■諸刃の剣■
商品名 流伝の泉・ショートシナリオEX クリエーター名 津田茜
オープニング
 通天閣を見上げる大阪の下町エリア、新世界。
 未だ手打ちのパチンコ店やスマートボール店など、ひたすらディープな大阪が広がる。 
 その細く入組んだ路地をひとつ、ふたつ。
 暗く薄汚れた廃ビルの一室に集まった顔ぶれを見回して、男は唇の端をにやりと歪めた。その口許からこけた頬に走る醜く引きつった傷跡が、すさんだ雰囲気に一層の凄みを添える。落ち窪んだ眼窩の奥で闘争心を失わない双眸だけがギラギラとすえた光を湛え、挑むような圭角を隠そうともしない。
「――説明は以上の通りだ。何か質問は?」
 裡から滲む昂揚を抑えかねるような口調で作戦の概要を述べた男の言葉に、机に広げた数枚の図面を見下ろしていた面々は探りあうように視線を交わした。
 束の間の沈黙。数人分の視線に促され、赤毛の男は仕方なさげに肩をすくめると徐にその問いを口にする。
「やるのは構わんが、本当にヤツは来るのか?」
 はるか上空に鎮座する神の城の支配者が、これまで人前にその姿を現わしたのは数えるほどだ。
 万全の手筈を整えても、肝心の標的が現れなければ全てが徒労に終わる。
 来る、と。提示された危惧に低く嗤い、男はそう確信を込めて言葉を続けた。
「東京ギガテンプルムが陥ち、人間の間にも動揺が広がっている。神帝軍の磐石を周囲に知らしめる為にも、今、表に出ないワケにはいかないだろう。――それに、出てこないなら、引きずりだせばいいだけの話だ」
 この機会を逃す手はない。
 それぞれの表情で勝機の計算を始めた面々を見回して、男は悠然と煙草の先に火を灯す。ゆるゆると吐き出された細い紫煙は淀んだ部屋の空気を揺らし、やがて暗い天井へと溶けて消えた。


 大阪メガテンプルム。
 水の都と呼ばれる巨大な都市を睥睨する神の城
 広い執務机に頬杖をつき、少年は気だるげに小さな欠伸をかみ殺す。
「‥‥ヨハネ様‥」
 いさめるような声に肩をすくめ、幼い子供の姿をした権天使は傍らに置いたひねた仔猫のぬいぐるみに手を伸ばした。
「だから、何度言っても同じだって。当分は瑠璃への手出しは控える。――もちろん、CDCの使用もね」
 ぞんざいに掴れた仔猫が、ぶみ‥と情けない濁声を室内に響かせる。瓦解しそうになる緊迫感をどうにかその場に繋ぎとめ、大天使ファルチェはぎりと唇を噛み締めた。
「俺は納得できません。ギガテンプルムが陥ちたとはいえ、力の差は歴然。メガテンプルムにもCDCが完成した今、魔の者を蹴散らすなど容易なこと。このまま放置してはヤツらの増長を許すだけ」
「しかし、神戸のシモン様があのご様子では‥‥」
 獣の双眸に獰猛な光を湛えたファルチェの言葉に、いまひとりの大天使ウィスタリアはやんわりと懸念を口にする。
「シモン様だけでなく、京都のアンデレ様もどちらかと言えば温和なお方。下手に動けば同士討ちとなりましょう。――それこそ、汚らわしき堕落の徒を喜ばせる結果かと」
 瑠璃の結界消滅の際、神戸のグレゴールが魔の側についたとの方は、幾つもの経路から、大阪にも伝えられていた。――警告だけでなく、実際、同胞と刃を交えたとの報もある。
「シモン様は何か勘違いをされておられる。あの蛆虫ども絶やさぬ限り、人の世に安寧は望めぬものを――」
 東京中心地を廃墟とし、あまつさえ数万単位の人間を死に追いやった。刻がその惨劇を具に語り始める中で、一般市民の心はもはや完全に魔皇から離れている。
 一刻も早い排除を。
 東京の忌まわしき災厄が我が身に降りかかるその前に――
「例の”化け物”の被害は都心から関東全域に拡大しております。‥‥各テンプルムとも狩り出しに全力を尽くしているようですが‥」
 取りこぼしがあったのでしょう。優美な顔を嫌悪にしかめたウィスタリアの報告に、ファルチェは拳を掌に打ちつけた。
「蛆虫どもがっ!!」
 数が揃えば、ギガテンプルム――神帝をも倒す力を持った化け物である。それが、自らを律することもできぬまま力を解放し、野に放たれた。市民への被害は今も、数千、数万単位で増え続けているという。
「――そっちの警戒もしておかないと、ね。こっちにたどり着く前に、タダイあたりが一掃してくれれば助かるんだけどさ‥」
 手の中の仔猫を弄びながら少年は、やれやれと肩をすくめて吐息を落とした。そして、ひょいと顔を上げてファルチェを見やる。
「シモンはユディットとは違う。これだけの騒ぎだし、少しは考え直すんじゃないかな?――とにかく、今はあの有象無象に被害者面した哀れっぽい言い訳を弄する余地を与えないこと」
 いいね、と。幼い顔にふうわりといといけない笑みを浮かべて、ヨハネはぶみ‥と手の中の仔猫を鳴かせた。


「困ったことになりました――」
 泉に集まった魔皇たちを前にして、伝はいくぶん沈痛な面持ちで肩を落とした。青白い表情に、ギガテンプルムでの勝利を喜ぶ色はない。
「悪魔化した魔皇さまの暴走は、”瑠璃”の願いとは別の方向へ天秤を傾けようとしています」
 結界の強化が成り、神戸のプリンパシリティ・シモンが歩み寄りの姿勢を見せた。平和へと傾くかに思えた流れは、また振り出しに‥‥否、最悪のベクトルを指しているようにさえ思われる。
「昨日、大阪の密からこのような報告が入りました」
 堂島川と土佐堀側の中洲に位置する中之島。この界隈は、明治時代のレトロな風情を色濃く残す建造物が立ち並び、大阪の歴史を感じさせる一帯だ。
 この中之島公園の中心に建つ中央公会堂にて、近々、大阪府が主催する式典が催されるという。甚大な被害を蒙った東京への追悼と、支援活動や今後の指針表明を知事の名で行うものだというが――
「もちろん、神帝軍の関係者‥‥恐らく、トップに近い者が列席するかと思われます」
 ざわ、と。集まった魔皇たちの間に不穏な漣が広がった。
 大阪に駐留する神帝軍の統括者は、権天使ヨハネ。その姿は幼い子供だというが、日本第二位の都市を任されるその実力を外見だけで与しやすいと軽んじるのは危険だろう。
「‥‥本当に‥ヨハネが来るのか?」
 誰かが発したかすれた問いに、伝は瞼を伏せて不明と告げた。
「ただ、その可能性は高い、というわけだな――」
「はい。そして、大阪密の報告では、それを狙って行動を起こそうとする動きがあるそうです」
 内心で何を思っているのかはともかく。現時点では、ヨハネはシモンの平和交渉を静観する構えを見せている。
 だが、牙を剥かれれば、寛大であるわけはない。平和推進派の当事者であるシモン自身も、テロ活動への報復は止めないと公言しているのだから。
 式典に参加するのは、神帝軍とは関係のない者達がほとんどだ。ここで事件が起これば――まして、死人が出るような騒ぎになれば、和平など望むべくもない。
「魔皇さまの中に瑠璃のやり方に反目する方がおられるは存じております。――ですが、ようやく見えた平和への糸を途切れさせるわけにはいきません‥」
 どうか、と。居並ぶ魔皇を前にして、伝は静かに頭を下げた。
 彼らの暴挙を止めてください。
シナリオ傾向 テロ活動の阻止 陰謀 殲騎使用不可 死亡の危険あり
参加PC 筧・次郎
夜城・将清
水神・操
ヒシウ・ツィクス
ジェフト・イルクマー
ヴァレス・デュノフガリオ
ダレン・ジスハート
日下部・まろん
ゼシュト・ユラファス
ティルス・カンス
シグマ・オルファネル
栄神・朔夜
諸刃の剣
●在りし日の追憶

 父が死んだ――

 いつものように玄関を出て行く、少しくたびれた後姿をちらりと横目に見送ったのが最後。
 夕食は要らないと言っていた。
 出張だから、と。いつもより早めに家を出て。そして、帰ってこなかった。

 とても忙しい人で、
 顔を合わせても、ロクに話もしなかった。
 特に話すこともなかったし。
 話しを聞いて欲しいとも思わなかった。――いつでも話せる。心のどこかで、そう思っていたから‥。
 いなくなる日が来るなんて、想像すらしていなかった。

 3月15日。
 東京都心には避難勧告が出ていたという。
「今、避難所にいるって携帯から電話があったわ」
 ママはそう言っていた。
 まだ少し不安そうだったけど、でもホッとした風に吐息を落として。
 でも、それきり――

 少しばかり変な人だったと思う。
 自らを”魔皇”と名乗る悪人たちにも同情的で‥‥
「彼らも元々は人間だっんだから」
 いつだったか、そんなことを言っていた。――もしかしたら、知り合いに魔皇になってしまった人がいたのかもしれない。
 きっと自分が彼らに殺されるなんて、思ってもいなかったのだろう。

 立派な父親だったかどうかはわからない。
 尊敬していたとは言えないし、怒られた時は嫌いにもなった。
 それでも、
 ――私には大切な人だった。


●魔皇からの手紙
『こっちの情報網に、追悼式の日に魔皇と逢魔が各5名ずつテロ行為を行うという情報が入った』
 こんな書き出しで始まる手紙が大阪メガテンプルムに届けられたのは、式典が間近に迫った3月27日のこと。
 ヴァレス・デュノフガリオ(w3c784)が出した追悼集会襲撃計画の示唆は、メガテンプルム内の然るべき部署を経て、権天使ヨハネの元へも届けられた。
 大きな執務机の前に陣取った少年は、読み終えた手紙をひらりと振って目の前の机に頬杖をつく。
「――魔皇ってさ‥」
 手紙の書き方も知らないのかな。ごく親しい者に語りかけるような口語調の文面に呆れているらしい感想に、ふたりの大天使はやや戸惑い気味に視線を交わした。――確かに、少々くだけすぎという気がしないでもないが、今注目すべきはそこではない。
「いかがなさいますか?」
 大天使ウィスタリアの問いに、幼い子供の姿をした権天使は小さく首をすくめる。
「なにも」
「なにも?」
 けろりと返された言葉に柳眉を顰めた大天使に軽く笑い、ヨハネは便箋をくしゃくしゃと丸めてゴミ箱に投げ込んだ。
「ヤツラがこちらの動きに何か仕掛けてくるのはいつもの事だろ。それについての備えはしてある。――さすがに今回くらいは大人しく死者を悼んでくれるかもって期待してたんだけど‥」
 所詮は”魔の者”だってコトだね。次の玩具を探して積み上げられた書類ケースを物色し、2枚の写真を引っ張り出した少年はわずかにその形のよい眉をひそめる。
「式を延期するにしても、選挙前にポイントを稼いでおきたい政治家たちはうんと言わないだろうし。警備を増やせば、かえって市民の不安を煽ることになる」
 テンプルムの感情収集機能を持ってしても、日毎に重く息苦しさを増す市民の不安を完全に取り除くことはできないのだ。――否、感情収集機能が働いているからこそ、恐慌が抑えられていると言ってもいい。
「ま、市内の見回りを増やして水際で止めるしか手はないね」
 2枚の写真をためつすがめつ弄びつつ、ヨハネはふむと小さく考え込んだ。
「‥‥『jkpqfgpkqmwlqfgocvuw』‥か‥、な〜んか‥‥だよねぇ‥」
 二番煎じで意外性に欠けるってカンジ――。
 ぽそりと落ちた呟きに怪訝そうな視線を向けた大天使たちに何でもないと微笑んで、少年は写真に止められたメモの走り書きに首をすくめる。

●夜明け前
 1918(大正7)年、株の仲買人岩本栄之助が寄付した100万円をもとに建設された中之島中央公会堂は、赤レンガに緑青のドーム屋根が美しいネオ・ルネサンス様式の外見を持ち、国の重要文化財にも指定されている歴史的建造物だ。
 2002(平成14)年に保存・再生工事を終え、現在も市民の文化活動や学集会などに利用される大阪のシンボル的建物でもある。
 川面に揺れる街の明かりに浮かぶ壮麗で優雅なシルエットを浮かべるレトロな古き良き時代の風に誘われて、この夜、天使が舞い降りた。
 淡い燐光を纏う真珠色の翼を羽ばたかせて青銅のドーム屋根に降り立った天使は、そのきらめくような存在感に密度を増した闇に抱かれた人ならざる者の気配に、微かに顎をあげて誰何する。
 幼い腕に抱かれた目つきの悪いひねた仔猫の人形が、ぶみ‥と濁った声を洩らした。
「‥‥ノヅチとケイ以外はあまり印象に残ってないんだよね‥」
 不誠実そうな苦笑を浮かべ、天使はぽそぽそと言葉を落とした相手を遮る。そして、その海藍の眸に怜悧な光をきらめかせた。
「話があるから呼び出したんでしょ。そっちを聞かせて?――追悼集会への襲撃計画のコトだよね?」
 暗がりから差し出された四角い封筒を受け取り、ちらりと中を改める。
「すぐに手配させる。大丈夫、人間は守るよ。‥‥神はそのためにボクらを遣わしたんだから‥」
 そう、口許に微かな笑みを刷き。神の遣いは、ふうわりと淡い光の雫をそこに残した。

●賢明と迂闊の間
 式典開催の30分前に会場付近につけるよう身支度を整えながら、ヒシウ・ツィクス(w3b715)は、その日のプランを口にする。
「最初に‥‥今、この近くですぐにでも動ける魔の者、とにかく集めれるだけの人手を集めれないか?」
 ツィクスの言葉に腰下まで伸びた長い髪にブラシをかけて結いなおしていた逢魔・ステア(w3b715)は首をかしげた。
 主の言葉が足りないのは、いつものことだが。
「理由? それは――
 これは僕の予測でしかないが、まず間違いないはずだ。まずテロリストの手段は悪魔化、文官とはいえプリンシパリティのヨハネ、それも会場周辺に多数のグレゴールがいる状態で、勝算のある作戦ならばこれしかない」
 自らの予測を熱く語り始めたツィクスに、長丁場を覚悟したステアはもう一度ブラシを取り上げ、丁寧に髪を梳き始める。
 権天使ヨハネが文官であったなど、初めて聞いた。おそらく、”賢皇”のふたつ名が、誤解を招いたものらしい‥‥。
「で、なぜ彼等に勝算があると思ったか、それは悪魔化の詳細と威力が分かったから。だったら悪魔化の結末も知っている、それでも行おうというんだ、その覚悟を見ず知らずの魔皇がいきなり行って説得しても、聞き入れる可能性など皆無。ここまで言えば分かったかな?」
「う〜ん。なんとなく」
 様々な便利アイテムを自慢のおさげに編み込みながら同意するステアに気を良くし、ツィクスの口はいっそう軽く。
「僕が『テロリストを止める気は無い』と言ったのは止めても無駄だから。人手を集めてもらう理由もそろそろ察しがつくだろう、人間をとにかく遠ざけてもらいたい」
「うんうん。で、どうやって?」
 ステアにもツィクスにも、この近くで動ける魔の者になど心当たりはない。
 ツィクスの完璧な脳内計画では悪魔化の被害を免れた人間相手に、
「我等と神帝軍が悪魔と呼ぶ者は人間の精気を糧とします、神帝軍は自分の庭‥‥有利な箇所で自分達の被害を抑えてかの者を倒す為、あなた方を餌として集めたのですよ。‥‥無論、信じがたい話でしょうけれど」
 と吹聴し、神帝軍の威光を地に落すつもりであったのだが。
 ”悪魔”と呼ばれる忌まわしき存在を解き放ったのが”魔皇”たちであるという事実は、既に各メディアを通じ知れ渡っている。今更、魔に属する者の言葉に大人しく耳を傾ける人間がいるのかどうかも謎だ。
 作戦からの離反を告げた時点で、仲間はツィクスを警戒すべき者と見なしているのである。いかに自分の見識の深さを実感しても、孤立すれば協力の手は差し伸べられない。
「いや、あのさ‥‥。ホントに、本音に近い部分を話そうとすると、言い方下手だよねぇ、ヒシウって」
 演説は格好いいのだが、イマイチ行動が伴わない主にステアはやれやれと吐息を落とした。

●対立
 通天閣にほど近い入組んだ狭い裏路地で、水神・操(w3b295)とダレン・ジスハート(w3e306)はテロリストの1人と顔を合わせた。――インターネットやパソコン通信という通信手段の普及もあって、反社会活動家たちにもアジトで密談という概念はないらしい。操が密に案内されたのはアジトではなく、メンバーの潜伏先のひとつであった。
 凶骨を従えた燃えるような赤い髪と眼をした若い男は、操を案内してきた逢魔に気付き世にも渋い顔をする。
「また、お前か。何度来たって、俺の気は変らねぇって言ってるだろうが!」
 既に何度も説得を試みているらしい。怒鳴りつけられ、セイレーンの少女は泣き出しそうに眸を歪めた。
「で、でもっ。つばさ様は――」
「戦って、勝算はあるの?」
 密を遮った操の言葉に、赤毛の魔皇はぴくりと片方の眉を上げる。
「【悪魔化しない】で【一般人に被害を与えない】、かつ【確実に】ヨハネをしとめられると言うなら止めはしない」
「はっ。そんな方法があるなら、既に誰かが実行してるさ。――出来ないから、アンタだってこうしてここにいるんだろーが」
 挑むような緋色の視線に息を呑んだ操に代わり、ジスハートが口を開いた。
「一つお話をしましょう。ある一人の男が3月15日に『悪魔化』しました。そして元に戻れなかった」
 静かに切り出された話に男は、僅かに眉を動かす。3月15日の出来事は、誰にとっても無視できぬ惨事であった。
「彼は『けもの』となり目の前にあるもの、敵も味方も関係のない人間も殺しました。それから死んだ」
 部下の悲劇を引き合いに悪魔化の無意味さを説くジスハートに、男は忌々しげに鼻を鳴らした。
「本人が望んだ結果だ。褒めてやるべきじゃないのか?」
「悪魔化する覚悟があるのなら、大阪テンプルムのほうが効果的じゃない?」
「なに?」
 いっそ挑発を込めて投げられた操の声に、男は僅かに顎を引く。
「多分、ヨハネには逃げられる。襲撃を予想されてるだろうから。なら、メガテンプルムの感情集積装置とマザーを目標にした方がよっぽど確実でしょ? ヨハネの護衛で多少警備も手薄でしょうし。――どっちにしても捨てる命なら、確実に上がる戦果を取るべきでしょ?」
「和平を受け入れないヨハネはいずれ倒すべき相手だ。しかし、今はタイミングが悪すぎる。コレは戦争なんだ。殺し合いじゃない以上、暗黙にルールもあれば、ただ勝てば良いってモンでも無いんだ」
 畳み掛けるように後を続けた逢魔・白紋(w3b295)の言葉に、男は軽く瞠目し、そして呆れた風に肩を竦めた。
「アンタらの言ってることは滅茶苦茶だ。まず、ひとつ。メガテンプルムのマザーを殺したところでヨハネは死なない」
 マザーを通じて感情集積装置が集めたエネルギーの供給を受けているのは、ファンタズマと彼女が選んだグレゴールだけ。そして、メガテンプルム最強の存在である権天使の護衛に、彼らがどれくらい気を使っているかも定かではない。神戸のシモンなど、ほぼ放し飼い状態である。
「ふたつめ。テンプルムが街に落ちれば、死者は500人ではすまないぜ?――それとも何か? アンタらの言うルールに則れば、何人死んでも構わないってか?」
 嘲るような冷笑を吐き出し、肩で押しのけるようにして脇をすり抜けようとした魔皇の腕を押さえ、操は低く押し殺した声を紡ぐ。
「話し合いの余地は無いのね?」
「くどい」
 張り詰めた緊迫感に吐息を落としたジスハートが口を開くより早く、警戒の網を張っていた白紋の耳に祖霊が危険を囁いた。
「操っ!!」
 ゼシュト・ユラファス(w3f877)の放った真旋風弾の衝撃が、咄嗟に飛びのいた足元に着弾し、薄汚れたアスファルトを穿つ。
「滑稽だな‥式典に居合わせる者達は皆、ヨハネの掌上で踊らされている事にまだ気付いていない。賢皇よ、せめて最高の茶番劇を見せてやろうではないか。大ヤコブ‥‥貴様が望んだ神魔の決着は‥‥必ず着ける」
 自分の言葉に陶酔すら感じ再び引き金を引こうとしたユラファスは、逢魔・イスファル(w3f877)の小さな悲鳴に顔をあげた。
「捜したぜ、ゼシュト」
 テロリストよりも先にユラファスを追いかけることに専念していたティルス・カンス(w3g025)が取り上げた盗聴器の受信装置を手に、器用に片方の眉をあげる。テロリストの居所を突き止めるためユラファスが密に仕掛けた盗聴器をそのまま泳がせ、周囲を張っていたのだ。後ろでは逢魔・ユリア(w3g025)がいつでも動き出せるよう警戒しながら控えている。
「止めても無駄だと思うが、やりあう前にひとつ聞きたい。お前、何を企んでいるんだ?」
 瑠璃の滅亡、あるいは、瑠璃の周辺の敵を増やすことを狙っての行動か。
 瑠璃の司つばさ、神戸の権天使シモンが唱える平和は、ユラファスの目的にとって最大の障壁となるものだから。
「今更、言うまでもないことだ」
 武器を構えたユラファスに、カンスも魔皇殻を召還する。体勢を立て直した操とジスハートも、それぞれに武器を構えた。
「汝、ダレンに近づく事叶わん‥‥」
 逢魔・ヨグルフォス(w3e306)の無機的な声が、薄暗い裏路地に冷たく響く。
 ユラファスの言う通り、賢皇の目からみれば歯牙にもかからぬ茶番かもしれない。だが、双方共に引くことの出来ぬ理由がある。
「こりゃいいや。せいぜい楽しませてもらうぜ」
 襲撃のことなど忘れたかのように楽しげに弾んだ声が、張り詰めた緊張に耳障りな険を散らせた。

 ユラファスの放った真狙撃弾が操の肩を貫き、怒りに燃えた魍魎の矢がイスファルの四肢を食いちぎる。真テラーウィングを装備したカンスの上空からの攻撃に併せ、ジスハートが気を取られた相手の隙をついて自らもDFを放つ。
 同レベルの魔皇同士がぶつかり合えば、双方ともタダではすまない。
 互いの逢魔をも巻き込んでの戦闘は、狭い界隈に人口の犇きあう新世界のキャパシティをはるかに超えて――
 この日、魔皇が有する力の凄まじさを人々は改めて知ることとなった。


●天使の真意
 シグマ・オルファネル(w3g740)の差し出したテロ実行者のリストにパラパラと目を通し、権天使ヨハネは薄い肩を軽くすくめる。
「こちらのリストとも一致してるみたいだね。――これまでに、2名の身柄は押さえたと連絡があったよ」
 リストを手に部屋を辞するグレゴールを見送って、オルファネルは心の裡の疑問を口にした。
「貴方は今回の式典でテロが行われるのを知っていたのですか?」
 知っていて利用したのだと。
 その言葉が引き出させれば、盗聴器を通して録音したテープを穏健派と知られるふたりの権天使シモン、アンデレに送りつける手筈になっている。
「キミ達が神帝軍の動きに横槍を入れるのはいつものことだからね」
 オルファネルの内心を見透かすようにくすりとため息交じりの笑みを吐き、ヨハネは軽く上げた指先をくるくると回してみせた。
「東京があんなことになった以上、大阪の行政サイドが何もしないわけにはいかないだろ? 彼らにも彼らなりに市民に対して責任があるんだよ。――後始末もできないキミたちと違ってね」
 この追悼集会の主催者は大阪府。――神帝軍ではなく、知事と大阪選出の国会議員たちである。
 盗聴器を通して聞こえる残酷な子供の声に、逢魔・ミハエル(w3g740)は小さく舌打ちを落とした。淡々と落とされる痛烈な言の葉は、交渉に使えるものではない。むしろ、魔の者にとっては耳の痛くなるような会話が続く。
「ボクとしてはリストより悪魔化した者を確実に止める方法を教えてほしいね」
 悪魔化した魔皇を止める方法。
 そんなものがあるのなら、知りたいのはむしろオルファネルの方だ。
「知らなかったんだろ? 悪魔化がどんな結果を招くのか。何か起こるか、ろくに確かめもせずに安易に飛びついたんだろ?」
 雪花の司・一葉が発した言葉。あるいは、重なった幾つかの偶然によって朧げにその姿を表に浮かべ、水面下で広がった悪魔化の秘術。交じり合った事実と憶測はその真実の追求さえなされぬまま――勝利に急ぐ者たちはこの切り札に賭けたのだ。
 魔皇にとっては、おそらく勝利。
 だが、人間にとっては大いなる災厄に他ならない――
 オルファネルを見据える海藍の眸は偽りではない静かな怒りを湛え、そして容赦なく罪を断じた。
「それとも判っていた? 何万人もの人間が死ぬと知っていて。それを承知の上で、あえてその道を選んだの?――目的さえ達成できれば、人間ごとき何人死のうが関係ない?」
 違う、と。否定できない現状。口を噤んだオルファネルに、少年はひらりと手を振って会談の終わりを告げる。
「今の会話の内容はすべて仲間が録音している。私の身に何かあれば、テープが神戸のシモンや京都のアンデレ、その他、平和を望むグレゴールたちの下に届くようになっている」
 グレゴールに促されて立ち上がったオルファネルの言葉に、ヨハネは今度こそ冷笑を吐き出した。
「結局は我が身の心配? やってみれば? それで、シモンとアンデレが動くと思ってるなら」
 そこで一旦言葉を区切り、ヨハネは掌に乗せた氷の欠片を吹くように冷ややかな言葉を紡ぐ。
「何か勘違いしてるみたいだから教えてあげる。シモンとアンデレを味方だと思ってるなら間違いだよ。――あのふたりにとって何よりも大切なのは人間の安寧。キミたちの存在が害にしかならないと判断したら‥‥彼らはどんな手段を使っても殲滅に乗り出すだろうね――」
 オルファネルが、ミハイルの特殊能力”時空飛翔”で会場を後にするのは、この後のことである。

●焦燥の行方
 中央公会堂のある中之島公園は、1891(明治24)年に大阪市で初めて誕生した都市公園で、堂島川と土佐堀川に挟まれた中州に位置する約9haほどの面積を持つ緑地帯である。中央公会堂の他、中之島図書館、東洋陶磁美術館、音楽堂や89品種4000株のバラが咲くバラ園など。ゆったりとした雰囲気で散策するには最上のロケーションだ。
 中洲という立地条件も手伝って、封鎖するにも良い条件だろう。警察官に混じって目に付く聖鍵戦士の白い外套に、夜城・将清(w3a966)はやれやれと首をすくめる。
「ふむ‥テロ行為ね‥‥良く考えたら世間的な弱者の私達は基本的に何をやっても『テロ』という一言で片付けられるのは間違いないな」
 夜城の皮肉に満ちた呟きに、ジェフト・イルクマー(w3c686)は黙って肩を竦める。――夜城の言う基本が魔皇たちの驚異的な身体能力や、魔皇殻、DFといった特殊能力に拠った行動を意味するのならそうだろう。揮われれば、人間に対抗する術はない。
「何もなければ良いんだけどな」
 逢魔・セラティス(w3c686)に洩らした言葉は、イルクマーの偽らざる本音であった。だが、それは叶わぬ願望に過ぎないことを、数刻後、彼は身をもって知らされることとなる。
 ふたりが見つけ出し足を止めたテロリストは、彼らの説得に心を揺らせることはなかった。
「そうか、では仕方がない」
 芝居がかった仕草で大袈裟に首を振り、夜城は傍らでふたりの会話を見守っていた逢魔に向き直る。その手に握られた魔皇殻に、誰もが夜城の真意を図りかねて口を噤んだ。
「残念だが‥君が死ねば‥‥お前の主が馬鹿なことをすることはないんだ‥‥馬鹿なことをして魔皇が死ぬよりは君にとってはましだろう」
 不思議そうに向けられた眸が、刹那、大きく見開かれる。何か言いたげに震えた紅い唇は、だが、一言も紡がれることはなく――。
 人化の解けたナイトノワールの亡骸は、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「なんて事をっ!!」
 思いもかけない夜城の行動に絶句したセラティスの目の前で、男の身体が小刻みに震え始める。
 悪魔化の阻止。その焦りが、あるいは夜城の思考を曇らせたのだろうか。――魔皇の理性を繋ぎとめるスピリットリンクの消滅は、すなわち、止められぬ感情の暴走を意味する。
 そう、単に悪魔化しないというだけで‥‥。
「将清様っ!!」
 過ちを悟り、咄嗟に夜城を庇おうとした逢魔・氷霊(w3a966)の視界で黒い影が閃いた。直後、突き抜けるような衝撃が氷霊の身体を引き裂き、跳ね飛ばす。
「きゃぁぁぁっ」
 一撃で氷霊を弾き飛ばした男は、その腕を止めることなく夜城へと掴みかかった。頬に浮かび上がった魔皇の印。身の内から沸き起こる破壊と殺戮の衝動だけを映す濁った双眸には、既に理性の色は無い。
 耳を覆いたくなる咆哮を上げ、魔皇の本性を表わした男は、その狂気のままに力を振るう。その腕に囚われれば、ひとたまりもない。
 凄まじい力で引きちぎられた身体から迸った鮮血は、ぱたぱたと思いがけず大きな音を響かせて石畳を叩いた。
「夜城さんっ!!」
「‥く‥っ」
 凄惨な光景に悲痛な声を上げたセラティスにイルクマーは奥歯を噛み締め、人化を解いて召喚した真クロムブレイドを握り締める。自分を決して弱いとは思わない。だが、暴走を始めた魔皇を相手に、どれだけ対抗できるか‥‥自信はなかった。
 しかし、ここで止めなければ、彼は確実に周囲に破壊をもたらす。追悼式を襲った悪魔として、神帝軍――そして、ヨハネの筋書き通りに滅ぼすべき危険な存在として人々の記憶に刻まれるだろう。
 テロを警戒しての入場規制が敷かれているのか、あるいは、式典が始まっているせいかもしれない。公園に人間の姿がないのがせめてもの救いか。
 だが――
 咆哮は公園の木の上で式典に参加しているヴァレス・デュノフガリオを待っていた日下部・まろん(w3e611)の耳にも届いた。
「な、なに!? 始まっちゃったのっ?」
 会場ではまだ開会の挨拶もされていないだろう。
 公会堂内部の異変は判らないが急に慌しくなった警備の動きに只ならぬ気配を感じ、まろんは腰掛けていた木の枝から飛び降りた。同胞の暴挙を止めるために、そして、その凶爪から人間を守るために。
「‥テロなんて‥‥っ」
 例えそれが信念に拠るものであっても――。
 どさくさに紛れ、負傷したファンタズマにトドメを刺そうと公会堂のある中之島公園内に身を潜めていたヒシウ・ツィクスもステアと共に現場へと急行する。
「奴等が感情を、人の情熱を喰い続けるならば消さなければならない。僕の‥‥技術者としての誇りにかけて」
 ツィクスの行動は、俗に火事場泥棒と呼ばれるものだ。そうして引き起こされる混乱が、人心を魔皇から遠ざけていることに、ツィクスはまだ気が付いていない。
 神帝軍なき後、この地に何をもたらすのか――。
 悪魔化により植えつけてしまった魔皇に対する恐怖と不信。いかにして償い、そして、向き合って共生するか。
 その明確なヴィジョンさえ、魔皇たちはまだ示すことができていないのだ‥‥。

●それぞれの思惑
 来賓席にちょこんと腰掛けた少年は、明らかに只人では在りえなかった。
 存在の根底から輝いている、と。そう実感させる存在感と、神のカリスマ。あるいは、子供ゆえの無垢――。
 その顔を見られるだけでも、ここに来た甲斐があったというものだ。
 足早に権天使へと近づいた聖鍵戦士に目を細め、筧・次郎(w3a379)は少し楽しげに両手を摺りあわせた。
「何か起こったようですねぇ」
「‥‥テロ‥で‥しょうか‥?」
 隣に座った逢魔・鳩(w3a379)の無機的な問いかけにふむと頷き、筧はほんの少し首を傾けグレゴールの言を聞く少年を眺めやる。その表情はあくまでも平穏で、会話の重大性は読み取れないが。――ひとこと、ふたこと、かすかに唇を動かして。傍らに座っていた長身の青年が席を立ち、ヨハネはまた壇上にて熱弁を振るう知事の方へと視線を向けた。
「いいですか、パティ。今日、ここで起こったこと。その顛末。すべて覚えて、貴女の心に留めておいてくださいね」
 にこやかな笑みさえ浮かべた主を前に、鳩は感情の起伏に乏しい人形のようなその顔にかすかな戸惑いの表情を浮かべた。
「‥‥テロ、を‥止めない‥の、ですか‥‥?」
 その問いに答えはない。
 13使徒・ヨハネの暗殺が成功するなら、それでもいい。――むしろ、魔皇にとっては朗報となる。
 筧と同じく会場に入り込んだヴァレス・デュノフガリオが見守る中、追悼式は粛々と進行し、そして、死者への献花が告げられた。
 府会議員や国会議員という肩書きを持つ主催者の名が次々と読み上げられる。それは、死神が誘う秒読みにも似て――。

「ヨハネっ!!」

 会場に響いた男の声に、少年は白い花を手にゆっくりと振り返る。
 集中する視線の真ん中に、真スラスターライフルを構えた男が立っていた。
 ざわり、と。会場に不穏が走る。
「‥‥主‥さま‥」
「これは、困りましたねぇ」
 少しも困っているようには思えぬ口調で、筧はのんびりと鳩に答えた。
 神帝軍はともかく、人間は嫌いではない。
 むしろ好意的な感情を抱いている筧としては、襲撃があれば参加者の避難誘導くらいは買って出るつもりであったのだが‥‥
 この状態で「死にたくなければ」という警告は、そのまま会場内にパニックを呼ぶだろう。デュノフガリオにしても、迂闊に手を出すことはできなかった。
 刻、一刻と降り積る沈黙が、緊張という名の弓を引き絞る。
 息詰まるその空気の中で、権天使はゆるやかに手にした花を掲げて見せた。幼い顔にふうわりと揺蕩うたその笑みに、凍てついた会場の気が微かに緩む。
「ひとつ提案」
 相手が何者であるのか。それすらも気に止めていないかのように、少年はまっすぐに男を見つめ、そして、背後の献花台へと視線をむけた。
「ここは争いの犠牲となった人たちを悼む場所だよ。せめて、集会が終わるまで待てないかな?」
 穏やかに、厳かに。いといけないその顔に、聖者の笑みさえ浮かべて。
「――貴様、何を考えている?」
「別に。ただ、人が巻き込まれるのは嬉しくないね。キミの狙いはボクなんだろ?」
 男が対峙する相手は、権天使ヨハネ。
 だが、その光景は‥‥魔皇たちの目を通してさえ‥銃口の先にいるのは、年端もいかない幼い子供。善悪の問題ではなく、意識の底に嫌悪が浮かぶ。
「あいつ」
 歯噛みしたデュノフガリオとその脇にひっついて成り行きを見守っていた逢魔・シーナ(w3c784)の隣で、誰かが小さく身じろいだ。それを確かめようとする暇もなく――
「貴様の事だ。きっと何か‥‥」

 ――バン‥ッ。

 乾いた音が、壮麗な壁画の描かれた天井に響いた。
 投げられたエナメルの小さな鞄は男の腕に当たり、ぱさりと軽い音を立てて床に落ちる。
 ハンドバックをぶつけた程度で魔皇を傷つけることはできないが、それでも、不意を付くには十分。
 投げたのは、シーナの隣に座っていた人間の少女。関係者の演説の間ずっとハンカチを握り締めていたのを覚えている。
 泣き腫らした赤い目に揺れるのは、激しい憎悪と瞋恚の焔。
「父を返してっ!!」
 思惑も、打算も、なにもない心の叫び。
「‥‥父は‥魔皇だって‥悪い人ばかりじゃないって‥‥そう言ってたわ‥‥魔皇だって元々は人間だって‥‥可愛そうだって、同情してた‥」
 強く睨みつける双眸から、また透明な涙が溢れる。
「なのにどうしてっ?! どうして、あんたたちはパパを殺したのよっ!? ねぇ? ――答えなさいよっ!!」
 感情を搾取された者とは思えぬ強い叫びにたじろいだ魔皇の隙を突き、デュノフガリオの放ったDFが男の手から魔皇殻を弾き飛ばした。
 我に返ったグレゴールたちが魔皇に駆け寄る。そのスローモーションのような光景に吐息を落とし、筧は傍らの逢魔に笑顔を向けた。
「見ましたか、パティ?」
 いっそ嬉しそうにさえ見える筧の言葉に、鳩は無表情に頷いて一部始終を胸に収めた。

●残された想いの果て
 中之島公園に程近い難波橋のライオン像に顎を乗せぼんやりと川面を眺めていた権天使は、静かに近づく足音に首を傾ける。
「‥‥結果には満足したかい?」
 返答は、ない。
 会場外では逢魔を失った魔皇の暴走という予期せぬ事態は起こったものの、幸い式典参加者に怪我人は出ていない。危惧された悪魔化も起こらなかった。
 もちろん、会場を騒がせたという事実は残るけれども、まだ最悪の結果ではない。新世界で起こった魔皇同士の小競り合いも、追悼式のテロと直接結びつける者はいないだろう。
「キミを縛り付ける者はもういない。残された想いもこれで昇華する。願わくば、神の御手に抱かれんことを。――キミも‥好きなところへ還りなよ」
 手向けるようにふうわりと舞い降りた白い花を胸に抱きしめ、栄神朔夜(w3h299)の逢魔・ヴェスパー(w3h299)はぺこりと一礼すると淡く暮れなずむ雑踏へと姿を消した。――主を失くした逢魔は戦の表舞台からその姿を消し、行方を知る者は‥ない‥‥。

●鳩のドッキドキ雑記帖
 鳩の主は、人間が好きだと言います。
 権天使ヨハネも、人を安寧へと導くのだと言いました。

 どちらも人間が好きです。
 でも、ふたりの意見はすれ違っているのだそうです。

 感情を搾取された人間は、主にとって魅力のない存在です。
 鳩もよく主から感情が乏しいと言われます。
 ‥‥鳩は主にとって、魅力のない存在なのでしょうか‥

 女の子のお父さまを刹したのは鳩の主ではありません。
 テロリストを止めようと奔走された魔皇さま方でもありません。
 厳密に言うと、
 今日の追悼式を狙ったテロリストの誰でもないです。
 でも、彼女には判っていないようでした。
 あの方にとって、魔皇という存在のすべてが、
 悪魔化し東京を襲った魔皇さまと同じなのかもしれません――

 鳩の主が人間のことを好きだと言っても、
 あの方は鳩の主を好きだと思ってくれないでしょう。
 それは、とても悲しいことだと思います。

 鳩は人間にも、主を認めて欲しいです。
 どうすればいいのか、鳩にはまだ答えがわかりません‥‥

=おわり=