■【煙る一年】沈む湯の花■
商品名 流伝の泉・キャンペーンシナリオEX クリエーター名 小沢田コミアキ
オープニング
 神魔の戦いも一年を過ぎ、各地の情勢もようやく一つの区切りを迎えつつある。足早に過ぎ去ったこの一年、様々な出逢いと別れを経てそれぞれの胸に抱いた想い。もうそろそろ、決着をつける時だ。


「という訳で、翡翠のために尽力された皆様を労おうと、我々天神の密でささやかながら温泉旅行を企画してみました」
 佐賀県は嬉野。その温泉旅館への一泊二日の旅行をキャロルは用意してきている。度重なる激務と戦闘で溜まった疲れを癒すのに湯治としゃれ込むのも、まあ悪くない。
「予算をいろいろと遣り繰りし、そこそこの部屋を取っています。温泉も楽しめますし、気心の知れた者同士、のんびりと過ごすのも良いかと思います」
 そう言ってキャロルが差し出した旅館の案内には‥‥

 『楠の間』『赤松の間』『榊の間』
 定員:各6名
 お一人様料金:1万3千円
 お食事:2食付。嬉野名物のお茶と湯豆腐を楽しめます。
 設備:風呂・トイレ完備。冷蔵庫・テレビ有料。浴衣は無料。
 お部屋説明:嬉野川に面した眺めには桜の並木があり、2階の窓の位置がちょうど枝振りのいい所へ重なって葉桜の風景を切り取っています。ゆったりとした癒しの空間をお楽しみ下さい。


「全部で3部屋を取ってあります。それとは別に、この間の気球レースで見事勝利を勝ち取った方々は優待券をご持参で宿泊費用2万5千円相当の豪華な部屋へそれぞれ個室で宿泊できます」
 またこの温泉旅行には黒木を始め、翡翠の、特に北部九州で縁のあった関係者も御持て成しに参加する予定だそうだ。まあ、要は福岡・佐賀・長崎三県での一連の事件に関わった者達のお疲れ様会ということらしい。ふと面子を思い浮かべて見ただけでも、何やら一筋縄では行きそうにもないようだが。
「確かに成功を期します」
シナリオ傾向 温泉旅行
参加PC 葛葉・刹那
來島・真崎
御影・涼
シーヴァス・ラーン
風見・真也
高澄・凌
夜桜・翠漣
土守・潤信
ヤスノリ・ミドリカワ
ミティ・グリン
シャイン・フォーチュン
榊原・信也
【煙る一年】沈む湯の花
「‥‥何というかまぁ‥サヤカ、簡単にこれたな、温泉」
「温泉なんて久しぶりです」
 嬉野には榊原・信也(w3h956)と逢魔・サヤカ(w3h956)を始め、九州に縁のある魔皇達が集まっていた。風見・真也(w3b577)もその一人だ。
「立ち止まる事もたまには必要だな。ん、たまにか、俺達は‥‥」
「えーと、まあ気にせずにいきましょう、真也様」
 眉を寄せ出した彼へ逢魔・シャドウセン(w3b577)が笑顔を向けると、風見は軽く嘆息する。
「この一年の締めくくりだ、ゆっくり楽しもうか」
 一連の『C』に関わる事件を追った彼らに用意されたのは6人部屋と気球レースの賞品の2人部屋それぞれ3つ。豪華部屋の一つはレースで地上からのサポートを担当していた御影・涼(w3a983)が獲得していたのだが。
「やはり自分だけで楽しむんじゃなく、皆と分かちあいたかったから、さ」
 そちらは彼の好意で、博多から天神密に預けられていた少女マリヤを招待することとなった。
「えー。マジかよォ!」
 てっきり自分も涼と一緒に豪華部屋だと思って逢魔・伊珪(w3a983)が泣く泣く争奪戦を提案し、余興の一つとしてマリヤちゃんと二人での豪華部屋宿泊権を掛けた卓球大会が行われることとなったのだった。
「あのマリヤちゃんだし。涼、これは勝たないとな」
「ああ、やるからには熱く真剣に。勝とうな、信也」
 クジで信也と組むことに決まり、涼は浴衣の袖を捲り上げてラケットを取る。対するはシー・潤信ペア。シーヴァス・ラーン(w3b234)は先からマイラケットで黙々と卓球部さながらに素振りを始めて何やら只ならぬ気配を放っている。一方の土守・潤信(w3f459)もスポーツ万能、これは強敵だ。涼の視線を感じて潤信が不敵に笑う。
「では一回戦を始めますね」
 審判を買って出た逢魔・リューン(w3b234)が試合開始の合図を告げる。かくして争奪戦は幕を開けた。
 剣道で鍛えた瞬発力を武器に涼が回転を掛けてコースを突けば、シーは汗を飛び散らせながらのオーバーアクション+シャウトとひたすら熱いプレイスタイルで迎え撃ち、あまつさえフライングレシーブまで飛び出す始末でどこかで見たようなCM風の熱戦が繰り広げられた。無論、信也がそのノリから浮きまくってるのは言うに及ばず、それを補って余りあるだけ潤信の熱血ファイトが暑苦しさを一際濃いモノにしていたりする。
「YEAAAAAAAAA!」
 熱戦の末に勝利を拾ったのはシー・潤信ペア。悔しそうにがっくり膝をついて震えている涼とは対照的に、シーは潤信と拳を打ち合い勝利を喜んでいる。
 続く二回戦は、風見・伊珪ペア対來島・真崎(w3a420)と逢魔・シリン(w3h755)の二人。
「文系眼鏡にパソコンマニア‥オ(自主規制)の3種の神器が揃った俺に卓球で敵うと思うなよ‥‥?」
 規制に相応しい極論を言い放った來島は更に言うと孤高の紫。そして。
「シリン、しっかり!」
「さて、絶対勝つよ!」
 シャイン・フォーチュン(w3h755)に応援されながらシリンも気合十分の様子。
(「卓球は頑張らないとね。豪華部屋の券をゲットするためにもね」)
 何となく頼りない風見達ペアなど恐れるに足らぬかの様に見えた。だが。
「ふっ‥‥嫌がられようとも勝てればいいもんでね‥」
 風見のカットマン的なねちっこい攻めが行く手を阻み、以外にも風見達が決勝戦の切符を掴んだ。
「で、三回戦が俺達か」
 ゲイルと組むことになったのは逢魔・白翡翠(w3c720)。対するはセンと逢魔・火狩(w3f459)ペア。
「えへへ〜ごめんね〜♪」
「おいおいおい、それはアリなのか?」
 相手の床にシャンプー液を数滴溢すといういきなりの火狩の反則で幕を開けた三回戦だが。
「必殺サーーブ!」
 反則にかけては白翡翠に一日の長があった。彼女が球に付加したのは獣の鎧。魔の者の全力で叩き込まれた白球が火狩を襲う! が、相手も全力で返せるので無意味だとまでは気が回らなかったらしい。
「うわーうわーうわー」
 あっさり打ち返された高速レシーブに目を回す羽目になったが、これをゲイルが上手く返す。回転を効かせてネット際へ絶妙のヘアピンショットによる奇襲で勝利を拾い、準決勝進出ペアがこれて決定した。
 同じ頃、遊技場を窺う影があった。
「辻卓球だ、行くぜモン吉」
 ペットの猿をつれた彼はイトウ・トシキ。ちなみにモン吉は宴会芸とセクハラ技能保有の子猿である。
「めざせ!100人斬り!」
 と飛び出した彼の首根を引っつかむ腕が一本。
(「‥‥こゆ時のまっきぃにだけは逆らいたくないもんね、やぱ」)
「――行くよ蓮!」
 朱院・煉は逢魔・蓮と共に乱入者の警戒に当たっている。同居人であり兄貴分でもある來島から話を聞きニードルアンテナで索敵していた彼女に見つかり、トシキは各種DFによって拘束されることとなった。勝負に水差されない様にとこっそり辺りを警戒していた逢魔・霧雨(w3a420)によって大部屋へ強制送還され、トシキは敢え無く撃退されたのだった。
「トシキさん!人様に迷惑をかけないで下さい!」
 逢魔・スクネに発見された彼は、哀れラケットで24時間耐久往復ビンタの刑に処されたのだとか。そんなこんなで争奪戦もいよいよ佳境である。ジャンケンによって風見・伊珪組がシードを獲得し、準決勝はシー・潤信対ゲイル・白翡翠で争われた。
「必殺サーーブ!」
 先に勝負を仕掛けたのは白翡翠。
「出たな、受けて立つ!」
 それに潤信が真っ向から迎え打つ。激情の紅、本領発揮の渾身スマッシュが白翡翠を襲う。が、ラケットの方が衝撃に耐え切れずここで四散! そこをついてゲイルのスマッシュ!
「なんの!」
 咄嗟に傍にあった風呂桶で潤信がレシーブ! が、風呂桶で太刀打ち出来る筈もない訳で、シーのフォローも空しく敗退と相成ったのだった。
「OH MY GOD!?」
 シーは絶叫と共に真っ白に燃尽き、かくして決勝戦は風見・伊珪ペア対白翡翠・ゲイルとなった。

「ねっねっ羽生、何所にいるのマリヤちゃん。あたしの妹」
 逢魔・陽子は、マリヤを養子として迎え入れることになっている刀根夫妻の娘。少し心配そうな瞳が辺りを窺っている。
(「あたし早く仲良くなりたいな、逢魔のあたしでも受け入れてくれるかな」)
「まったく、戦いに一区切りがついて仕事に出ようとしていたんだがな。陽子の保護としてついて来て下さいだなんて要め」
 逢魔・羽生は、陽子が1人で迷子になったり違う子をマリヤだと勘違いしても困るというので仕方なく付き添いに来ている。そこへちょうど黒木に手を引かれて旅館へマリヤが到着した。
「よろしくね、あたし陽子だよ」
 マリヤへ、陽子は最高の笑顔で挨拶をする。
「おや、お二人は大分の刀根さんの」
 察して頷くと、黒木はぽんと手を叩いた。
「そうでしたか。これから卓球観戦に行くんですが、ご一緒しませんか?」
「うん!」
 こうして関係者一同の見守る中マリヤちゃんとの相部屋を賭けた最後の勝負の火蓋が切られた。
「へへへ」
 緊張した様子のマリヤへ伊珪がにっこり笑いかけるが熱くなる余り力み過ぎてちょっとマリヤは怯えた様子。チクショーとばかりに半泣きでラケットを振るう伊珪と、黙々とねちっこい責めを続ける風見、それにゲイルが大人気なく対抗し、白翡翠はマイペースに白球を追っている。その光景を涼はしみじみ眺めている。その双眸は感慨深げで、そんな様子を見てリューンがそっと彼に言葉を掛けた。
「こういうのを“幸せ”というのかも、しれませんね」
 仲間達の顔に溢れる笑顔を目にし、こうして皆といられる事の幸せへ涼は心から感謝した。試合はというと執拗なカットで責めた風見が押し切る形で優勝を奪い取り伊珪が号泣でラストを飾った。
 そして今、一行は露天風呂へ汗を流しにやって来ている。
「‥‥あ゛〜良い〜湯だ〜ねぇ〜‥」
 湯船に体を投げ出し信也が気持ちよさそうに声を絞り出す。
「勝負は勝負だ。俺達が勝ったのは仕方ないとして、温泉には皆でゆっくり浸ろうじゃないか」
 そういう風見へ來島がジト目の視線を送る。
「真也、そう言えば今日は集合が一番遅かったんだよなあ」
「シャインも気球レースの時は遅刻だったよなあ‥‥」
 シーもそれに加わり、その後二人は念入りに可愛がられたのだとか。
「あだ!」
 そして信也。どこからともなく飛んで来た風呂桶が直撃し彼は頭をさする。
「誰だ!?今投げたのは!!?‥喰らえ!」
 と投げ返した桶は手元が狂って塀に当たって跳ね返り再び信也の頭へ命中した。
「‥く、操直伝光速風呂桶投げは、やはり女でないと扱えないのか‥‥」
「にしても、一体誰が」
 これより少し時を遡る。
「わざわざこういう所まで来てあくせくする必要は無いだろうよ。俺も志穂も年寄り趣味だよねぇ」
 こちらは高澄・凌(w3c245)。
「そして温泉とくれば! やることは一つしかあるまい!」
 の・ぞ・き☆
「それは男の浪漫!天国への階段!カマーン湯煙の神秘!!」
 何やら一人でこそこそしている凌は、器用にも小声でハイテンションを維持しながら露天風呂の裏手に来ていた。
「ま、戦いが終わって気が抜けてるかもしれないし『緊張感は大事だよ♪』という教訓を伝える為には止むを得ない行為なんだ、うん。正義は我にあり!」
 口に出して自分に言い聞かせつつ、凌が塀へ手を掛ける。
 カチリ。
「え?」
 四方から飛んで来たのはよりによってボウガン! 気がつくと辺り一面ブービーとラップの山である。矢傷を負いながら辛うじて口を塞いで声を押し殺したものの、後退った先には地面すれすれにロープが張ってあり、嫌な予感がして凌が視線を辿っていくとその先にはどこかで見たことのあるA4大のケースが。
(「短い付き合いではありませんし、凌さんの行動は読めています。覗き対策にC4爆弾でも仕掛けましょうか‥‥」)
 逢魔・志穂(w3c245)を始め女性陣の守りは鉄壁で、この後凌は巨大スリッパと巨大さるぼぼにて制裁されることとなる。まあ、いろんな意味での天国への階段になったようだ。

 夜桜・翠漣(w3c720)は皆から離れ、一人部屋の窓辺で空を仰いでいた。皆は今頃連れ立って露天風呂へ行っているようだが、彼女はそれを断り内湯で体を流すだけで済ませていた。
「彼方(あなた)の道を継いでから、ただそれだけを信じて迷うことなく進み続ける。それだけで良かったはずなのに」
 翠漣が、閉じていた片目を開いた。
 ふっと月が滲み、淡く輪郭を象りながらそれは遠くに像を結ぶ。有り触れた光景でいて、これまで彼女が見ることのなかったものだ。朧げに現れた距離感は伸ばせば触れられる様でいて、それでも月はまだ遠くに霞んだままでいる。ようやく届いた気がしても、掴んだ手から答えはいつも擦り抜けてしまう。だがそれすらも、片目を通して見ていた世界では望めなかったものだ。
「たった一年です。それでもとても長く感じる一年でした。信頼できるパートナーに会えました。わたしのように他人の道ではなく、悩みながらも自分の信じる道を強く進む人々に会えました。彼らを見て、わたしは自分が何者なのか悩んでいます」
 信じられますか? 昔では考える事すらなかったのに。
「‥‥ええ、もちろん彼方から継いだ道は捨てません。そして約束は全てを捨ててでも守ります」
 自分の肩に掛かる荷はこれからも決して降りはしないだろう。抱き始めた疑問も、自分の足を止めることはないのだと翠漣は思う。だが白翡翠の故郷である翡翠の森に関わりながら多くの人と出会い、影響を受け、いつしか芽生えていた気持ちに背は向けられないとも彼女は感じている。翡翠の行く末を見届けたい。それは彼女の願いだ。
(「ただ、少しだけ自分に我侭になる事を許して‥‥」)

 汗を流した魔皇達はささやかながら、料理を囲んで宴会を始めている。
「んじゃ、九州のひとまずの決着と、『C』組の任務完遂を祝って」
 カンパーイ!
 グラスの鳴る音が続き、部屋中に笑顔が零れる。
「‥‥キャロルもお疲れさん、特に‥財政面で‥‥」
 そう言った信也の視線がキャロルのグラスに注がれた。
「ぷっはー! 仕事の後のビールは格別です魔皇様!」
 伊珪ともどもコーラで我慢している信也は僅差で20代の壁に敗れたのだとか。
「色々とあったよ、苦しい事、辛い事、投げ出したくなった事‥‥」
 風見がセンへ視線を移しふと微笑んだ。
「感傷に浸りながら飲む酒も、たまになら悪くはないな」
 不意に沈黙が訪れ、一行は静かに杯を酌み交わした。思い出されるのは短いながら共に歩んだこの数ヶ月のこと。迷い、傷付き、仲間を失い、それでも救えた命の事。涼が膝の上へ乗せたマリヤの頭を撫でる。翡翠を守る戦いに巻き込まれた多くの犠牲者、仲間を守って死んでいった同胞達。翡翠決戦の激戦は誰が命を落としてもおかしくない戦いだった。
 回された腕が少しだけ強く自分を抱いているのに気づきマリヤが涼を見上げた。少女は少しだけ驚いたように目を見開く。涼がぽつりと漏らす。
「皆とこうしていられて、本当に良かった」
「何も泣くことはないだろう。だがこの面子でゆっくり出来るのは僥倖だと思う」
 真顔で言った風見の言葉が彼の心情をそのまま言い当てていて、涼はもう涙を止めることが出来なかった。

 葛葉・刹那(w3a213)は窓辺から見える月を眺めている。
(「多くの仲間を失いました。心が折れそうになることは数度ではなかった。それでも戦い抜けたのは信頼できる掛け替えのない仲間のおかげですね。九州での和平に多少なりとも貢献できたことを嬉しく思います」)
 『コードC』を巡る諜報戦。翡翠の森と共に戦友を失った翡翠決戦でのペトロらとの死闘。多くの者達が命を落としたセフィトロの木での戦い。九州最後の激戦、久留米・鹿児島テンプルム攻略戦。翡翠を巡る攻防には常に彼の姿があった。昨年末から『C』に関わる事件を追い続けていた魔皇達を抜きに停戦までの道程は語れないが、彼らが事を成し遂げたのは今年になって合流した葛葉に拠る所も大きい。
「九州奪還ではなく解放となりましたが彼らも認めてくれますよね」
 自責と後悔はチクリと刺す様な棘の痛みでまだ引っ掛かったままでいる。セフィロトで死んだ野村ら盟友の犠牲を礎に作り出した和平への道程、その決着をつける久留米攻略でRG隊長の乗るヴァーチャーを相手に葛葉は惜しくも引き分けた。禍根を残すこととなったことへ彼は責任を感じているようだ。
「刹那は十分にがんばったよ。彼らも分かってくれるわ」
 並んで座った逢魔・ミラーシュ(w3a213)が不意に首を傾げるように小さく体を預けた。
「戦いを終らすより和平を維持する方が難しいわ。まだまだがんばらないとね」
 代価神輝力を解明するミチザネ機関、そして九州の和平維持機構の設立と、課題は多く残されている。人間側、そして神帝軍側とのパイプも構築せねばならない。寧ろこれからが正念場だ。
 彼女は、葛葉が和平のために人一倍尽力していたことを知っている。肩に掛かるミラーシュの重みを感じながら葛葉が頷く。ふと、微かに遠くから笑い声が洩れてきた。宴会が始まったようだ。この地で得た仲間達から学んだことは、どんなときでも前向きな姿勢。
「神魔が集い争わずに同じ時を共有できる。こんなに穏やかな瞬間を迎えることが出来るとは思いませんでしたよ」
 彼はゆっくり立ち上がる。
「皆の所へ行きましょうか‥‥ミラーシュ、ありがとう」
 振り返った葛葉はミラーシュへ手を差し出した。それに少し驚きながら彼女が手を取る。その頬に朱を差しながら二人は手を繋いで部屋を後にした。

 葛葉達が宴会に加わった頃には翠漣も部屋へやって来ていて、室内は随分と賑やかになっていた。少しだけ酔いの回った翠漣が得意の八卦掌の套路を披露し、その演舞のような動きを肴に皆酒を飲んでいる。大部屋から高周波・鋼が顔を出したのもちょうどその頃だった。
「疎開旅団の時はお世話になりました」
 決戦時の護衛作戦で隊長を務めた涼へ酒を注ぎ、鋼は深々と頭を下げた。熊本に作った翡翠復興の基地「森守の住処」の準備の序にと立ち寄った彼は、この一年でお世話になった翡翠関係者へ挨拶に回っているのだという。
「こちらこそ。翡翠が今日の日を迎えられたのは高周波さんも含めて皆の力があったからです」
「‥‥心遣い、痛み入る。所で黒木さんは‥‥」
「それなら、大部屋へ麻雀をしているはずだぞ」
 そう言って部屋へ入ってきたのは軍部・鬼童丸だった。
「キャロル、一寸よいか? 少々折り入って話がある」
 そう言った鬼童はキャロルに耳打ちする。
「人に聞かれたくないので、屋上なら誰も居ないし、月見がてら聞いては貰えぬか。敏腕密として」
「‥‥仕方ありませんね。敏腕密として」
 ちょっと最後の方のフレーズを互いに強調しつつ二人は頷き部屋を後にする。そのキャロルの背を翠漣が呼び止めた。
「キャロルさん、宜しかったら私の二人部屋、使って貰えませんか。この一年、良く働いてくれた感謝の徴として」
 戸惑いを浮かべたキャロルへ白翡翠も頷いて見せると、キャロルは深々と頭を下げた。
「あ、ありがとう御座います夜桜様!」
「あ、あとずっと思ってたんですが様付けはやめて下さると嬉しいかな」
「失礼しました‥‥ええと‥夜桜さん」
 ちょっとぎこちなく答えて二、三度頭を下げるとキャロルは部屋を後にして行った。
「斯様な時間に斯様な場所、そして敏腕密‥‥さては極秘の任務ですね?」
 キャロルが案内されたのは旅館の屋上だった。相変わらずのキャロルを余所に、鬼童がわざとらしくポンと手を叩いた。
「おっと、相談しようとした物の資料を忘れてきた、取って来る。ちょっと待ててくれ」
 そう言った切り部屋へ引き返した鬼童が戻って来ることはなく、キャロルは騙された事に気づくまで待ち呆けたのだとか。
「さってと。ボク達はここで撤収させてもらうよ」
 その頃、大部屋ではミティ・グリン(w3g263)と逢魔・マイ(w3g263)が帰り支度を宿を後にしていた。
「これまでお疲れ様だ。激戦を生き残れたのは君がいたからだ」
 同じく大部屋のヤスノリ・ミドリカワ(w3f660)は逢魔・メグミ(w3f660)を誘って中庭を散歩している。
「私の妻となって本当によかったのか? それを思うと不安になる。君の涙は見たくないからね」
「ヤスノリさま? 初恋の人に想いを告げ、純潔も捧げ、伴侶となったんですわ。これほど素敵なことないですよ」
 ふと足を止め、ヤスノリがメグミを振り返った。
「ありがとう。それと‥‥できれば、これからはヤスノリと呼んで欲しいな。だめかい?」
「えっと、ヤスノリ‥さん。呼び捨ては恥ずかしいです」

「‥つか、大部屋‥‥満員電車状態か?」
 向こうでは枕投げが始まったようで俄かに騒がしくなって来た。
「これじゃ寝れんな。‥‥全力で迎撃だな」
 風見が言うと信也も頷き、二人は連れ立って部屋を出て行った。
「神は天にいまし、全てこの世はこともなし‥‥か」
 部屋の隅で静かにグラスを傾けていたゲイルへシーが声をかけた。グラスを掲げ“どうだ?”と目で語ると、ゲイルは空になったそれを差し出した。
「俺は神と魔の争いが完全になくなったら、また修道士に戻るつもりだ」
 それにビールを注ぎながらシーは語り出す。
「そしていつか小さくても教会に入り」
 シーがマリヤを見遣りグラスを呷った。
「少しでもあんな子が幸せを見つけられる様手伝いてぇと思ってる。俺が助けてやる、なぁんてオコガマシイ事は思っちゃいねぇ。俺が出来るのは手伝う事だけだ、心の支えになってやる事だけだ。これまで経験してきた事が少しは役立てるだろうしな」
 自然と話題は二人が戦った熱気球の話になり、最初は戸惑いを浮かべていたゲイルも話へ次第に熱が入って来る。二人は暫くを酒を酌み交わし、トコトンまで熱く語って過ごした。
「‥で、戦いを“無”にせずソレを“活かす”それが俺に出来る事だと思った訳さ。アンタはどうすんだい?」
 その問いにゲイルは不意に空を仰いだ。その視線は遠く、シーはそんな彼を眩しそうな目で見詰めている。言葉にこそ出しはしないが、敵ながらもゲイルの潔さと男らしさにシーはいつしか密かに惹かれていた。
「また男の勝負しようぜ」
 そう言ったシーへいつもの不敵な笑みで返すと、ゲイルは軽くグラスを合わせた。

「次の『風』が吹く‥‥かね?」
 凌は志穂と二人で部屋を抜け出し、屋根の上にいた。背中合わせに座った二人は星を見上げている。不意に凌が口を開いた。
「俺には他に相方もいるんだが‥‥何て言うのかね、お前さんと出逢って本当に良かったわ」
 ぽつりと漏らした言葉が夜風に吸い込まれて行く。多くが有り過ぎた一年は楽しいことも悲しいこともごっちゃ混ぜで上手く整理がつかないが、敢えて言葉を与えるなら凌にとってはこうだ。
「初めて自分の居場所を見つけたような気がする――。上手く言えないが、もしかしたらこういうのを『家族』っていうのかね?」
 漏れ出した照れ笑いは背中越しの雰囲気で志穂にも伝わっている。
(「温泉で慰安旅行って、凌さんも嬉しいことを言ってくれると思ったら‥‥」)
 恋人でもなく、主と逢魔の関係であり続けるのはどこか少し難しいことのようだ。複雑な胸の内を悟られまいと志穂が俯く。
『――私としては二人きりの方が‥』
 ぽそりと呟きの形で言葉は洩れ、掠れた声を掻き消して風が吹き抜けて行く。
「ふぅ‥‥『孤独に歩め、悪を為さず。林の中の象のように』‥‥か。人間なんてどこまでも独りなんだろうが‥‥今のこの瞬間だけは、誰かに背中を預けてもいいものかもな」
 それは恋人という関係でないからこそ心底から口にできた言葉もしれない。
「さ、行こうぜ、志穂。物語は――これからだ」
「はいはい、もう少しだけお付き合いしますよ」

「さぁーて寝るか、豪華部屋で!」
 いよいよ宴会もお開きになり皆それぞれに部屋へ戻り始めた。一際軽い足取りなのは二人部屋をgetした伊珪。
「ん? ねーちゃん?」
「‥‥悪いけど‥一家団欒の為にも‥犠牲になって貰うわね?」
 所が部屋には何故か霧の姿が。呆気に取られた伊珪へ霧が微笑んだかと思うと、背後から伊珪へ当身が浴びせられた。
「真の敵は味方内に有り、という事で。な、伊珪」
 背後へ忍び寄っていたのは來島。二人は気絶した伊珪をいそいそと運び出す。大部屋には刀根・要も泊まっている。情勢が安定した後にマリヤちゃんを養女とすることが決まっている刀根夫妻だが、夫妻が彼女を迎え入れることが出来るようになるにはまだ暫くの時間が掛かりそうだ。となれば今日は「親子」になる3人の為の時間を作れる折角の機会である。「姫」の幸せの為にナイト達には泣いて頂く、という訳だ。
「‥‥元々そういうつもりだった、と先に云ったら面白くないだろう? 『全力で羽目を外す』には、さ」
 6人部屋へ運び込まれた伊珪が目を覚ました後に彼はそう説明した。アラストルと共に翡翠を支えた彼ら、固定されたチームでは無いものの横の繋がりとしてはそれ以上だと來島は自負している。
(「そんな『C』の面子ならば‥暗黙の了承だが、な」)
「ちぇっ、それで嫌だなんていったら俺が悪者みたいじゃん、分かったよ」
 事情を聞いた伊珪も結局は首を縦に振り、二人部屋は親子になる三人へ宛がわれることになった。
 マリヤちゃんは涼が連れ出している。
「忘れないでね」
 そう言い掛けた台詞を飲み込み、涼は口を噤む。
(「守る人がいた事を朧げにでも憶えていてくれたら心の隙間を埋める役くらいにはなるだろう。年齢的にもそれでいいと思う」)
 せめて今自分の手の届く間はこの子に笑顔を、それで少しでも外へ関心を持ってくれればと彼は思う。
「女の子は笑顔が一番だから」
 ほら着いたよ、そう優しく語りかけ、涼が襖を開ける。部屋には刀根夫妻が彼女を待っている。戸惑いを浮かべたマリヤの背をそっと押し、夫妻へ頭を下げると、涼はその場を後にした。

「なんだ、セン。こんな時間に」
 風見はセンから旅館の裏手に呼び出されている。先から何かを切り出そうとするセンは、今日こそ風見に思いの丈を打ち明ける気のようだ。
「悪い」
 ポツリと漏らした言葉に眉を歪めたセンへ、自分も顰め面になりながら肩を竦めて返すと、安心させるようにセンの頭を風見は撫でた。その想いを知っていながら此れまで彼は交わし続けてきた。
(「‥‥決着をつけんといかんよな。センの気持ちに応えるか否か」)
 3年前、風見は恋人を亡くした。それから、その部分だけ時は止まったままだ。旅館に来る前、彼は長崎の実家へ恋人の墓参に立ち寄った。この3年のことを報告するためだ。そのことは誰にも話す気は無い。ただ風見にはこう思えた、これから前へ進むのにそれが必要なんだと。
「セン、そんな神妙な顔をするな。お前はいつも通り俺の隣で笑っていてくれれば良い」
(「彼女に許してくれとは言えんが‥‥」)
 足踏みしていた一歩を踏み出そうとする様に、風見はこう続けた。
「これからもな」
「えっ、それって‥‥そういう事なんですよね。良いんですよね、これからもずっと真也様と一緒にいても」
 センに応えて頷いた飛び切りの顰め面は照れ隠しにそっぽを向いていて、それが不器用ながらも再び歩み始めた風見の第一歩になった。

 シャインは、シリンと二人で表を歩いている。
「今まで‥‥いろいろあったな」
「うん。けど、これでシャインも久しぶりにのんびり出来るね」
 まだ幼さの残る二人、手を伸ばせば繋げる距離が少しだけ初々しい。ここ翡翠を拠点に魔皇として活動を始めてもう半年。覚醒する以前、彼は有り触れた中学生だった。仲間として戦った多くは一回り近くも年上の者達。彼らと同じ目線で悩み、肩を並べてシャインは戦って来た。その肩に掛かる荷は、周囲が思っている以上に重かったに違いない。それでも何とかやって来れたのはシリンの存在も大きかったのだろう。その気持ちが何なのかシャインにはよく分からないが、彼はシリンを大切に思ってはいる。
「シリン‥‥今まで色々とありがとう。‥‥そして、これからもよろしくな」
 その問いに、シリンは「うん」と大きく頷いた。
「これからも一緒だよね‥‥そうだよね?」
 シリンの大きな瞳がシャインを覗き込み、屈託のない笑顔を見せる。
「あ、そう言えば!」
 思い出したようにシリンが大きな声をあげた。
「豪華部屋ゲットし損ねちゃったね。相手が悪かったのかな」
「いや、あれはシリンの力不足だろ」
「えー」
「來島さんの脚を引っ張らなければ――」
 こうしていると二人は年の近い兄弟にも見える。シリンが笑い、シャインも釣られて笑う。二人はもう暫くの夜の散歩を楽しむことにした。
 こちらは少し大人な二人。信也はサヤカと夜道を散歩している。
「‥‥ひとまず‥ここでの戦いは終わったな‥ 」
 並んで歩く二人の足取りはどことなくぎこちない。佐世保での一件から翡翠に関わることになって一連の事件を追い続け、信也はこの地での役目を果たした。もう彼がここに留まるべき理由はない。
「‥他の地域も早く終わらせなくてはな‥‥」
「うん‥」
 九州解放への決着はつけたが、まだ各地では神帝軍の支配は残っている。故郷から離れここ九州で人々のために戦ったように、彼の力が必要とされる場所はまだまだあるだろう。
「でもま、あれだな。こうやってみんなで温泉に来るのも楽しいが、今度は二人っきりで来ようぜ?」
「うん、絶対にまた来ようね信也様。約束だよ?」
 サヤカの差し出した小指を互いに絡め、二人は指切りをした。
「‥‥ああ、約束だ。さて、そろそろ部屋に戻ろうぜ? 余計な勘違いされたくもないしよ」
「あはは、誰か絶対にしてそうよね」
 そうして信也達も部屋へ戻り、ようやく皆が寝静まった深夜。潤信は宿を抜け出した。
 川原に佇む彼は千切れた携帯電話のストラップを見つめている。潤信らしくない弱気な溜息が洩れる。浮かぶのは今は亡き野村達の面影で。
『貴様の言う「守る」とは何だ?』
『お前のような者を認めたくはない』
『私のそれとは違う道だが、貫けよ。土守同志』
 セフィロト跡地でシー達が見つけた誰のものとも知れないそれが、今は唯一彼らとの絆だ。出来る事ならもう一度、逢って直接伝えたかった。戦いが終った事を。
(「本当なら野村達の下で色々と教わりたかった‥終戦後、個人的に彼女を訪ねるつもりでもあったさ。それだけ考え方は違えど、守る者として尊敬できる奴だった」)
 彼らのことを思う時、今でも潤信は身震いを禁じ得ない。対立を乗り越えて固い絆で結ばれた彼ら。故郷長崎を救おうと燃やした情熱は同じだった。そのことを思うと今でも目頭が熱くなる。見上げた月が滲んだ。
   ――オレはそのやり方を否定する、オレの『守る』は、力弱き者を救う事だ!
      ――お前達だけを行かせはしないぜ! 野村!
     ――誰かの恨みを買ってもそれごと受け止める盾になるのを『守る』って呼びたいんだ、オレは!
 力の限り願う祈りが、叶うことなどないのだと知れていても。ぶつけた言葉、通じた想い。もっと伝えたかったことがある。潤信は願った。一瞬だけでもいい、幻でも構わない。もう一度、言葉を伝えられたなら。
      ――オレの守る事の本質は変わらない、何万年も人の下に在る大地のようにな!
   ――最後の瞬間までお前達を全滅から『守って』やる!
          ――約束しろ、還って来るのを待ってるぞ、“平和”になった長崎で!
『――ああ、還って来れるよ。きっとな』
 それはあの時と同じ答えだ。最期の刻、潤信へ答えたのと同じ声で告げたのはあの日と同じ彼女の姿だった。
「‥‥‥‥の、‥‥‥野村‥‥?‥‥」
 まだ信じられない様子で呆然としてる潤信の前で、現れた彼女は言葉を待つように彼へ眼差しを向ける。沈黙の意味を知り、涙を堪えながら精一杯に笑うと潤信は口を開いた。
「戦いは終ったよ‥‥この平和は後に託された防人達で守って行く。あんた等のような犠牲を決して生まない為にも、この命続く限り‥‥」
 潤信が拳を掲げる。それに、野村は微笑んだようだった。野村が腕を伸ばす。差し出した手が握られた拳に重なり潤信が野村の目を見詰める。それへ強い眼差しを返し、彼女はその手で拳をそっと割り開いた
「‥あ」
 開いた掌とてのひらが合わさり、二人は手を結ぶ。握る掌に感触さえ残しもせず握手が霞む。彼女はそうして薄れてそれ切り。消えた。

 眠れないのか、來島は一人で露天に入り直している。湯船に浮かぶ月見酒は、一つは自分へ。もう一組は翡翠の夜明けを見ることなく関東で散った狭間・零への陰膳に。同い年で同じ孤高の紫、闘い方は違っても似た部分の多い仲間だった。
「本当に大変なのは此からだが‥‥俺達は俺達なりに、出来る事を確実に‥か」
 湯煙の向こう、霞めて見るこの一年はどんなだったか。ただ一つ確かだと思えるのは。今までにも変わりは無く、気負わず自分達なりに走り続けて行くこと。此からもきっと。
 翌朝。
 寝ぼけたサヤカに関節を極められた信也の叫びが目覚まし変わりになるというアクシデントはあったものの一行は出発の時を迎えた。
「ん‥‥潤信、ちょっと雰囲気変わった?」
 出立を前に、火狩がふと潤信を見て首を傾げる。
「ボクが寝ている間に何かあったの?」
 それにニカっと笑って返し、潤信が荷物を手に取った。それぞれの大切なものを守る為に歩んできた。その道程で引かれ合い、強い絆で結ばれた仲間達。故郷を守る為に拳を固めた者、大切な人の為に剣を振るった者、見知らぬ土地でまだ見ぬ誰かの為に戦った者も、己の信念の為にその道を歩んだ者もいた。仲間達の背を見送り、力強く歩き出す。歩み始める道はそれぞれに枝分かれしていても、目指す光の先はきっと繋がってる。そうだ、気負わず走り続けて行こう。いつだって帰って来れる。