタナエルは軽く払いのけた。
「約束を反故にする気かい」
「悪いとは思うけど、でも、かわりに別のものを見せてあげる」
「おろかな子だ。魔皇でありながら、矮小な人のかたちに何故こだわる? 君の悪魔化した姿は、さぞかし美しいだろうと思ったのに」
「あなたにはわからないわ、アタナエル」
衝撃波、二発目。秋緒はよけきれずに肩部にぶつかる。殲騎の内部が激しく揺さぶられ、前後の感覚を一瞬だけ見失いかける。
「『完全』が一番美しいと、そう思ってるんでしょう? 美和がそう求めたみたいに。今までのあなたの部下たちがそうであろうとしたように。宝石の価値を決めるみたいに、傷ひとつないものだけが美しいとあなたは思ってる」
「馬鹿なことを」
アタナエルは繰り返す。
「人間は不完全な生き物に過ぎない。導きがなければすぐに足を踏み外す。多少の痛みを伴ってでも、血塗られた歴史は別の色で塗り潰すべきだ。争いの火種となる野心も欲望も、喜びや充足を知らなければ生まれることはない」
魔弾の射手、そのまま旋回。前ほどスピードが出ない。ダメージで背部のブースターがいかれたのか、出力が安定していないのだ。すぐさま次の攻撃を放とうとしたタイースに、王の放ったミサイルが横殴りに命中する。
追いうちのようにショウイチの真六方閃。アタナエルは対して白羽陣衝。白い羽に似たエナジーが舞い散り、ダークフォースとシャイニングフォース、ふたつの力が反発して衝撃波が生まれる。それによる衝撃を堪え、彩夏の殲騎がさらに攻撃を続けた。退魔聖壁の効果がまだ続いていて、なかなか思うようにダメージを与えられない。
「ミサイル残数、五発」
蒼い硝子のような瞳に感情を映さぬまま仙姫が告げる。魔凱殲騎の与える火力も無限ではない。ちらりと背後に目をやりかけ、王は向き直って最後のミサイルを射出しながら言葉を放つ。
「君の信念は立派だよ、アタナエル。仙姫が迷うのも、わからなくもない。
けれど、平和や幸福は、誰から与えられるものではない。天使である君たちにはわからないか? 人間が自分の意志でそれを望む。手を伸ばして掴み取る。そうでなければ意味がない。なぜなら、何が幸福であるかなんて、他者からは決してわからないからだ」
世界は箱庭ではない。人間は人形とは違う。何故ならそこには意思が介在する。
男は愛する者を殺し、その面影をその娘に求めて死んだ。
女はアタナエルを恐れながらも、与えられた任務に忠実であろうとして死んだ。
少女は失った家族のぶんを埋めようと大天使に愛情を求め、彼女のためにかつての友人を手にかけようとしてやはり死んだ。
少しでも幸福であろうともがいた彼らの生き方を、けれど誰が笑えるだろう。
アタナエルの、神帝軍のしていることは確かに世界中から不幸を消し去るだろう。それは、彼らが考える幸福を人間に押し付けるだけにすぎない。幸福を求めて足掻く地上の人々の、その努力をあざわらう行為に他ならない。
「不完全だからこそ、人は前に進めるの」
前後左右に揺さぶられながら、秋緒が大天使に向け思念を紡ぐ。しぼり出すように。血を吐くように。集中力はとっくに限界に近い。黒羽が汗まみれの体を受け止めて抱く。操縦桿を握る手に、もうひとつの掌が重なった。
「時に躓きながらでも、進もうとするのが人間。神の助けなどいらない‥‥!」
真凍浸弾が放たれた。対応が遅い。秋緒の放ったダークフォースは、障壁に威力のほとんどを削ぎ落とされながらも機体に霜を落とし、得物を持った片方の腕を凍りつかせていた。動かない。
急速接近したファシオルが、ふたたび黒き旋風を放つ。生まれでた闇色の風がうねりながら、タイースのからだにまといつく。
「小癪な」
可視の風にからみつかれアタナエルがうめく。腕に指に放電光の輝きが生じた。鎖のごとく縛りつける魔力は重い戒めとなって動きを制している。それを引きちぎらせまいと、ショウイチのシューティングクローがタイースの腕をつかみとった。
衝撃波。至近距離から当てられて彩夏が吹き飛ぶ。打ち下ろされた剣をタイースはついに肩で受け止めた。自由なほうの片手がはねあがる。
魔弾の射手の、剣を手にしていないほうの腕が切断され刎ねとんだ。
それでも動きを封じられたままのタイースに向けて王の銃撃が見舞われる。ミサイルラックはついに底を尽きていた。装甲が爆ぜる。得体の知れぬ液体が噴出して殲騎とネフィリムを染めた。
「しぶとい奴だ」
「仮にも大天使サマだからな」
ティルスの独白に雅が答える。
「あいつがいなくなりゃ群馬は迷走をはじめるだろう。頭を失うわけだしな。マザーが死んだ場合と違って、部下のグレゴールやファンタズマは生き残る」
「そうなれば彼らは、自分の足で歩く術を見つけなければならない‥‥」
ティルスはそう言って、抵抗を次第に弱めていくヴァーチャーを見つめた。
神の意思を体現するために、地上に降り立った天使たち。仮に神を脳となぞらえるならば、神帝軍は脳の命令を実行するために動くいわば神の肉体だ。神の手足を構成する細胞たちは、これからどんな道を模索するのだろう。
腰につかまったユリアの腕が強く抱きしめてきてティルスは我に返る。
「わかってる」
それだけを伝えて、ファシオルを走らせる。
ファシオル内部の光景は見えずともなにやら甘い空気だけは思念ごしに伝わってきて、雅は恨めしげに後ろを振り返った。視線の先には己の背中にしがみつく三歳児。
「ナニしてるか。さっさと援護に行くアル、馬鹿ミヤヤっ」
「‥‥色気のないことおびただしい。やる気なくしそう俺様」
嘆息して雅もあとに続く。ネフィリムはすでに数少ない。ワイズマンクロックを爆発させ、その爆発にまぎれて弾丸をうちこむ。
影の城から黒い煙が立ちのぼっている。
秋緒の殲騎の腕が渾身の力をこめて、タイースの肩にくいこんだ剣を下まで引き下ろす。殲騎に伝わってくるアタナエルの思惟は、あくまで抵抗の意思を示していた。押し込んだ刃は心臓部、コクピットまで一気に装甲を裂いて降りていく。
装甲を軋ませるみしみしという音しか今は聞こえない。
ネフィリムの内部からの思念が沈黙していることに、その場にいる全員が気づいたとき、旧蒼嵐の戦いはついに幕を下ろした。
●ラストステージ・閉幕
「‥‥ん」
全身が痛んで璃生はかすかにあえいだ。呼吸をするたびに肋骨がきしむようだ。目を開くと誰かが自分を覗き込んでいるのがわかる。この人は‥‥。
「星光‥‥さん」
「うん」
王がみじかく答えると、璃生は身を起こしかけて激痛に顔をゆがめた。暗くなりかけている周囲のおかげで、撃墜からずいぶん長いこと気を失っていたのだと知った。横になっていた地面は冷たい。
「‥‥勝てましたか」
「ああ、なんとかね。無理な特攻をかけたせいで秋緒たちの傷がひどいけど、助からないほどじゃない。水鈴は向こうで、雅たちの手当てを受けてるよ」
「よかった」
「忘れないでほしいが、君の傷だって結構なものだよ? 魔皇でなければ傷が残っているところだ」
王の声がふいに真剣さを帯びて、璃生はうつむいた。呼吸をするたびに肋骨が痛む。折れているか、少なくともひびぐらいは入っているのだろう。では、胸が痛むのもそのせいなのだろうか。
「他人の心配もいいけど、怪我をしたときぐらいは誰かを頼りなさい」
「‥‥はい。すみません」
「念のために聞くけど、歩けないかい?」
「ちょっと‥‥無理かも」
「そう。じゃあ仕方ないな」
「え」
くるりと視界が反転する。気がつくと、璃生の体は王に抱き上げられていた。
「ちょ、お、オーナー」
「『オーナー』?」
先ほどは名前で呼んだのにと、おかしそうに王の顔が笑う。そんなにおかしなことを言っただろうか。さっき名前を呼んでしまったのは、意識が朦朧としていたからだ。いや、だからおかしいのだろうか?
一度呼んでしまった以上元に戻したらまたからかわれそうなので、璃生は思い切って名前を呼ぶ。出撃のときから、ずっと彼に言いたいことがあったのだ。
「星光‥‥さん。あの」
「ん?」
「ええと‥‥帰ったら」
「帰ったら?」
そのあと、璃生が王になにを要求したのかは、ふたりだけの秘密にしておく。
ハッチの隙間から手だけが見えていた。開けようと試みたが、どうしても開かない。おそらく、コクピットのフレーム自体が歪んでしまっているのだろう。機体はほぼ全損、コクピット内部もおそらくひどい状態だろう。もちろん搭乗者である、アタナエルも。
それが彼女の遺志なのだと、仙姫は感じる。
あの誇り高い女性は、せめて醜い死体の状態を誰にも晒すまいとしたのだと。
ハッチをこじ開けるのを諦めて、横倒しの機体からひらりと飛び降りる。
あるじのように、花を供えるような柄ではない。せめて亡骸を抱きしめられればとも思ったのだが、考えてみればそれを喜ぶような人ではなかったと仙姫は思う。
(おまえのうつくしさを私は覚えているよ)
おまえがいつか消え去ったあとも忘れないと、いつか言われたことばを思い出す。それは寿命を持たない彼女にしてみれば、ただのよくある睦言だったのかもしれない。けれど、それでも、仙姫はそれを覚えていた。
「俺、も、忘れない。思い出、消えない」
一度だけ振り返り、仙姫はつぶやく。慣れぬ日本語は、二進法では表現できない『ココロ』という領域を言い表すにはひどくもどかしい。しばし考えて、レプリカントの青年は、一言だけ故郷のことばを口にした。
「‥‥謝々」
立ち去って山道を降りていく仙姫の髪を、麓からの風が巻き上げていった。
この日、旧蒼嵐『影の城』周辺において、神帝軍と魔皇らの大規模な戦闘が行われた。
これまでの『紫の夜』の例をあげるまでもなく、この戦いも激戦となった。負傷した魔皇たちも多かったが、烈皇タダイ率いる名古屋メガテンプルム、および地元である前橋テンプルムは大打撃を受ける。
この戦闘によるものか影の城が一時炎上したが、幸い尖塔のひとつが消失したのみで消し止められた。
なお『紫の夜』を発動した歩美は、前橋テンプルムの放ったサーバントを辛くも逃れ、包囲を抜けて逃亡しているという。 |