■《蒼嵐紫夜・神魔乱戦》アメイジンググレイス■ |
商品名 |
流伝の泉・ショートシナリオ |
クリエーター名 |
宮本圭 |
オープニング |
中心に立つ歩美のくちびるから洩れ聞こえる言の葉がひくく静かに儀式の間を満たしていく。粛々と、朗々と、呪文は流れながら逢魔たちの意識へと流れ込み、それぞれの祈りを高めていく。
紫の夜の儀式は完成しようとしていた。
『儀式の間』の修繕に意外に手間取った。当初は儀式の遂行には十五日を予定していたのだが、魔法装置の修理、人員の不足などの問題で、実際に儀式がスタートしたのは五月十七日。二日の遅滞である。
儀式のあいだ、魔皇にはすることがない。
魔皇たちの役割は、影の城内部に不審な者が出入りしないかを見張ること。今のところ目立った出来事もないまま、滞りなく儀式は進行している。このままきっと儀式は完成し、紫の夜は発動する。
緊張を溜息と一緒に吐き出すと、逢魔がこちらを見ているのに気づいてどきりとした。
魔皇として覚醒してから、どれだけの時が流れただろうか?
自分ですら気づかなかった己の本来の性を、逢魔によって引き出されたその瞬間を今でも覚えている。もろく弱いただの人間であったはずのからだの細胞のひとつひとつが一瞬にして別のものにつくりかえられていく感覚、今まで知っていた自分がかりそめの自分にすぎなかったのだと思い知らされた衝撃を一生忘れない。何もかも、あのときからはじまったのだから。
足元の魔法陣があわく光る。
あれからたくさんの事件があった。さまざまな人と出会い、いろいろな場所を訪ねた。ある者は強いられた運命にやみくもに怒り、ある者は自分の進む道に惑い、またある者は大切な者を失って泣いた。
これを最後の戦いにしたいと歩美は言った。
最後の戦い。そのあとの自分には、果たしてなにが残るのだろう。
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シナリオ傾向 |
非戦闘 |
参加PC |
橋本・きいろ
テリアード・リュウト
音羽・千速
ティクラス・ウィンディ
立木・舞亜
真貴・琢哉
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《蒼嵐紫夜・神魔乱戦》アメイジンググレイス |
逢魔のひとりが、文献らしきものを見ながら地面に文字を書き加えていく。
「あっ魔皇さま、そこ踏まないで!」
「ああ、悪い」
知らず知らずのうちに、魔法陣の重要な部分に踏みこんでいたらしい。サテラに声をかけられ、真貴・琢哉(w3h174)は足を引いた。ばたばたと慌ただしく駆けていく少女は、よく見るとちゃんと魔法陣の隙間を縫って走っている。
「‥‥手持ち無沙汰だな」
もとより紫の夜は逢魔たちの領域で、魔皇に手を出す余地はほとんどない。儀式の警備といっても、自分のほかにも魔皇がたくさん集まっていた。抜け出しても大丈夫だろうと、琢哉は勝手に結論づける。
「あ、真貴くんだ」
かつて厨房だった場所に入ると、先客として橋本・きいろ(w3a096)が立っていた。
「儀式の間はもういいわけ?」
「正直なところ、することがなくてな」
「あはは、あたしと一緒だ。さっきコーヒー淹れたけど、飲む?」
ああ、と短く答えると、きいろがガラス製のフラスコを取り上げる。厨房には誰が持ち込んだのか、サイフォンコーヒーを淹れる器具が一そろい並んでいる。影の城には無論電気などきていないが、自称『科学な女子高生』のきいろには、アルコールランプやフラスコの扱いは慣れたものだ。
「始まっちゃうねえ」
「そうだな」
「考えてみれば、このゴタゴタが始まってもう一年なんだよね。あんまり実感ないけど」
紙コップに注がれる黒々とした液体から、ほろ苦い香りが漂ってくる。
「お互い、よく生き残ったよな」
「うーん、真貴くんはそうだろうけど、あたしは殆ど戦闘に関わらなかったしなあ。そのせいかな」
「何がだ?」
「覚醒する前もした後も、あたしは全然変わってないんだよね」
「‥‥‥‥」
「突然すごい力を手に入れて、人生が変わっちゃった人もたくさんいるんだろうけど、あたしは変わってない。好きなように生きて、それで周囲に苦労をかけて、いつもお金に汚いのがあたし」
変わってないよ、ときいろは言って、コーヒーを差し出す。
「やっぱり逢魔の考え方って、あたしにはちょっと合わない感じ。あたしは明日もあたしらしくいられれば、それでいーの。前線で戦う皆には悪いなって、ちょっと思うけど」
コーヒーを受け取って、琢哉はしばらく何を言えばいいのか迷った。
「‥‥変わらないほうがいいものもある、よな。きっと」
言葉を選んだのに、口にすればつまらない一般論になるのがもどかしい。そんな琢哉の拘泥を知ってか知らずか、成長がないともいうけどね、と、きいろは冗談ぽく笑ってみせた。
きいろが去ったあと煙草を吸いながら考え事をしていると、後ろから伸びてきた手が口元から煙草を取り上げた。灰が落ちそうになっていたらしい。
「どうしたんですか。ぼんやりして」
そう言ういつのまにか傍らにきていた逢魔・遙(w3h174)が、手近な皿の中に丁寧に灰を落とす。
遙のほうこそ、少しぼんやりした顔をしていると琢哉は思った。儀式の準備の手伝いで根をつめていたせいか、頬に疲労の色が濃い。
「‥‥ハルカ」
「はい?」
大丈夫かと、そのひとことが何故か言えず、かわりに黙って飲みかけのコーヒーを差し出した。
もっとも遙は、琢哉のこうした無言の気遣いには慣れている。ありがとうとそれだけ言って、ぬるくなった飲み物に口をつける。
「琢哉が淹れたんですか?」
「いや‥‥橋本が。悪い、もう冷めてるだろう。取り替える」
「いいですよ。すごくおいしいし、それに」
それに? と聞き返した琢哉の前で、遙は黙って手の中の飲み物を見下ろした。わずかな吐息で黒い液体が波立つ。
「‥‥琢哉が僕のためにくれたものだから」
穏やかな笑みにつられて、琢哉も少しだけ笑う。
「生きて終わらせような」
「ええ」
「終わらせて‥‥お前と俺の、これからのことを考えよう」
「これから、ですか?」
琢哉のつたない言の葉に、遙はくすくすと笑い出す。正直な思いを笑われて気を悪くしたのか、魔皇は憮然とした表情を見せて抗議した。
「何故、そこで笑うんだ」
「はは、ごめん、だって」
遙はようやく笑うのをやめて、魔皇の目をまっすぐに見返す。
「僕はいつだって、君の傍にいる。そんなこと、ずっと前から決めてるんですよ」
太陽が暮れかけた時間を狙って、歩美は城のバルコニーのひとつに出ていた。『影の城』は武尊山の頂上近くに聳えており、視界をさえぎるものはほとんどない。山野の先に見える田畑の間には、ぽつりぽつりと民家が立ち並び、さらにその向こうには、ともり始めた市街地の灯がかすかに見える。
太陽の時間が終わろうとしていた。
「‥‥コーヒー、飲むか?」
その声に振り返ると、ティクラス・ウィンディ(w3e066)が立っている。バルコニーへと吹きこんでくる風に銀髪を揺らして、男は少女に手の中のぬくもりを渡した。
「ありがとう」
短く礼を言って、紙コップに口をつける。風がかすかに山にさざなみを立てる。無音の状態をしばらく続けて、ティクラスはようやく口火を切った。
「‥‥頼みたいことがふたつある」
「何?」
「この戦いが終わったら、俺と‥‥」
「待って」
何を言い出すのか察して歩美が制止する。
「何故だ。司だからって、誰とも心を通じてはいけないのか? そんなのは違うはずだ」
「あなたは分かってない」
司になった時点で、その個体は生命の輪の中からはずれることになる。
たとえば雪花の一葉は少女の姿のまま永遠に大人になれないし、翡翠の鼎の美貌は決して衰えることはない。一方、魔皇は強靭な肉体を持ってはいるが、それでもその生命には限りがある。
「‥‥そんなの耐えられない」
だれかと愛を育んだとしても、別れのときに置いていかれるのは、かならず歩美のほうなのだ。
「覚えているか? 君が、前に俺に言った言葉」
「?」
怪訝そうに歩美が聞き返すと、すこしだけティクラスの口元が綻んだ。
「『大丈夫! 私、強い子だもん』って‥‥君はそう言って笑った」
手を伸ばす。抱擁を拒むことはできたはずだ。けれど歩美はそうしなかった。折れそうに細い体をかき抱くと腕の中のからだがかすかに震える。風の中で互いの体温だけが確かにそこにある。
「今でなくてもいい。いつか‥‥またあんなふうに君が笑うことができる時が来たら、そのときに、君の答えを聞かせてほしい。それと‥‥もうひとつの頼みだ」
腕の中にいる少女の存在を確かめるようにして、髪に顔をうずめる。
「約束してくれ。この戦い、絶対に生き延びるって‥‥」
儀式の呪文が聞こえてくる。
歩美が朗々と唱える呪文を、追いかけるようにして他の逢魔たちが追随する。低く高く聞く耳慣れぬ音韻はまるで歌のようだ。この合唱が終わるとき、空はまた紫に輝く。
「‥‥一年前と同じように」
逢魔・翠玉(w3f353)はひとりごちて、手の中のものを握り締めた。
「どうしたんですか〜?」
「‥‥‥‥!!!」
確かに気配がなかったはずの背後から声をかけられて、心臓が止まりそうなほど驚いた。振り返った拍子に、足元の石を思い切り蹴飛ばしてしまう。呪文の詠唱が続く城内に、その音はびっくりするほどよく反響した。
「おま‥‥ッ、急に声かけるなッ、びっくりするだろう!?」
「ふふ、それ、鈴音さんのお守りですよね〜? 会いたくなっちゃいましたか〜?」
罵声を浴びせても、当の立木・舞亜(w3f353)は意にも介さず笑顔のままだ。自分ひとりがツンケンしているのがばかばかしくなって、翠玉は深く息を吸って鼓動を整える。
「翠玉君は、儀式に参加しなくていいんですか〜?」
「‥‥魔皇のいる逢魔は参加しなくていいって、歩美様が。儀式で消耗して、戦いで魔皇を助けられなくなったら意味ないからな」
そうですか、とだけ言って、舞亜は天井を見上げる。笑顔に翳りはない。けれども、翠玉は魔皇の声の変化を感じ取っていた。
「‥‥ごめん」
「何がです〜?」
「嫌だっただろう。ここに来るの」
ギガテンプルムで見つけ出した魔皇は、人殺しの力などいらないと泣いた。
覚醒を拒否されて、大規模な作戦に加わることもできずにひどく悔しい思いをした。戦いにはやる自分の心だけでその頃は手一杯で、望まぬ戦いに巻き込まれた舞亜の心を慮る余裕などなかったのだ。
「きっと‥‥また戦いになる」
「でも、翠玉くんが守ってくれるんですよね?」
敵は殺す。翠玉の中では、戦いはそういうものだった。けれども今は違う。魔皇の背負っているものを知り、守りたい人も増えた。出会う前はこんな自分を想像すらしなかったけれど、でも。
「一緒にいてくれて、ありがと。翠玉君」
――この信頼に応えて彼女を護る自分を、僕は誇りに思うだろう。
にぶく光り始めた魔法陣は蒼白く逢魔たちの顔を足元から照らしている。歩美をはじめとする逢魔たちの顔に汗が浮かび始めているのがわかる。儀式を始めてからすでにかなりの時間が経過しており、消耗しはじめているのが傍目にも見てとれた。
‥‥魔皇たちのために、これだけ大掛かりな儀式が毎回行われてきたのかとテリアード・リュウト(w3b909)は驚き、何も知らなかった己を少し恥じた。
本当に自分は何も知らなかった。いや、知ろうとしていなかったのかもしれない。
「‥‥ミトン。大丈夫か」
もう夜が遅い。パートナーの逢魔・ミトン(w3b909)の目はほとんど閉じかけていた。声をかけられて、ぶるぶると首を振って目をこする。
「へ、平気だよ。寝たりしてないよ」
「そうか。眠くなったら言えよ」
胸元のペンダントの鎖が、しゃらりと音を立てる。
「テリーお兄ちゃん。お姉ちゃんのこと、心配?」
「そりゃあ、な」
パートナーの問いに肩をすくめる。
行方不明の姉のことを、考えるたびに胸が焼けつくようだった。当時の己の無力が呪わしかった。悔恨と悲嘆と焦燥と、それらがないまぜになって眠れなかったこともある。
けれどもいつのまにか、こんなふうに冷静に話すこともできるようになっていた。
「‥‥でも今の俺じゃ、たとえ姉さんに会えたとしても、顔向けできないんじゃないかって、な。力があっても誰かを救えるとは限らないが、せめて、誰にも恥じない生き方だけはしていようと‥‥今はそう思う」
やみくもに力だけを求めても、何も変わらないと‥‥そう思えるようになったのだ。
「ありがとう、ミトン。感謝してる」
「ミトン、何もしてないよ」
「ああ。それでいいんだ」
手を握る。テリーのほうからそうするのは珍しく、ミトンはちょっと驚いたように魔皇を見上げた。常にないほどやわらかい顔をした顔と目が合って、ミトンは目を細めて前を向き直る。
「ミトン、ね」
そっと手を握り返しながら、ミトンはつぶやくように打ち明ける。
「テリーお兄ちゃんみたいな人の、お嫁さんになりたいな‥‥」
魔皇さまが内心苦笑いを浮かべていたことを、ミトンは気づいていただろうか。
星が見えている。尖塔の中から見える風景は星空を切り取ったようだ。それを見ながら音羽・千速(w3d155)はため息をつく。少なくとも都会では、こんな星空は見ることはできない。
「‥‥ずいぶん遠くに来ちゃったね」
隣の逢魔・氷華(w3d155)に呟くともなく話しかける。
儀式はすでに始まっている。千速たちは周囲の哨戒として、影の城の尖塔のひとつから見張りを続けていた。
「もう一年になるんだよね‥‥。ね、覚えてる? 月華ちゃんが天使に狙われて、僕が手を引っ張ってふたりで一緒に逃げて」
おぼえてるよ、とかつて月華という名だった娘は笑う。
まだ互いのほんとうの関係を知らなかったころ。なにもわからないまま神帝軍との戦いに巻き込まれ、その中で氷華は真の姿――ウィンターフォークである自分を取り戻した。
「千速ちゃんが月華のたったひとりの人だって、あのときにわかったの」
そうしてふたりは覚醒を果たしたけれども、実際には『紫の夜』のとき以外で戦うことはほとんどなかった。同じく魔皇となった兄たちが危険な戦いに赴く間、大人のいないあの家で、千速と氷華は何度一緒に過ごしただろうか。
それでも人間として共に過ごした時間には足りず、いまだに「月華」と呼んでしまうのだけれど。
「これが最後って、歩美さまは言ったけど‥‥終わるわけないのにね」
幼いふたりでもわかるほど、本当は問題は山積みなのだ。たとえ総力戦となっても、これですべてが終わるとは限らない。いや、きっと終わらない。なんと無意味なのだろう。
だがそれでも烈皇タダイはその苛烈さゆえに、魔皇たちの存在を決して受容しないはずだ。だとすれば少なくとも、この戦いはもう避けられないのだ。
悲しそうに目を伏せて、氷華の呟きが夜闇に落ちる。
「どうして、昔みたいに皆と笑って暮らせないのかな‥‥」
ふいに、風が、止まった。
「始まった」
昼でも夜でもない、自然にはありえない空の色。空全体がにぶく輝いて、黄昏のように夜の暗闇をあまねく照らす。ふとその向こう、空になにかの影を認めて、千速は目を見開いた。
「‥‥ネフィリム」
それも一機や二機ではない。百は確実に越えているだろう。空中で静止したままずらりと並んだ巨人の一群は、手に手に得物を携えこちらを見ている。
現在の情勢でこれだけの軍勢を用意できるテンプルムは限られている。タダイが関東目指して進軍しているのは、すでに情報として入ってきていた。紫の夜は、本当にあやういところで完成したのだ。
「千速ちゃん。こっちも!」
氷華の言葉通り、反対方向からもネフィリムの集団が立ち並んでいた。おそらくこちらは地元、群馬県前橋テンプルムの一軍だろう。包囲されつつあるのに気づいて、千速は息を呑んだ。
氷華の手が服の裾を握り締めるのに気づいて、千速はその手をそっと押し包む。
「だいじょうぶ。月華ちゃんは、僕が守るから」
確かな声を感じて氷華もうなずく。
ふたりは踵を返し、下にいる者に知らせるべく、尖塔の階段を駆け下りていった。つないだ手が離れぬよう、互いにしっかりと握り合ったまま。
こうして、戦いの火蓋は切って落とされた。 |