■【恋守歌】梶葉姫■
商品名 流伝の泉・ショートシナリオ クリエーター名 月杜千晶
オープニング
   1通の手紙を何度も何度も読み返す。
   書いてある短い文章は、もうとっくに暗記してしまっているのだけれど。
   それでも。
   手紙の文字を読むと、遠く離れたあの人の声が聞こえてきそうで。
   もうすぐ会える。やっと会える。
   手紙に記された約束の日時を繰り返し確かめる‥‥。



 人を恋うる気持ちは強いもの。
 逢えない夜を重ねれば、想いはつのり、より強い気持ちを生み出す‥‥。
「魔皇様、お力を貸して欲しいんですの」
 流伝の泉から聞こえてきたのは、救いを求める逢魔の声だった。
「無粋なことに、グレゴールが人の恋路を邪魔しようとしているのですわ」
 深い溜息をつくと、逢魔は今回の依頼を話し始めた。
 今回の依頼で守って欲しいのは、相崎未由(19)と八木信也(23)の2人だという。
 遠距離恋愛をしている2人は、なかなか逢うことが出来ない。この夏、時間と旅費のやりくりをなんとかつけた信也は、久しぶりに奈良にいる未由に逢いにくることになった。
 逢える日を指折り数える未由だったが、彼女は知らない。彼女が信也を恋うる気持ちを刈り取っていたグレゴールが、それをよしとしていないことを。
 逢いたいのに逢えない気持ちを持続させるため、グレゴールは未由と信也を逢わせないようにするつもりだ。
「恋する2人の邪魔をするなんて酷いことですわ。そう思いません?」
 激するタイプなのか、逢魔の声はうわずり、そして涙声で聞き取りにくい。
「もしわたくしが恋する殿方とのことをグレゴールに妨げられたとしたら‥‥」
 えぐえぐ。
 逢魔はひとしきり自分に酔うように泣いた‥‥。

《今回の依頼》
 グレゴールの妨害を阻止し、恋する2人を無事に逢わせてください。

 グレゴールは、未由に対してはサーバントたちを差し向け、待ち合わせの近鉄奈良駅前の喫茶店に行けないようにする妨害を。そして、信也に対しては、巧みに扇動した一般の人々に、彼が列車から降り喫茶店に行くまでの間に事故に見せかけた妨害を仕掛けさせ、怪我によって待ち合わせに行けなくなるように企んでいます。
 この双方に対する妨害の撃破が今回の依頼となります。
 グレゴール自身は姿を現さないので、戦闘の難易度は低いと思われます。
 現在判明しているのは、2人の名前と年齢、現住所(未由は奈良市中院町。信也は東京都)、写真。待ち合わせの場所(奈良駅から歩いて数分の喫茶店)と日時(7月14日午後1時)。
 ではよろしくお願い致します。
シナリオ傾向 調査・阻止・恋愛
参加PC 双葉・灯
如月・朱刃
双葉・蓬莱
緋華・琉羽
桃花城・弓弦
黒鉄・左響
鍛人・巫兎
【恋守歌】梶葉姫
●信也  〜東京駅〜
 それぞれの目的を持って移動しているはずの人々も、混雑する駅内ではただの人混みとしか認識されなくなる。
 その中を桃花城・弓弦(w3d947)は八木信也から目を離さずに歩いていた。シンプルなノースリーブワンピースの肩に華やかなスカーフ。その上にほんのり桃色がかった輝きの髪を豊かに流し。駅にいる人々が作る不規則な流れを、すいと泳ぐように渡って行く。
 列車にいそいそと乗る信也を視界に捉えたまま、弓弦も同じ車両に乗り込んだ。
 弓弦と信也を挟んだ反対側には、緋華・琉羽(w3a589)がつき、信也が見える位置の座席に腰を下ろす。ちらり、と一瞬だけ弓弦と視線を合わせた後、さりげなく広げた文庫本に目を落とした。意識だけは信也の上に留まらせたまま。
 ガタン。
 列車は揺れ、走り出す。逢瀬に向かう信也と、それを守護する者を乗せて。

●未由  〜自宅〜
「こっちはまだ出てきてない。そっちは? もう少しで奈良駅か‥‥」
相崎未由の家の玄関が見える位置に陣取った双葉・灯(w3a119)は、携帯電話を手で覆うようにして話していた。相手は待ち合わせの喫茶店で待機している黒鉄・左響(w3f247)だ。
「とすると、八木さんの方が先に着きそうだな。それにしても、もうそろそろ出かけないと待ち合わせに遅刻し‥‥」
 とその時、喋っている灯の腕を如月・朱刃(w3a442)が制するように軽く押さえた。朱刃の視線を追った灯は、来た、とひとこと告げて携帯を切る。
 写真通りの、いや、それより少し綺麗に見える未由は、周囲にさっと視線を走らせた。が、観光ガイドを手に連れ立っている2人は、奈良では珍しくもない観光客にしか見えなかったのだろう。視線はそのまま道の先へと向けられ、未由は早足で歩き出した。
 パステルレモンのワンピース、白い帽子から出ている髪を片手で撫でつけて。時計を見ては、心配そうに小首を傾げ。
「このスピードで移動されると、自然な尾行は難しいな」
 カモフラージュの観光ガイド片手に、灯はかがみ込むようにして朱刃に囁く。
「そうだね。でも未由さんには後ろを振り返ってる余裕はなさそうだから、大丈夫じゃない?」
 好きな相手に綺麗な自分わ見て貰いたくて鏡とにらめっこ。ぎりぎりに慌てて家を飛び出して。
 その気持ち分かるよ‥‥そう言いかけ、朱刃は寂しげに口元を引き締めた。

●信也  〜近鉄奈良駅ホーム〜
 信也と未由の待ち合わせの1時間前から、双葉・蓬莱(w3a463)は近鉄奈良駅を歩き回っていた。
 怪しい集団はいないだろうか。人々を扇動している様子の人物はいないだろうか。
 駅周辺、地下1階の改札付近、地下2階のホーム、と順に下りながら蓬莱は周囲に目を配る。この時間帯、群れている人々は案外少ない。
 人が集まっている辺りを見つけると、そっと近寄っていって話に耳を澄ました。話の内容はたわいのないものばかりだった。仕事の話、共通の知人の話。そんな中で。
 近づいた途端、急に口を閉ざした一団がいた。知らぬ顔して通り過ぎると、またぼそぼそと何事か囁き交わしている。蓬莱はそちらに顔を向けないように気をつけながら、髪を直すふりをして手鏡をのぞき込み‥‥その一団の人々の顔を記憶した。

 列車は近鉄奈良駅に到着すると、どっと人々を吐き出した。琉羽は人波に紛れて信也に近づいた。弓弦はスカーフを取ってカーディガンを羽織ってから、同様に信也との距離を詰める。
 ホームは混んでいる、というほどのことはなかったが、それでも一気に流れ出した人の波の流れはそれなりにある。信也もそれに乗り、歩き始めた。が。目の前を歩いていた少女が唐突に足を止め、避けきれなかった信也は軽くぶつかった。
 反射的に謝った信也に、少女‥‥鍛人・巫兔(w3f779)は頭を下げ返す。
「こちらこそすみません。お友達と喫茶店で待ち合わせているのですけれど、どちらに行けばいいのか分からなくなってしまって‥‥あの、ご存じありませんか?」
 困りきった顔つきで、巫兔は信也と未由が待ち合わせている喫茶店の名前を口にする。
「俺もそこに行くから、良かったら一緒に」
「まあ、助かります。親切な人に出会えて良かったですね、狗丸さん」
 巫兔が傍らにいる逢魔に微笑みかけたその時。
 きゃらきゃらと笑いながら、制服の少女たちが階段を下りてきた。ふざけあいながら走ってきた勢いのまま、信也に次々にぶつかる。何人かは巫兔と狗丸が防いだが、すべては防ぎきれない。
 信也の身体は列車が通り過ぎた後の線路へとよろめいた。それをすぐさま琉羽と弓弦が支え、転落を止める。弓弦はダンスで培ったバランス感覚で数歩たたらを踏むだけで持ちこたえたが、琉羽は危うく信也の代わりに線路に落ちそうになり、自分から転倒してその勢いを殺した。
「大丈夫か?」
 慌てる信也の背後で、制服姿の少女たちはてんでに、ごめ〜んと軽く言いながら逃げて行ってしまった。
「ええ。ただのかすり傷‥‥」
 そう答えながらも、琉羽は腕についた傷を見て小さく眉を寄せる。脳裏に仕事のスケジュールが浮かぶ。モデルにとって身体は資本だ。
 信也は弓弦にも、君は、と訊きかけふと首を傾げる。
「確か‥‥東京から一緒だったよね?」
 いくら服装の印象を変えても、特徴のある髪は一番の目印になってしまう。
「あら、あなたも東京から? 気がつかなかったわ」
 弓弦は曖昧に笑ってみせた。

●未由  〜喫茶店への道〜
 家を出ると未由は裏通りを選んで歩いた。表通りは観光客の姿も多い。人の少ない通りを相変わらずの早足で進んでいく。
 その前を黒い影が1つよぎった。未由は気にする様子もなく歩き続けていたが、すぐにその影は数を増やして未由の進路を塞ぐ。
「な‥‥何‥‥?」
 その影は犬に似ていた。犬の顎を肥大化させ、足を二回りほど大きくしたようなサーバントが1匹、2匹‥‥5匹。
 じり、と未由が下がると、その分サーバントも足を進めた。先に行かせないことが目的らしく、すぐに未由に襲いかかろうとはしない。
 未由はサーバントに目を注いだまま、路地を曲がった。違う道から喫茶店に向かおうとしたのだが、またその進路にサーバントが回り込み、先に行かせまいとする。
 朱刃は尾行を打ち切り、未由の傍らに寄った。
「ボクの言うとおりに動いてくれる? あいつら、誘い出さなきゃ」
 未由はまだ混乱状態だったが、朱刃の自信ありげな様子に、訳の分からないまま頷いた。
 朱刃は未由を使い、目星をつけておいた路地へとサーバントを誘い込んだ。
 臨戦態勢に入ろうとするサーバントの気を逸らすため、灯は石を投げつけた。サーバントが飛び退いて避ける隙に、朱刃も未由を背にかばい、魔皇化する。
 朱刃が手をかざすと白い霧が発生し、サーバントを包み込む。視界の悪さにサーバントの攻撃が鈍る中、灯は手の中に現れたシルバーエッジを握りしめ、斬り込んだ。
 敵を見据える目の鋭さのままに、灯のシルバーエッジがサーバントを連続で切り刻む。灯に躍りかかろうとするサーバントに、朱刃は魔力の弾を放ち、その体勢を崩させる。
 元々が未由の足止めのために遣わされたサーバント、1体1体の強さはたかがしれていた。
 ほどなく2人は5体のサーバントを倒すと‥‥腰を抜かしてへたりこんでいる未由に手を貸して立ち上がらせたのだった。

●信也  〜駅構内〜
 線路への落下を逃れた信也は、階段を上り改札へと向かっていた。それを陰から窺っていた一団が、静かに動き始める。真ん中に目つきの良からぬ男を包むようにして。
 男の周囲の人々は信也の前に広がり、障害物となる準備をする。そして、中央の男が信也の鞄を狙って、ついと前に出る。
 鞄をひったくることにより、信也が喫茶店に行く時間を狂わせ、その上で新たな罠をかけられる態勢も作り出す。
 集団による作戦が動き出そうとしたその瞬間。
「くうっ‥‥」
 中心となるべき男が呻いて蹲った。
「あら、ごめんあそばせ」
 蓬莱はにっこりと微笑むと、男の足の甲をぐりぐりとヒールで踏みつけていた足を一旦上げ‥‥向こうずねを蹴り飛ばす。その横を信也は何も知らずに通り過ぎて行った。作戦のタイミングを外してしまえば、もう仕掛けることはできない。
 舌打ちする男に、蓬莱は優雅に艶やかな髪をかき上げてみせた。
「人の恋路を邪魔する人は、蹴られて死んでしまうものと、相場は決まっているんですのよ」

 上りきれば駅構外、行基像の噴水が見える出口Bに続く階段を、信也は上り始めた。
 巫兔は信也のやや後ろを歩きながら、階段を不安そうに見上げた。ばらばらと下りてくる人が皆、グレゴールに扇動されているように見えてしまう。緊張のうちに何人もと擦れ違い。もう少しで上りきる、という時。
「あ‥‥」
 身体に不釣り合いなほど大きなアタッシュケースを持った男性が、信也のすぐ上でよろけた。手から離れたアタッシュケースが信也に当たりそうになるのを巫兔は慌てて受け‥‥。
「きゃあっ」
 勢いに負けて階段を転がり落ちそうになった巫兔の身体を、蓬莱が抱き留めるようにして止める。
「すみません」
 繰り返し頭を下げながら、男性はそそくさとその場を立ち去った。
「なんだか今日は危ないことばかり起きるな‥‥。ごめん、俺、何かに祟られてるのかも」
 信也は怪訝な顔つきで手帳を取り出すと、待ち合わせの喫茶店までの道順をさらさらと記して破り、巫兔に渡す。
「分かり易い場所だから迷うことはないと思うよ。一緒にいるとまた巻き込むといけないから」
 じゃあ、と手を挙げると、信也は残りの階段を駆け上がり、外へと走っていった。まさかそれを走って追うわけにもいかず。巫兔は急いで喫茶店で待つ左響に連絡を入れた。

●ふたり  〜喫茶店〜
「すまない、ちょっと席を外す」
 連絡を受けた左響は喫茶店のウェイトレスに断ると、外に出た。
 携帯で巫兔から信也の描いた地図の説明を受け、逆から道を辿って行くと、信也はすぐに発見できた。やや遅れて巫兔たちが追う姿も見える。そして、信也を見つめている人影も。
 その女性は悩むように何度か首を傾げた後、横を通り過ぎようとする信也へと大きく足を踏み出し‥‥かけたまま動きを止めた。左響の闇蜘糸に絡め取られたのだ。
 女性の方は仲間に任せ、左響はすぐに喫茶店へと引き返し、何事もなかったかのように席に戻った。すぐに信也も喫茶店に入ってきて席に着く。
「お待たせしました」
 ここで待ち合わせ、という設定になっている巫兔も何食わぬ顔でやって来ると、左響にミッションクリアの笑顔を向けた。

 そして‥‥喫茶店の時計が1時の音楽を響かせるのに合わせたように、灯と朱刃に連れられた未由が入ってきた。
 しばらくぶりに逢う恋人同士の輝く笑顔は、周囲まで気恥ずかしいような幸せを振りまいていた。これで逢魔の伝から頼まれた依頼は終了だ。
「良かったな‥‥。大切な人と会えないのは、とても辛いし悲しいから‥‥」
 灯の表情は嬉しそうでありながら、憂いを帯びている。
「うん。幸せそうだね。ボクもいつかあんな風に‥‥」
 なれたらいいのにな、と小さく呟いた後、朱刃は、まっ、無理だけど〜、と冗談めかして笑う。
「あたしも、早く帰って彼に逢いたくなっちゃったわねぇ‥‥」
 信也と未由を眺めて琉羽が漏らした言葉に、逢魔の紅蓮が即座に反応する。
「おうおう、ノロケか、オイ?」
 茶化す言葉にも全く動じず、琉羽ははっきりと答えた。
「そうよ! ‥‥て言うか、貴方も逢いたい人が居るんじゃないのぉ?」
「な‥‥」
 絶句する紅蓮の様子に、琉羽はくすくす笑った。
「宵、せっかくだから‥‥私とだけど奈良を巡りましょう。案内できるわよ」
 弓弦は逢魔の宵と連れだって町に出て行き、巫兔は狗丸の頭を撫でる。
「わたくしたちも後でお散歩しましょうね。お兄ちゃんたちのお土産に、みむろ最中を買って帰りましょう」
「さあ、氷粋、俺たちもデートと洒落込むか」
 左響は自分の逢魔である氷粋に腕を回した後、もう一度信也と未由に目をやり、倭名抄にある和歌を口ずさんだ。
 ――瑞籬の神の御代より篠の葉を手草にとりて遊びすらしも――

 梶の葉姫‥‥織姫と、彦星が手を取り合う。天の川を溢れさせる雨を防いだ魔皇のことも知らず。ただひとときの逢瀬に酔いて。