■Promise 〜指切り越えて歩むミチ〜■
商品名 流伝の泉・ショートシナリオ クリエーター名 古美冬
オープニング
●平和の調べを手枕に
「こちら、宜しいですか?」
 ――相席になったのは偶然だろう、恐らく。
 真っ白な髪と紅い瞳が目を引いた。欧風の彫りの深い面立ちで日本語が流暢な事に、違和感を覚える。まあ、自分の感覚が古いのだろうが。
 無言で顎をしゃくると、一礼したその男は斜向かいに腰を下ろした。
「‥‥待ち合わせですか?」
「‥‥ああ、そんなところかね」
 沈黙が手持ち無沙汰になったのか、気安く声を掛けてくる。
「失礼ですが、レディは岐阜が長いのでしょうか?」
「‥‥?」
「いえ、岐阜に赴任して間もないので、こちらに詳しい方に色々話を伺っていまして」
 饒舌過ぎて、胡散臭くさえあったけれど。
「そうだね‥‥半世紀以上、になるか」
 あたしの年代ではさほど珍しくもない。戦争で唯一の主と連れ合いを亡くして。彼らが愛したこの地を見守るのが、それからの生き甲斐になった。
「それはそれは‥‥あの、それで。神帝軍の事は、どう思われていますか?」
 単刀直入な質問。この男の目が真摯だったからこそ、こちらもまともに答える気になったのだろう。
「お偉いさんが何を考えているかは知らないが‥‥戦争はもう、沢山だ。巻き込まれて犠牲になるのはいつも女子供。これまで通り平穏に暮らせれば、あたしはそれで充分なのにね」
「成る程‥‥」
 老いぼれの戯言と嗤うと、生真面目に頭を振ってきた。
「いいえ、とても参考になりました。有り難う御座います」

 ――それが、丁度1年前の話。
 彼とはそれきり、互いに名乗りもしなかった。単に新米のグレゴールかと考えていた。おおよそグレゴールなんて一方的な正義感を振りかざすのが多いから、変わった男だとも思った。
 でも、あの後から、岐阜での魔に対する締め付けはかなり緩やかになった。
 あの出逢いは偶然だろう‥‥恐らくは。
 岐阜の連中が魔を理解した、などとは思わない。こちらにとっても、神帝軍など善人面した侵略者に過ぎない。
 それでも、あの言葉はまだ生きているのだろう。別れ際の挨拶まで突飛だったから、今でも覚えている。
 ――せめて岐阜だけは平穏であるよう、お約束致します。

●パクス
 岐阜はその実、閉じた地域だ。俺が、そう治めてきた。
 お互い、いないモノとして手を出さない‥‥何時しか、神魔相互不可侵は不文律となったが、それも岐阜に根付く魔とこちらの利害が一致しただけに過ぎないだろう。
 力と力がぶつかった時、巻き込まれ傷付くのはその何れでもなく、人であると。
 最初の紫の夜で、目の当たりにしていたから。民の声を聞いたから。
 だからこそ、インファントの訴えもすんなり理解出来たのかも知れない。
 魔の殲滅を訴えるグレゴールは出向という名目で追い出し、人の盾とならんという者だけを残したのも。
 単に分相応に務めを果たしてきただけ、と言うべきだろうか。
 俺には、岐阜の安寧だけで手一杯だったし、敢えて他の面倒事に首をつっこむのも不本意だった。
 だから、他の地域は知らないし、権天使の方々の思惑にも別段興味はない。
 それが神の使徒として、果たして正しい姿勢なのかは判らないが。

「コマンダー、どちらに?」
「巡回だよ、巡回‥‥長野がどうもヤバイらしい。そのとばっちりは御免だからな」
「承知致しました」

 岐阜に平穏を――民に約束した言葉だけが、俺にとっての真実なのだから。

●涼歌
「涼歌」
「はい、大婆様」
 密の仕事もそろそろ慣れた。
 大婆様である手枕様の下、外務と内務に別れて日々情報収集に忙殺される岐阜の密。神帝軍に面が割れている私は、リンゼさんの下で情報を分析する内務勤務に配属された。
 おっとりお嬢様然としていて、リンゼさんはその実仕事に厳しい。大婆様の片腕とも言われていて、一部の密からは敬遠されてもいるようだ。
 それでも、ボンヤリしている暇さえない方が、私には有り難かったから。
「あの、何でしょうか‥‥?」
 大婆様に呼ばれたのはこれで3度目。前の2回共こっぴどく叱られていたから、内心ビクついていた。
「お使いを頼む。これを、綴喜に届けておくれ」
「え‥‥」
 綴喜さんは外務の束ねで、いつも岐阜中を飛び回っている。だから、連絡係に内務から出るなんてない筈なのだけど。
「仕方ないだろう、人手が足りないんだから」
「で、でも‥‥私はまだ、この辺りの地理もよく判ってないです」
「つべこべお言いでないよ。地図も綴喜の携帯番号もこっちに書いてある。余程の方向音痴でなきゃ、何とかなるものさ」
「‥‥は、はい‥‥」
 強引に大判封筒を押し付けられ、部屋から追い立てられた。途方に暮れて仕方なく、住所が書いている紙片を広げてみる。
 思わず、息を呑んだ。
 ――美濃市常盤町。古式ゆかしい「うだつ」の町並みが自慢だと、そう教えて貰ったのは何時だったろう。

 あたしの故郷、あんたにも見せてあげる。全てが終わったら、一緒に帰ろう――貴方との約束は、もう果たせないけれど。
シナリオ傾向 フリーシナリオ
参加PC 凪刃・凍夜
月島・日和
司馬・礼二
笠井・琴
イーゲル・クレイム
Promise 〜指切り越えて歩むミチ〜
●In 岐阜テンプルム
「そうか‥‥」
 白鳩の嘴から、溜め息が漏れた。
 ――岐阜テンプルム、コマンダールーム。
 さして広くもない白亜の空間に、珍しくかなりの影。
 数えて約20名。老若男女様々だが、一様に疲弊し表情は暗い。
「レミエルは逝ったのか‥‥」
「はい‥‥」
 長野コマンダーの苦悩の結論を、烈皇タダイは己が正義の下に断罪した。
 この粛清の詳細を岐阜に報せたのは、他ならぬ長野テンプルムより落ち延びたグレゴール達だった。隣県の出来事であり情報社会の世の中に在って、皮肉な話だろうか。
 瑠璃のネット掌握作戦より2ヶ月。その影響は未だ大きい。
(「穏健派と言えど、やはり武官だったか‥‥」)
 岐阜を預かる大天使は、暫し瞑目した。
 タダイにしろ、レミエルにしろ、パクスの目にはひどく頑強に映る。概ね武官は己が信条の下、良く言えば潔く、悪く言えば融通が利かない。
 最後まで真っ直ぐに自らの平和を貫こうとして散ったレミエルと、真意は腹に収め不干渉で以て戦争回避を選んだパクス。
 長野と岐阜、同じ穏健派を掲げてきた大天使の取った道は、ある意味対照的だ。
 どちらが正しかったなどは無意味な問いだろう。それを判断するのは後世の目だ。
 ちなみに、パクスは根っからの文官である。
「パクス様‥‥?」
「うん? ‥‥ああ、お前達の好きにすれば良い。岐阜に留まり長野の趨勢を見極めるもよし、更に西を目指すなら県境まで送らせる。但し、留まるなら民の盾となること。タダ飯食いを養う余裕はないし、魔を滅する矛は岐阜には必要ない」
「愚問ですな」
「‥‥そうか」
 確かに、ここにいるグレゴールはレミエルを喪い変質した長野テンプルムを良しとせず野に下った者ばかり。
 パクスは浅く笑ったようだ。
「ロマナ!」
「‥‥お側に」
「トモエに長野よりの客分を任せたいのだが」
「マスターでしたら、哨戒に出られました。恐らく東部方面かと」
「‥‥なら、ひとっ走り頼めるか? 人事を俺の一存で決めれば、後々うるさい」
「承知致しました」

●美濃への道行
「ど、どうして‥‥」
 戸惑う涼歌。確かに密のお使いに4人ものが同行を申し出れば、誰しも驚くだろう。
「えっと‥‥ご、護衛」
 笠井・琴(w3e827)は思わず目を逸らした。ペパーミントのポットを手土産にだから、その名目も何となく据わりが悪い。
 美濃市が涼歌の亡き主、曾根崎深咲の故郷である事はリンゼから聞いていた。
 あの時、琴は涼歌に見せてあげたいと言った。深咲の故郷を‥‥はっきり涼歌と約束した訳ではないけれど、自分も行きたいという気持ちも否めない。
「‥‥何よ、至智」
「別に?」
 どう言うべきか困り果てる琴を、逢魔・至智(w3e827)は明らかに面白がっている。薄笑いが何とも癪に障ったり。
「良いではないですか。折角、魔皇様方がお越し下さったのですもの」
「で、でも‥‥」
 おっとり取りなすリンゼは既にお見送りモードで、涼歌は怖ず怖ずと車椅子を窺う。
「揃って迷いました、なんてドジはお踏みでないよ」
「は、はいっ!」
 尤も。密の長『大婆様』こと手枕からはもっと手厳しい激励で、反射的に頭を下げた涼歌は弾かれたように駆け出す。
「あ、待って!」
「やれやれ、落ち着きのない‥‥おや、どうしたね?」
「あ、その‥‥」
 涼歌を追う3人を余所に、逢魔・シィーナ(w3c851)だけが手枕に何か言いたげな表情。
「‥‥‥いえ、失礼しました」
 初対面での手枕の言葉は、未だに彼女の胸に波紋を広げている。でも、まだその気持ちを量り切れなくて、結局会釈して踵を返さざるを得なかった。

「手枕さんって、怖い?」
 美濃までの道すがら、ポソポソと交わされるお喋りは専ら琴と涼歌で、司馬・礼二(w3c851)達はその周りで聞き役になっている。
「怖いというより‥‥苦手です。その‥‥歯に衣着せない方ですから」
 今は雑用係で、コピーとかタイピングとかコピーとか、時々買い出しとか、少しずつ仕事を覚えているらしい。
 そして、しくじれば厳しい檄が飛ぶ。でも、それが有り難いと涼歌は呟いた。
「どういうこと?」
「優しくされない方が良いんです‥‥今の私には」
 密に迎えられて判った事。手枕を始めとする彼らが、どれだけこの岐阜を大切に想っているか――この地を蹂躙しようとした悪魔の一端が自身にあった事を、涼歌はけして忘れていない。
「自分を責めて泣き暮らして良いなら、そうしています。でも‥‥きっと何時までもそのままでいるでしょうから」
 だから、手枕のようになりたいと口にする。
「えー、涼歌さんがあんなうるさ方になるのはちょっと‥‥」
「フフ‥‥大婆様はマスターや最愛の旦那様、沢山の親しい方を見送って。それでも、前を向いておられる‥‥そんな風になりたいんです」
 その呟きは、淡い淡い微笑みに紛れてしまったけれど。

●In 中津川
 恵那郊外の山中から中津川へ向けて――逢魔・琉璃(w3b167)は静かに軌跡を遡っていく。悪魔の通り道を。
(「『魔』がこの地の人々にどんな痕を刻んだか、見ずして前に進めませんから‥‥」)
 神魔の戦いの先は見えない。けれど、せめて平和を望む者に平和の地を――それが、琉璃の切なる願い。

「‥‥いい所だな、ここは」
 最初は、悪魔退治に立ち寄っただけのつもりだった。神魔の争いがさして表面化していない場所とて、他にもあるだろうし。
「無論。その為に我々がいる」
 返答は変わらず素っ気なくて、凪刃・凍夜(w3b167)は思わず苦笑を浮かべた。
 ここ2ヶ月で予想以上に縁深くなった岐阜をぶらつくのも、また一興と思った。偶には急がないアテもない放浪も悪くない。
 けれど、結局流れ着いたのは中津川――悪魔に蹂躙された街。徐々に復旧は進んでいるが、それでも懸念はある。
 潰された長野、関東は紫の夜の決戦を迎える。他所にちょっかいを掛ける余裕など両軍共に無かろうが、警戒するに越した事はない。ならば、この方面が1番焦臭い。
 この状況でパクス達はどう動いているのか――とある一角にて、見覚えのある編み込み頭が目に付いたのは偶然、それとも必然か?
「貴様は‥‥」
 岐阜サブコマンダー、伴慧立香――トモエはあからさまに眉を顰めた。静かに右手が懐に入る。
「おいおい、御挨拶だな」
「‥‥魔は、信用出来ん」
 それでも、問答無用の戦闘開始とならないだけマシかも知れないが――斯くして、シーンは最初の台詞に戻る。
「それでも、魔の殲滅より人を護る盾、か? 確かに俺は‥‥人の振りをして生きているだけだ。魔皇は人じゃない、この力がその証‥‥ならば『演じる』だけだ、ただの人をな」
「口ではどうとでも。人は1度力を手にすれば‥‥それを捨てる事などおいそれと出来はしない」
 にべもないトモエの口調に刹那、苦いものが混じる。或いは自戒と自嘲、なのかも知れない。
「力を捨てる訳じゃない、必要ならば戦おう。だが、『人の振り』をしているだけなら見て見ぬ振りされるこの地は気に入った。だから‥‥俺はここにいる」
(「まあ、感傷かもしれんが‥‥余計な戦火を広めない助力はすると言ったばかりだしな」)
 筋は通す。たとえ1人の身でやれる事は微々たるであろうと、これが凍夜のやり方だ。
「フン‥‥勝手にしろ。貴様が力を振るう衝動に負けた時、私がこの手で引導を渡してやる」
「‥‥肝に命じておこう」
「マスター、お捜し致しました」
 その時、空から淡い輝きを纏って舞い降りた少女が、静かにトモエに跪いた。
「ロマナか‥‥どうした?」
「実は‥‥」
 凍夜に目もくれず、少女はトモエに耳打ちをする。2人の様子からしてトモエのファンタズマと窺える。
「‥‥判った、すぐ戻ろう」
 チラリと凍夜を一瞥したトモエだったが、すぐ踵を返した。別れの挨拶さえない徹底振りが寧ろ清々しい。
(「けして馴れ合わない、か」)
 忽ち消えた後ろ姿を見送って、凍夜もまた雑踏に混じる――人に紛れ生きる、『ただ』の一魔皇で在る為に。

●In 岐阜
 頭上にテンプルムを戴くにも拘わらず、市街の雑踏は1年前とさして変わってないのかもしれない。
 戦渦に巻き込まれた事がないという岐阜の街を選んだのは、一重に主の息抜きの為だったのだけど。
(「目的外したか? もしかして‥‥」)
 散策しながら、月島・日和(w3c348)はずっと考え込んでいる。逢魔・悠宇(w3c348)は溜め息を吐いた。
(「‥‥全く。これで息抜きにならなかったら意味無いっての」)
「‥‥あ。ごめんね。折角のんびりしようって誘ってくれたのに」
 ハッと我に返った日和の額を、悠宇がチョイとつつく。
「あのなぁ、生真面目な主を持つ逢魔の苦労も考えろよ」
「うん‥‥でもね、悠宇と一緒でなかったらのんびり出来ないし、楽しくないのよ?」
「‥‥‥‥」
 天然の殺し文句に思わず赤くなった悠宇だが、ハッとその表情が強張る。
「どうしたの?」
「‥‥血の匂いがする」
「え‥‥!?」
「どけっ!」
 咄嗟に日和を突き飛ばし、広がった石の翼が黒き旋風を放つも――路地裏よりの疾風の一撃が悠宇を地面に叩き付けた。

「悪かったな」
 不可抗力だったかも知れない。だが、あんまりにすげない言葉だと悠宇は思った。
 よりにもよって、戦闘に巻き込まれた――市内で手配中の『魔皇』の捕り物にぶち当たり、そのとばっちりを受けたらしい。
 何とも不幸な巡り合わせである。
「‥‥まさか、岐阜が魔皇のデートスポットになろうとはな」
 悠宇を殴り倒しその治癒を施した張本人は、苦笑しきり。神輝掌<シャイニングフィンガー>系のシャイニングフォースは人には効かない。図らず正体がばれた形になったが、相手にどうこうする気はないようだ。
「‥‥岐阜は神魔相互不可侵が不文律と聞いていたのに」
 それでも、日和の言葉に皮肉が混ざるのも仕方ないだろう。だが、天使はあっさり肩を竦めた。
「違うな、俺達の相手はテロリストだ」
「‥‥?」
「岐阜の民を害する者は、たとえ人であろうが天使であろうが容赦しない。まあ、魔の者が多いのは確かだが」
 岐阜はいわば『路傍の石』だ。関東圏にも近畿圏にも遠く、南の愛知が魔皇軍の攻撃を一手に引き受ける。騒ぎさえなければ、単なる通り道としか認識されない。
「俺達はその『路傍の石』まで除こうとする酔狂さえ何とかすればいい」
 そして、盾に徹する岐阜神帝軍の守りは堅い。神帝軍への干渉を嫌い、その協力を拒む岐阜の密の体制も一助ではあるだろうが。
「無為に徹して得られる平穏もあるのだよ」
 詫びも兼ねてだろうか。天使はひどく饒舌だ。
 彼の言葉は日和にも理解出来た。方法はどうあれ、相互不可侵は和平を目指す者が目標とする形だ。神と、人と、魔の共存は、確かにこの地で果たされているようにも見える。
「でも‥‥」
 人は、遥かに強大な力に恐れを抱く。そこから神魔を排斥しようという動きに繋がらないか。
「神も魔も人に仇なしたいなんて考えてないでしょう。でも、人がそうだと思ってくれない可能性だってあります」
 共存は理想ながら、その実とてつもない危険性を孕む。大切なのは、神魔が人を想う心がどれだけ伝わるか、どれだけ伝えようとするかではないのか。
「‥‥それは、たかだか1年や2年でやり遂げようと言う方が間違ってないか?」
 天使の返答は苦笑混じりだった。緩やかに浸透すれば然したる抵抗も無かろうに、神魔共に変革を急ごうとする輩が多過ぎる、と。
「まず『異質』そのものに慣れさせる事。俺達を理解して貰うのはそれからだと思うがな」
 結局、日和達も天使も最後まで名乗らず別れた。
 だから、彼の天使が文字通り『平和』の冠する者であった事を――2人は知らない。

●In 美濃
「‥‥何処行っちゃったんでしょうね‥‥」
「寧ろ、ここはどの辺りなんでしょうか?」
「イーゲル様‥‥」
 イーゲル・クレイム(w3h928)の途方に暮れた面持ちに、逢魔・ミリア(w3h928)は深々と溜め息を吐く。
 涼歌を見守りたいと、コッソリ付いて来たのは良いけれど。風情ある「うだつ」の上がる町並みに、気を取られてしまったのがいけなかった。
 現在、2人して迷子状態である。
「わ、私は良いんですよ。涼歌さんさえ大丈夫なら」
「そんなに心配なら、普通に一緒すれば良かったのに」
「う‥‥だ、大体会ってどうするんですか。私は‥‥あの娘にとって、辛い過去の中の人に過ぎないんですよ?」
 ポソポソ言い返すイーゲルに、ミリア本日10回目の溜め息。
「そんな事、一番気にしてるのイーゲル様じゃないですか」
 尾行なんて得意でもないし、きっとバレバレだろうに‥‥でも、その気遣いが彼らしいと言えばそうなのだろう。
「兎に角‥‥誰か人に道を聞いて――」
「そこの観光協会の番屋なら、詳しい地図でもあるんじゃないか」
「これは御親切にどう――」
 絶句。壁に寄り掛かり、人を喰ったような笑みを浮かべる綴喜。その傍らにずらずらと5人。
「イーゲル様‥‥?」
「あ、あの! これは、そのぅ‥‥」
 勿論、涼歌も不思議そうに首を傾げている。あんまりにイーゲルの狼狽する様子が可笑しくて、ミリアは思わず吹き出した。

「ここが‥‥?」
「ああ、『案内』はここまでだ」
 本玄寺に程近いこぢんまりした一軒家。何て事はない普通の家だが、見上げる涼歌の瞳は潤んでいた。
「覚醒の時点で、葬式が上げられたそうだな」
「はい‥‥自分はもう死人だと、寂しそうに仰ってました」
 表札は『曾根崎』――主の実家を見て、涼歌は何を思うのだろう。
「‥‥」
 その肩が震える。
「涼歌さん?」
「もう、大丈夫と思ってたのに‥‥」
 シィーナに肩を借りて、嗚咽が漏れる。
「どうして自分だけ、ここにいるの‥‥?」
「あのさ‥‥」
 クシャリと琴が彼女の髪を撫でる。泣き顔は覗かない。そうして良いのは、きっと1人だけだ。
「魔皇として戦っても、普通に生活しても、幸せがどれだけ続くかなんて誰にも判らないよ」
 たとえ花が散っても芽吹く命があり、土砂降りの後には鮮やかな虹が掛かる。別離の後に出会いがあるかも知れない。
「だから、『今』を生きるのが大事なんだ。生きてなきゃ、何も感じられない」
 ん〜、やっぱり上手く言えてない?――思わず苦笑が浮かんでしまう。
「ちゃんと伝えられるまで、私は涼歌さんに会いに行くよ。約束」
(「あげたいって思ったのは、ほんの少し先の未来への願い。深咲さんという存在は唯一だけど、あなたに温かさが満ちる時が訪れますように」)
「確か日本の屋根、だったか‥‥」
 ポソリと呟く至智。
「魂が天に昇るか地に還るか知らないが、ここは天地どちらも近い。届くのではないか? お前の歌も」
(「今回が彼女の希望にならん事を‥‥」)
 動かない涼歌の背を見つめて、そっとイーゲルは祈る。
 やがて、顔を上げた涼歌の横顔はとても静かで。
「‥‥そう、ですね」
 まだ、自分に言い聞かせるようではあったけれど‥‥ゆっくり息を吸い込む。
「――――」
 サイレントソング――声なき歌声は、唯一の主の為に。けれど、そこに込められた想いは魔皇達にも聞こえたような気がした。