■信州戦国絵巻 第三幕『参戦非戦』■
商品名 流伝の泉・キャンペーンシナリオEX クリエーター名 松原祥一
オープニング
●長野テンプルム
「レミエル様、畏れ多くも神帝様より拝命した長野統治の任を放棄するとは如何なるご存念か、我らにご説明くださりましょうな?」
 長谷川伊佐夫は、今回ばかりは承服しかねるとばかりに長野テンプルム司令、大天使レミエルを仰ぎ見た。レミエルは彼女の神輝力を使い、戦いを止めて長野の支配を人間に返還すると魔皇達に宣言していた。
「この長野神殿の存在が人々の苦しみとなるなら、それを取り除く事こそが私達の務めではありませんか」
「それでは魔皇に膝を屈したも同然ではありませんか!」
「屈したのではありません。人々を苦しめる戦いを止めるのです」
 大天使はこの件について、己の主張を押し通した。
「‥‥しかし、これからどうされるのですか?」
 グレゴール達は魔皇と戦い、そして人々を導く事が仕事だ。魔皇との戦いを止め、人間を統治しないというのであれば存在価値は無いと言われたも等しい。
「長野を非武装地帯として解放します」
「解放とは?」
「東京の避難民を長野で受け入れます」
 この申し出は関東魔皇軍との決戦を控えて戦闘に注力したい東京神帝軍には渡りに船だった。
 そのため長野神殿の独断はひとまず棚上げされる格好となった。
 となると問題は、中仙道を通って関東入りする名古屋神帝軍、烈皇タダイへの対処だった。
 タダイは武断派の象徴的存在であり、対応を間違えれば長野神殿くらいは一飲みにされてしまいかねない。

●魔狼隊
 先日、穏健派の魔皇達が長野神殿にある提案をしていた。
 過激派の対処も含めて長野の治安維持に協力したいというものだ。
 レミエルはこれを承認する。発案者の命名でそれは魔狼隊と呼ばれた。
 長野を非戦地帯とする事で関東の勢力図を大きく書き換える事が可能だと判断した魔皇軍はこれを歓迎する立場を取った。神帝軍と同様に、関東魔皇軍もまた東京の決戦に集中したかった。
 そのため、長野魔皇決起派と穏健派の手打ちを求める声が強まった。
 逢魔は今回の休戦に貢献した魔皇達を中心に両派の和解を取り持ってくれるよう依頼を出す。
シナリオ傾向 PC主導、ドラマ重視、戦争と平和
参加PC 二神・麗那
メレリル・ファイザー
橘・朔耶
鑑・冬馬
紅・紗那
マニワ・リュウノスケ
橘・月兎
瀬戸口・千秋
瀬戸口・春香
桜・翠貴
橘・高耶
イトウ・トシキ
祇亜・ヴォルフ
幾瀬・楼
片倉・景顕
コウエイ・ハヤカワ
信州戦国絵巻 第三幕『参戦非戦』

●長野神殿
 マニワ・リュウノスケ(w3c550)は、隔世の感を抱いた。
 その日は、戦闘も交渉もなく、テンプルム内の回廊を魔皇達は歩いた。

「レミエル殿は、『楽園』をどう思いますか?」
 大天使と会い、少しの世間話の後で橘・月兎(w3c793)はそう切り出した。
「楽園は未来です」
 レミエルは怪訝な顔だ。月兎は札幌大神殿の神輝兵器を指したつもりだったが、神帝軍にとって、楽園とはもっと普遍的な言葉だ。
「あんな未来は御免だわね」
 月兎や実際に札幌を見てきた紅・紗那(w3c291)の説明に、レミエルは悲しげに答える。
「この戦いは、もうすぐ終わりを告げるでしょう。『楽園』はその表れだと思います」
「表れですか?」
 月兎には、レミエルの答えは少し意外だった。
「善が善を、悪が悪を為す訳では無いように、『楽園』にも希望と恐れがあるのだと思います」
「希望‥‥」
 札幌へは紅と一緒にいった逢魔・NN(w3c291)は絶望に似た恐怖を肌で感じていた。魔皇にとって、あれが希望になるとは考えられない。
「レミエル殿は、長野も『楽園』にしたいと考えているのですか?」
 回答次第では考えを見直さなくてはならない。
「私は戦いを止めました。『楽園』も放棄したと同じことです」
 レミエルの口からはフィリポに対して否定的な言葉は出てこなかった。大天使は権天使達とは既に意見を別にしていたが、それでも彼らに変わらぬ敬愛を持っているようだ。
「それよりさ、この長野神殿のこと、統治権の放棄をしたはいいけど、今後はどうするつもりなんだ? 俺、あんたの決断には感謝してっけど、結構困る事もあると思うんだよな」
 橘・高耶(w3d383)は話を変えた。レミエルの突然の宣言は、色々と困惑を引き起こしている。
「ええ。出来れば、レミエルさんがそう決断された経緯を聞かせて頂きたいですが」
 桜・翠貴(w3d272)も、従弟と同じ考えで大天使に会いに来ていた。レミエルの目的が魔皇軍のテロを抑えるだけなら、余りに大仰な対応と言えた。
「私は、長野を出る事になるでしょう。その後は、この戦いを止めるために働きます」
「長野を出るって、誰が長野を守るんだよ?」
「人間達の手で、守るのです」
 それは長野県人であり、魔皇達なのだろう。
「神帝軍が攻めてきて、すぐに元通りのような気がしますが‥‥」
「これまで皆さんとお話をしてきたことで、出来ると思いました。それが私の理由です」

(「なんだか、難しい話ばっかりだね」)
 仲間達とレミエルの話には加わらず、メレリル・ファイザー(w3a789)は紅茶を飲みながら、手持ち無沙汰にしていた。
(「交渉って、ニガテなの。なんか役立たずだなぁ‥‥」)
 何気に部屋を見渡す。魔皇達が通された部屋は大天使の私室の一つらしい。県民から贈られたのか豪華な調度品が置かれていた。中には立派な洋箪笥やクローゼットもあり、メレリルは人魚用の洋服が入っているのだろうかと首を傾げた。
「――レミエルさんがそのつもりでも、配下のグレゴール達は従うのかしら? みんな、長野を守るためにグレゴールになった人達なんでしょう?」
 疑問を口にしたのは、長閑な従妹の横に座る二神・麗那(w3a289)。二神も交渉事には関わらない気でいたが、気になる内容が出たのでつい発言していた。
「長野に残る者も出るでしょう。それはこれから話し合っていきたいと思います」
「ご思案の程は分かり申した。長野に残るグレゴールには魔狼隊にご助力をお願いしたい。されど、問題がござる」
 厳しい顔で、マニワが言った。
「タダイ殿の進発でござる。長野のことがかの武将に伝われば攻められることは必定。ならば平和を乱すのは我らではござらぬ、タダイ殿ではありませぬか? その侵略行為を見逃すことは民を裏切る事と同じではござらぬか」
 マニワは、一緒にタダイと戦ってくれる事をレミエルに求めたかった。これは仲間のうちには異なる意見もあるが、切迫した現状では戦わずに済ますのも容易ではなかった。
「さてね? そいつはどうかな」
 レミエルが答える前に、幾瀬・楼(w3g589)が反論した。
「タダイちゃんと正面からぶつかりゃ、長野は自滅だ。背に腹は変えられねえんだ、ここは先の宣言は方便だとでも何とでも言って、大人しく頭を下げとくのが賢明ってもんじゃねえか?」
 長野と同じく穏健派の岐阜神帝軍は、名古屋大神殿を素通りさせた。長野の場合はただで見逃して貰えるかは疑問だが、大戦の前、平身低頭の態度を取れば滅ぼされる可能性は少ない。
「‥‥」
 この件では意外な事に幾瀬を不倶戴天とする鑑・冬馬(w3c005)がほぼ同じ意見を記した書簡を逢魔・鈴鹿(w3c005)を通じてレミエルに渡している。
「タダイ様が来られるなら、長野神殿の考えを私はお話します」
 レミエルの答えに迷いは感じられない。
「おいおい、流儀を通してぇなら、戦う覚悟を決めな。話し合いなんて言ったら、バッサリやられちまうよ。死んで花実は咲かねぇんだぜ?」
 魔皇達はレミエルを説得しようとしたが、彼女の決意を変えることは出来なかった。
 ちなみに大天使達生粋の神聖生物はグレゴールと違って死ぬと、すぐに身体は霧のように散って崩壊する。故に彼らは死者蘇生の秘術でも復活しない。

 平和主義者は頑固者だ。彼らは時に、最低の平和は最上の戦争に勝るという信念で行動する。戦争容認派は最上の戦争は最低の平和に勝ると信じている。そして現代では、人々の多くは両者と折合いをつけている。平和が何よりも尊ぶべきものだと知り、そして正義の戦いを信じている。

●意識調査
 橘・朔耶(w3b248)の発案で、魔皇達は長野県民のアンケート調査を実施した。
「松本駅前‥だと知り合いに会う危険激大‥俺は長野駅の方に行ってみるぜ」
 そう言って、高耶は長野市に行く。
「私も一緒に行くわ」
 逢魔・ソウキ(w3i081)がついて来た。
「それなら、俺は松本にするか‥‥」
 朔耶は松本市へ向った。

 アンケートは人通りの多い場所で通行人を対象とした。質問内容は、長野神帝軍の統治権放棄をどう思うか、それから札幌市の『楽園』が長野でも使われるとしたらどう思うかの二点だ。

「な〜んかこういうん‥昔やったティッシュ配りとかのバイトを思い出すよな」
 長野駅前、高耶は片手にアンケート用紙を持ち、通行人に次々と声をかけた。
 だがティッシュ配りなら気軽に説け取ってくれる通行人も、アンケートとなると事情が違う。アンケート板を片手に近づけば、三倍の速度で通り過ぎる人が大半。ましてや質問が『長野神殿の撤退をどう思うか?』『長野楽園計画の是非について?』となれば尚更だ。
「嫌だね!」
「急いでるから」
「どこの団体ですか。しつこいと警察に訴えますよ」
「煩いんだよ、あっち行けよ」
 高耶は急性人間不信に陥りそうだった。この手の調査はもっと大人数で行うか、TVカメラを持って来る等して体裁を整えないとなかなか難しい。

「何かと思えば、また君ですか」
「‥よぉ」
 高耶は警察署で早瀬光彦と対面した。誰かが通報して警察に連行された彼が、早瀬の名前を口にしたからだ。グレゴールを身元引受人にした魔皇は他に例を見ない。
「なんでこうなっちまうかなぁ。俺はいつも長野のこと思ってやってんのに、うまく行かねぇんだな。わかんねぇ‥‥ああ、頭いてぇ‥」
「呆れますね。大天使の慈悲を受けながら、拗ねているだけとは」
「俺は元々、ただの料理人見習いだ」
 早瀬は高耶を見据えたが、無言で立ち去る。
「なあ、レミエルは戦いを止めるって言ったんだぜ。仲良くなれないのかよ」
「言ったはずです。魔の者とは相容れないと」

 アンケートで答えを得られたのは三百人ほど。
「統治権の放棄って、出て行く事なんですか。それなら反対だな」
「長野神殿の人には、いつまでも此処にいてほしいね」
「無責任だと思いますよ。撤退したら、一体誰が魔皇から私達を守ってくれるんですか?」
「楽園? さあ良く分からないね」
「悩みも苦しみもない世界、本当なら嬉しいけど」
「魔皇が街の中に入れないバリヤーとか、そういうのが開発されるといいね」
「悪魔が嫌いなモノとかお守りにして、売ってほしい。十字架とか、御札とか‥‥ニンニクは違うんだっけ?」
 長野神殿の統治権放棄には否定的な意見が多かった。『楽園』については実感が得られないのか胡散臭く思われたのか、意見らしい意見は無かった。ただ魔皇にとっては残酷な事に、どちらかと言えば人々は楽園に肯定的だった。

「‥‥」
 公園のブランコに座り、朔耶は湧き上がる気鬱を考えまいとした。
 魔皇は不死身にして怪力無双、怒れば見境がなくなるし、ひとたび暴走すれば街を破壊し尽くす。人に恐れられるのは至極当然だったが、それに堪えられるかは別問題だ。
「平和か‥‥」
 もし神帝軍が現れずに今の魔皇だけが覚醒していたら、世界は平和だったか。疑問である。
「こんな所で何をしておるのかのぉ」
 気がつくと、目の前に逢魔・大老(w3e496)が立っていた。
「遅いとしーちゃんが心配するでのぉ、一緒に行こうかの」
 大老は持ってきたアンケートの束を朔耶に渡して、仲間の元へ戻る事を促す。
「‥祇亜は?」
「伊那じゃ」

●長野決起派説得
 祇亜・ヴォルフ(w3e496)は仲間達に続いて長野決起派の説得が行われている伊那に入った。
 決起派の魔皇は長野神殿の勢力が強い長野北部を避け、長野中南部を根城にしている。
「そろそろ決着がつきそうか?」
 説得には穏健派を代表する藤原剣太郎と、紅、鑑、マニワ、それにコウエイ・ハヤカワ(w3i081)が参加していた。
「さあ。ですが、魔皇殻やダークフォースは出なくなりましたから、もうすぐかもしれませんね」
 落ち着き払って、翠貴は状況を説明した。
「レミエル様のとられた行動はまさに英断であったと言えるでしょう。そして、あなた方も選ぶべき時が来たのです。魔狼隊に入り、長野の人々の為に戦って下さい」
 最初に言ったのはコウエイ・ハヤカワ(w3i081)。
「なんだとぉ!?」
 魔皇は概して我が強いので、話し合いで懸案事項の解決は困難を極めた。それでも今は共通の敵があり、気の合う者同士が集まって行動しているから良いが、魔皇を含めた平和な世の中を造ろうとすれば問題は山積みである。
「いい加減にしなさいよ! あんたたちの仲間だけが死んでるとでも思うの?」
 何度目かの我慢の限界が来て、紅は五味沢の襟首を掴んで怒鳴りつけた。
「陽気なカインと降魔は悪魔化して散った! 気の利くブリッツはグレゴールに殲騎ごと真っ二つにされた! 殺魔は重傷を押して戦い死んだ! 私だって重傷は一回や二回じゃすまないわ。あんたたちのやってるのは子供の駄々コネよ!」
 此処で止めなくては繰り返しである。
「く、紅殿、堪えて下され」
 マニワと祇亜と藤原が三人がかりで紅を引き止める。
 今まで交互に紅と五味沢が激発して、そこから乱闘になっている。皆、大戦闘の後のように傷ついており、いい加減死人が出ないのが不思議な状況だ。今までならとうに物別れで終わる所だが、今回は後が無い。決死の覚悟で続けられている。
「今やるべきは長野神殿の連中と力を合わせて、仲間の遺志と故郷を守ることでしょう!」
「聞いた風な口をほざくな、小娘! 長野神殿と力を合わせて戦うだと‥絶対に許さん!!」
 決起派の言い分はこうである。
 まず長野神殿が信用できない。仮に本気でも、魔狼隊は周辺の神帝軍を刺激して一月ともたない。つまり、どちらにしても勝算の無い戦いだというのだ。
「お前達がどう思おうと、レミエルは隠遁するだろう。それがお前達の戦いの成果という訳だ。最初から長野神殿と手を結ぶ気でいれば別の結果はあった。敵の居なくなった長野でお前達が出来る事を考えることだ」
 鑑は皮肉屋らしい言い方で、決意を促した。
「左様、左様。拙者達は水掛け論の為に参ったのではござらぬ。真の敵が誰かは言うまでも無い事でござろうが、神魔の別なく民の為、小異を捨て大同についてござらぬか」
 マニワは必死で言った。この時の彼は片腕だ。最初の説得の時に命をくれる訳にはいかないが腕一本を差し上げると口上し、切り落とされたのだ。それが最初の戦闘の合図となった事は言うまでもない。数日が経ち、徐々に腕は再生していた。
「いいですか、今回は我々も手ぶらで帰る気はありませんよ! どうしても此方の条件が飲めないというのであれば仕方ない。覚悟はして頂きますよ」
 コウエイは宥めたり脅したりと態度がころころと変わり、忙しい。
 但し、それは冗談ではなく、決起派の説得が不可能なら魔狼隊は決起派の殲滅も視野に入れている。最初から決起派に不利な交渉だったが、だからと言って結論は一つとは限らない。その為に、穏健派は落とし所を考えていた。
 マニワは魔狼隊の副隊長格3名のうち、一名を決起派から、そして小隊長格は全て実戦経験豊富な決起派側から選別することで決起派の立場を守ろうとした。だが、隊長を早瀬光彦にし、副隊長にも北條朱鷺を置いたこの案は彼らの心証を害した。
 話し合いはついに決着がつかず、朔耶と月兎、逢魔・紅雪(w3c793)、それに高耶、穏健派の訓練をしていた瀬戸口・千秋(w3d057)、瀬戸口・春香(w3d060)、逢魔・シェリル(w3d060)らも伊那に集まる事となった。魔皇だけでなく、善光寺から北條、神殿から長谷川伊佐夫と美和坂兆次も駆けつけ、密議は荒れに荒れた。
「レミエル様の決断には従う故、魔狼隊は認めよう。だが我らの参加を前提で考えられては困る」
 長谷川は神殿のグレゴール達を代表する形で言った。
「そもそも、これまで戦ってきたグレゴールと魔皇が同じ部隊の中にいては余計な軋轢を生むわ。悪魔退治で共同戦線を張る事はあっても轡を並べることは御免こうむる」
「年寄りは頭が固くて困る」
「だ‥‥北條、言葉を慎め。わしは道理を話しておる。魔皇達も、その方が良かろう」
 グレゴールの中では北條と美和坂が一番魔皇に抵抗が無いように見える。ただ美和坂の言では、長野で最も優しい聖鍵戦士は長谷川なのだという。
「隊長は藤原さんがいいと思うね。隊長と同格の副長を五味沢さんで‥」
 グレゴール達が隊外を基本としたので、組織案は春香の提案が中心になった。県民の支持を得がたいのでマニワは納得しなかったが、タダイの進軍に押される形で承諾した。
 タダイとの激突の、実に一日前になって漸く穏健派と決起派の手打ちは成る。

●四面楚歌
 名古屋大神殿が近づき、長野がきな臭くなってきた頃、逢魔・ソフィア(w3c550)は和歌山に飛んでいた。和歌山の密と神帝軍に救援を求めるためだ。
「このままではタダイ様により長野は戦火に見舞われます。長野を、民を助けて下さい」
 所がこれは一蹴される。たかが逢魔一匹と侮られたのか、それとも関西の神帝軍の何処かで、タダイ進軍に対する方針が決まったのか。瑠璃への魔凱貸し出し要請も断られた。
「そんな‥‥和平を支持しておきながら、いざとなれば長野を見捨てるつもりですか?」
 瑠璃の和平は相互不可侵を発端とした戦わない事による和平だ。神魔両軍が武断派を叩き潰して平和を得ようとしている関東とはかなり事情が異なる。
 同様に京都へ向った幾瀬、神戸と群馬、古の隠れ家を回った逢魔・ルフィ(w3h430)も失敗する。
 対タダイ外交で最もふるっていたのはイトウ・トシキ(w3e193)。彼は逢魔・スクネ(w3e193)を連れて、皆とは反対の道を通った。向うは杜の都、仙台。
「トシキさん、いくらリユニティのかたに助力を頼まれたからといって、いくらなんでも‥‥あの方達に助けを求めるのは正気の沙汰じゃないですわ」
 道中でもスクネは何度も止めたが、イトウは聞かない。
「このままだと東京のいい男が根絶やしになってしまう。‥頼む! あんたらの力を貸してやってくれ」
 イトウは全国にその名を轟かせる最凶軍団に長野救援を依頼した。
 だが彼らには彼らの戦いがあり、その時点でとてもイトウの要求を呑む余力は無かった。彼があと一月早く仙台に来ていれば、歴史が変わったかもしれない。嫌な方向に‥‥。
「仕方ねぇ。俺に出来ることはここまでだ。あとは人死にが出ないことを祈るしかないが」
 彼は出来る範囲で避難民の移送が進むようにバス会社を押さえた。焼け石に水だとは本人が一番良く分かっている。
「県警に対神魔兵器を提供することは出来ないか? 県政を人間に戻すのなら、彼等が自衛能力を持つ事は必須だ。でなければ、人間はどこまで行っても神魔に服属を強いられる事になる」
 鑑は魔法武器を人間に渡すことをレミエルに頼んだ。だが答えは否。
「危険です」
 まず聖銃の類は殆どが人間には扱えない。仮に聖銃を人が扱えても、とても神魔には当てられない。同じ理屈で人が聖剣を振るい、もし神魔に当たったとしても、かすり傷をつけるのがやっとだ。人間と神魔では元となる戦闘能力が違いすぎる。仮に人間用の神輝装備が出来たとしても、魔皇を一人倒すために血の海が出来る。いつかは人間が魔皇を狩れる装備が開発されるかもしれないが、それはまだ遠いと思われた。
「確かに危険だ。避けて通れない道だ」
 鑑の案は、警察に配備できるだけ多くの神輝武器の蓄えが長野神殿に無かったので見送られる。

 結局、多くの努力にも関わらず長野は独力でこの大局を乗り切る他はなくなった。
 この期に及んでも、大天使レミエルはタダイと矛を交えようとは言わなかった。
「あたし達、レミエルの護衛につこうと思ってるんだけど」
 メレリルと二神は大天使のガードを申し出た。2人は魔皇軍でも屈指の強兵だ。
「ご好意だけで十分です。その力は是非、人々を守る為に使って下さい」
「そりゃ、貴女が弱くない事は分かるから、大概の相手なら襲われても大丈夫でしょうけど」
 レミエルは長野最強だ。平和主義者だが存外に武官なので大天使としても弱い方ではない。
「はい。‥‥あ、すみませんが失礼します」
 レミエルは時々、神殿を離れた。彼女は良く配下の導天使とテレパシーで会話をしていたが、助力が必要な時には彼女の幻視の神輝力を使って分身を飛ばしたり、自ら外出した。
「ヴィジョン?」
「はい、このようにします」
 何も無い空間に、もう一人のレミエルが表れた。彼女の分身は迷う人々の前に表れて道を指し示すのだという。まさに幻視である。と言っても人々が困っている事を感じられる訳ではないので、迷子の話を導天使に聞いた後にその子供とレミエルに面識があれば分身を飛ばせるとか、そのようなものらしい。ゆえに、少しでも多くの者を助けられるように町や村に良く出かけているのだとか。
「ふーん」

●魔狼隊
 魔狼隊を対外的に認めさせる為には、片倉・景顕(w3h430)が身を粉にして飛びまわった。
 それまで長野和平の承認の為に各隠れ家の間を何度も往復した片倉だけに、突然とも思える魔狼隊の設立でありながらその位置付けには混乱が生じる事は無かった。
「少なくとも、魔皇軍の方は心配しなくていいぞ。俺が全部認めさせてくるからな」
 隠れ家からの援軍派遣などは叶わなかったが、同時期の東京の神狼などに比べて、魔狼隊は設立過程の異様さに反比例して魔皇軍からの横槍は皆無だった。全くのフリーハンドを与えられた事には、片倉の活動が大きい。
「県政における人間の自立を目指すなら、対外窓口をおいて魔狼隊は長野県庁とは独立させるべきだ。長野神帝軍も以後はこれに倣う方針を取るべきだな」
「人間と魔皇と、神帝軍の、この三者の協調関係は明朗さが第一だ。その上で、骨組みを作って一刻も早く内外に公表することだ‥‥タダイが来る前にな」
 魔狼隊の外交では鑑も尽力し、実質的にこの2人であらかたの事は決めてしまった。

「俺達は、神魔を超えた共生を目指す。いつまでも戦ってたら、魔皇は神にも人間にも愛想をつかされて死ぬよ。だから長野は新勢力にする。グレゴールとも上手く生きていける」
 朔耶と祇亜、それに月兎達は、神魔の一体化を長野を通る魔皇達に訴えた。
 この時期、これほど赤裸々に三者の共生を示した場所は稀だ。
「長野のグレゴールは魔皇に対して悪意しかないようなグレゴールばかりではない。それを自分達の目で確かめてほしい」
 結果として、タダイが長野へ進軍してきた時、圧倒的に不利な魔狼隊には烈皇に一戦を仕掛けるだけの戦力が集まっていた。それが幸か不幸かはともかく。
「‥‥春香、本気で戦うつもりか‥‥貴様、何を考えている?」
 この急造部隊の訓練に当たったのは千秋と春香。
 千秋には、わずか一週間かそこら鍛えたからと言って、死なせる為の訓練としか思えなかった。
「俺に、どうしろって言うのさ。俺は考えてるよ、色々とね‥‥だけど、考えてるって事は、答えがまだだからなのかもね」
 春香は部隊を小隊や班に分けて、魔狼隊が集団戦闘が出来るようにと苦心した。無論、それが付け焼刃に過ぎない事は百も承知だ。半分の数の敵を相手するならともかく、5倍を超える敵を前にしては意味があるかすら分からない。
「もうすぐ戦いがありますわ。その時、魔皇様の不安を取り除くのがわたくし達の務めです」
 シェリルは決起派や穏健派、それに他所から合流した魔皇達も含めて、雑多な集団である魔狼隊を少しでもまとめようと逢魔達に声をかけていた。
「ねぇ、私達って、もうすぐ死ぬかもしれないのよね。あなたは魔皇様とどうなの?」
「え、わたくしは‥‥その」

「闘う相手を間違えてはならぬでござる」
「あんた達、それ以上やるなら私が代わりにぶっ飛ばすわよ!」
 喧嘩しがちな決起派と穏健派の間に割って入るのは大体、マニワか紅だ。腰は低いが物言いは物騒なマニワと、喧嘩っぱやい紅の仲裁にどれだけの効果があったかは微妙だが。

 ともかくも、魔狼隊は進撃してくる名古屋大神殿に対し、徹底抗戦の構えを取った。
 それがものの見事に粉砕されたのは、5月上旬のこと。

●長野神殿回天
「長野神殿は戦いを放棄しました。そして、私は長野神殿の代表として長野県の統治権を放棄し、これを段階的に長野県民に返還するつもりです」
 魔皇達の説得は空しく、レミエルはタダイに本心を語った。
「てめえが近畿にでもいれば、助かっただろうにな。顔も見ることができないのは、残念だ」
「タダイさま!」
 レミエルのヴィジョンは一刀の元に切り捨てられる。
 分身が四散した時、大天使の肩が鮮血と共に裂けた。分身の受けたダメージを幾らか負ったのだ。
「うっ‥‥」
 名古屋大神殿の猛攻に対し、長野神殿の抵抗は微々たるものだった。
 レミエルのヴァーチャーは出撃しなかった。
 信じがたいが、大天使レミエルは最後の時まで非戦を貫いたのだ。
 大天使の意思に反して名古屋大神殿の精鋭に戦いを挑んだ数十名は全て討ち死にし、レミエルも命を落とした。彼女のギアスが破棄された事を感じたグレゴール達はタダイに投降。烈皇もこれを受け入れて、長野神殿は名古屋軍の軍門に下った。
「ここまで役立たずとは、思わなかったなぁ」
「誰のこと、私達‥‥それとも彼女?」
「‥‥両方」
 神殿にいたメレリルと二神は逢魔・ディルロード(w3a289)と逢魔・モーヴィエル(w3a789)を連れて逃亡。タダイに投降するのをよしとしなかったグレゴール数十名も出奔した。出奔した中には、長野の幹部の一人だった美和坂兆次の姿もあった。彼は何かを担いでネフィリムで逃げたという話である。

 関東魔皇軍はこの戦いの報告を受けとると、長野神殿攻略を依頼する。
 長野南部でのゲリラ戦や魔狼隊、長野神殿攻略戦で戦力の2割から3割近くを失った名古屋大神殿は負傷兵を長野神殿に残して百名余りの長野グレゴールを接収していた。
 長野神殿を守る兵は僅かな留守居役と負傷兵のみ。
 関東の紫の夜と同時に長野神殿を攻め滅ぼせば、タダイに付き従う長野グレゴール達は力を失う。集団戦を最大の武器とする名古屋神帝軍にとって、それは致命の一撃となりうる。
 しかし、守りの薄い蒼嵐を背にして戦う関東魔皇軍に余力はなく、後方となる長野に回す遊軍はどこを探しても存在しなかった。

「俺が生き残ってどーすりゃいいんだ。あーあ、おっさんに嵌められたぜ」
 美和坂兆次は木曽路に逃げていた。彼は北條の導天使の他、数名のグレゴール達やファンタズマと一緒に行動していた。
「それとも、な‥‥」

 長野神殿戦の直前。
「お前も戦うのか?」
「当然だ。私は人々を守ると誓った身だ。私の体は私のものではない」
 北條朱鷺は少女とは思えない凛とした表情で長野神殿に向った。
 鑑にとって、それが彼女の姿を見た最後になった。生き残った彼女の導天使が彼に、北條の戦死を伝えている。

「‥‥いいのか?」
「覚悟してる奴を止めてどーすんだ。それにしても、似た者が多すぎるな」
 本堂に柱にもたれかかって、幾瀬は呟いた。逢魔・宇明(w3g589)は肩をすくめる。
 幾瀬は姿を見せると必ず鑑に襲われるので、いい加減彼の前に現れなくなった。

 長野の戦いは終局へと向う。
 おそらく全ては混沌へと流れていくだろう。
 願いの糸は余りにか細い。